あとがき

 なんだか過去の自作品を見返して鼻先をむずむずさせるのが趣味になっているようで、今作もその矛先を向けられたわけである。


 これを書いたのが5年前、はて、何をしていたかと考えてみれば、高校生真っ盛りの時期である。時間とは甚だ恐ろしい。


 今回、この作品に対してあとがきを行おうと思ったのには一つ理由があった。


 祖母が亡くなった。


 去年の十一月のことだった。


 書こうか、書くまいか、迷っていた。


 書いたところで何にもならないし、気持ちに一つの区切りを付けるのも、若干怖かった。


 だがもう、いいだろう。

 一周忌を直前に控える今、ここに残す。


 今作の冒頭で祖母に言われた「人と人との繋がりはなるべく持っておきなさい」という言葉。

 あれを切に感じ始めたのは、一昨年のことである。


 〇


 一昨年、SNSで交流を持っていた方と実際に会ってお話するようになった。


 また、去年のある時期から漫画界隈の人との繋がりを僅かに得ることができ、自分の知らない世界を教えてもらう事ができた。

 学生時代にはあまり交流の無かった意外な友人と、人生スケールの深い深い話をする事ができた。


 更に、SNSで交流を持っていた方を通じて、また新たな方との出会いを得ることもできた。


 今年に入ってからはまた別の界隈に顔を出し、そこでも違った人脈を得ることができた。


 一つ一つは細く、まだ千切れてしまいそうなほどに弱いが、これからである。


 繋がりとは、月日をかけてじっくりと深くなっていくものだ。

 祖母はそれを生前に体現していた。

 私は知っていた。


 皮肉にも、上京してから殆ど祖母との繋がりを失くした頃に、祖母から教えられた他者との繋がりの重要性を知る事になった。


 感謝してもしきれない、大切な知恵だった。


 〇


 本文でも語った通り、私は故郷を捨てた。


 故郷にいても、きっと今ほどの繋がりを持つことは難しかっただろう。


 結果的には繋がりを持つことはできたが、代償として本当に深く、生まれた時から持っていた大事な繋がりを手放してしまった。


 何が正しいのかは分からない。


 死に行く身内に寄り添う事が間違いでもないし、今を生きる他者との繋がりを主にしていくのも間違いではない。


 結局のところ正解はないが、私は祖母を蔑ろにしてしまった。


 去年の正月に帰省して以来、一度も電話で様子を確認することもなく、祖母は逝った。


 最期に居たのはケアハウスだったそうだ。

 亡くなってから初めて聞いた。


 〇


 改めて、この作品に対しての自身の気持ちが傾いた。


 今度は実家に残してきた母がいる。


 これほどまでに


 これほどまでに故郷の事を想う心がありながら


 どうして家族に寄り添えなかったのだろう


 私に故郷へ戻る資格はあるのだろうか


 戻って墓前に手を合わせて「ただいま」と言っていいのだろうか




 あとがきにしては長々と書き連ねてしまった。

 申し訳ない。


 ただどうしても、ここに残しておきたかった。

 祖母が私に遺してくれた遺志と、その重要性を。


 5年経った今、かつての自分へ向けて。

 あとがきを残す。

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知らない懐古と愛す土地 北海ハル @hata

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