白刃と槍Ⅱ

「どうやら目が覚めたみたいですね」


「うにゅ、ここはどこじゃ?」


 アーロンドがかけておいた掛布団を体に巻きつけたまま、バーリンの少女は工房へと足を踏み入れた。


「みぎゃあ! なんじゃここは。地獄か?」


 鉄片や木片の落ちた工房に素足で入った少女は一歩目にして盛大に色々なものを踏みつけたらしく、飛び上がって工房から退いた。


「大丈夫ですか?」


「すわっ! 人間か?」


 心配そうに近づいたアーロンドにさらに驚いた少女は、扉の敷居に足を取られ、そのまま後ろに倒れてしまう。体に巻きついた布団のおかげか大きな音もなかった


「とりあえず落ち着いてください」


「どうやらわしもここまでのようじゃ、がくっ」


「まったくおかしな子ですね」


 アーロンドは作業を止めて、倒れたままの少女に近づくと、その体を抱き起こす。


「わしは、どうしてここにおるんじゃ?」


「近くの森で倒れていたんですよ。覚えていないんですか?」


 考えた後に首をかしげた少女に、アーロンドは困ったように首筋を掻いた。


「まったく。おかしな嬢ちゃんだな」


 工房にたてかけていた村正が笑うのを聞きながら、アーロンドはキッチンに向かって大きなかまどの前に立ち、水を火にかけた。戸棚に並んだ十数種類のハーブからいくつかを取り出し、ポットの中に入れていく。


「こちらへどうぞ。のども乾いているでしょう」


 仕事の依頼が来た時に応対する、応接間というには少しせせこましいテーブルセットの椅子を引いて、アーロンドは少女に座るように勧めた。白い羽の少女は少し戸惑ったようだったが、アーロンドに言われた通り、足の届かない椅子に飛び乗った。


「そういえば、名前はあるのでしょうか?」


「名前、うむ、サイネア、かのう?」


 知っておるか? と聞かれて、アーロンドは愛想笑いを返した。もちろんアーロンドがサイネアと名乗った少女の名前が本当かなどわかりようもない。


「私に聞かれてもわかりませんが」


「バーリンの中で名を呼ばれることなどまれじゃからな。つっつかれて顔を向けさせられることばかりじゃ」


 何かを思い出したようにサイネアは口を尖らせる。その顔の前にアーロンドは湯気の立つカップを一つ差し出した。


「なんじゃこれは?」


 初めて見るらしい薄い翡翠色ひすいいろの液体をサイネアはまじまじと見ながら聞いた。


「ハーブティーですよ。心が落ち着くんです」


 アーロンドは自分のカップにサイネアに出したものと同じハーブティーを注いで、向かいの席に着いた。そのまま一口含むと爽やかなミントの香りが口の中を洗い流してくれる。


 アーロンドはこの清涼剤のような一杯が好きだった。コーヒーはどこか仕事を急かされているような気分になるし、紅茶は発酵した風味が残るのが嫌だ。ハーブティーは飲み終わった後も、窓を開け放って淀んだ空気を一掃したような開放的な気分にしてくれる。


「どうやら、毒ではないらしいな」


「もちろんですよ」


 アーロンドが同じポットから淹れたものを飲んだことを確認してから、サイネアはゆっくりとカップに口をつける。


「うん、ううん?」


 小さな口で恐る恐る口をつけたサイネアだったが、少しずつ流れ込んでいく速度が上がり、あっという間に一杯を飲み干してしまった。


「うむ、これはよい。気に入ったぞ」


「それはよかった。一種の薬湯なのですが、バーリンにも飲めるようですね」


「ぬし、そんなものを飲ませたのか……」


 頭を抱えて抗議したサイネアにアーロンドは乾いた笑いを浮かべた。自分の好きなものをそのまま出しただけで、彼女がバーリンであることなどすっかりと頭の中から抜け落ちていた。これでいきなりひっくり返られていたらと思うと、笑いごとでは済まないのだが。


「しかし、どうしてあんな森の中で倒れていたのですか?」


「ふむ、よく覚えてはおらんのじゃが、まぁ、とうとう捨てられたのじゃろう」


 まるで自分ではない誰かのことを話すようにサイネアは言う。それよりもおかわりをくれ、と差し出されたカップにアーロンドはハーブティーを注いで返す。


「捨てられた、というのはそんな軽々しいものではないのでは」


「バーリンの翼は黒い。ぬしも知っておるじゃろう。それは魔力が固まったことによって色がついておるからじゃ。わしにはそれがない。つまりはわしには」


「魔法が使えない?」


 うむ、と頷いたサイネアは次のハーブティーを一気に半分飲み干した。


 バーリンについては人間も多々研究しているが、全てことがわかっているわけではない。バーリンが死んだ後に残る黒い結晶は魔力の塊だと言われており、ここからエネルギーを取り出す研究が進められているが、まだ実用性は見えてきてはいない。


 その黒曜石のような黒が魔力だとすれば、確かにサイネアの純白の翼には魔力は存在していないようだった。バーリンが近くにいれば肌で感じるはずの魔力もサイネアからは感じられない。アーロンドの知りうる知識だけでいえばどうしてそこに存在していられるのかさえもわからないほどだった。


「真っ黒なバーリンの中で白い羽は目立つ。何かとけ者にするには十分すぎる理由じゃ」


「そして、仲間から捨てられた」


「まぁ、おおかたそういうところじゃろうな」


 サイネアは残っていた半分のハーブティーを飲み干して、背もたれにもたれかかった。アーロンドの言った通り、心に落ち着きが生まれてきたのかもしれない。


「ずいぶんと心に余裕があるように見えますが」


「慣れというものがある。頼りにできるものがなければ諦めをつけるのがうまくなるものじゃ。適合できないものは死ぬのが世の定めじゃて」


「そうでしょう、ね」


 否定しようとしてもアーロンドからは言葉が出てこなかった。否定したところで何ができるわけでもない。アーロンドは冷め始めた自分のハーブティーに口をつけ、ぼんやりと窓の外を眺めた。


「心配するでない。すぐにここからも立ち去ろうぞ」


 同じように窓の外を眺めながら、日が落ち始めた空を見てサイネアがつぶやいた。


 少し眠っておきたい、とまたベッドへと戻ったサイネアに布団をかけてやった後、アーロンドは工房で今日村の防衛に活躍して返ってきた杖の手入れを始めた。

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