生きるということ

灯零

生きるということ

「トモヤがこっちに帰って来たから、顔見せに来るって」

お母さんのその言葉に私の脳内では驚きと嬉しさ待ち遠しさとが混ざり合って不思議な反応が起きたみたいで、気がつけば私の身体は宙に浮いてしまっていました。

我ながら、それは仕方のないことだと思います。だって今日は私の誕生日。それにトモヤと会うのは一年振りなのですから。


トモヤは私よりも三つ年上のお兄さんで、高校を卒業して大学へ進学することになりました。しかしその為には私達の住んでいる家を離れなければならず、たった一人で都会の家へと引っ越していきました。それから一年。なかなか予定が合わずに帰って来られなかったトモヤが、この連休中に帰ってくると言うのです。それは私にとって、美味しいものを食べることよりも、体をめいいっぱい動かすことよりも、もっともっと大切な、そして嬉しいことでした。


トモヤと私は小さい頃からずっと一緒に居ました。一緒に公園で鬼ごっこをしたり、木陰でお昼寝したり、川で泳いだり。思い出すだけで今でも幸せな気分になります。

トモヤが小学生になってからは、四季折々の姿を見せるとても長い堤防を、学校から帰って来たトモヤと一緒に散歩するのが私の日課になりました。

あるときはそこで白い蝶を追いかけたり、あるときは寝転がってどこまでも続く空に浮かぶ雲を数えたり、あるときは芒とじゃれ合って綿毛まみれになったり、またあるときは雪の中に飛び込んで隠れんぼをしたりしました。

移り変わる季節と違って、トモヤはずっと笑顔でした。私もずっと笑顔でした。だって、凄く楽しかったから。


トモヤは中学生になるとうんと背が高くなりました。前までは少し見上げるだけで目を合わせられたのに、中学生になってからはうんと首を反らして見上げないと目を合わせられなくなっていました。しかしトモヤは優しいので、いつも私の目線に合わせて少しかがんでくれました。私はそんなトモヤのことを前よりもずっと好きになりました。

この頃から私の日課になっているトモヤとの堤防のお散歩は、一人で行くのも寂しかったので、家で暇をしているお母さんと一緒に行くことが多くなりました。トモヤは学校で部活に入ったらしく、毎朝早く家を出ては毎晩遅くに帰ってきました。トモヤは帰ってくるとすぐにご飯を食べてお風呂に入って、それから間もなく自分の部屋のベッドに倒れ込んで眠ってしまいました。そんな日が何日も続いたので少し心配に思った私は、一応女の子だし流石にまずいかなぁと思いつつも、それから毎日トモヤが眠るまでトモヤの部屋でごろごろすることにしました。そうすれば、もしトモヤに何かがあったとき、私が一早く助けを呼べるからです。というのは建前で、本当はトモヤの存在を感じていたかったからです。トモヤはとても温かくて、傍に居るだけで安心できます。それにお父さんと違っていい匂いがするし、とても紳士的なので襲われる心配がありません。

一緒に居られる時間が短くなった分、トモヤの隣に居られるということがどれほど幸せかが昔に比べてよく分かりました。


トモヤが高校生になる頃には私は以前より成長して大きくなってはいましたが、以前に比べてあまり散歩に行かなくなったせいか、体力が落ちてきていました。食欲も食べ盛りのトモヤとは正反対で、好物の美味しいステーキを出されても、暖かい飲み物を入れてもらっても、運動しないせいか昔のようにおかわりを食べたりすることもあまりしなくなりました。それでもまだまだ元気だったので、トモヤの学校が休みの日は、一緒にキャッチボールやお散歩、リビングでごろごろしたりして過ごしました。昔は私がトモヤを引っ張っていたのにこの頃にはすっかり形勢逆転され、トモヤの有り余る体力に舌を巻くことがしばしばありました。私の方が三つも若いことを思うと、少しだけ悔しくなります。しかし全力で走った時のスピードはまだ負けていませんでした。私は駆けっこが大の得意で、これだけは誰にも負けたことがありません。足が速い。それは私がトモヤに勝てる唯一の長所でした。もし私も高校に入れるなら陸上部にしようとこの時に決めました。

トモヤが高校二年生の時、私の誕生日に小さな金の桜の意匠があしらわれた首飾りをプレゼントしてくれました。私はこの首飾りが大好きで、いつでもどこでも肌身離さず身に付けていました。トモヤが家に居ない時も、この首飾りでトモヤと繋がっているような気がして少しだけ安心出来ました。

受験生になったトモヤは、学校から帰ってくると直ぐに自分の部屋に閉じこもり、ご飯とお風呂のとき以外はずっと出て来ませんでした。その間私は、トモヤの部屋にお邪魔してベッドの上に寝そべりながら、勉強するトモヤの後ろ姿をずっと眺めていました。最初は私と同じくらいだった背も、今じゃ巨人と小動物です。トモヤはそれほど大きく、逞しくなっていました。

勉強に集中した甲斐もあり、トモヤは無事に志望する大学に合格しました。私達家族は大喜びでした。しかし、皆少しだけ寂しそうでした。だって、トモヤが遠くに行ってしまうから。

初め、私はトモヤがこの家から居なくなることを知りませんでした。お父さんとお母さんが、二人で何やらコソコソと話し合っている怪し気な声は何度も聞いていましたが、それがトモヤの引越しのことだったなんて、知る由もありませんでした。

私が引越しのことを知ったのは、トモヤが旅立つ一週間前のことでした。


大学生は多忙なようで、トモヤはなかなか家に帰ってきませんでした。その間私はお父さんとお母さんと一緒に過ごしていました。日向ぼっこの方が好きになり、疲れやすくなったこともあってお散歩には殆ど行かなくなりましたし、気の合う遊び相手も居なかったので一日の大半を家でゴロゴロして過ごすようになりました。乙女がそんな体たらくでいいのかと言われてしまいそうですが、私は太りにくい体質らしく体重も殆ど変化がありませんでした。この体質も私の長所の一つです。

まぁそれは置いておいて、今日約一年ぶりに、私の十六歳の誕生日にトモヤが帰って来るのです。

トモヤのくれた首飾りは今でも私の首元にあって、トモヤの帰りをそわそわしながら待っている私の動きに合わせてキラキラと輝いています。

玄関の引戸が開けられる音が聞こえて来ました。ついに、トモヤが帰ってきたのです。私は無我夢中で玄関へ走ります。

「ただいまー」

この気の抜けた、だけど何処か優しい響きの声を忘れる筈がありません。

私は家族の誰よりも早く玄関へとたどり着きました。そこには家を発った時と何も変わらないトモヤの姿がありました。

トモヤは私を見るとにっこりと笑いました。

「ただいま。元気だったか?」

返事をするよりも先に、私の身体はトモヤに抱き着いて居ました。トモヤのいい匂いが鼻をくすぐります。

「ん、元気だな。十六歳の誕生日おめでとう。お前もすっかりおばあちゃんだな」

トモヤの言葉に私は、誕生日にトモヤと会えた、こんなに最高なプレゼントを用意してくれたトモヤに心からの感謝を込めて言いました。


「ワン!」


私のような動物と人の生きられる時間は同じではありません。

ましてや、大切な人と一緒に居られる時間なんて、その中でもほんのひと握りなんです。

しかし、大切なのはその限られた時間をその大切な人とどんなふうに過ごすかだと思います。


それが私の思う、生きるということです。


おばあちゃんの言うことは結構役に立つのです。


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