第13話特別なチョコチップクッキー

 朝食後、エリザベスは執務室に籠り、ユーインへお礼の手紙を書き綴る。

 昨晩の出来事は思い出すだけでも悍ましい記憶であったが、命を助けてもらったお礼を言っていなかったと気付き、律儀にも感謝の気持ちを手紙に記していたのである。

 手紙に封をしたところで、これだけでは足りないと思い、彼女なりに最大級のありがとうを示すため、厨房に向かう。

 何をするかと言えば、クッキー作りであった。

 これは家族の誕生日の日のみに焼く特別な物で、祖母直伝レシピのお菓子。

 作るのは数年ぶりなので、大丈夫かと思ったが、材料の分量や作り方などはしっかり覚えていた。

 材料は小麦粉、卵、砂糖、蜂蜜、バター、板チョコ、ナッツ。

 調理に集中したいので、台所女中キッチンメイドを厨房から追いだす。


 きっちりと分量を量り、材料を順序良く混ぜ合わせる。

 最後に砕いたチョコレートを混ぜ、油を塗った鉄板に匙で掬った生地を並べていく。

 均等に火が通るように、生地は中心を押して平らにした。

 あとは焼くだけ。

 簡単なレシピであるが、表面はさっくり、中はしっとりのクッキーは家族に好評だった。

 祖母亡き今、作れるのはエリザベスしかいない。


 竈の前で腕を組み、クッキーが焼けるのを待つ。

 油断は一瞬たりとも許されない。

 勝手知ったる実家の竈ではなかったので、何度も焼け具合を確認していた。

 予想通り、公爵家の竈は熱効率が良く、いつもの半分以下の時間で焼き上がる。


 あつあつのクッキーを一枚手に取り、味見をしてみた。


 外はしっかりと歯ごたえがあり、中は柔らか。

 砕いて入れたチョコレートはとろりとしていて、濃厚で上品な甘さが口の中に広がる。


 材料がいいので、いつもより美味しく感じた。


 粗熱が取れたそれを、箱に詰め込む。

 侍女に包装を頼み、手紙を添えてユーインに届けるように執事に命じた。


 これで、借りはなくなった。

 エリザベスはすがすがしい気分で、読書を楽しむことにする。


 昼からは邪魔が入ることなく、優雅な読書の時間を堪能することになった。


 郵便屋は休みの日なので、大量の手紙が届くことはない。

 陽の光が僅かに当たる場所にある揺り椅子ロッキングチェア に腰かけ、本を読み始める。


 暖かな陽を浴び、ゆらゆらと揺れる椅子で読書をしているうちに、いつの間にか本を胸に抱いたまま眠っていた。


 目覚めれば、外は真っ暗。

 部屋の中も闇に包まれている。


 疲れが溜まっていたからか、随分と長く眠っていた。ぐっと背伸びをしつつ、手元にあった鐘を鳴らし侍女を呼んだ。


 夕食を食べ、風呂に入り、夜も本を読んで過ごす。


 初めて、静かな一日を過ごし、ホッとしながら眠りに就くエリザベスであった。


 ◇◇◇


 朝、いつものようにシルヴェスターと食事を取る。

 常に笑みを絶やさない公爵子息は、微塵たりとも隙がなかった。

 今日も、にこにこと愛想の良い様子でエリザベスに話しかけてくる。


「あ、そうそう。昨日話したコンラッド殿下の侍女の件だけど問題ないから、来週辺りから働けるだろうか?」

「ええ、わたくしはいつでも」

「それはよかった――けれど、意外な人事異動があって」


 シルヴェスターは想像していなかったことを述べる。


「実は、ユーインが王太子の補佐職に配属されることになって」

「あら、そうですの」


 仕事部屋は隣り合っているので、会うこともあるかもしれないと言う。

 同じ職場にシルヴェスターとユーイン。

 なんとも疲れそうだと思うエリザベス。

 けれど、自分の仕事はお茶汲みだけで、頻繁に絡むこともないだろうと考える。


「何か必要な物があれば、遠慮せずに言ってくれたら用意するから」

「でしたら、お仕着せは三着、あればいいなと」

「君は侍女だけど?」

「目立ちたくありませんの」


 使用人には相応しい装いがあり、女中はモブキャップに濃紺のワンピース、白いエプロンをかける。侍女は動きやすいドレスを纏うのだ。

 二つの職種はまったく異なるもので、女中は屋敷に仕え、侍女は個人に仕えるものだと決まっていた。


「お仕着せって、女中が着ているような物だろう。侍女をするのに相応しい服装ではないと思うけれど?」

「けれど、王子様にお仕えするなんて、他のご婦人方からやっかみを買いそうで」

「それは否定できないね」

「そもそも、侍女は女主人にお仕えする仕事ですので」

「ああ、そうだった」


 女主人に仕えるのが侍女、男主人に使えるのは近侍と決まっている。

 エリザベスはてっきり、王宮では女中として働くものだと思い込んでいたのだ。


「確かに、第二王子専属の侍女なんて前代未聞だ。変な注目も集めかねない、か」


 シルヴェスターは「わかった」と言って、エリザベスの望みを承諾し、お仕着せを数着用意することを約束した。


 一週間後。

 エリザベスが王宮務めをする一日目となった。

 今日までトラブルもなく、実に平和な日々だった。

 王宮での仕事も、何事もなく過ぎていけばいいと思っていた。


 早朝、侍女の手を借りて、身支度を行う。

 用意されたのは、女中が着るようなお仕着せ。生地など、一級品を使って作られている。公爵令嬢に相応しい一着が特別に用意されたのだ。


 薄く化粧をして、髪型は左右を三つ編みにして、後頭部で纏めた。


 パリッとアイロンのかかったワンピースに袖を通す。

 フリルの付いたエプロンをかけ、うしろにリボンがついたモブキャップを被る。


 鏡の前で姿を確認すれば、どこにでもいるような女中に見えた。

 これで目立たないだろうと、満足げに頷く。


 お仕着せ姿で食堂に行くのもどうかと思い、朝食は私室で軽く食べた。

 あっという間に出勤時間となり、玄関へと向かう。


 エントランスへ繋がる階段を下りれば、見送りをする使用人がずらりと一列に出迎える。

 すでにシルヴェスターもきていた。


「ではエリザベス、行こうか」

「ええ」


 まさか並んで出勤する日がくるとは思わず、エリザベスは不思議な気持ちでいた。

 玄関先に停まっていた馬車に乗り込み、職場へと向かう。


 馬車で揺られること数十分。都で一番立派な建物の前で馬車が停まる。

 ここは国王の公邸であり、執務をする宮殿。

 広大な敷地の中に舞踏会場、博物館、美術館、音楽堂、礼拝堂、謁見の間、図書室があり、事務部屋は百近く有する。

 他にも王族生活拠点となる離宮がいくつもあり、勤務する人は五百を超えると言われていた。


 宮殿のいただきには、王家の紋章が入った旗がはためいている。


 エリザベスは馬車の中から宮殿を見上げ、ここで働けるのだと珍しく緊張していた。


 衛兵の確認を受け、馬車ごと敷地内へと入る。


 宮殿内の広く長い廊下を歩き、やっとのことで執務室に到着した。

 まだ第二王子はきていないようで、シルヴェスターよりこの場で待つように言われる。


 数分後、扉が叩かれた。入ってきたのは――


「おや、ユーインじゃないか」

「おはようございます」


 先日より王太子付きになったユーインが、書類に印鑑を求めてやってきたのだ。


「ごきげんよう、ユーイン・エインスワース」


 部屋の隅にいた女中より呼び捨てで声をかけられ、ぎょっとするユーイン。

 よくよく確認をすれば、その女中がエリザベスだったので、さらに瞠目することになった。


「何故、あなたがここに?」

「毎日激務でお疲れになっているお兄様の応援ができればと思いまして」

「応援……?」

「健気で可愛い妹だろう?」

「え? ええ、まあ……」


 状況が上手く呑み込めないのか、呆然としているユーイン。

 だが、すぐに我に返って、エリザベスに話しかける。


「そういえば、先日はお手紙とお菓子をありがとうございました。昼食も取っていない時に届けられたので、助かりました」

「無事に届いていたようで、何よりですわ」


 あのクッキーはエリザベスの手作りかと聞かれて頷く。


「意外ですね、料理ができるなんて」

「作れるのは、あのクッキーだけですの。他はぜんぜん」

「そうだったのですね」


 そんな会話をしているうちに、書類の確認と捺印が終了する。

 差し出された書類を受け取り、ユーインは部屋からでていった。


 シンと静まり返った部屋で、シルヴェスターはエリザベスに問いかける。


「手作りのクッキー、とは?」

「この前、暴漢――ブレイク伯爵から助けていただいた時のお礼ですけれど」

「へえ」


 手作りの品を贈るとは、らしくないと言われる。


「命を救っていただいたものですから、最大級の礼をと思いまして」

「ふうん、そう」


 なぜか質問の一つ一つに棘がある。理由は不明。

 それとなく居心地の悪さを感じていたので、第二王子に早くこいと心の中で急かすエリザベスであった。

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