第五夜

「モう……だメェ……」

 ぽっかりと、さっきより少し小さめに開いた、冥界への入り口を前に、へたへたとジャックがコンクリートの地面に座り込む。

 あのウロボロス様(仮)を作った後、更に二回目の入り口作りで、力を使い切ったらしい。私は、ぐったりとしているジャックを抱き上げた。

「ありがとう。お疲れ様」

「うン……。ボク、頑張ったヨォ……」

「ええ、頑張りましたね」

 周囲の様子を見ていた、イワンさんがやってきて、労いながらジャックの頭を撫でる。

「物音がしなくなりました。急ぎましょう」

 さっきまで、ウロボロス様(仮)のお腹で、悪魔が暴れている音が、ビルの壁に反響して聞こえていたのに、今は静まり返っている。

 ようやく出てきた寝待ちの月の光が、白々と差し込んでくる。私はイワンさんと頷きあって、歩き出した。

 ゾクリ!! 突然、悪寒が背中に走る。これは……!!

「イワンさんっ!!」

 私は隣のイワンさんに体当たりした。そのまま、彼ごと地面に倒れ込む。

「鞠亜さん!?」

 驚くイワンさんの顔が強ばる。あの冷たい風が音を立てて、私達のいるビルの隙間を駆けてくる。彼は身を起こすと、倒れた私とジャックに覆い被さった。

 ゴウォォォォ!!

 風がぶつかり、折角開けた入り口が、周囲に溶けるように消えていく。

「遅かった……」

 先に起き上がったイワンさんが振り返って、悔しそうな声を出す。ジャックを抱えた上半身を起こして、私は息を飲んだ。

「……貴様等……。よくも幽霊と下っ端天使の分際で……」

 低い、怒りに震える声の先には、あの悪魔がいた。よっぽど怒っているのか、複眼が真っ赤に輝いている。

「やっぱり、私達の力では足止めにもなりませんでしたね……」

 イワンさんが謝る。でも、悪魔の身体に巻き付けたマントは、ボロボロに破れて、中から黒いローブのような服が見えている。頭頂に、二本生えていた触角は一本になっていた。

「ううん。ジャックもイワンさんも良くやったよ。相手が悪かっただけ」

 そう、これだけのダメージを与えたのだ。二人は本当によく頑張った。ただ、相手が遙かに強かっただけ。

 私は、イワンさんの小さくなってしまった翼を撫でた。イワンさんが微笑んで立ち上がる。

「……ここは私が引き受けます。とにかく二人は逃げて下さい。きっと死神さんが迎えに来ますから」

「……ふん、だから奴はオレが始末したと言っただろうが……」

 覚えの悪い天使だ。悪魔がガシャリと顎を鳴らす。そのとき

「ヨイショ」

 ジャックが私の腕から降りた。地面に足を着けた途端

「わぁーイ!!」

 白い手袋の両手をヒラヒラさせて、小躍りを始める。

「えっ!?」

「ジャック!?」

 突然……いや、結構今まで普通にあったけど……彼のおかしな動きに二人とも首を捻る。ジャックはそのまま、スキップをしながら楽しそうに悪魔に向かった。

「なっなんだ! お前は! どういうつもりだ!?」

 無防備に跳ねながらやってくる、カボチャ頭に、さすがの悪魔も戸惑う。

「どういうつもり……って……」

「私達が解るわけありませんよね……」

 思わず仲良く苦笑いを浮かべる。焦る悪魔の横をすり抜けて、ジャックは、悪魔の後ろにいつの間にか湧き出た人影に、ぺたりと抱き付いた。

「ヤッパリ、生きてイタんだネェ~」

「当たり前だ」

 渋い大人の男の人の声が聞こえる。ビクリと悪魔の身体が震える。だが、彼が何か行動を起こす前に、湾曲した大きな麦刈り鎌の刃が、後ろから前に回り、その首筋に当てられた。

「旦那ノ気配、ズット消えてナカッタからネェ~」

「何だ、解っていたのか」

 嬉しそうな声に、小さな苦笑が返る。

「デモ、遅かッタよォ~」

 文句を言うジャックに、声は謝った。

「すまん。コイツが自分の部下達に、本人にも知らせずに、自爆魔法を掛けていてな。それを戦いながら解除していたら、思いの外、手間が掛かって遅くなった」

「……そんな……馬鹿な……」

 悪魔が残った触角をぺたりと下げる。

「……聞きしに勝る化け物ですね……」

 イワンさんが、ぼそりとぼやいた。寝待ちの月の光が、ビルの谷間に注ぎ込み、悪魔の後ろの人物を照らす。

 白く光る頭蓋骨。眼窟の奥の青い灯火。黒いスリーピースのスーツに黒いマント。大きな麦刈り鎌。

「死神さん?」

「はい。お初にお目に掛かります、宮園鞠亜さん。ジャックが、お手間を掛けませんでしたか?」

 優しい声が、私の呼び掛けに答える。何故か、表情の無い白い面が、微笑んでいるのが解った。

「お手間は、沢山掛けられましたけど……」

 私は、くすくすと肩を震わせた。

「でも、沢山楽しい思いもさせて貰いましたし、沢山助けて貰いました」

「それは良かった」

 死神さんはカタカタ、白い歯を鳴らした。

「では、もう少し、用事を片づけてしまいますので、お待ち下さい」

 カチャリ。鎌が鳴る。

「ヒッ!!」

 ぴたりと首に月光に煌めく刃が当てられ、悪魔が悲鳴を上げた。

「お前の部下は全部地獄に逃げていった。さて、お前はどうする? このまま私に首を落とされるか? それとも尻尾を巻いて地獄に帰るか?」

 先程とは、うって変わった冷たい声が流れる。悪魔も、私達に対する態度とは違い、心底怯えているのが解った。

 ゴウ!! コンクリートの地面に落ちていた、落ち葉を巻き上げて風が舞う。冷たいあの風。でも、今度は悪寒はしない。

「うわっ!!」

 思わず顔を腕で覆う。風はしばらくの間吹いて、また治まった。

「あ……」

「地獄に逃げ帰ったようですね」

 死神さんが、やれやれと肩に鎌を担ぐ。月明かりの中、悪魔の姿は綺麗に消えていた。

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