男らしくしろ

Fujimoto C.

第1話 クラインフェルター症候群

 あの女の口元は、笑っていた。あらゆる種類のナンセンスを口にした。

「あたしが再婚でなかったら、あんたとは別れていた。二十代のあたしなら考えられない。そんな人と一緒に暮らすなんて・・・。せいぜいあたしみたいな女と出会ったことを感謝することね。あんたは一生結婚できなかったのよ。人の親にもなれなかった」


 女は、元々は柔和な笑顔をしていた。頼りなげで現代にふさわしくない待ち受け女。リーマンショックが彼女を変えた。僕はシステムエンジニアとして派遣で働いていたが、リーマンショックで派遣先が連鎖倒産。次の派遣先を見つけられないまま数カ月を無為に過ごす。やっと有り付いたバイトは肉体労働。午前の五時間のみ。妻と息子を養えるだけの収入を得られず。女は、働きに出なければならなかった。結婚をしていれば預かってくれる保育園がないため離婚する。いわゆる偽装離婚。二歳の息子を保育園に預けての勤務は、彼女の心を疲弊させた。子どものいる女性がフルタイムで働くことは大変なことだ。申し訳なく思っている。僕は、甲斐性のない我が身を責めた。彼女は、三日置きくらいに、浴びるように焼酎を飲んでは管を巻くようになる。すべて僕のせいだ。昔からそうだった─────

 小学生の頃、僕は走りが嫌いだった。全身全霊で走っても女子と同レベルのスピードしか出せない。バチーッ!担任教師の平手打ちが飛んで来た。「お前!! 一生懸命走らんかい!! クラスの平均値を下げるな!!」。僕は、体力測定のあらゆる項目で、女子と同レベルの結果しか出せなかった。バチーッ!「お前、嫌がらせしてんのか!?」。高校生くらいになると、僕のお尻は、女子のそれのように大きい。バチーッ!「気合いが入ってない証拠や!! 男らしくしろ!!」。なんで僕だけこんなんやろう。なんで?

 クラインフェルター症候群。男性の性染色体にX染色体が一つ以上多いことで生じる遺伝子疾患、一連の症候群。通常の男性の性染色体は「XY」であるが、これにX染色体が一つ多く「XXY」となっている。頻度は大体千人に一人とされている。また、XXYと判定されている場合でも実際はXYとXXYのモザイクである可能性もあり。X染色体が一つ多いことで女性化と見られる特徴を呈する。運動能力が低い、認知機能や言語機能の遅れ、社会的スキルや感情のコントロールの脆弱性が指摘されており、身体が弱く病気がち。特に気管支関連の病気と心臓の病気が多い。

 今でこそ医学の発達によって納得のいく回答が得られているが、今から四十年前では、そんなことは想像することさえままならなかった。僕に真実を知らしめる切っ掛けを作ったのがあの女だった。四十路を目前にした彼女は焦り、どうしても子どもが欲しいという話になった。彼女は、生涯に一度くらいしかないと思われる経験をして非常なショックを受ける。僕は童貞でEDだった。彼女は非常なショックを女性としての屈辱と感じた。だが、彼女は、僕にクリニックで検査を受けるように促した。すると、クラインフェルター・・・が判明したというわけだ。彼女が驚いたのは言うまでもなく、僕の驚きは相当だった。長年苦しんできた原因がこれだったのだ。これだ。なんという残酷。

 しかし、彼女は、あきらめなかった。彼女は執念の女だった。彼女は、名案が思い付いたと言っては、僕にあることをするように勧めた。それで、僕は子どもに恵まれることができたというわけだ。彼女のお陰なのだ。

 僕は幼い頃から、男らしくしろと散々罵倒され苦しんできた。同級生、上級生からのいじめは日常茶飯事。男らしくしろと親父からも罵倒され、下駄で殴られる。親戚からも罵倒された。通常の男性並みなことを要求されてきた。こんな苦しみは経験した者にしか分からない。僕は大人になったら、体力がなくてもできる仕事に就いて見返してやろうと思った。それで情報処理の資格を取り月収四十万を達成した。だが、リーマンショックが、システムエンジニアという僕の命綱を奪った。人生とは残酷だ。僕が何をしたというのだろう。

 妻は、鬼女のようになってしまった。男らしくしろという強迫は、社会人になった今現在も続いている。

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