Side〝破〟-4 理想と現実

 

 雨粒がしだいにフロントガラスを埋め尽くしていく。

 カーナビの味気ないデジタル時計は九時を示している。

 僕の体は疲労のピークに達している。

 眠りたい。

 辻先輩は相変わらず、いびきをかいて気持ちよさそうに眠っている。


 対象に動きは、ない。


「……ぉらぁ、殺っちまうぞぉ……んが」

 先輩の寝言といびきだ。

 夢の中まで仕事を持ち込むなんて。敬服する。

 僕は夢を見るなら、もっとありえないようなシュチュエーションの夢がいいな。

 例えば、空を飛ぶとか。


「青びょう……もっと……個性を……んん、んが」


 努力します。

 でも、夢でも説教されるなんて……。

 ますます体がだるくなる。


 #

『電話に出ろつってんだ! バカヤロウ、この野郎!』

 

 僕の携帯電話の着信音だ。

 マナーモードにしていなかったのか。気付かなかった。

「うるせぇな……眠れねぇじゃねぇか」

 そう言って、辻先輩は体を起こしてあくびをする。

「すみません。村井先輩からです」

 めずらしい。

「おはようございます。青野です」

「対象は? 動いた?」


 僕は飯田の家を見る。

 やっぱり変化は、ない。


「いいえ。ドアもカーテンも閉まったままです」

「私も今から合流する。おっさんは起きてる?」


 おっさん? 

 ああ、辻先輩のことか。


「寝起きの一服をしてます」

「かわって」

 僕は、寝起きの一服をしている辻先輩に電話を渡す。

「おう……あん? 寝てねぇよ」

 嘘ばっかり。

 村井先輩、きついの一発、お願いします。


「……マジかよ……ああ、場所、わかるな? ……そうか、じゃあな」

 あれ? 終わってしまった。

 いつもなら辻先輩の、うなだれた顔が見れるのに。

 しかし辻先輩の顔は浮かない。

「青びょうたん、コンビニでトンカツ弁当を三人分、買ってこい」

「朝から、トンカツですか……」

「ゲン担ぎだよ。警察らしい事はするな。激務課の仕事は、あくまで身内の事件隠蔽だ。学生が包丁ブン回していても無視しろ」


 グサリ、とナイフで刺された気分だ。どんどん気分が沈む。


「おまえ、間違っても職質されるなよ。ほら、さっさと行け」


 追い出されるように車外へ出る。

 雨は勢いよく僕に降りかかってくる。



 #

 刑事ってこんな仕事だったのかなぁ。

 

 夢は、この降りかかる雨みたいだ。

 何かに憧れ、目指して昇っていく途中、現実に阻まれて落ちていく。

 また振り出しに戻る。


 はたしてこの世の中に何人が理想を実現しているのだろう? 

 昇りきった人は、本当に存在するのだろうか?

 

 #

 コンビニには幸い、僕以外の客がいない。

 トンカツ弁当を三つ、ペットボトルのお茶を三つ、胃薬を一つ購入。


「……全部で三千六百円になりまーす」

 僕と同い年ぐらいの茶髪の青年が、目を合わせず喋る。

 僕は財布の中から五千円札を差し出す。

「五千円からお預かりしまーす」

「あっ」

 領収書ください、と言いたかった。

 辻先輩の言葉を思い出した。警察らしい事はするな、だ。

 仕方が無い。今日のところは自腹だ。

「ああ、いえ、何でもないです」

「……おつり、千四百円です。ありがとござーした」

 

 # 

 コンビニを出ると雨は止んでいた。しかし、太陽は見えない。

 湿った風が首を通る。

 先輩たちによれば、ここの冬は寒いらしい。

 息をはいてみる。

 白い。

 

『愚痴るな。行動しろ』

 

 父の言葉だ。

 といっても元を辿れば映画か小説からの引用だろう。

 そういう意味ではいいかげんな父親だった。

 

 僕は警察官としての父を尊敬しているのであって、父親としては尊敬どころか軽蔑している。

 父親らしいことは何もしてくれなかった。

 家にはほとんど帰らないし、学校行事にも出席しない。

 会話は一ヶ月に一言二言、缶ビールで酔っ払った時だけ。

 無口な父だった。

 僕が、泣く子も黙る帝都高校に合格したとき、さっきの言葉を貰った。

 他にも格言らしき言葉を貰っているはずなのだが、記憶には残っていない。

 だから父のことで近寄ってくる人間は苦手だ。

 僕が実際に見て知っている父は、ただの酔っ払い。

 

 父は、お礼参りの相手と路上で派手に格闘したようだったが、僕はその雄姿を見ず、その日も自宅の部屋で勉強に励んでいた。


 過去の父と現状の僕。

 どっちが惨めか、判断できない。

 

 もう一度、息をはく。やっぱり白い。

 冬が近づいているのがわかる。


 我慢、我慢。研修期間も、もうすぐ終わる。

 キャリア組が現場を体験する期間は短い。

 来年の四月から僕は署長になるはず。

 そうなれば書類との格闘だ。

 体を張った仕事もなくなる。現場はこれが最後かもしれない。

 気合入れなきゃ。父に笑われる。


 #

 車に戻ると村井先輩が後部座席に座っていた。

「おつかれさまです。これ、どうぞ」

 僕は車内で弁当とお茶を配る。

「ありがと」

 村井先輩は浮かない表情だ。

 疲れているんだ。少しでも空気を和ませないと。

「早かったですね。タクシーですか?」

「ええ。でもあんた、ホント、土地勘がないのね」

「地理は覚えたつもりですが、頭が働かなくって」

「情けねぇ」辻先輩だ。

「おまえから頭をとったら、何も残らねぇだろうが。いざっていう時、頼れるモンがねぇと死ぬぞ」

「……気をつけます」

 まったく、と辻先輩はぼやく。

 寝覚めが悪かったのだろうか。いつもよりピリピリしている。

「さっさと食え。食い終わったらいくぞ」

「令状がでたんですか?」

「そんなもんでるか。俺らは始末しに行くんだよ」

「あの、始末ってまさか」

 暗殺、という言葉は言いたくなかった。しかし他に言葉が見つからない。

 村井先輩が、弁当を食べながら答えてくれた。

「ちょっと痛い目を見てもらって、刑務所に送るだけよ」

「書類送検とか手続きは?」

「ほとんど無いの。確保後、身内だけの非公開裁判を経て、刑務所行き。都市伝説みたいでしょ。嫌になった?」

「なりませんよ。そういう例外もある、覚悟しておけと教官に言われてました」

「へえ。私は習わなかった……今の子って、進んでるのね。ごちそうさま」

 村井先輩だってまだ二十代なのにとか、食べるの早いですねとか、ツッコむ所が多すぎる。

 僕も弁当をかきこんだ。


 うう、連日の徹夜とコーヒー、事件のショックのうえにトンカツの油が……お茶! 胃薬!


「辻、あそこにいるのは飯田だけ?」

「他にもいる。青びょうたんがコンビニ行った直後、女が新聞取りに出てきた」

「じゃあ、私が玄関からいく。辻と青野は裏口を塞いで」

「臨機応変に各個撃破……いつも通りの無策かよ」

「じゃあ、何か作戦でも?」

「いいや。それでいいさ」

 先に弁当を食べ終えた先輩たちは勝手に話を進めていく。

「おら、青びょうたん。いくぞ」

「は、はい」

 弁当を食べ残し、僕は車を出た。

 

 外は相変わらず寒い。

 

 だけど、さっきと空気の質が違うような。

 

 僕が緊張しているからか?


「これ装備して」

 村井先輩がイヤホンとピンマイク、無線機を渡してくれた。

 たしかイヤホンを右耳に、ピンマイクを胸に止めて、それらのケーブルを無線機に繋ぐ。無線機の本体は、右腰のやや後ろにつける。

 研修で習ったことは、無駄じゃない。


 でも……。

 もしかすると飯田の他に双頭の組員がいるかもしれない。

 僕たちの持っている拳銃に脅えて、大人しく降参してくれればいい。

 もし撃ち合いにでもなったら。

 

 ……不安は絶えない。

 でも、これが僕の仕事だ。これで生きていこうと決めたんだ。

 かなり不本意でギャップが激しいけど、やってやる。

 初めての検挙、成功させてやるさ。

 深呼吸をし、気持ちを落ち着かせよう。

 よし。いこう。


 #

 家の裏庭は青々と芝生が茂っている。

 手入れも十分にされているようだ。

 

 辻先輩は柵を飛び越えリビングの窓隣りにへばりつく。

 裏庭を一望できる大窓にはカーテンが閉まっていた。

 僕も辻先輩に続く。


「声がする……三人か。村井、ちょっと待て」辻先輩はピンマイクに囁いた。

「了解」右耳のイヤホンから村井先輩の声がする。

「青びょうたん、銃、構えておけ。やばい雰囲気だ。男二人、女一人。もめてやがる」

 ゴクリ、と唾を飲み込む。僕はゆっくりとホルスターから拳銃を抜いた。

「緊張すんなって言いたいが、仕方ねぇわな……俺は勝手口で、男を引き寄せてシメる。玄関には飯田がいくはず。そっちは村井に任せろ。おまえでも女なら、なんとかなるさ」

 

 何度もうなずいたが、顔が、かちかちして上手く表情がつくれない。


「陽動まで、少しかかる。見つかったら迷わずに撃て。いいな?」

 黙って首を縦に振る。

 辻先輩は微笑んで僕の肩を軽く叩いた。そして音も立てず去っていった。

 


 あの。


 ちょっと。


 一人ぼっちだ。


 やばい雰囲気? 


 迷わずに撃て? 


 ということは、殺るか殺られるか、ということなのか?

 


 耳を澄ますと確かに声が聞こえる。

 大きな声で喋っている。

 時々、怒声に近い声も聞こえてくる。

 

 もし、見つかったら?


 僕は今、拳銃を構えている。

 言い逃れはできない。相手も臨戦体勢に……。

 

 もし、見つかったら?


 撃たれる前に、撃つしかない?


 #

「だから窓開けろ! てめーらハッパ吸いすぎなんだよ!」

 

 僕の体がビクン、と反応した。

 

 窓? 

 ここのことか?


「ったく、人の家で好き勝手しやがって……」

 声がだんだん近づいてくる。

 覚悟を決めろ、青野慎。

 大丈夫だ、やれるさ。


「ん? 誰だ?」


 気付かれた? 

 どうする?

 撃つ? 

 

 まず、上空に威嚇射撃で、ええっと、その前に警告して……。


 結局、抵抗されたら撃つのか?


 いや……先手を取るべきだ!


 そう、銃を見れば、降参するはず!


 よ、よし! 

 行くぞ!


 大丈夫、

 足が震えて、

 奥歯がカチカチなって、

 指が思うように動かないだけだ!


「快ちゃ~ん。お客さんだよ~」

 僕は飛び出ていきそうになった体を無理矢理、家の外壁に押し付ける。

「どしたの? 快ちゃん」

「いいや……客って?」

「ハイカンコウ? テンケンするからサインくれって女の人。ねぇ、勝手口には、まーくんが行ってよ。怖いオッサンがいるの。なんかよくわかんない事言ってる」


 声の主はカーテンにすら触らなかった。

 これ以上動けば死ぬ、と訴えるように心臓が高鳴っている。

 僕は両手を胸に押し当てた。


「青野、聞こえる?」

 村井先輩の声がイヤホン越しに聞こえる。

「は、は、はい。聞こえます」

「今から突入する。合図したら窓から中へ。いいわね」

「りょ、了解」

 ゆっくりと息を吸う。

 まだ心臓がバクバクと波打っている。


 #

「突入! 状況開始!」

 合図は突然だった。


 僕の体は案外、簡単に動いた。

 

 窓ガラスを蹴り壊し、カーテンを越えてリビングへ入る。

 周囲を確認しながら、拳銃を構える。


ソファーに座った女性が一人、ぽかんとこちらを見ていた。


「両手を頭にのせ、うつ伏せになれ!」

 妙なにおいがする。

 煙が、口に入る。

 この煙と状況、長くいればどうにかなってしまいそうだ。

 僕はカラカラになった喉から声を絞り出す。

「両手を頭にのせ、うつ伏せに!」

「え? あ、あ、あ?」女性は何が起きたか分からない、といった表情をしている。

「だ、だから、り、両手をね、頭にのせて、うつ伏せになってよ」

「は、はいはい、わかったから。撃たないで」

 女性はソファーの横に、うつ伏せになった。

 僕はすかさず手錠を掛ける。

「今、何人この家にいる?」

「四人……私と、快ちゃんと、たっくんと、まーくん」

「よし」

 僕はハンカチを口に当てながら、ピンマイクに向かって喋った。

「青野です。リビングで女性一人確保。残り三名です」

「こちら村井。玄関で飯田確保。残り二人ね」

「辻だ。青びょうたん、もっとスマートにやれって……勝手口で、まーくんを確保。まだいるのか? こいつら、イケナイ煙を吸ってるから、俺たちには見えないヤツじゃねぇの?」

 

 僕が一番大きな音を立てたのか。

 でも発砲音もなかった。飯田たちが抵抗しなくてよかった。


 しかし本当に静かだ……上か?


「青野です。上の階だと思うのですが」

「おっ、冷静だねぇ。わざと一人にしてやったんだぜ? 刺激的だったろ?」

 辻先輩。

 冗談じゃないです。

「一旦、玄関で集合。女は放置。用があるのは飯田だけ」

 辻先輩の声が途絶える。


 薬物所持者を放置って……なんだかなあ。


「たっくん、爆弾作ってるよ」

「えっ」

 

 今、爆弾って言ったのか? 

 そんなの、嘘だろ?

 どうせ、薬で……。


「たっくん、黛を殺してやるって……『あいつは卑怯者だから、卑怯な手段で殺す』って……たっくんはキレやすいから、こんなことしてたら自爆しちゃうよ……」


 女性は鼻声だ。


「みんなでたっくんを止めようと思ってたけど、私らヤク中じゃん? 途中で馬鹿らしくなって……キメてるときが最高、なんて奴の言うことなんか、誰も信用しないもん」

 

 そして、声を上げて泣き出す。

 

 僕は女性に近づいて顔を見た。

 化粧をしていない。目が大きく、唇が薄い。

 金髪で、服装は上下スウェット。歳は僕より下だろう。

 でも、それでも体の細さは……もう、骨と皮だけじゃないのか?

 理由はどうあれ、彼女たちは犯罪者だけど、こうなった経緯にはきっと……。


「信じるよ」

「……えっ?」

「人食いだろうが、薬物中毒だろうが、泣いている人を放っておけない。僕は警察官だから」


 #

「青野、どうした?」イヤホンが鳴る。村井先輩だ。

「どうやら爆弾を作っている奴がいるようで……今から女性に事情を聞きます」

「爆弾? 本当なの?」

「嘘でも用心に越したことはありません。でも、僕は信じます」



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