白刃と過去Ⅶ

「いや、おそらくこれがパンドラの匣じゃ」


 背の低いサイネアが背伸びをして箱の中を覗き込む。バーリンであるサイネアが覗き込んだところで何かが変わるわけではない。だが、サイネアの声は何かを確信しているものだった。


「どうしてそう思うの?」


「わしが生まれたのはおそらくここからじゃ」


 素気なく言ったサイネアの言葉に、三人の顔色が変わる。


「どういうこと?」


「生まれた時に光を見たんじゃ、細い光のきざはしを。なるほど、これはぬしの抜けた後の孔じゃったんじゃな」


 細長いあなを覗き込みながらようやく合点がいった、とサイネアは満足そうに何度もうなづいた。


「つまり、この妖刀が持っている魔力は譲ちゃんのものだったってことか」


「やたらアーロンドを気に入っていると思っていたけど、アーロンドじゃなくて妖刀を無意識に頼りにしてたのね」


 サイネアの白い肌や翼は魔力がないものの証明だ。魔力が吸い取られたまま生まれたサイネアはその白い翼ゆえに群れを追われて、まるで自分の魔力を追い求めるように村正とアーロンドの元へと現れたのだ。


「パンドラの匣が薄くなっているのって、もしかして妖刀がこれも吸ったってこと?」


「さぁな。そこまではここでは判断しようがないな」


 半透明になった結晶でできたパンドラの匣は目を凝らすと空の匣の中が透けて見えるほどになっている。足元に落ちているバーリンの残した結晶と比べるとずいぶんと頼りない色で、サイネアの羽よりは黒いと言える程度でしかない。


 人間の子供ほどの背丈を持つサイネアに与えられるはずだった魔力がどれほどのものであったかはわからないが、その細い刀身に凝縮された魔力ならばその濃さは何倍にもなっているだろう。


「とりあえずもうこのパンドラの匣が機能していないのは確からしいな。でなきゃあんなにうようよバーリンがいたアルテルを抜かずに進めるわけがない」


「そうみたいだな。周囲の魔力でわかりにくいが、この箱からは魔力を感じないし。うーん、どうにか持ち帰って研究したいんだが」


「ちょっと、目的を忘れてない? パンドラの匣の近くなら人間とバーリンが共存する村があるかもしれないって探してたんでしょ?」


 ミニアに言われてようやく目的が何だったのかを思い出す。それは当の本人であるはずのサイネアも同じだった。


「そういえばそうじゃったな」


「あなたが忘れててどうするのよ」


 呆れて次の言葉が出てこないミニアは自分の頭に苛立ったように小さく額を平手で叩いた。


「この近くに村なんてないだろうな」


「この魔力にあてられながらまともに生活するなんて不可能だろう。当ては外れていたみたいだね」


 バーンは周囲を見回して、見るがあるのは崩れた遺跡の壁とその隙間から見える森の木々たちだけだ。村として人が共同で生活しているどころか、人の気配すらない。


 しかし村正だけは感じていた。人間もバーリンも動物もいないはずのこの空間に人の、それも邪な企みを持つ人間の気配を鋭く察知した。


「とにかく行くわよ。私たちの目的は人間とバーリンが共存する村を探すことなんだから」


「なるほど、そんなおとぎ話を信じていたのか。優秀だと聞いていた君たちが三人そろっていて、出した結論がそれとは呆れるよ」


 物陰から姿を現したのはマギステルの街中で震えていたミスティルだった。


「後をつけてたのか。相変わらずろくなことしない奴だな」


「他人の研究を横で見ているのも立派な勉強さ」


「最後に成果を横取りしないならな」


 もはや諌めるつもりもないらしく、バーンは落ち着いた口調で首を振る。杖を自分の前にかざして村正やミニアを無視して一人で戦い始めてしまいそうな勢いだ。


「どうしたんだ? そんなにいきって。人間とバーリンの共存? 叶えてやれるぞ。マギステルの研究室で一生大切に飼ってあげるよ」


「こっちも暇じゃないんだ。さっさと道を開けてくれるか?」


 杖を突きつけるバーンを制するように村正が左腕をかざす。まだ二本腰に差した獲物は鞘に収まっている。そのはずなのに杖を突きだすバーンの何倍もの威圧感にミスティルは思わず後ろに退いた。


「なんだ。前と雰囲気が違うな。まだ妖刀を抜いたわけでもないくせに」


「なんでもいいだろ? やるならその大仰なお友達を紹介してくれよ」


 村正がにやりと笑いかける。それだけでミスティルは寒気がしたように体を震わせた。まだ刀が腰に差さっていることを確認したミスティルは、脱兎のごとく四人の前から逃げ出した。


「口だけだな」


「そうか? 俺はこれから楽しみだ」


 制していた左手を下ろし、獲物を見つけた狩人のように村正は目をギラつかせた。これがアーロンドが隠していたかった本性。戦い、さらには人を斬ることへの欲望だったのだと思えば、別の人格を作ってまで閉じ込めたことも理解できた。


「さぁ、楽しく行こうぜ」


「楽しいのはあなただけよ」


 槍をしっかりと握ったミニアは槍の柄で村正の背中を小突く。早く進めということだろう。


 これから先にミスティルの兵が待っているはずだと誰もがわかっていながら、どこか楽観的で今の状況を楽しんでいるようにさえ見えた。


「ぬしら、魔力にあてられたのか?」


 一人落ち着いたままのサイネアが不安そうに三人を見ていた。村正はともかくとして、バーンがいきなり杖を構え、ミニアが無用に槍で村正を刺激するなど、これまでの二人には考えられない行動だ。


 アーロンドもこの遺跡を探索した後に、家に戻って自らの父親を斬ったのだ。なにやら不穏な空気を感じて、サイネアは村正の袖を引っ張った。


「のう、ぬしよ」


「心配すんなって。俺はいつも通りだ」


 不安そうな顔をしたサイネアの頭をぽんぽんと村正が軽く叩く。一度このアルテルの魔力にあてられているからか、それとも単に元々人斬りの人格を持っているからかはわからないが、村正の言動は確かに落ち着いていた。


 それぞれに杖を構えて、敵が見えればすぐに飛びかかりそうな闘争心を剥き出しにしたミニアとバーンを制しながら、村正は遺跡の出口へと向かって歩いていく。


 遺跡の出口が見えたところで、村正が物陰に隠れるように腕だけで三人に指示を出す。崩れた壁越しに外の様子を窺うと、不意打ちをするつもりらしくにやけ顔が止まらないミスティルと全身を鎧で覆った兵士が並んでいた。

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