サクラサク~花のみちを経て私が叶えたもう一つの夢~

明石竜 

サクラサク

 数年前の四月初旬。

 私、野条雲雀は母と一緒に夙川河川敷緑地を訪れていた。

 川の両岸を彩るサクラ並木道は、毎年この時期になると大勢の花見客

で賑わう。

 私と母は満開のサクラの木の下に茣蓙を広げ、お弁当を並べた。

「雲雀、改めて合格おめでとう」

「あっ、ありがとう……」

 母からの祝福の言葉に、私は照れ隠しするように桜餅を頬張った。あの時は

人生最高に幸せだった。

 ――思い返せば、ここに至るまでもいろんな出来事があった。



 私は生まれも育ちも兵庫県西宮市だ。高校野球の聖地とも呼ばれる

甲子園球場を有し、全国的にも知名度の高い街だろう。

 私が生まれて間もない頃、阪神・淡路大震災に遭遇した。西宮も壊滅的な打撃を

受けた。私の家は倒壊こそ免れたものの、父を亡くした。本棚の下敷き

になったらしい。

 私には震災のことも、父のことも記憶には全く残っていないけれど、

母から時折聞かされる話でなんとなく想像出来た。


 私が小学校に入って間もない頃、母は私を阪急電車に乗せて、宝塚へ

連れて行ってくれた。

 阪急宝塚駅と宝塚大劇場とを結ぶ遊歩道、通称『花のみち』。その名

の通り、沿道には四季折々の花々が咲き乱れている。母が、父と初めて

出会った思い出の場所だそうだ。宝塚歌劇を見に行った帰りの出来事だ

った。レポート用紙片手に、お花を真剣な眼差しで観察していた姿に母

は一目惚れし、思い切って告白したらしい。

 最高の形で成就した。父の方も、母に一目惚れしたのだ。父は当時、

植物学を専攻する大学院生だった。

 あれ以来、時たま出会っては一緒に宝塚歌劇を見たり、遊園地へ行っ

たりしてますます関係を深めていった。

 やがて父が大学助手に就任したことを機に、結婚に至ったという。

 私は、宝塚歌劇に一目惚れしてしまった。タカラジェンヌの呼称で親

しまれる、劇団員による迫真の演技に目が釘付けになった。公演が終わ

った後、母にまた連れてってと興奮気味に頼んだものだ。私もいつかあ

の舞台に立ちたいと憧れを抱いた。


 小学四年生になった頃、母はバレエ教室と声楽教室に通わせてくれた。

 タカラジェンヌになるためには、宝塚音楽学校を卒業しなければなら

ないことを私はその時知った。

 それからは毎日毎日、学校がある日は夜遅くまで稽古漬けの日々。講

師から厳しく叱られて泣いてしまうことも多かったけれど、辞めたいな

んて一度も思わなかった。タカラジェンヌになる以外の道は全く考えら

れなかったからだ。

 母は、他にもいろんな将来の選択肢があるのよと言っていたが、当時

の私は聞く耳を持たなかった。私が宝塚の世界にこんなにものめり込む

なんて思いもしなかったらしい。


 中学三年生の春、受験資格年齢に達した私は待ち侘びた様に宝塚音楽

学校を受験した。

 結果は――不合格だった。

 全力で挑んだ。けれども実力が及ばなかった。努力だけでは報われない

ということを思い知らされた。私のショックはあまりに大きく、もう二度と

この道へは歩むまいと誓った。

この時すでに三月下旬。高校へは私立の二次募集でなんとか潜り込んだ。

 目標を完全に見失った私は授業もロクに聞かず、家でもただぼーっと

して過ごすような自堕落な日々を送った。

 元々あまり良くなかった学校の成績はさらに下がり続け、テストの順

位は学年最下位に限りなく近づいた。


 高校生活最初の夏休み、このままではいけないと感じ、自分の将来に

ついて見つめ直した。小中学時代、辛い時はいつも分厚い植物図鑑を眺

めて、ひと時の安らぎに浸っていたことをふと思い出した。

 母の話によると、父が私の三歳の誕生日にプレゼントしてくれたもの

だという。それを聞いて私はくすりと笑ってしまった。あの図鑑は漢字

もかなり多かったし、三歳の子にはどう考えても難し過ぎるからだ。

 私はこの時、父のような植物学者になりたいと決意した。

 その目標に向かって、一日最低十二時間は勉強に費やすと自身にノル

マを課し、以降一日も怠らず実践し続けた。宝塚音楽学校とは畑が違っ

ても、同じように超難関と言われる大学に合格したかった。

 この習慣が功を奏し、二年生の終わり頃には模擬試験で学年トップの

成績を収めることが出来た。さらに京都大学でB判定も取れた。ここを

第一志望にする決心がついた。

 担任からは東大も勧められたが、即断念した。進振り制度があること、

そして何より家から通えないためだ。製薬会社に勤めながら女手一つで

私をここまで育ててくれた母を、一人にしてしまうなんて私には出来な

い。

 三年生になってからは、即応オープン模試でもA判定を取れるように

までなった。それでも本番は決して油断はせず、本気で挑んだ。

 


 三月十日、京都大学の合格発表日。私は、合格していた。

 ここまで頑張れたのも、あの頃の経験があったからこそと思う。

 

 あれから数年――私は今も、大学生活をめいっぱい満喫している。

 マルーンに彩られた車両がトレードマークの、阪急電車が私の通学手

段だ。

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