第5話 『アイヌ』と……

 イドに言われなかったから気づかなかったけど、咲ちゃんの両親はこの展開を事前に承諾していたらしい。


 私が昼間ブッ飛ばした大男から説明された。咲ちゃんの家族が再会するまで、イドが久島たちを指導する――どうやら咲ちゃんの両親は久島たちに脅されていたらしく、その相談を方々にしていた。でも解決しなかった。だって娘の殺人を話す訳にはいかないから。

 そんなときに現れたイド。まず咲ちゃんの両親に事情を聞き、作戦を――久島たちをひきつけておき、両親は家から出払って再会、警察に咲ちゃんの意志と、久島たちの虐待を告白する――イドが考えた計画は、私の行動よりよっぽど大人だ。


 しかしまぁ、どおりで静かなわけだ。こんな大きな屋敷で喧嘩が起こっているのに、人が様子見すらしないのだから。

「ほん、旦那さまもえろう感謝してました。これで一件落着」

 久島たちを警察に引き渡し、玄関先で大男は、私たちに頭を下げた。半テンポ遅れて私も頭を下げる。

「い、いや、私こそ他所様の込みいった事情に首をつっこんでしまって……しかも昼間、殴ってしまって、ほんと御免なさい」

「んな、滅相も無い。お嬢にも俺ぁ、非道なことしたもんし――」

「大里流は殴ったりするしか世間を知らない田舎ものでして――」

「いえいえ、その教育の間違いに気づかれた人もおられてん――」


「ともかく」終わりの無い謝罪合戦を止めたのはイドだ。額にうっすらと汗をかいている。息が荒い。壁にもたれかかっていた。

「お嬢様。久島がなぜ、あそこまで咲をつけ狙っていたかわかるか?」

 そうだ。それが気になっていたことだった。イドの本気なのか演技なのかわからないテンションで作戦にはまってしまい、その疑問はすっかり彼方に吹き飛んでいた。

 でも、憶測はついている。

「地下に『コタン』があるから?」

 私の返事にイドは小さく頷いた。

 あれ? そういえば、さっきから咲ちゃんを犬っころって言わなくなった?

「なんえ『コタン』って?」

「地下の社だ」 

 ふうっ、とイドが息を吐く。もう、内氣を整える云々ではなく疲労のピークなのだろう。返事の無いことからも大男は理解し気遣いを見せる。

 イドは言う。

「久島を紹介した人間に連絡はできるか?」

「そりゃあ俺には。旦那さまに聞かんと」

「じゃあ旦那さまに言っておけ。次からは大里流海を雇え、あいつなら信用できる、と」

「オオザト・ルミ……わかりました」

 私の姉だ。

 まぁ、今もどこかで生きていることは確実だし、あの人なら多少の融通は通るだろう。自分はむちゃくちゃな鍛錬をするくせ、他人にはやたら親切丁寧な人だもん。家族は例外だけど。

「約束どおり、久島たちは追い出した……そろそろ案内してもらおうか」

 もたれていた壁から背を離した瞬間、イドは立ちくらみのように足をふらつかせる。私がその体を支えるように受け止めると、ぞくりと背中が凍りつくような鋭い視線で睨まれた。

 それは『アイヌ』の眼だった。

「……ごめん、一人でも、へーきだもんね」

 ああ――そう返事をするころには、イドになっていた。

 心臓が破裂しそうなほど高鳴っている。恋人の前、という気恥ずかしさ。

 そして殺されるという恐怖。慌てて私は彼から離れた。

 

 大男に案内され『コタン』へ向かう。

「一人でも、へーきだもんね。あんたはさ……」

 繰り返すような私の独り言は、誰にも聞かれていないようだった。


 ◇

 屋敷のはなれ、これも立派な蔵の中に入る。

 色々と歴史も値打ちもありそうな壷や掛け軸、書物に箪笥――それらを支えている木の床に、扉らしき取っ手が生えていた。

「俺ぁが知ってるのはここです。なん、ここは人入りが少ないんで、まさかお嬢が……」

 大男は扉を見下ろす。重たそうな扉。木造だが、この上に箪笥を乗せても壊れないほど頑丈そう。咲ちゃんがこれを開けたというのが嘘に思える。

「俺ぁには信じられえん。こんなゴツイもん、あのお嬢が開けたとは」

 うん。一見するとそう見える。私は取っ手に手をかけて引っぱった。

 ギギギ……木がこすれる音がするだけで、腕力だけで開けるのは私にも無理だ。

「どうだ、お嬢様?」

「やっぱりシンタが無いとね」

 私は目を閉じて感覚を研ぐ。


 ビシッ。


「おうっ?」大男のすっとんきょうな声。

 私は目を開ける。誰も触れていないのに扉が勝手に開く。ゆっくり持ち上がって観音開きに――奈落の地下へ続く階段を見せた。

 シンタに反応する簡単な封印。カムイ使いか認識して扉が開く仕組み。だけど……疑問が湧いてくる。

「イド、十文字たちに濁酒を汲ませてきたんだろ? この封印をどうやって破った?」

「……歩きながら、説明しよう」

 イドの息はとても重く、いかに体力と精神力が磨耗されたのかが伺える。イドを先頭にして私たちは石段を下りていった。暗がりの中、湿った壁には長々と奇妙な呪文が書かれている。

 目で追うだけでそれが読めてとれるのも、鍛錬のたまもの。


「火の、曰く、地、治めて自を治め。かむは成らずとも子は成りにけり。囃子に演者舞う。焔、煽られ、こなたのに従い、かむれ」


 口に出してみて初めて気がついた。これは最初のカムイ使いによる禁歌きんかか。

 カムイの食欲リミッターを外して術者の氣を食らわせる代わりに、カムイの能力を強化する。いってみれば裏技だ。私のイズナに反応はない。これは多分、エンジャを強化するためだけの禁歌――嫌な想像をしてしまった。

「咲ちゃんはこの呪文を言ったことが?」

 私の前を行く大男は、首を横に振る。

 ほっとした。

 封氣呪があってもこれを呟きでもすると、咲ちゃんはあっという間にカムイに食われてしまう。そうなったら最後、誰にも手がつけられない。咲ちゃんを抹殺するために大里流の有力者が駆り出される。

「お嬢は……ああいう子えん、気味悪いって、ここの話は何にも」

「賢明だと言いたいが外れだ。ここはあいつの入った社ではない」

 意味深なことを言ってイドは語り始める。

 階段の終着点は見えない。

「地下はもう一つあった。この屋敷の東側に久島たちが見つけていた――俺が見物すると、そこに濁酒はあるものの、肝心のカムイが無かった」

「ならこっちがフェイクで、咲ちゃんが入ったのが本命なんじゃないの?」

「だったら何故、封印なんかされている……ふうっ……麻隅村は『コタン』でも『カムイコタン』だ」

 頭から冷水をかけられたように血の気が引く。

 

 コタンはアイヌ民族の言葉で『集落』という意味。主に人間が住んでいる場所をコタンというらしい。けど私たち大里流の関係者は、カムイが祭られている場所を総称していう。

 そして『カムイコタン』――人間界でカムイが集落を築いた場所のこと。もちろん由来は北海道の地名から。

 カムイという言葉や概念がアイヌ民族の伝承に似ている部分があるから拝借している。

 ここにあるカムイはエンジャの一つではなく、多くのカムイが住んでいる。

 カムイコタンは滅多にお目にかかれない貴重な場所。聖地といってもいいかもしれない。カムイは人間とはじゃれあうが、カムイ同士で馴れ合うことを好まないから。カムイはカムイを消してしまうから集落なんてレアものだ。

 

 伝承では消されてしまうのを恐れカムイは共存を拒んでしまった。散らばったカムイは世界の形を創って人間を生かしている。人間を知るために。その際、一部のカムイは結託して人間を観察することを考えた――『カムイコタン』はそんなカムイの団結の地。

 

 ならエンジャしかないというのはどういうこと? ここが咲ちゃんの訪れたコタンでないのなら、なぜエンジャの禁歌しかない?

 

 カムイは一箇所に一つしかなく、憑依した人間の氣が尽きるまで離れない。エンジャのカムイ使いはこの世で咲ちゃんだけ。

「カムイに家族なんて概念はない。だから、それを知ろうとしてのことなんだろうな」

 イドは右腕で額を拭う……脂汗に思えるけど、へーきなのか?

「ここのカムイコタンはエンジャのカムイが繁殖したものだ。そして咲の手にいれたカムイは子供。親というべきか、大元締めがここだ」

 私は記憶を遡って、思い出した。


 高天で行われる祈祷祭について――あれはたしか、神主の話によると火の神様への祭だったはず。

 高天にもエンジャが祭られた社があるのかもしれない。

「咲は使ということだ……そんな前例があったか?」

 ない。私は首を横に振った。

 さらに、そんな特殊な事例を、カムイ使い養成所と囁かれる『実家』がほおっておくわけがない。

 

 久島たちに下された指令は、その実、咲ちゃんを実験体にすることか。

 そんなことを命令できる人間は二人だけ。

 

 私の両親。


「あの馬鹿夫婦……とうとうカムイ使いより、カムイそのものに手を出し始めたか」

「お嬢様、それだけ本腰を入れる地盤ができたとも考えられる」

 


 長い階段が終わって、闇だけの空間に私たちは降り立つ。

 道中、両手を広げると壁にぶつかるという、閉所恐怖症の人間には辛い階段だった。

 今、私たちの前方には光が届かないほど広大な暗闇。

「あの二人のことだ、規模のでかい事をするつもりだろう」

「世界征服かも。笑えない。やりかねない」

 こんな私たちの会話についていけないのだろう、大男は居心地が悪そうに、私の後ろについていた。

 イドは動かず、膝に手をつき、顎から落ちる汗を拭っている。

「あんたは退き帰したほうがいい。ここから先、シンタがある人間しか進めない」

 イドは大男に忠告するけれど、私はイドにも当てはまることでは、と勘ぐる。

 

 ビシビシと頭の中で火花が散る。シンタが反応して、イズナがあからさまに嫌がっている。眼前に広がる暗闇を威嚇しようとする。

 興奮した動物を宥めるように私は内氣を整えた。


「ほん、あんま、無理したぁなんえ? 何かあったら、呼ぶんえ?」

 大男は今来た階段をゆっくりと上っていった。

 

 その足音が聞こえなくなったころ、イドは私を見て口の端を緩めた。

 無骨な、寂しそうな笑顔。

「俺は難しいことは考えたくない……それでもお嬢様にとって為になることをしろと九零から言われて……役に立ったなら、良いのだが」

「そこそこにね。忘れていた戦闘感覚とか、知らないことも教えてもらったし」

 

 私はイドの腕を肩に回して、暗闇へ歩き出した。


「結局さ、『アイヌ』は何がしたいの? 私の指導?」

 もう一寸先は暗黒ばかり。

 床は石畳。かび臭い空気がこもっている。

 私はシンタを頼りに歩く。

 私の足音とイドの引きずるような足音。

 あとは声だけが聞こえる。

「俺は九零から言われたことと『アイヌ』から言われたことを二つ同時にこなしただけだ……動機は、言いづらい」

 とにかくお嬢様を守りつつ、自らを鍛える――そうイドは言った。

 まったく。過程はさんざん。でも……結果は成功って言ってやっても良いかな。

 でも、次は許さん。絶対に。そう言っておく。

 すると、

「……変なものだ。自分で考えない人間を犬と言うくせ、俺は言われたことしかやらないんだからな」

「それでもさ、私はあんたも好きだよ」

「……どういう意味だ」

「そのままの意味。九零もイドも『アイヌ』も好きだってこと」

 はんっ、とイドは鼻で笑う。

「その癖、何とかしなよ」

 私が注意したかったこと。イドの笑い方。

 自分に興味がないこと、馬鹿らしく感じることを、そうやって排除するのが周囲に不快感をもたらすんだよ、と言っておく。

 すると、

「癖は直せないから癖という……もういい、だいぶ安定した」

 私の肩から手が離れたそのとき。

 イドはもう、人生が終わる老人のように、深い息をはいた。内氣が、引き潮のように小さくなっていく。

「……そろそろおいとまさせてもらう。ここから先は九零でも俺でもない、が出てくる」

 暗闇の中、子鬼のようなイドの表情が見えないのが名残惜しい。

 それでも、瞳の輝きは見えるよ。

 あんたの、一直線に物事を見る瞳はさ、眩しすぎる。

「お嬢様、逃げるか? 今なら生き延びれる」

「なめんなよ」

 少し怒気を込めて返してやった。

「純粋な恋心をもつ乙女の覚悟は、半端な力で壊せないのだ」

 私が胸を張って言うとイドは、ふふ、と柔らかな声を出す。

「そうか。それが『アイヌ』にも届くといいな……死ぬなよ」

 私が頷くと、どさりと倒れる音。

 手を貸すことはしなかった。

 きっとすぐ、彼が出てくるから。



 もぞ。



 倒れた体が動いたみたい――外氣も内氣も、まさしく彼のもの。

 無刀大里流操氣術、三十五代目頭首が認めた逸材――天才。麒麟児。武の申し子等、彼の呼び名はいくつもある。神の子。超人。悟りを開き、仏を継いだとも。

 本名はわからない。本人は名乗らないし、知ってるのは私の親父だけ。

 でも、名前がなければ生活が出来ない。彼はあえて自ら字名あだなをつけた。

「あなたは誰?」

 私は彼に問う。

 わかっているけどさ、一応、念のためにね。

 きっとその名はとてもシンプルな――語呂も意味も含めて。


「……『人間アイヌ』」

 

 その声に射抜かれたように私の心臓が大きく脈打つ。

 涙を流してしまいそう。

 それほど彼に会いたくて――謝りたくて、今まで生きてきたのだから。

 

 彼の足音がする。のそり、のそりと歩いている。

 置いていかれないようにその後を追う。

 懐かしさが風のように心を過って、高揚してる。

 もう見逃さない。彼についていく。どこまでも。

 走ったなら、走っていく。

 休むときは隣に座る。

 同じものを食べて、同じ時間に寝て、同じ朝を迎える。

 同じ時間をずっと過ごしたい。

 同じ空間で、安らかに過ごしたい。



 ◆

 

 厳密には久しぶりではない。

 イナミと『アイヌ』は昨晩、出会っている。

 だがイナミは掛ける言葉を選ぶ。

 普段から何気なしに言う冗談でさえ注意をしているが、周りからみれば世間一般の、若い女がつかう言い回しになってしまう。

 のときだけは、しっかりした言葉で伝えたい。そんな脅迫観念にかられて、ついに一言も発することなく『アイヌ』と暗黒で再会する。


 『アイヌ』には何が写っているのか。眼下には濁酒の池がある。仰々しい結界や封印じみた物は一切ない。神道でいう神降かみおろしをするにあたっての神楽も、能に使われる四本の柱も舞台も無い。

 

 光のない二十メートル四方空間。

 その中心に直径三メートルの池。深さは知れず。

 暗い闇の中、彼の見る池はどう写るのか。

 神の膝下へ近づく階段か。

 暗黒の過去を打ち破る最強の矛か。


「あのさ……『アイヌ』は、やっぱり、もっと強くなりたい?」

 後ろからイナミの声がする。しかし『アイヌ』は返事も反応もしない。構わずイナミは喋る。

「十分強いよ。あの久島も一撃だったし、無敵――あっ!」

 イナミは手で自分の口を塞ぐ。『アイヌ』は無敵ではない。

 数え切れないほどの敗北を味わっている。特にイナミの両親から。その敗北の味は血。感触は激痛。



 それらを思い出すように『アイヌ』は暗黒の天を仰ぎ、言葉を漏らす。

「……右真打ならば腰に保て。左真打は捨ての散打さんだに。外氣の残量を誤れば死。足、動くなら攻防を絞らせぬよう、緩急をつける」

 振り返ると昔、同じように口頭で大里流の初歩を指導した弟子のイナミがいる。

――昨日より大きくなった、そんな感情が『アイヌ』に浮かんで、即座に消える。

 顔は見えずとも、想像する。時たま闇で会う弟子の姿。琴美と瓜二つの顔形。

 やがて『アイヌ』のシンタが揺れる。

 頭痛に似たカムイの反応。『アイヌ』は額に手をやり、その痛みを言葉無き言葉で訴える。

「ねえ……九零は消えちゃった?」

 イナミの問いに『アイヌ』は答えない。

「イドも、消えたの?」

 手を当てながら、ゆっくりと『アイヌ』は後ずさる。

 すぐ後ろには濁酒の池。

「……あんた、本当に『アイヌ』なの?」

 

 その男は咆哮する。暗黒に轟く、絶対の宣言。

「殺す!!」

 池に落ちる姿は、まるで反りあがった大蛇――。

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