第一章 王太子の命令-3

 重厚な木製の机と数々の書物が詰め込まれた本棚に、フィオナは思わず圧迫感を覚える。


 兄の執務室には無駄なものがいっさい置かれていないというのに、政治や経済、精霊の生態までが書かれた本たちがぎっしりと並べられているせいで非常に狭く感じる。


「素養ならあるわ、兄様。そりゃあ、優れているとは言えないけど……現にイェルガーは私の神霊なんだし」

「術士とは自分の力を持って神霊を従えるもの。対価を差し出してようやく釣り合う程度では、従えたなどとは到底言えないな」


 不機嫌な表情をそのままにイェルガーの方を睨みつけたオネストは、フンと鼻を鳴らすと傍らに控えている一人の青年に視線を向けた。


「まあまあ、殿下もこう言ってるけれど、本音では姫様のことが心配なんだよ」

「心配? 下らないことをいうのはやめろ、サイフィード」


 三人の間に割って入る形で手を振ったのは、この国の宰相であるサイフィードだ。

 宰相家の当主は、代々『サイフィード』の号を名乗る。その中で最も若くしてその名を継いだ彼は、王太子であるオネストの右腕にして強力な精霊術士だった。


「下らないもなにも、君は姫のことが心配でたまらないんじゃないか。顔に出てるよ、オネスト」


 ニコニコと笑みを浮かべながらオネストを押さえ込むことができるのは、おそらくこの国では彼だけだろう。学院時代からの旧友である彼には、兄も強く出ることができないでいるらしい。


「現に今だって、君の頼み事を聞いてくれるか心配だったから彼女を呼んだんだろう?」

「えぇと……サイフィード様? それに兄様も……なんで私のことを呼んだの?」


 フィオナがイェルガーから聞いたのは、オネストが彼女を呼んでいると言うことだけだった。理由や詳細な内容などはいっさい聞いていないため、どうして兄がそこまで不機嫌なのかも分からない。

 頭の上に疑問符を浮かべながら、フィオナはちらりとイェルガーの方を見た。


「俺も理由は聞いていないよ。宰相様の精霊が部屋に飛び込んできて、王太子様が呼んでるって言われただけだから」


 その言葉を聞いて、フィオナは兄の方に向き直った。

 相変わらず眉根を寄せているオネストは、一度咳払いをした後で自分の執務机を指で叩いた。

 そこには、王都から西方に位置する直轄領が描かれた地図が乗せられている。


「……ここは」

「風の都ファリオス。王族の直轄領であり、500年前に初代国王が最初の都を築いた街だ」


 1年の間フィオナの元で過ごしたイェルガーだが、この国にまつわる知識はあまり詳しくない。

 彼の問いに答えたオネストは、この国の子供ならば誰もが知っているようなおとぎ話を語り始めた。


「始祖ハインリヒはファリオスに都を築いた。砂漠に面したこの街は毎年のように砂嵐の被害に遭っていたが、精霊王がこの地を治めてからはその被害が激減したようだ」

「へぇ。特殊な障壁でも張っていたのかな」

「違うわ。ファリオスには守護神霊がいるのよ」


 兄の言葉をついだフィオナは、幼い頃兄や姉が話したくれたおとぎ話を思い起こした。


 守護神霊――格の高い神霊の中には、「鍵」による契約を必要としない者がいる。

 その地に住まう人々の感情や願いを糧に街を守る彼らは、その土地の神のように信仰を集めている場合も少なくはない。


「そうだ。本来ならば王都をそこに築くはずだったのだが、精霊王はなぜかファリオスを捨て、このエデルフィートを王都と定めた……ファリオスはいまだ、その神霊が街を守護している」


 有名なおとぎ話でもある精霊王遷都の話は、王立劇場で演じられる戯曲にもなっている。

 歴史家が専門で研究をしている分野でもあるが、遷都から500年経った今でもその理由は明らかになってはいなかった。


「へぇ……それで、そのファリオスがどうしたの?」

「周辺に魔物の出現情報があったんだ。報告書を見る限りどれも低級のもので、人や農作物への被害は出ていない」

「低級の魔物なら、王都にだって出現するわ」


 術士との契約を結んでいない、自然発生した精霊。それらは総じて魔物と呼ばれる。

 彼らは時折農作物を食い荒らすことや旅人に襲いかかることがあり、そのような魔物の討伐を行うのもまた精霊術士たちの仕事でもあった。


「あぁ。そうだ……被害が出ていないのならば、無理にそれらを駆逐する必要はない。術士隊の大隊長ともそう話し合ったんだがな」


 そう言うと、オネストは黒髪をかき上げて深くため息をついた。

 この数年間、兄の眉間に刻まれ続けたしわはほとんどくせになってしまっている。どれだけフィオナが頑張って伸ばそうとしても、本人同様頑固極まりない鉄壁のしわだった。


「数日前、ファリオス周辺をうろついていた魔物の群れが全て消えた」

「消えた? 魔物の群れが?」

「そうだ。周囲の生態系や地脈の流れを見るに、どうやら原因はファリオスの街中にあるということだが」


 いくら自然発生した精霊とはいえ、魔物も一帯の生態系には組み込まれている。

 それらが強制的に排除されたとなれば、彼らが生きていたことで街を潤していた魔力の流れや土地の力が枯渇してしまうことになる。オネストが危惧しているのはそこだった。


「ま、待って兄様! 話を整理させて。ファリオスの街中に、その魔物の群れを消してる原因があるって……街の自警団や軍が勝手に動いてるってこと?」


 状況の理解が追いつかないまま、フィオナは思いついた原因を問うてみた。

 けれどもオネストは首を横に振り、ファリオス中心街のあたりを指で指す。


「俺もファリオスに実際赴いたわけではないが、報告は上がってきている。砂嵐の季節になると、灰色の甲冑を着た男が周囲の魔物もろともそれをはじき飛ばすという話が多数出ているんだ」


 灰色の甲冑――それは、ストローゼ王国では使われていない色だ。

 下級の騎士は鉄色、上級の騎士は白みを帯びた鎧といった風に、この国では階級によって身につける防具の色が変わる。


 けれど灰色というのは今までフィオナも聞いたことがない。他国から逃亡してきた軍人が街に紛れ込んだのかとも思ったが、それならばそこまで目立つ行動を起こすことはないだろう。


「あれ、でも街には守護神霊がいるって言ってたじゃないですか。魔物を片っ端から倒して生態系が乱れるなら、その守護神霊っていうのがなんとかしてくれるんじゃないのかな。地脈の流れが壊されたら、困るのは僕たち精霊や神霊なんだし」


 きょとんとした表情で首をかしげたのは、それまで黙って話を聞いていたイェルガーだった。


 言われてみれば、確かに彼が言うことももっともだ。

 建国より500年の時が過ぎているとはいえ、未だに街を守護する神霊がいるのならば、外的な脅威というのは訪れないはずである。

 イェルガーの意見に同調するようにうなずいたフィオナは、やや困った表情を浮かべて顎を撫でるサイフィードを見つめた。


「イェルガーの言うとおりだわ。サイフィード様、守護神霊がいるなら、どうしてファリオスが危険なの?」

「うーん、それがね……調べたところ、その魔物を倒してる鎧の騎士っていうのが、どうやらその街の守護神霊みたいで」

「……なんですって?」


 街を守るはずの守護神霊が、街の外に生きる魔物たちを狩っている。

 魔物たちが街に害をなすのならばまだしも、ただそこに生きているだけで罪もない生き物を殺してしまうというのは、神霊としての概念からも少しずれたものだった。


「このままだと風の都と謳われたファリオスは、地脈が枯れ緩やかな破滅を迎えかねん。だが、生半可な精霊術士を向かわせたところで返り討ちに遭うのは目に見えている。だが、国外の神霊術士を呼び戻すこともできん……話は見えてきたな?」


 今日一番で不機嫌そうな声を出したオネストは、今にも舌打ちをかまさんばかりの表情でイェルガーを睨みつけた。


 つまり、兄としては非常に不本意なのだろう。彼は術士を嫌っているわけではなく、一方的にイェルガー自身を嫌い抜いている。


「イェルガー・ゼーベンハイト――貴様、一応神霊としての末席に名を連ねていると言っていたな。仮にお前がこの神霊と相対したとして、こいつを止められる勝算はあるか」

「ないよ」

「なに!?」


 嫌悪がにじみ出るような質問に即答したイェルガーに、思わフィオナも口をぽかんと開けた。


 いくらなんでも、考える時間が短すぎる。確かに今のイェルガーだったら難しいかも知れないが、先ほどのような技を使ってくれれば、完全な勝利は無理でもその神霊を止めることくらいはできるかもしれないのに。


「イェルガー、さすがにそう言い切っちゃうのは……」

「無理だよ。だって、その神霊っていうのはさ、そこの土地と契約をしているんだろう? それに打ち勝つって言ったら、その街を丸ごと火攻めにして地脈をズタズタにしなくちゃいけない。俺の力でそれは無理だし、そんなことはしたくない。同じ神霊が相手なら、こっちだって相応に戦わないといけないんだし――第一、俺はフィオナにそんなことはさせたくない」


 同じ神霊としてのイェルガーの言葉は、その場を静まりかえらせるには十分なほどの重さを備えていた。


 オネストはもとより、サイフィードすらも黙り込み、地図を見つめている。

 土地や多くの人間の想いによって存在を保つ守護神霊は、本来の能力の高さ以上の力を使うことが多い。そうなれば、きっとイェルガーと契約を結んだフィオナにも危害が及ぶだろう。


「ではいったいどうすれば――術士隊の大隊長にしろ、今は動けん。くそ……こうなったら駄目元でガレリアの連隊を送り込むか」


 苦々しげに吐き捨てて羊皮紙を用意しようとするオネストに、フィオナはおずおずと手を上げた。少し考えていたことだが、その守護神霊とやらと話し合うことはできないだろうか。


「……えぇと、兄様? その神霊っていうのは、凶暴化して街を襲ったりとか、人に危害を加えようとはしていないんでしょう?」

「ん? あぁ、人的な被害は今のところ出ていない。あくまで、周囲の魔物がきえたというだけだ」

「なら、こちらの話だって通じるんじゃないかしら」

「なんだと?」


 フィオナの提案に、思わずオネストは気の抜けた声を出した。

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