焼いたら美味しいチーズの種類とか安いワインの飲み方とか

古池ねじ

焼いたら美味しいチーズの種類とか安いワインの飲み方とか

 サムソーチーズというのはデンマークのチーズだ。製法とか歴史とかそういうことは全然わからないけれど、とにかくデンマークのものらしい。俺もごく最近まで名前を聞いたこともなかったので、たぶんそこまで有名なものでもないのだろう。近所のそこそこでかいスーパーには置いてないけれど、隣の駅のデパートの地下にあるチーズ専門店には置いてあった。そういうところに売ってる割にはそんなに高くないので、俺は大き目の塊を買う。四角い、均一な色の塊だ。それを厚めにスライスして、分厚く切ったバゲットの上に乗せて、レンジのトースト機能で焼く。

 一人暮らしの家ではレンジの他のトースターを置く余裕はないので、チーズトーストを作っている間レンジは塞がっている。なので小さな鍋を出して、安い赤ワインをどぼどぼと注ぎ、そしてオレンジジュースも同じぐらいどぼどぼ注ぐ。それを弱火で温める。ホットワイン、と言いたいけれど、スパイス的なものがないので本当にそう呼んでいいのかはわからない。ホットワイン、と呼ぶ声に後ろめたい気分を込めることで、許してもらいたい。ホットワイン。

 バゲットの縁がほんのり焦げて、でもチーズに焦げ目はついていない、ぐらいがちょうどいい。俺の体感として、サムソーチーズは焦げ目? 焼き目? が付きにくい気がする。皿に盛って、それからホットワイン(後ろめたい)をカップに注ぐ。

「できたぞ」

 声をかけると、リビングで映画を観ていた田中がキッチンまでやってきた。

「なんかしゃれてるな……」

「見慣れないだけだろ。自分の分もってけよ」

「おう」

 二人とも皿とカップを持ってリビングにのそのそ歩いていく。リビングのテレビは田中の持ってきたゾンビ映画のDVDが一時停止されている。角がほつれかけているソファに座った田中は、流れるような動作でリモコンを手に取ると再生ボタンを押した。テレビに移っているのは白人の中年男二人がふざけて笑っている場面で、俺にはゾンビらしさはまるで感じ取れない。

「面白いのかこの映画」

「面白いという話だけど」

「この二人実はゾンビなのか」

「俺の観た限りではこの二人はゾンビではない」

「まだ」

「そうだな。まだ」

「金髪のほうが主人公?」

「俺の観た限りではこいつ」

「まだ」

「そういうのにまだってありえるのか?」

「ありえるかありえないかで言ったら、ありえる」

 田中は鼻で笑って、ソファの背もたれに背中を預けた。俺は冷める前にとチーズトーストを齧る。バゲットの皮ががりっと硬くて、唇の端が切れそうになる。チーズが熱い。

「俺も食べよ」

 田中も皿に顔を突っ込むようにしてトーストを齧った。テレビの音をかき消す勢いで、二人の咀嚼音がばりばり響く。伸びるところまで伸びて切れたチーズの端っこを口に押し込んで、ホットワインを一口飲む。俺は酒に弱いので、それだけでぼわっと脳みその周りの血管が開く感じがする。

「このチーズおいしい」

 口の周りをバゲットの皮のカスだらけにした田中が言った。

「おいしいだろ」

 俺は得意な気持ちをまったく隠さずに言った。田中はうんうんと頷く。

「おいしい。うまいじゃなくておいしい、みたいな」

「うん。おいしい。サムソーって言うんだ。デンマークのチーズ」

「とても伸びる。おいしい」

 二十六歳社会人の語彙かこれが。と思うけれど、サムソーはとにかくとても伸びて美味しいのだ。なんだか余計に食欲がわいて、二人で映画もそっちのけでばりばりがりがりざくざく食べ続ける。俺も田中も、ほとんど同時に食べ終わり、二人してホットワインを一口飲んだ。

「おいしかったなあ」

「おいしかったな。これもおいしいな。ちょっと甘くて飲みやすい」

「赤ワインにオレンジジュース入れてあっためただけだけど」

「おいしい。好き」

「俺も好きだ。こればっかやってるからこのワインそのまま飲んだらどんな味するのか知らない」

「可哀相なワイン」

「でもこれおいしいだろ」

「おいしい。好き。あとチーズの名前なんだっけ」

「サムソー」

「強そう」

「美味しさは強さ」

「サムソー強いな。覚えた」

「デンマークのチーズだ」

「デンマークのサムソー。うん。覚えた。後で送っといて」

「覚えてないだろ」

「復習するんだ。記憶を定着させるために」

「物は言いようだよなあ」

「あ、ゾンビ出てきた」

 映画観てたのか。俺も画面に目を向ける。ここまで全然観てなかったので話の内容が全然わからん。別にそこまで興味はないからいいけど。ゾンビはちょっと不穏な雰囲気とともに出てきて、でもすぐに消えた。だからどういう話なんだこれは。

「俺小さい頃スイスに住んでて」

「おう。唐突だな」

「いやでも思い出したから。五歳ぐらいのときかな。父親の仕事の都合で半年ぐらいだけど住んでて。それでチーズフォンデュを食べた」

「すごいスイスっぽい話だな」

「俺はチーズが好きだったから見た目だけですごいテンションがあがった」

「わかるけど」

「チーズなんて日常生活だったらピザとかグラタンで出会うだけじゃん。表面のトッピングみたいなもんじゃん。メロンパンの皮みたいな。それをパンに好きなだけつけていいとか。すごいテンションあがった」

「わかるけど」

「すごいテンションあがった」

「うん」

 でも、と田中はホットワインを一口飲んで、続けた。

「美味しくなかった。まずくもなかったけど」

「スイスのチーズフォンデュが?」

「ワインとか入ってて苦かった」

「あー」

 五歳には確かにそうかもしれない。出会いが早すぎたのだろう。俺は結構好きだけどチーズフォンデュ。

「俺があのとき思い浮かべてた味は、さっきのチーズトーストみたいなやつだったんだ」

「うん」

 そう言われてみればサムソーは通向けのくさみや苦味みたいなものは皆無だ。

「おいしかった」

「そりゃよかった」

「このワインも美味しい。お前は美味しいものをよく知っている」

「両方インターネットで見たんだ。サムソーが美味しいとか。安いワインにはオレンジジュース入れろとか」

「インターネットか」

「インターネットはすごい。なんでも知ってる」

「なんでも」

「なんでもは言い過ぎだな。誰かが知ってることは」

「この映画もインターネットで見た。面白いって」

「面白いのかな」

「今日のところのインターネットの勝率は六割を越えてる。俺はインターネットを信じたい」

「そうか」

「うん」

 映画はゾンビがばんばん出てきて、話が動き始めたようだった。田中は笑っているけれど、何が面白いのか俺にはわからない。そもそも最初のほう観てないから当たり前だ。それでも話が進むにつれて正確かはともかく俺の中でもそれなりに設定が出来上がってくるので、段々面白くなってきた。

「あ、こいつ」

 俺はいかにもちょい役、という風情で出てきた役者を指さす。

「こいつ。どうした」

「あいつじゃん」

 俺はその役者が主役だった結構な大作映画の名前を出した。田中はあー、とわかったんだかわかってないんだか、という声を出した。その間に、本当にちょい役だったらしく見覚えのある役者は去って行った。

「え、今の本当にそいつ?」

「え、だと思うけど」

「えー。あとで調べといて」

「インターネットで?」

「インターネットで」

 温くなったホットワインをちびちび飲み、ソファの上で俺たちはどんどん姿勢が悪くなる。映画は話が佳境に入って、主人公たちは追い詰められて、戦う。それまで割とのんびりしていたのが急に展開が早くなり、二人とも黙って、じっと画面を見ている。ちょっと面白いシーンがあるので、そこでは二人とも笑った。

 ばたばたと話は展開し、大量の血が流れ、ほとんどの登場人物は死に、本当に思ってもみなかった結末を迎えた。エンドロールが始まる。

「なんか、これ、すげえ話だったな」

 田中がしみじみと言う。

「すごい話だった」

 俺もしみじみと言う。

「面白かった。インターネットは素晴らしいな」

「勝率十割だなインターネット」

「インターネットに任せておけば間違いないな」

 すっかり冷めたホットワイン(疑わしい)を飲み干して、もともと悪かった姿勢をさらに悪くする。ほとんど座ってるとさえ言えない姿勢になって、ぼーっとしている。田中はリモコンを手にしているけれど、何を見るでもない。テレビはDVDのメニュー画面を映したままだ。

「今日は愚痴を言いに来たんだけど」

「そうだったのか」

 突然「今から行く」とメッセージが来て、驚いているうちに本人が到着したから、そんなようなことだろうとは思っていたけれど。

「ひどい目にあったからインターネットでいろいろ調べたんだけど、俺は俺しかいないから、そういう問題にはあんまり役に立たないな」

「まあ、そうだろうな」

「うん」

 田中は目を閉じた。眠たいのかもしれない。俺も眠たくなってきた。このまま二人で寝てしまうかもしれない。まあ、そういうのもたまにはいいだろう。そういうことにしておく。

「インターネット見ててもどんどんいやな気持ちになるだけだったけど、もうあんまりいやな気持ちじゃないし、愚痴ももう、別にいいや。どっかのチーズもワインもうまかったし映画も面白かったし」

「チーズはデンマークのサムソーだ」

「うん」

 田中はうん、ともう一度繰り返した。俺はもうだいぶ眠い。意識がサムソーみたいにとろとろ溶けてるところで、田中はぽつんと言った。

「お前がいるし」

 ちょっとびっくりして、眠気がだいぶ失せた。

「あ、そうか」

 急なことだったので、なんだか場違いな返事になった。でも田中はうん、ともう一度頷いた。

「お前、インターネットを超える存在だな」

「インターネットを超える存在」

「うん」

「強そうだな」

「うん」

 と頷くと、そのまま田中は動かなくなった。寝てるのか、恥ずかしくなって寝たふりをしているんだろう。俺はおかしくなって声を出さないように笑うと、ちょっとだけ気合を入れて立ち上がった。食器を流しに下げるぐらいはやって、あと、田中にかける毛布を持ってこなくては。

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