四章

白刃と過去Ⅰ

 硬いベッドの上で目を覚まし、重い体を床に落とすように這い出した。全身が重い。関節の感覚が鈍重どんじゅうで、自分ではない生き物を動かしているようだった。


 アーロンドは恨めしそうに壁にたてかけられた村正を睨むが、いつものような軽々しい口調の答えは返ってこなかった。


 アーロンド自身がこれほど疲れているのだ。村正も同じ思いを感じていても何もおかしなことはない。それでも謝罪の一つくらいあってくれてもよいだろうに。


「人の体を、好き勝手やってくれますね」


 助けられたことは事実なのだろうが、これだけのお返しをもらえば十分だろう。隣のベッドでは相当疲れてしまっているのか、バーンが大きないびきをかいている。ずいぶんと大変な思いをしたのだろう。


「かなりの大物を狩ったからな。あいつは見てただけだがな」


 備え付けの簡易なキッチンに立ったところで遠くにある村正が自慢げに語り始めた。


「大物? 村人に化けたバーリンだけではなかったということですか?」


「あぁ、あのおてんばが災害級だのなんだのってうるさかったぜ」


 おてんば、というのはミニアのことだろう。もうそんな呼称の似合う歳ではないとは思うが、すぐにわかってしまう辺りまだまだ彼女はおてんばということなのだろう。


 苦笑を浮かべたアーロンドは、その後に村正が放った言葉の意味に気が付いてすぐさま顔色を変えた。


「さ、災害級と言いましたか?」


「あぁ、さすがに俺も疲れたぜ。少しの間は面倒なことを起こしてくれるなよ」


「災害級を、皆さんは無事だったのですか!?」


 ベッドで眠りこけているバーンを振り返る。焦り始めたアーロンドに村正は笑いを浮かべながら答えた。


「俺一人で十分な相手だ。あいつらはただの観客だ」


「一人で、災害指定級を倒したというんですか?」


「別にやろうと思えばお前にだってできる話だ」


 さして自慢するでもなく、当然のように言った村正に、アーロンドはまだ重さの残る自分の右手をじっと見つめた。


 災害指定級のバーリンと言えばどれほどの脅威か。アーロンドは当然理解している。話に聞いたことは何度かあるが、実際に目の当たりにしたことはない。しかし、精鋭部隊の軍人を数百人規模で動員しなければ街一つが壊滅するとも言われていることは知っている。


 それをたった一人の人間が倒したと言われてもにわかには信じがたい。ましてそれが中身こそ違うとはいえ自分の体がやったとなればなおさら信じることなどできない。


「そんなこと、できるはずがありませんよ」


「ま、お前の精神力じゃ無理だろうな。俺の心意気ってのが大事なわけよ」


 そんな気持ちひとつで化け物を倒された方が困る。アーロンドは村正との会話に頭が痛くなるような心地がする。目を覚まそうとキッチンに向かってお湯を沸かそうとして、自分の手に大きな豆ができていることに気が付いた。


「どうだ? お前にも昨日の感覚が残っていないか?」


 全身に気だるさと痛みは感じていた。それだけで記憶のない昨夜の一戦がどれだけ激しいものだったか容易に想像できる。しかし、それとは別に手に残る鈍い重さも感じていた。初めて村正を抜いたときと同じ、何かを斬った刀の重みだ。


「いいだろ? それが勝者にのみ与えられる至福だ」


「あなたはそうやっていつも楽しそうに語るのですね、誰かをあやめたことを」


 蒸気の沸きはじめたやかんを見てアーロンドは火を止める。持ってきていたドライハーブはまだ残りがあるはずだ。


「起きてたのか」


「えぇ、コーヒーがいいですか?」


「頼むよ」


 後ろで眠そうな目を擦って歩いてきたバーンに薄い微笑みを返した。アーロンドの質問に寝ぼけ眼で答えたバーンはそのままベッドの方へと戻っていく。完全に目覚めるにはまだ少し時間がかかりそうだ。


 災害指定級と対峙したとなれば、ミニアやバーンと言えども逃げ惑う以外に選択の余地はなかっただろう。そうだとすれば、村正のおかげでこうして朝が迎えられたとも言えた。感謝をしなくてはいけない、とアーロンドは荷物の中にあるはずのカップを探して部屋に戻った。


「昨日は無事だったようで」


「あぁ、妖刀にも感謝しているさ。大学の頃からいろいろやったが、一番危なかったからな」


 バーンは笑って返すが、内心その場にいた時は心が穏やかでいられたはずはない。それは今も同じだろう。ひとたび抜き放てば周囲にあるものを瞬時に斬り裂く妖刀が、さらに災害指定級の強さを誇っている。いつ爆発するかわからない爆弾を脇に抱えているようなものだ。


 結局いろいろな人間を危機に巻き込んでいる。それがアーロンドには心苦しかった。


 人と交わらなければ誰かを傷つけることもないと思っていた。サイネアを連れていてもひっそりと村を回っていれば大きな問題は起きないものだと思っていた。


 実際はどうだろうか。こうして毎度強迫されるように村正を抜き、周囲を傷つけ、危険に晒しながらなんとか生き抜いてきた。


 心苦しそうに顔をしかめたアーロンドは自分の先見のなさに嫌気がさして髪を乱暴にかきあげた。


「君には嫌なものだよな。記憶がないうちに化け物と戦わせられるなんて」


「いえ、それで誰かを守れるというのなら」


 そこでアーロンドは言葉を切った。言い出した言葉に嘘はない。だが、人間やバーリンを知らず知らずの内に斬ることに不安は拭えない。未だ手に残る鈍い感覚が近い将来嫌な結果をもたらすかもしれないのだ。


「カップはこれだな。俺が淹れてくるよ」


 アーロンドが探していたカップを手に取ると、バーンはアーロンドの横を抜けてキッチンの方へと向かった。


「気を遣わせてしまいましたかね」


 アーロンドは眠っていたベッドに腰かけて、また自分の手を見つめた。普段なら鍛冶をしながらごまかしてしまう感覚もああして誰かと話していると妙に気になってしまう。キッチンではさすが食に関して覚えがあるだけあって、バーンが手際よくコーヒーを淹れているのが見える。その事実が少しだけアーロンドの心を軽くした。


「今は、助けられたことを喜ぶべきなのでしょうね」


 ほっと気を緩めた瞬間に部屋の扉がノックもなしに乱暴に開いた。

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