第1話 サトミ

「…おや?」


 ログインして3か月ほど経ったある日、街の中をふらふらと歩く少女を見つけた。AIであることを示すマーカーがなく、明らかにユーザだ。背が低く、大人しい感じの娘だった。

 アバターは、店頭での初回ユーザ登録時の身体情報を基に作成される。多少カスタマイズはできるものの、現実から大きくかけ離れた姿にすることはできないようになっている。


「やあ。ひとり?」

「…友達と一緒にログインしたはずなんですけど、ずっと会えなくて…」

「あー、数秒遅れるだけでかなりズレちゃうからねえ。念のため、一旦ログアウトして連絡とってみたら?」

「5分コースなのでもったいなくて…。仮想世界サービスは使ったことなくて、お店のデモ機から接続しているんです」

「ああ、あのお試しコースか。それでも、ここでは約1ヶ月ほどになるから…」

「…え、約5時間って聞いたんですけど…?」

「…え?」


 どうやら、接続サーバを間違えたらしい。店員さんは気づいてないだろうなあ。現実世界ではまだ数秒だし。


「これから接続し直そうとすれば数分はかかって、友達と合流するのは厳しいかもね」

「うーん…」


 少女は少し考えて、


「せっかくなので、ここでしばらく暮らしてみます。ログアウトっていつでもできるんですよね?」

「うん。あ、俺はユキヤ。大学生やってる。自宅からの60分コースで、既に3ヶ月ほど滞在してるかな」

「私はサトミといいます。高校生です。…って、1年間ですか!?」

「そろそろ飽きてきた頃だったんだよねえ…。君と会えて良かったよ」

「私もです。いろいろ教えて下さいね、ユキヤさん」


 まるっきりナンパだが、このサービスは全年齢対象である。アバター同士は触れることができないし、服装はメニューから変更可能だが『脱ぐ』ことはできない。トイレや風呂は実装されていない。脳に負担がかかるため睡眠は必要だが、他のアバター(同性含む)とは一定以上離れないと睡眠がとれない。ある意味当然だが、この辺の仕組みはかなり徹底している。


 そういうわけで、サトミと一緒に辺境世界をあちこちとまわった。ほとんどが既に行ったところだったが、新しい発見があったりして結構楽しい。『月が2つある』ことに何か月も気づいていなかったことをサトミに笑われてしまった…。



 サトミが来てから約1週間。俺の電子書籍を読んでいたサトミに、店員さんから文字メッセージが届いた。謝罪と、今後どうするかの問合せだった。


「へー、1分くらいで気づいてすぐメッセージを送ってくれたんだ」

「あ、そういうことになりますね。どうしようかな…」

「ゆっくり考えればいいんじゃない?1週間後に送っても相手にはやっぱり1分ちょっとだし」

「ふふ、そうですね。ユキヤさんの電子書籍を全部読み終わってから返信しようかな」

「ちゃっかりしてるね…」


 サトミは当然ながらログイン前に電子書籍などの準備をしておらず、書庫サービスでの手続きとサーバ転送に1冊あたり現実世界で10秒以上かかるとのことで、読むのをあきらめていた。こっちの時間で1日以上だもんなあ…。


「コミックは画像変換が必要で1冊だけでも1分では処理が終わらない…。買ったばかりのこれだけは読みたかったんだけど」

「1冊で1週間近くってことか…」


 そういえば、ユーザ間での本の貸し借りって著作権的にどうなんだろう?個人的に本を貸している感覚だけど、仮想世界サービスというシステムで『データを共有』しているようにも見える…。やぶへびになりそうなので深く考えないようにしよう。


「ん、R-18フォルダはっけん」

「やーめーてー」



「あっ、リス」

「リスいたんだ…。でも、リス?」


 今日は森を散策。森はいくつかあって、とりあえず、それほど深くないところをサトミと歩く。


「リスにしてはちょっと大きいような…。あ、これ、『冒険コース』で用意されてる魔物だ。公式サイトで見た」

「魔物なんですか!?可愛いのに…」

「魔物として襲ってくるわけではないと思うけどね。街のAIもそうだけど、キャラデータを使いまわしているのだろうなあ」

「異世界情緒はありますけど…」


 現実世界の森をそのまま再現した方が簡単な気もするけど、造形の細部にこだわらないとハリボテっぽく見えるということかな。


「あれ、この木、枝を折ることができますね」

「おお、ホントだ。…釣り竿が作れるかな。街で糸にさわったことあるし」

「釣りができるんですか!?」

「いや、できないと思う。森の中にも川があって魚が泳いでいるけど、毎日同じ時刻に同じ魚が泳いでいる」

「ただの映像ってことですか…」


 近づいてよく見てみたらテクスチャだった時のがっかり感も経験している。


「まあ、釣り糸垂らしてぼーっとするのもいいかなと」

「糸があるなら、私はあやとりしていた方がいいですー」

「はて、サトミの手からあやとりを取ることはできるのかな?手に直接触れないよね?」

「そうですね…。街に戻ったらやってみます?」


 結論を言うと、できた。今までひとりだったからわからなかった…。やっぱり、他に誰かがいると、できることが増えるな。



 海に来た。大陸の端の辺境という設定だけに、広い砂浜から臨む水平線が視界全体に広がる。


「なんにもないなあ。絶景だけど」

「ヨットとかあってもいいと思いますけど、波にゆられてあちこち移動、ってだけでも計算リソースが結構かかるんですかね」

「自動車や電車の類もないしね…」


 一番近い街から森を抜けて何時間も歩かないと海岸線にたどり着けない、というのも難点だ。転移ポータルとか用意していないあたり、他の場所と比較しても海には力を入れていないようだ。

 理由は、サトミが言った計算リソースの問題と、


「メニューに水着がない…」


 これだろうなあ。


「通常の服装でも泳げるみたいだけどね。どうせ服は濡れないし」


 水着姿が見たくないわけではないけど、言及を続けると全年齢版的にいろいろとマズそうなので話題をずらす。


「じゃあ、この服のまま海に入ってみますね。…!!」


 サトミが腰あたりまで水に入った途端、すぐに上がってくる。


「え、どうしたの?」

「水の感覚が肌に…」

「そうなんだ。でも、なぜすぐに上がったの?」

「…服を無視して、肌全体に直接、水に浸かった感覚が…」

「…それって、つまり…」


 全裸感全開、か。もちろん口には出さない。

 運営、海に力を入れなかったのがアダとなってますよ。『見せない下着』が必要になるとは思わなかったのだろうなあ。後でコメントを送付しておこう。


「あ、ってことは、お風呂やシャワーが作れるってことですよね?」

「ああ、なるほど。服を着たままなのは残念だけど、個室にひとりで入る分には問題ないし、さっぱり感が得られるよね」


 別に汗をかくわけではないけど、長期滞在ゆえに、たまには風呂に入りたい。これくらいの実装ならサーバ負荷もかからないだろうし。運営への要望がどんどん増えていく。



 サトミは結局、約1か月の有効期間いっぱい、辺境世界にいた。


「じゃあ、帰ります。現実世界に戻ったら連絡下さいね」

「ああ。俺にとってはまだ半年以上先の話だけどな」

「デモ機って、続けて使うことができないんですよね…」

「君にとっては数十分後じゃないか。無理する必要はないさ」


 住所を詳しく訊いたわけではないが、俺が住むところとは全く別の都市圏に住んでいるらしい。出会い系のノリを疑われずに済むけど、だいぶ仲良くなっただけに、現実世界で簡単に会えないのは正直残念ではある。


「…半年以上の間に別の人と出会えたら、その人とも仲良く過ごすんですか?」

「そうだなあ、今度はイケメンの男の人と出会えるといいなあ」

「私のことは忘れてもいいんですよー」

「冗談だって。まあ、結局誰も来ないままか、退屈すぎてさっさとログアウトしちゃうかのどちらかだろうな。辺境マジ辺境だし」

「機会があったら、別の仮想世界で一緒に冒険したいですね」

「そうだな。ん、そろそろ時間か」

「…はい。本当に楽しかったです」


 光の粒子が溢れ出て、サトミは消えていった。


「…さーて、あらためて森の散策でもしてみますかね」


 思い切り迷子になって数日もさまよったことはサトミには恥ずかしくて話せるわけがなかった。

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