第18話 追想の思い出はジェリーフィッシュ

 暗い青の中に消えていったエリを見失ってしまうショウ達。


「エリちゃん……見失っちゃったわね」

「……うん」


 深くなる水の先を見つめ続け泳ぐショウに、ナオミは話しかける。ショウは気持ちの籠もっていない返事をすると、ナオミは彼の横顔を覗いた。


「……何故、そんなに焦ってるの?」


 まるで、ショウの心を見透かしたかのように訪ねるナオミ。ショウは驚くことはなかったが、彼女の言葉を無視することもしなかった。


「エリちゃんは狙われているんだ。通り魔の男に」

「通り魔?」


 ナオミが聞き返すとショウは頷く。


「本当かどうかは分からないけど、南方ダイチっていう男が夢の中でエリちゃんを追い回しているんだ。そいつは話によると連続通り魔事件の犯人らしくて……」

「上野公園連続通り魔事件のこと?」

「知ってるの?」


 ナオミは頷く。


「半年前にテレビで報道されてたのは知ってる。上野公園で刃物を持った男が10人近くを刃物で刺して逃走していたって話よ。それで死者が7人だったかしら?」

「ナオちゃん詳しいんだね!? その話、もう少し詳しく聞かせてくれないかな?」


 初めて上野公園にまつわる詳細を聞けた。ショウはナオミの方へ顔を向けると、彼女は思い出すように難しい表情を見せていた。


「私もテレビとネットで見た程度だから、そんなに詳しくないよ。でも、その事件の犯人は事件の当日には捕まったんだって。ネットの話によると民間の高校生が犯人を取り押さえて、事件の収集に繋がったっていう噂が広がってるよ」

「高校生が取り押さえた?」

「事件現場にいた人達のSNSの内容から、まとめ掲示板に事件の概要と憶測が沢山張られてたよ。結構大きな事件だったし、その事件のせいで上野公園は二ヶ月ぐらい封鎖してたんだ」


 タブレットを使って上野公園連続通り魔事件を調べていたはずのショウだが、全くもってそんな内容を知らなかった。

 ナオミが続ける。


「ちなみにその犯人の南方ダイチ、今は刑務所にいるよ」

「……死刑にはなっていないの?」

「うん、捕まった当初は精神鑑定を行っていて、今は東京地方裁判所で裁判中だったと思う。世論的には昔あった連続通り魔事件と似ている点が多い上に南方被告の自己中心的な動機が発表されている。私の見解から言ってもネットの意見と同じで、死刑は真逃れないって噂にはなっているわね」

「く、詳しいねナオちゃん……本当に中学生?」

「ウフフ……いつも社会にはびこる悪意をどうやって制裁するかを考えているから、こういう犯罪を追うのが好きなの。勉強も少しだけしてる。私が大人になったら、私の通う学校の害虫達を根こそぎ刑務所にぶち込むのが夢なんだ」


 聞きたくないことを聞いてしまい、ショウは彼女から気持ち距離を取った。


「……とにかくナオちゃん。南方が凶悪犯であることは改めて確認出来た。そして、これからその凶悪犯と接触する可能性が非常に高いんだ」


 ショウは立ち止まり、自分の包帯の巻かれた右手をナオミに見せる。その右手には[剛腕]の文字が浮かび上がった。


「僕には南方と戦える能力がある」

「能力?」


 首を傾げるナオミに、ショウは頷く。


「うん、怪力になったり、剣を振るったり……まだ試していないけど光線なんかも出せると思う」

「へー、凄いね関口くん」


 本当に凄いと思っているのかは定かではないが、ナオミはニッコリと彼に微笑む。気にせずショウは続ける。


「南方は戦いを重ねる度に厄介な能力を身につけてくるんだ。その度に……傷つく人達が沢山いた」


 その目に焼き付けてきた情景を思い出し、彼は奥歯を噛みしめた。


「……ナオちゃんも危険な目にあうと思う。もちろん君のことは僕が守るけど、必ず守りきれる保証が出来ない」

「……ここで待っててってこと?」


 彼の言いたいこと察したナオミが答える。


「そう。だから着いてきてくれるのは嬉しいけど、やっぱり君を巻き込むわけには……」

「ウフフ、それなら大丈夫よ」


 彼の話に、彼女は余裕の笑みを見せた。


「大丈夫って、ナオちゃん……そんな訳……」

「つまり、戦える能力があれば良いのよね?」

「そういう意味でもないんだけど・・・・・・とりあえず君も何か超能力みたいな物を持っているのかい? いつものパターンだと黒い包帯を何処かに巻き付けていて、そこに僕の右手と同じように能力の名前が浮かび上がっていると思うのだけど……」

「私も、たぶん黒い包帯を巻かれているわ」

「そ、そうなの? いったい何処に?」

「ここよ」


 ナオミはショウの右手を取り、自分の左胸に押しつけた。ふりふりで柔らかい生地のゴシックドレスの下に、見た目に反して片手では収まらないゆんわりと沈み込むたわわがそこにあった。


「のわああああああああ!?」


 耳まで赤くして、即座に右手を離すショウ。それを見てナオミはクスクス笑う。


「私、お母さん譲りで着痩せするタイプなんだ」

「お、思っていたよりも……いや、そうじゃない! い、いきなり何をするんだいきなり! い、いきなり、む、胸を触らせて!」

「私の黒い包帯は、たぶんここに巻かれているんだと思うの」

「む、胸に?」


 ナオミは首を横に振る。


「たぶん……私の心に」

「心?」


 初めてのパターンに思わず聞き返してしまう。


「ナオちゃん。自分の心に黒い包帯が巻かれているって分かるの?」

「……うん、この夢を見始めてから何となくそんな気がしていた」


 本当かどうかは分からないが、それでも見えない物を信じられなかった。


「……本当に黒い包帯が巻かれているの?」

「うん、そして私もたぶん能力を使えると思う」

「それじゃ見せてよ。君の超能力を」


 裏付けが欲しいショウは、彼女に公開することを求める。すると彼女はショウの耳元まで口を近づけ、言葉を囁く。


「私は……関口くんのことが大嫌い」

「……え?」


 そう言うと、彼女はショウのことを軽く後ろへ押す。

 少しばかり後退する彼だが、唐突なカミングアウトにどう返せば良いのかショウには分からなかった。


「これが私の能力。分かった?」

「……いや、全然」

「ウフフ」


 楽しそうにナオミは背を向ける。


「後で見せてあげる。きっと足手まといにはならないと思うから」


 そう言って、ナオミは先に海底へと潜って行った。


「え、ちょっと……もう、何なんだよいったい……」


 溜め息を吐きつつ、ショウは彼女の後を追った。





 紺色の景色が徐々に黒みがかった矢先、ぼんやりといくつかの光が海底を照らしていた。更にそれを確かめようと潜っていくと、彼らは海底にある物を目撃する。


「あ、あれって」

「私達……住んでる町?」


 海底にはよく見る町並みが広がっていた。上から見た景色は初めてであったが、彼にはすぐ分かった。ここは自分達が住んでいる町であることを……


「何でこんな水の底に僕達の町が……」

「変な夢ね……エリちゃんもここに居るのかしら」


 ゆっくりと家と家の間にある道路へと二人は着地する。

 家々に電気は点いておらず、夜道のように暗い町である。だが道沿いに佇む街灯は、ほんのりと電球色で地面を照らしていた。透明な魚や、奇妙に光る歪なクラゲやタコが彼等の横を通り過ぎていった。


「誰も居ないみたい……」


 ショウは辺りを見回し誰もいないことを確認しようとした時だった。しかし、彼等の前方、二つ目の街灯下に人影が見える事に気が付く。


「近づいてみましょうか」

「え!? 近づくの!?」


 躊躇しないで近づいていくナオミを追いかけるショウ。徐々に人影の正体が露わになる。


「「……」」


 二人は絶句し、足を止める。


「・・・・・・」


 街灯の下には、クラゲのように透明な人間だった。二本足で地面に立ち、両手をぶらんと下げ、頭は丸く体内には赤い球体が回っていた。

 クラゲ人間は、ショウ達に気づいたように顔と思わしき頭部の前面を向ける。


「ナオちゃん、後ろに下がって」


 危険を感じたショウはナオミの前に立つ。

 ゆっくりと近づくクラゲ人間にショウが構える。

 しかし――


「……」


 彼等に近づこうとしたクラゲ人間は、何かの壁に阻まれるように動きを止める。


「……近づいて来ないわね」

「う、うん」


 彼等は硬直しあうが、何も起きなかった。


「先を急ぎましょうか。関口くん」

「だ、大丈夫なのかな?」

「この子は私達に近づけないみたいだし良いんじゃないかしら」


 そのままツカツカとナオミは先に進んでいく。クラゲ人間に注意しつつショウも後に続く。



♡♡



 歩き進む中、何体かのクラゲ人間と遭遇するが皆ある一定の距離まで近づくと硬直し、中には押し戻されるように離れていく者もいた。

 そんな薄暗い海の底に広がる町を歩き続けていると、あるところへたどり着いた。


「僕の家だ……」


 二階建ての一軒家の前にショウ達はたどり着いた。家の表札には"水瀬"と書かれていた。ショウの反応に、ナオミは首を傾げる。


「……ここは、エリちゃんの家よ?」

「……うん、だから僕の家でしょ? エリちゃんと家族で一緒に暮らしているんだからさ」

「……あ! そうだったわね」


 クスクスと笑うナオミに、ショウは複雑な表情を浮かべる。


"ただいま!"


 突然、後ろから背の低い何かが聞き覚えのある声と共に通り過ぎていく。その何かは、ショウ達の体を通り抜けていった。


「今、何かが通って……」

「あ……」


 二人は玄関を見ると、一人の少女の後ろ姿が見えた。その姿は薄く幽霊のように見えるが、長くて黒いツインテールに赤いランドセルと黄色い帽子を被った少女だった。


「エリちゃん?」


 ショウが彼女に訪ねるが、エリは返事することなくドアを開く。ドアの先には、母親が出迎えていた。


"あら、エリちゃんお帰りなさい"

"ただいま、お母さん!"


 笑顔のエリと母親の姿はゆっくりと消えていく。


「これは……いったい」

「……家の中、入ってみない?」


 呆然とするショウに、ナオミは提案する。彼等は恐る恐る家の中へと入っていった。



 中は暗く、自分の家とは思えないほど不気味だった。


「エリちゃん!」


 ショウが大声で呼びかけるも返事は帰ってこない。


「誰も居ないみたいね」

「うん……」


 ナオミが結論を述べ終えた途端、リビングから声が聞こえた。


"エリ! ご飯よ!”


 母の声がシーンと静まった廊下に響くと、二階からドタドタと何かが駆け下りてくる足音が聞こえた。

 二人が階段へと目を向けると、そこにはエリの姿あった。目には黒い包帯を巻いていない、いつものエリの姿がそこにあった。


「エリちゃん……」


 ショウが声をかけるが、彼女は反応せずそのままリビングへと駆けていった。リビングを覗き込むと、テレビのある居間と台所と食卓があった。ショウがいつも見ている自分の家の風景だった。


"いただきます!"


 食卓の机には夕飯と思わしき食事が並び、エリに母親、そして父親が席を囲んでいた。

 その幻影は、楽しそうに食事を始める。今日の学校で起きたこと、会社で起きた出来事、スーパーで安かった商品のこと、テレビのこと……他愛ない話が繰り返され、食事が終わる。


「……いない」


 そこでショウはあることに気づき、急いで二階へと向かった。


「関口くん!」


 ナオミの掛け声を無視して、彼は階段を駆け上がった。



 ショウは二階にある部屋の扉に立ち止まる。そこは、自室の前であった。


「関口くん」


 後を付いてきたナオミが改めて声を掛けるが、それでも反応しない。彼はゆっくりと、自身の部屋のドアノブを回し扉を開く。


「……」


 ショウは息を飲んだ。

 そこは自分の部屋のはずだった。ベッドがあり、勉強机があり、制服がかけてあり、愛用のタブレットがある。

 そのはずだった……


「……ない」


 彼は呆然と立ち尽くす。

 部屋の中は沢山の者が敷き詰められ、まるで物置のようになっていた。


「僕が……いない」


 ショウは気づいた。

 この家には、自分がいない。

 ショウが一緒に住んでいる痕跡がないのだ。

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