第4章 宇宙基地60分実験コース

プロローグ

「実験?クローズドβとかではなくて?」

「はい。参加者は霧島様ただおひとりです」


 運営会社のいつもの技術営業担当の方から、そう聞かされる。ちなみに、今回も時間加速なしの仮想空間で話を聞いている。


「宇宙っていうから、月面基地体験とか、そういう擬似旅行みたいなものかと思ってたんですが」

「それは既に準備が進められています。素材さえ揃えば、地球上の観光地とタイアップしているコースの仕組みを流用できますから」

「なるほど…。しかも観光地と違って、現実世界での収入が減るとかそういうこともありませんしね」

「フルダイブVR以前にも、宇宙船からの映像を用いて、同じような効果を狙ったものがあったようです」


 宇宙体験の場合、移動中の宇宙船からの眺めとかも素材になるからなあ。まあ、飛行機でも似たようなことができなくもないけど。地上なら、レトロ電車とかがいいのかな。

 おっと、話がそれまくった。


「それで、『エウロパ』基地を模倣した仮想世界で暮らしてみてくれ、ということですか」

「はい。現時点で、人類が到達した最も遠い天体です」

「学園コース3年目と同時間帯・同加速で1年間、ということでしたけど」

「今回も急な話で大変申し訳ないのですが…。引き受けていただけるのでしたら、3年目相当の保障はいたします。実験参加の報酬とは、別に」

「実際に受けるか否かは、実験内容の詳細に依りますけどね」

「もちろんです。…あ、機構事務局の担当の方がそろそろログインされるようです」



 その場に、ひとりの男性アバターが現れる。


「ん、うまくいったようだな。すまない、フルダイブ端末は慣れてなくて」

「いえ、ログインしていただきありがとうございます。こちらが、霧島様です」

「初めまして、霧島雪夜です」

「君が、霧島君か…。私は、国際宇宙開発機構の事務局で渉外担当をしている、古川満男という。よろしく」


 うん、普通の日本人サラリーマン、という感じだ。あれ、でも、機構事務局って、確か…。


「古川様、時差は大丈夫ですか?」

「ん?まあ、大丈夫だ。日本とは8時間程度の差だ。ニューヨークとかのように半日を軽く越えるようになると辛いがな」

「事務局は確か、スイスでしたっけ?」

「ああ。私は出身が日本だから、日本語は問題ないよ?」

「あ、はい。最初、日本の普通のサラリーマンかと…いえ、失礼」

「構わんよ。渉外といっても、主に日本を含む東アジア地区を担当している」


 日本の仮想世界サービス運営会社とのタイアップ事業だから、今回の担当になったのかな?…いや、違うだろうなあ。


「君の噂はいろいろと聞いているよ。ひとつは、『霧島レポート』」

「その呼称、怪しすぎるんでやめてほしいんですけどね…」

「あっはっは。英語だと単なる『報告書』なんだがね。名前が付加されていると英語でも怪しくなるが」

「あう」


 さっきの『普通の日本人サラリーマン』の仕返しをされたのかな?まあ、この程度ならジョークの範疇だ。


「もうひとつは、その、なんだ。『子供達』がだいぶ世話になったようだね」

「…やっぱり、そうでしたか」

「おや、気づいていたのかい?不思議がると思ったのだが」

「事務局の場所の『スイス』から連想しただけですが。あとは、『F』ですか」

「妻のマリーも会ってみたいと言っていたよ。ふたりから面白おかしく聞かされたらしい」

「特に辺境化された冒険コースでは、ほとんどギャグのような展開でしたからねえ…」


 そう、サトミとレオンくんのお父さんだ。



「では、『学園コース3年目と同時間帯』というのは、コミュニケーション不足を補うために?」

「ああ。そういう意味では、娘達もこの実験に参加するようなものだが」

「サトミ達には話したんですか?」

「いや、なにしろ数日前に出たばかりの案だからね」


 ああそうか、辺境化冒険世界の事件(?)は、現実世界ではまだ1週間ほど前の話だ。あの件の俺の報告書がきっかけで、今回の企画が生まれたらしい。

 そういう意味ではとんでもないスピード展開だけど、俺達にとっては1年以上前の話だ。学園2年目はホントにいろいろ…いや、今ここで思い出すのはよそう。


「君も似たような考察を報告していたが、隔絶された環境に長期滞在するのに必要な要素は、やはり他者との交流のようだ」

「まあ、ある意味当たり前の話ですけどね。人はひとりでは生きていけませんよ」

「かえって拒絶する者もいるから、なんでも交流すればいいというわけではないだろうがね。関根教授は『夢』が必要、と表現していた」


 アレは関根教授と『あの2人』の…いや、あながち間違いでもないか。同じ夢を一緒に育む相手がいれば…。

 いや、ちょっと待ってくれ。それではまるで、俺があいつらと仮想世界で『夢』を育んでいたかのようじゃないか。サトミやタクトさんとかはともかく。


「他の分野でもそうだったが、これまでの仮想世界による実験ではいずれも1か月ももたなかった。模擬作業が単純なものとはいえ、娯楽コンテンツはたっぷり用意したのだがな」

「娯楽といってもオフラインですからねえ。俺も、電子書籍とAIの相手だけでは3か月ももたなかったんじゃないかな」

「それはそれで興味深いのだが…」


 そうなの?やっぱり、よくわからない。


「さて、あらためて訊くけど、どうかね?」

「わかりました、やりますよ。ただ、途中脱落してしまうかもしれませんが」

「1か月以上もてば十分だよ。過去の実験と比較できるからね」


 そういうわけで、『宇宙基地滞在実験』を引き受けることになった。ひとつの天体に、たったひとりで滞在する宇宙飛行士して―――。

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