第一章 王太子の命令-4

 純粋な疑問として、兄はなぜ武力での鎮圧を推しているのだろうか。


 いくら相手が魔物を片っ端から倒しているとはいえ、理性を失い破壊行為に勤しんでいるのでないのならばある程度話は通じるはずである。


 ただの精霊ではなく高位の神霊であるのならば、その守護神霊はイェルガーと同じく独立した意思を持っているはずだ。


「理性が残っているなら、軍を出すのは早いと思うわ。その神霊を止めるだけで大きな被害が出るなら……」


「ではなんだ。誰かがファリオスに向かうということか?」

「えぇ。そうね、イェルガーのことを考えたら、私がファリオスに出向くのが一番いいと思うわ」


 フィオナの言葉に、部屋の空気が一気に凍りついた。

 オネストやサイフィードのみならず、イェルガーまでもが表情を硬くしてフィオナを見つめている。


「フィオナ、危険だ。相手の神霊が理性を失っていないなんていう証拠はどこにもない。君がファリオスに赴くのは、俺は反対だよ」

「イェルガーの言うとおりだ。君はこの国の王女で、簡単に外を出歩けるような人間じゃない。交渉なら僕に任せてくれ」


 サイフィードはそう食い下がったが、フィオナだってまったく考えなしにそんな提案をしたわけではない。

 この国を動かしているのは、現状オネストとサイフィードの二人だ。国王である父は存命だが、今は臥せって部屋から出てくることもできない。


 そんな中でフィオナは、神霊術士になるために自分のわがままを貫き通した――婚約者との婚姻を延期した時にしろ、二人に迷惑をかけている自覚は十分にあったのだ。

 せめて、自分がその神霊を鎮めてみせる。無理だと言われようが無謀だと言われようが、フィオナにはその決意があった。


「直轄領の視察に王族が出向くのは、別におかしいことじゃないわ。相手が神霊なら、同じ神霊であるイェルガーや契約者の私と話をつけることができるかもしれない」


 未熟とはいえ、神霊との意思の疎通の仕方は普通の精霊術士と比べて一日の長がある。なにか特別なコツがいるものでもないが、神霊と契約をした「百合の鍵」を示せば、おそらく危険が身に及ぶことはないだろう。


 イェルガー以外の神霊と接することはあまりないが、フィオナはなぜだかそんな確信じみたものを感じていた。


「……オネスト、どうする? この一件はさすがに僕だけでは判断できかねるぞ」


 宰相であるサイフィードがフィオナに命令を下すことはない。この場において唯一決定権を持っているのは、国王代行である王太子のオネストだけだ。


「兄様……」


 刻まれた眉間の皺をいっそう深くして、オネストはたっぷり五拍の時間を取った。

 壁掛けの時計がカチリとなる頃、彼はゆっくりと目を開いて妹を見据える。

 先ほどの不機嫌なものとは違う。状況に応じて采配を振るう王者の視線だ。兄は時折、こうした鋭い視線を感じさせることがある。


「いいだろう……お前がそこまで言うのならば、俺はこれ以上止めん。あの地の地脈が絶たれるということは、国土西方の護りが手薄になるということ。霊的な守護から見ても、ファリオスはもっとも大きな護りの要だ」


 声音は、普段の不機嫌そうなものとなにも変わらない。

 けれどその表情だけは、血のつながった妹である自分ですら背を正してしまう――検証だった頃の父の面影を見て、フィオナは思わず喉を鳴らした。


「だが俺は、お前を神霊術士としてファリオスに送るわけではない。いいか、お前はこの国の王女として風の都の視察に向かうんだ。護衛の騎士をつけるから、全ては彼らに任せろ。お前の身に危険が及ぶと判断した時点で、俺はどんな手段を使ってでもお前を王都に呼び戻すぞ」


 彼の言葉を正面から受け止めて、フィオナはゆっくりと頷いた。

 神霊術士になると宣言した彼女を閉じ込めるような兄だ。連れ戻すと言ったら、おそらく国軍を動かしてでも捕まえにくるだろう。

 自分が頑固な自覚はあるが、それ以上に兄はもっと頑固だ。二人とも言ったことを曲げようとしないから、ちょっとしたことで喧嘩になってしまう。


「ちょ、ちょっと。いいの、オネスト? 姫も、冷静になって考え直した方が――」

「こいつは一度言い出したらなにを言っても聞かん。そんなのは、1年前に学習済みだ」


 だがこの局面、王太子として選択肢を選ぶオネストはどこまでも冷静だった。

 うんざりと言い放ったオネストは、深いため息を吐いてフィオナとイェルガーへ退室を促した。


「早く部屋に戻って支度をしろ。ファリオスの現状から見て、猶予はそうないぞ」

「え、えぇ……ありがとう、兄様!」

「礼は成果を上げてから言うんだな。それと……イェルガー」


 部屋を出ようと扉の方を向いていたイェルガーはびくりと肩を跳ねさせ、ゆっくりとオネストの方へ向き直った。


 藍色の視線と、フィオナと同じ空色の視線が真っ向からぶつかりあう。フィオナからしてみたらこの二人はどうしてこうも仲が悪いのか不思議なものだが、一方的に嫌い抜いているのはオネストの方だからなんともしようがない。


「妹は、貴様が全力で守れ。たかが人間が神霊に力で勝てるとは思っていない……貴様が妹を守る最後の盾だ」

「わかってるよ、そんなこと。あなたに言われなくたって、彼女は俺が守るって決めてるんだ」


 そう言い残して、フィオナとイェルガーはそれぞれ部屋を出ていった。

 執務室に残ったオネストとサイフィードは、再び机上の地図に視線を落とす。


「珍しいじゃない。あんなに素直に姫の言うことを聞いてあげるなんて」

「どちらにせよ、討伐となっていたらあの神霊の力が必要だった。理由はそれだけだ」

「へぇ? じゃあ君は、どちらにせよ彼女をファリオスに出向かせていたって言うのかい?」


 微笑みを浮かべたまま地図のを眺めているサイフィードに、オネストは低く舌打ちを返した。

 彼とて好きで妹をそのような場所に向かわせたわけではない。ただ、それが最良の選択だと判断せざるを得ない状況だからこそフィオナのファリオス行きを許可したのだ。


 国内に彼女より腕の立つ精霊術士はいくらでも存在する。だが、彼女は国で八人しかいない神霊術士の一人だ。利用できるカードとしての価値を、王太子であるオネストは十分に理解している。


「国内に他の神霊術士が残っているならば、俺とてフィオナを向かわせるつもりはなかった。……あれには、酷なことを強いている。大隊長――エスポワールが動ける状態であれば、まだマシだったものを。父上の治療に、あれほどの逸材を費やさねばならないとはな」

「……殿下。誰が聞いているか分からない」


 思わずこぼれ出た本音に、オネストは自らの唇を噛んで言葉を殺した。

 あるいは自分に精霊術士としての才能がほんの少しでもあれば、妹かその婚約者に王都を任せることができたかもしれないのに。


 ――あるいは、妹に神霊術士などという道を選ばせることだってなかったかもしれない。


「サイフィード、お前の精霊でフィオナの追跡は可能か」

「無茶言わないでくれよ。いくら僕でも、王都からこれだけ離れた街に精霊だけ送り込むなんてできるわけがないだろう」


 そんなことができるのは、千里眼を持つと言われている一部の神霊くらいだ。

 オネストとしてもそれは百も承知だったが、みすみす愛する妹をファリオスへ向かわせるという判断を下した、自分への怒りが抑えられそうもない。


 術士の才覚は生まれつきのものだ。姉は確かに強力な才を持ち得ていたし、妹にしろ非才であるがイェルガーという大きな武器を携えている。

 その対価が恋心という荒唐無稽で、それでいて宝玉のように美しい者だったとしても。


「オネスト、血がにじむ」


 ギリギリと唇を噛んでいたところで宰相から止めが入り、オネストはゆっくりと顔を上げた。


「俺は無力だな。愛するフィオナすら救えない……自分で自分が、これほど情けない男だとは思わなかった」


 そうして小さく笑う主の言葉に、サイフィードはなにも言葉を返すことができなかった。

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