第12話三日月の晩、一夜明けて

「お帰りなさいませ、エリザベスお嬢様」


 やっとのことで帰宅を果たせば、執事と侍女達が並んで出迎える。

 今日は疲れたので、風呂は明日の朝入ろうとぼんやり考えていれば、執事より声がかかる。


「若様が書斎ライブラリにてお待ちです」

「……はあ?」


 シルヴェスターは事件の詳細を聞きたいと、寝ずに待っていたと聞かされる。

 大人しく眠っていればいいもののと、待ち構えていたことに対して不満を感じる。

 事件に巻き込まれただけなのに、悪いことをしてお咎めを受けるようだと、奥歯を噛みしめていた。


 執事に促されるがまま、書斎へと向かう。

 戸を叩かずに、そのまま無断で入って行った。


「おかえり。エリザベス」

「ただいま帰りました、お兄様・・・


 角灯が一つ点されただけの薄暗い部屋、執務机の椅子に腰かけるシルヴェスターはにこりと微笑む。

 入ってきたエリザベスに、長椅子を薦めた。


 薄暗い部屋を、月灯りが仄かに照らす。

 テーブルには白ワインシェリーが置いてあった。

 目の前に座ったシルヴェスターは未開封のボトルを手に取り、飲むかと聞いてきたが、エリザベスは要らないと首を横に振る。


「今日は、ユーインとでかけていたようだね。急な予定で聞いていなかったから、驚いたよ」

「諸事情がございまして」

「カール・ブレイク卿?」

「ええ、まあ……」


 公爵家へ知らせは届いていたようだった。

 けれど、詳しい情報は書かれていなかったようで、重ねて質問を受ける。

 シルヴェスターにじわじわと尋問されているようで、居心地悪くなっていた。

 手にしていた扇を広げて口元を隠しつつ、恨みがましい気持ちを込めてジロリと睨みつける。


「まさか、ブレイク伯爵がリズ・・と無理心中を図ろうとしていたなんて、驚いた」

「ええ、わたくしも」


 ユーインが助けてくれなかったら、今頃病院で苦しんでいた。最悪、命もなかったかもしれない。

 そんなことを考えれば、背筋がゾッとする。

 胸を締め付ける感情を押し隠すため、唇を噛みしめた。

 ブレイク伯爵を振り返った時に見たナイフは、今も鮮やかに記憶の中に残っていた。

 その時感じた気持ちは言葉にできない。

 気分を入れ替えようと、扇を手のひらに叩きつけて折りたたんだが、それだけで落ち着くことはできなかった。


「リズ……妹のせいで、危険な目に遭わせてしまった。申し訳ないと思っているよ」

「本当に」


 エリザベスは頭を下げるシルヴェスターから視線を逸らす。

 ふと、窓の外にあった三日月が目に留まった。

 青白く輝く欠けた月は、ナイフを彷彿とさせてしまう。

 再び恐怖を思い出すことになり、ぎゅっと目を閉じる。


 けれど、慄くのは一瞬の間。

 次に瞼を開いた瞬間には、いつものエリザベスに戻っていた。

 挑むようにシルヴェスターへと話しかける。


「それで、責任を取っていただけるかしら?」


 主にお金・・で。

 口にはださずに、目を細めてわかっているだろうという意味合いの視線を送る。


「そうだね。君が望むのならば」

「ありがとうございます」


 いろいろと手続きがあるので、半年は待って欲しいと言われた。

 お金を用意するのにそんなに時間がかかるのかと疑問に思うが、急かすのもみっともないので追及はしないでおいた。


「……リズは問題もそのままにして家出をしてしまったようだね。困った娘だ」

「ええ、保護者の顔が見てみたいですわ」


 嫌味たっぷりな口調で言ったのに、笑いだすシルヴェスター。

 その反応に、エリザベスはムッとした。


「リズの交遊関係については、こちらで始末をしよう。君やユーインには、二度と近づけさせない」


 エリザベスはしっかりと励むようにと、尊大な態度で返す。

 シルヴェスターは初めて、柔らかな微笑みを浮かべながら答えた。


「はい、お姫様」


 以上で、深夜の尋問は終了となった。


 ◇◇◇


 翌日。風呂に入りたいので、早めに起床する。

 紅茶を用意するよりも、風呂の湯を準備するように侍女に命じた。


 風呂の湯が用意できたと報告を受ける。

 熱すぎるくらいの湯船に浸かり、はあと息を吐く。

 波乱しか起きない公爵令嬢生活に、早くも嫌気がさしていた。

 けれど、実家の復興のため、頑張らなければならない。

 半年の我慢だと、自らに言い聞かせた。


 風呂から上がれば、侍女がやってきて髪を乾かし、丁寧に櫛を入れてくれる。


 身支度の準備を待つ間、紅茶が運ばれる。

 ふわりと、甘い香りを漂わせているのは、アッサムにキャラメルの風味をつけたフレーバーティー。

 ミルクと砂糖をたっぷり入れて飲む。

 甘ったるいキャラメルの香りに、まろやかな風味。

 ホッとするような、優しい味わいであった。


 そのあと、完璧なまでに着飾って食堂へと移動した。


 今日はシルヴェスターが先にきて、新聞の記事を読んでいた。

 エリザベスがきたことに気付くと、新聞紙を折りたたみながら挨拶をする。


「おはよう、エリザベス」

「おはようございます」


 執事が椅子を引く。

 エリザベスは腰を下ろし、質問をした。


「昨日は、何か事件はございまして?」


 エリザベスの白々しい質問に対し、シルヴェスターは「昨日も都は平和だったよ」と軽い口調で答える。


「暴力事件も何も起きない平和な都。素晴らしいことですわ」

「そうだね」


 会話はこれで終了――ではなかった。

 エリザベスは追及を始める。


「で、記者にどれだけ金貨を握らせましたの?」


 シルヴェスターはエリザベスの物言いを聞いてふっと笑い、「実を言えば、警察よりも先に新聞社の記者がやってきたんだ」と白状する。

 公爵家の名誉のために、金貨と引き換えに事件についての報道が出回らないようにしていたのだ。


「エリザベス、君のことは、なるべく守りたいと考えていてね」

「ええ、安心安全な生活くらいは、保障してほしいものですわ」

「もちろん、と言いたいところだけれど、仕事が忙しくて、なかなか難しい話でもあってね……」

「別に、守るのはあなたでなくても結構ですのよ?」

「いや、その辺は私の責任であり、管理下に置きたいと考えている」

「どういうことですの?」


 シルヴェスターはエリザベスに、驚きの提案をしてきた。


「エリザベス、私は第二王子であるコンラッド殿下の側近としてお仕えしているんだけど、君も召使いとしてお仕えしてみないかい?」

「なんですって?」


 シルヴェスターは宰相補佐をしている第二王子の側近として働いていた。


「仕事と言っても、休憩時間にお茶を淹れるくらいで、大変な仕事ではない。手が空いた時間は、好きに過ごしても構わないから」


 一緒の職場にいれば、危険もない。

 王族が執務をする宮殿は、特別警備が厚いのだ。


「なんだったら、王宮図書室も好きに利用してもいい」

「王宮、図書室?」

執事レントン から聞いているよ。君は、大変な読書家のようだね」


 歴代の王族が世界中から集め、翻訳した本が多く並ぶ図書室は、なかなかの貯蔵量だとエリザベスに語って聞かせる。


「あ、そうそう。君の曾祖叔母そうそしょくぼ 、マリアンナだったか。彼女もかつて、同じ場所で働いていたらしい」

「!」


 憧れて止まないマリアンナは、シルヴェスターと同じ職場で働いていた。

 文官と召使い。職種は違えど、そこで働けるということは、エリザベスにとって魅力的なことであった。


「ただ、ユーインとは職場も遠いし、会うのはなかなか難しいかもしれないけれど」


 それも好都合だと思う。

 口うるさい婚約者とは、あまり関わりたくないと思っていたのだ。


「どうかな?」


 シルヴェスターの問いかけに対し、エリザベスは素直にコクリと頷く。


「よかった。今日、コンラッド殿下に聞いておくよ。多分、問題ないと言ってくれると思う」


 エリザベスは珍しく、「よろしくお願いします」と言って、丁寧に頭を下げたのだった。

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