モスキートおじさんVS筆者 ボウフラ養殖対決

枕目

本文

 実家の近所には蚊の養殖をするおじさんがいた。

 人呼んでモスキートおじさん。

 ……まあ呼んでたのは筆者だけだが。

 そのおじさんは植物が好きで、けっこう広い自宅の庭に植物を植えまくり、伸ばしまくっていた。竹や樹木も植えていたのでちょっとした密林であったし、家ぞいの道路にも枝が軒のようにせり出していた。

 そしてその薄暗いエリアが、おじさんの蚊の養殖場であった。

 というのも、そのおじさんは雨水を植物の水やりに使用しており、雨水を集めるために敷地にバケツやタライ、洗面器などをならべて雨水をキープしていたからである。

 おじさんはそこからひしゃくで汲んで水をまくのであるが、とうぜん、薄暗い森めいた場所でそんな容器に水をためて並べていたらボウフラが大量に発生するのは言うまでもなく、夏が来るたびにそこはボウフラの一大発生地となっていた。そんなわけで、モスキートおじさんである。


 さて、モスキートおじさんはそんな調子だったから、とうぜん近隣住民からいろいろ苦情を受けていた。なにしろおじさんは枝を払うような作業をほとんどしなかったので、植物が隣近所にせり出し放題だったからだ。日照権の問題になるんじゃないかというレベルではみ出していたから苦情もやむなしである。

 さらにおじさんは竹を植えていたので、近隣には竹が勝手に生えてくるタケノコ攻撃(都会の人にはわかりにくいかもしれないが、竹の地下茎は始末が悪く、建造物を割ったりすることもあるのでけっこうシャレにならない)と、夏になれば蚊の養殖攻撃である。筆者の家は離れたブロックだったのでそこまでの被害はなかったが、たまったものではないだろう。

 そのような苦情に対して、おじさんが使っていた反論、それが「エコロジー」であった。

 もと小学校の理科教師だというおじさんは、苦情に対して「この庭には〇〇種類もの植物が生えているんだ! 生物多様性だ!」みたいな感じの、いかにも小学校の理科っぽいことを言って反論し、すべてつっぱねていた。

 生物多様性はけっこうだが、そこでおじさんが育てている植物というのはヨウシュヤマゴボウ(アメリカ原産の外来種、有毒。普通は雑草扱いする)などの外来種が多く、しかも半分雑草みたいなやつばかりであった。園芸種もたまに植えているようだったが、いつの間にか消えていたりした。たぶん、回りの草との生存競争に負けていたんだと思う。


 とにかくそんな調子で、おじさんは周囲の弾圧にもめげず、りきりきと蚊を養殖していた。

 そこに筆者が登場する。

 筆者はモスキートおじさんと同じく植物好きであり、実家にいたころはよく植物の世話をしていた。薬用植物のコレクションと称して海外から種を取り寄せ、ブルーの花のトリカブトやら漢方薬の材料やらアメリカでは禁止されているサボテンやらを栽培していた。

 そして蚊に非常に好かれやすい体質であった。外で植え替えをしているだけでも無数の蚊が周囲をグルグル旋回しはじめるほどで、とにかく蚊がやたらと来る。血を吸う蚊はメスなのでこれもモテの一種である。

 とはいえ蚊に刺されるのは愉快ではなく、そのような経緯から、筆者はモスキートおじさんを憎く思いはじめた。

 だからというわけではないが、筆者も蚊の養殖をはじめた。

 筆者はバケツに水を張り、少量の土を入れて日陰に置いて、蚊のために絶好の産卵場所を作ってやった。一週間もしないうちに水面には無数のボウフラが発生した。

 なぜそんなことをしたか?

 それは、たまたまそのころ筆者がグッピーを飼い始めたからだった。

 ようするに熱帯魚のエサにするためにボウフラを養殖しようとしたのである。当時の名古屋では熱帯魚店はそう多くなく、熱帯魚のエサも高価であった。そこでボウフラを集めてグッピーに与えようとしたのである。もくろみは当たり、グッピーはおもしろいようにボウフラを食べて大繁殖をはじめた。

 あと、ボウフラを養殖したのは、自分の血液から生まれたボウフラをグッピーに食わせることで、グッピーに対して強い一体感を感じるという目的もあったのだが、これについてはなんか変態っぽい感じがするので軽く流すにとどめておく。


 さて、ボウフラを養殖してみるとわかるのだが(しないだろうが)ボウフラというのも何も考えていないようでいて案外賢く、ちゃんと外敵から身を守るようにできている。

 ボウフラの浮かんでいるバケツに衝撃を与えたりすると、ボウフラはいっせいに危険を察知し、水のなるべく底の方に泳いでいくのである。

 だから、ボウフラのいる水をひしゃくですくっても、ボウフラの多くは水の底に逃げていくのだ。だからモスキートおじさんは水やりと蚊の養殖を両立できていたわけである。一方、筆者のほうは、ボウフラが成虫になる前にグッピーに食わせるよういろいろ工夫をしていた。

 つまり筆者は、蚊をトラッピングして駆除に貢献していたわけである。

 いわば蚊を減らすためにボウフラを養殖する、白のボウフラ養殖者であった。

 いっぽうモスキートおじさんは蚊を増やす黒のボウフラ養殖者であった。

 いわばわれわれは、白と黒のボウフラ養殖者として、名古屋のはずれの一角で、人知れずボウフラ養殖合戦を行っていたのだ。

 誰も知らないところで、われわれは戦っていたのである。

 切り結んでいたのである。

 ええ、切り結んでいたのですよ、奥さん。


 想像してみて欲しい。

 たとえば、わたしのグッピーがあなたの子供を蚊から守ったかもしれない。

 あなたを次に刺す蚊は「ヤツ」の養殖したものかもしれない。

 そんなことを。

 べつに褒めてくれとかそういう事を言いたいわけではない。

 ただ、あなたの住んでいる街にも、かつてのモスキートおじさんと私のような存在が無数にいて、誰も見ることのない水面下で切り結んでいるというだけだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

モスキートおじさんVS筆者 ボウフラ養殖対決 枕目 @macrame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ