白刃と槍Ⅲ

「熱心だねぇ」


「いいじゃないですか。早く直しておいて悪いこともありませんから」


 不適正の魔力が通ったことで傷んだ刻印を上から彫り直し、傷ついた部分にやすりをかけて刀身をぎなおす。魔法を使うのに刃の部分は不要なので、一般生活用の杖は全て刃はなまくらになっているが、このようなバーリンと戦う戦闘用の物なら武器として使えることに越したことはない。


「今日中に終わらせないと困るからな」


 村正が含みのあるように言った。アーロンドは紋様を一つ一つ丁寧に直しながら答える。


「あの子が出ていかなければ今日とは限りませんよ」


「そうだな」


 村に寄贈する分と請け負っていた仕事の分、そして自分の刀型杖の手入れを終わらせて、アーロンドは最後に村正を手に取った。


「村を出るのだとすれば、きっとあなたに頼るときもあるでしょうからね」


 固く絞った布で村正のさやと柄を拭いてやる。村正を鞘から抜けば、アーロンドの意識は村正に奪われてしまう。それに膨大な魔力をまとって振るわれる村正は刀身では相手を斬らないので手入れらしい手入れは必要がないのだ。


「頼りたいなら抜けばいいさ。俺は目の前の奴を斬る。それだけだ」


 村正を工房の壁にたてかけると、アーロンドは必要なものを探して、それを旅行用のカバンに詰め込み始めた。


「まぁこんなところでしょうか。あまり多くても困りますし」


「嬢ちゃんの服はどうすんだ?」


「とりあえず私のものを着せておけば大丈夫でしょう。羽と体毛を隠せば普通の子ですから」


 大きくなった荷物を置き、アーロンドは工房の作業場に座り、自分の仕事場をゆっくりと見回した。大学を卒業して放浪した後に、このラスクニアに来てからもう三年になる。できる限り人との関わりが少ないところを探してこの村に移り住んだ。


 首都ダマスカスにある大学から出てきたときはこんなに不便なところで生活できるのかと思ったものだったが、案外すんなりと慣れてしまった。


「三年ですか。ちょうどいい頃合いなのかもしれませんね」


 人と深く関わればそれだけ失ったときの悲しみは大きい。ましてやそれが自分の手で、村正の暴走でいつ起きてもおかしくない状況にあるのだから。


 明かりを消して、アーロンドはゆっくりと目を閉じた。眠るつもりはなかったが、少しでも疲れはとっておきたかった。明日の宿すら決まらない旅になるかもしれないのだから。


 どのくらい時間が経っただろうか。真っ暗な工房に静かな足音がかすかに聞こえてくる。その音を敏感に察知したアーロンドはゆっくりと自分の杖をとった。


「お出かけですか?」


 刀型の杖の切っ先から小さな火を灯す。揺らめく赤に照らされて、サイネアの姿が浮かび上がった。


「すわっ! ぬし、こんなところで何をしとるんじゃ?」


 飛び上がったサイネアの足元はキッチンにあった雑巾でくるまれていた。夕刻に痛い目を見て彼女なりに考えたらしい。


「あなたがお休みになっていたベッドがうち唯一の寝床ですからね」


「それはすまぬことをした。もう使ってよいぞ」


 サイネアが工房の扉に向かって歩き出したのを見て、アーロンドは大きな荷物と二本の杖を持って立ち上がった。


「これも何かの縁ですから。私もお付き合いしましょう」


「ぬし、正気か?」


 仲間から捨てられたバーリンが行く先などまともな場所があるはずもない。そんなことくらい少し考えればアーロンドにはわかりきっていることだった。サイネアにもそれは理解できている。だからこそアーロンドの決意は歪んで見えた。


「あなたこそ、どこか行くあてはあるのですか?」


 笑顔をたたえながらも、アーロンドは強い語気でそう言った。その勢いに気圧けおされたようにサイネアは視線を逸らして口を結ぶ。お互いに行先がないことくらいはわかっている。


「世界のどこかに人間とバーリンが共に暮らす村があるそうです」


「なんじゃ急に? おとぎ話を聞かされたところでわしは寝たりせんぞ」


「わかっています。私も研究で何度か耳にしただけのおとぎ話です」


 それでも何もないよりはいくらか希望が持てるだろう。


「私もわけあって長く一か所には留まれない人間なんです」


「渡り鳥みたいじゃな。他人のことは言えたものではないが」


 サイネアがくすりと笑う。その表情はずいぶんと古びた言葉づかいからは想像できないほど幼かった。


「ついてきてくれるというのなら、少しばかり付き合ってもらおうかのう」


「はい、素直なよい子で助かりますよ」


「すわ! 子ども扱いするでないわ!」


 アーロンドの太ももあたりを両手で叩くサイネアの姿はどこから見ても幼い子供そのものだ。その彼女にアーロンドは荷物の中から自分の古着を取り出した。


「とりあえずこれに着替えてください。大きいかもしれませんが、バーリンと気づかれては困りますから」


「うむ、なんじゃ人間はいつもこんなものを身に着けておるのか」


「人間は濃い体毛はありませんからね」


 アーロンドと比べると半分そこそこの身長しかないサイネアはくたびれたティーシャツを着ただけでワンピースのように足まで隠れてしまう。


「それでは行きましょうか」


 工房を出て二人は暗闇に染まった村を歩く。アーロンドにとっては二度目の逃避、ということになるだろうか。あの時も今と同じように周囲の視線に耐えられず、あらゆる企業や研究機関からの誘いを断ってラスクニアで杖職人を始めたのだ。それは父の遺志を継いだのだ、とアーロンドが勝手に思っているだけなのかもしれない。

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