第24話 死神の初恋⑰
ハクロたちは診療所から遠ざかり、無事に兵士らを振り切った。
領外へは逃げず、逆に城へ向かう事で裏をかく形となった。
街の中心部へと戻るにしたがい、騒ぎは沈静化していく。一般住民の多くは寝静まっており、混乱からは脱出できたかに思えた。
だが、それでも視られている感覚を払拭することはできない。城へ向かう道中、
影が視える。
それは、人らしき形をしているものもあれば、獣の姿をしているものも在った。
道具を模したものもあれば、粘性を帯びた不定形なものも在った。
視線を転じてみれば、この世ならざる異形たちがそこかしこで
陽のあるうちは姿どころか気配を感じることすらできなかったというのに……通り過ぎるたびに見慣れない生物たちと視線がかち合う。
だが、異形の生物らは、近づきはするものの襲ってはこない。歓迎されているわけでも、煙たがられているわけでもなさそうだ。ただ
その好奇な眼差しをハクロは
「なんなんだ……こいつらは?」
「小妖か
「昼間には見かけなかったよな。いったいどこから湧いて出たんだろう……」
「彼らはずっと此処にいたわ。ハクロには視えていなかっただけ」
「こんな街中にも
「むしろ人の多くいる場所を好む傾向にあるわ。これらは、人の心が創りだしているようなものだから……山ではまず見かけなかったし、整地されたあとの墓でもすっかり姿を消してしまっていた。もっとも、墓に棲んでいたのは
「倒さなくていいのか?」
「何故相手取る必要があるの?」
「人に
「人外ならば必ず人に危害を加えるとでも?」
「そこまで云わないが……なんらかの悪意を持って存在しているのではないのか?」
「存在自体に意味なんてないわ。そこに意味を与え、名づけようとするのはいつだって認識する側なの。観測しなければただの現象よ。風が吹くのと変わらないわ」
そう云ってサーシャは切り捨てた。
取り巻く変化たちを無視して先へ進んでいく。サーシャ自身が風となり街の夜空をたなびかせるようだった。彼女を認識できない者にとってはただの現象として映ることだろう。だが、起きた風によって被害に遭えば怪異の
サーシャという存在は今のところ、ハクロにとっては神に等しく、アンにとっては魔女のようだ。
「アンにもこれらは視えているんだよな?」
「はい。この妖たちも、今は亡き術者たちと同様に、視力を失ってから視えるようになりました」
「怖くはないか?」
「初めは恐ろしいと思いましたが、たしかにこれらは人だったものと違い、ほとんどが無害のようです。そのうち気にしなくなりましたが……しかし今日はやたらと数が多いですね」
「なにかの前触れだろうか?」
「今日は日蝕が起きる日よ」
サーシャが星の動きを観測しながら云った。
アンは眉を
「あの日と同じね……なんだか嫌な予感がするわ」
「もう着くぞ」
城の外壁がみえるとアンからの情報を
正面から
「人嫌いで有名ですし、私は領主様に対して良い印象を持っていません」
本人の耳に入れば打ち首にされても文句は云えないであろう一言をアンはずけずけと口にする。彼女は領主の
裏門に着くとハクロは、
塀の上に立つと城の全貌がみえた。
その
「領主の城というのは此処であっているんだよな?」
「ええ、間違いないわ」サーシャが云った。
「しかし……」
目の当たりにした城壁は、アンから聞いた話とはずいぶん印象が異なる。話のなかでは外観は白で統一されていたのだが……実際は全体的にくすんでおり、黒に近い灰色をしていた。闇に溶けているわけでもなさそうだし、日中に見た
「俺は……記憶を
「いいえ。白で間違いありません」アンが云った。「視力を失った日に見た景色ですから、強く印象に残っています」
「城がふたつあるということは?」
「あり得ません。ひとつの領家で複数の城を持つことは法律で禁じられていますから」
「なら、この半日の間に塗り替えられたとでもいうのか?」
「
サーシャが
ハクロもアンを気遣いながら後に続いた。
庭におりると木陰に身を隠す。手入れが行き届いていないためか、雑草が
奥に続く
この辺りはアンの記憶どおりだ。
全体の見取り図を想像で
「なんだか寒気がしませんか?」アンが云った。
「きっと気のせいだ」
だが此処まで来て尻尾を巻いて帰るわけにはいかない。
ハクロは意を決して扉を押し開く。
城内に侵入すると、なかは想像に反して
人と
途中で地下へ通じる階段を見つけた。
祭壇の様子が気になるが、今は領主との面会を優先させる。
道なりに歩いていき、扉を開けると吹き抜けのホールに出た。中央には
「……誰もいないようだな」
「行きましょう」
「待て」ハクロは息をのむように天を仰いだ。「アン、玉座は最上階にあるんだよな?」
「はい。上には行ったことがありませんが、そう記憶しています」
「領主――オルドロスというのは人間なのか?」
「人間でなければ、なんだというのです?」
「解らない。解らないが……」
これが人の放つオーラだろうか。
上に近づくほどにその色は濃くなっていき、
やがて邪悪な気配が最大に達したところで歩みを止めた。
階段が尽き、正面には
「此処が
ハクロはアンを背中から下ろし、両手で鎌を握り締める。
それからサーシャに耳打ちした。
「サーシャ、俺の身になにかあったらアンを連れてすぐに逃げてくれ」
「なにを云っているの? 最後まで付き合うわよ」
「私も、なにが起きてもハクロ様が護ってくれると信じていますから」
「そうだったな」
ハクロは首肯し呼吸を整える。それから慎重に扉を引き開けた。
なかは薄暗く、見通しは悪い。
絨毯を踏みしめながら奥へ進んでいく。
主の顔を拝もうとふたつ並ぶ玉座の前に立ったが、しかしそこはいずれも
領主どころか人ひとりいない。
だが、刺さるような気配は確実にする。気配の元を辿ろうと玉座の裏手にまわった。
「これは……」
そこにはいくつもの
ハクロが眼にしたもの――それは一振りの
全体に細かな金細工が施されてはいるが、柄はおろか、刃の先端まで黒い。未知なる気配はこの
もう一歩近づいて眼を凝らす。
妖しいが……しかし、美しい。
ひと目で
「誰だ、貴様たちは?」
とつぜん炎が揺らめき、後ろから声がした。
現れたのは
病的にこけた頬は青白く、落ち窪んだ眼尻には濃い
ハクロは完全に虚を突かれ、驚いて振り返った。
まるで気配を感じなかった。今こうして眼にしても存在が薄い。男は、
悠然と一歩踏み出すとこちらへ近づいてきた。いかにも
「貴様は誰だ、名を名乗れ!」
ハクロは鎌を前面に押しだし、獣のように
だが男は怯まない。
「それはこちらの
「俺たちは強盗じゃない」
「ならば、その物騒な
男は顎をしゃくり、骨ばった指を差すとハクロに命じた。口調は静かで緩やかだが、人を見下す様はいかにも
「此処は人が立入っていい場所ではない。用が無ければ早々に立ち去れ」
「その声……」アンが反応した。「ハクロ様、この御方が領家の当主・オルドロス様です」
「こいつが領主だと?」
「一度しか聞いたことがありませんが……この声は間違いありません」
「
「そういう御方なのです」
「変わり者と云っていたか……」
ひとつの領地を治める主にしては風格というものが感じられない。
だが驚いたのは相手も同じのようだった。
「如何にも、俺がオルドロスだが……ハクロだと?」
オルドロスは片眉を吊り上げる。
ハクロを
「……もしや、そこに控えているのはサーシャか?」
「いかにも」
「その
「棄ててまいりました」
サーシャは
面識があるのだろう。アンの話に登場した黒装束の女がサーシャであるならば不思議ではない。そして、領主にも躰の無い今のサーシャが視えているようだ。
「ふん、
「アンと申します」アンは、その場で
「あのときの医者か……なるほど」オルドロスはアンの言葉を
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