第4話 嘘とハサミは使いよう


「という訳で、嘘を吐くわよ!!」

『相変わらず最初からフルスロットルですね夏野さんは』


 今日も今日とて、読書を楽しんでいた俺の頭上に、飼主である夏野霧姫の言葉が振り下ろされた。


 どうしてこの人は常にロケットスタートなんだろうか。

 たまには穏やかに始めてみても良いんじゃないのか。

 もっとこう、ゆっくりまったりとさあ。


「何言ってるの。ゆっくりなんて歩いていられる訳ないじゃない。私は、いついかなる時でも、最高潮のMAX速度で駆け抜けるの。それは執筆であれ、日常であれ、犬の口の中に愛用のハサミを突っ込むのも同じことよ!」

『ひゃへろ。ひゃへてください!』


 口の中に突っ込まれたハサミにより、俺の動きは完全に止められている。

 逃げてもまわりこまれるどころか、逃げるを選んだ瞬間、口裂け犬の誕生だ。

このままでは、新たな都市伝説が生まれてしまう。


 そもそも、どうしてこんなに満面の笑みでハサミを突き付けられるんだろうか。

 やっぱりこいつおかしいよ。十分すぎるくらい知ってるけどさ。


「聞きなさい駄犬。今日は4月1日。そうエイプリルフールよ」

『ふぉ、ふぉうだな』

「さあ、私のハサ次郎がアナタを貫く前に、嘘を吐いてみなさい」

『……ふぁあ?』

「もしもつまらない嘘を吐いたらお仕置きよ。面白い嘘を吐いたら、お仕置きをしないであげるから、頑張りなさい」


 すげえなこいつ、王様か何かか?

 今日も今日とて、いつも通りの理不尽が俺に襲い掛かる。

 たとえエイプリルフールであろうと、この仕打ちは嘘ではないのだ。

 嘘だったらどれだけいいか。


「さあ言いなさい。その小さな脳みそをこねくり回して、面白い嘘を言うのよ」


 夏野は、俺の口の中からハサミを引き抜くと、刀身に唾液が付いてないかを入念に確かめながら、自分の椅子に座る。

 そんな気にするなら、やらなきゃいいのに。


『しかし、嘘か……考えてみたら、エイプリルフールだからって、わざわざ嘘を吐いたことってないんだよな。最近はイベントとして結構盛り上がってるみたいだけどさ』

「ええ、エイプリルフールネタに全力を注いで、日常業務に悪影響すら及ぼしている企業もあるみたいだけど。本末転倒とはこのことよね」

『おい、いきなり変なことを言うな』

「大丈夫よ、嘘だから」

『絶対に嘘じゃなかった……』

「いいから、早く嘘を吐きなさいよ」


 夏野の視線を受けて、しばし考える。

 折角だから、普段は絶対言わないようなことを言ってみよう。

 嘘ってそういうものだろうからな。

 そう決意して、いざ言葉を放とうとした、その瞬間。


『ぐぅッ……!!』


 俺の体内に激痛が走った。


「ど、どうしたの!?」

『ヤバい! 爆発しそうだ! 全身の臓器が全部爆弾になってしまったみたいだ! このままでは、身体の中からドカンと爆発してしまう!!』

「ちょっ、ちょっと、大丈夫なの!?」


 慌てた夏野が駆け寄って来る。

 その慌てっぷりを優越感たっぷりに眺めたいところなのだが、しかし俺が爆発しそうになっているのは、紛れもない事実。

 これはヤバい。

 ヤバみを感じてヒデブる。


「ちょっと、しっかりしなさいよ!」

『はぁ、はぁ……ぐぅッ!?』


 体を駆け巡る痛みに耐えながら、心を平静にして深呼吸。

 楽しい本のことを考えよう。

 昨日買った本の感想を、1冊ずつ思い出し、1ページずつ反芻していくのだ。

 それを続けていると、どうにかヤバみは収まった。


『……はあ、はあ、落ち着いた』

「落ち着いたのは良かったけれど。何なのよ急に。本当に大丈夫なの?」

『いや、嘘を吐けとか言われたからな? それで、普段は絶対に言わないようなことを言おうとしたんだよ』

「……それで?」

『そう、絶対に言わないこと! 俺は本を読まないと、そう言おうとして……ぐへぁッ!!』

「ちょっと!?」


 その言葉を口にしてしまった瞬間、俺は盛大に吐血していた。

 正確に言うと、吐血した気分になった。

 

 実際に俺の体内が傷ついた訳ではない。

 しかし、絶対に言わないこと、いや言ってはいけないことをついつい口走ってしまったことで、俺の身体が拒否反応を起こし、傷ついていないにも拘らず血を吐いたような痛みと衝撃に襲われていたのだ。

 俺は何を言っているんだ。


『へっ、下手うっちまった。慣れないことはするもんじゃないな……』

「何をそんな、任侠映画で撃たれたヤクザみたいに……って、本気で顔色が悪いんだけど!? 大丈夫なの!?」

『犬の顔色なんて良く分かるな、お前』

「何言ってるのよ。分かる訳ないでしょ」

『はぁ? じゃあ何で』

「犬の顔色は分からなくても、アナタの顔色は分かるわよ。当たり前でしょ……ってもう、何を言わせるのよ!!」

『ごふぅッ!?』


 夏野が顔を逸らすのと同時、拳が俺の腹に突き刺さる。

 あの、これ恐らく夏野さんの貴重なデレによる照れ隠し的なサムシングかと思うのですが、その割にはマジ痛なんですけど。

 血は出てないけど、出そうになるやつ!!

 俺は体調が悪いので今は止めてくれないか!!


『しかし、嘘と分かっていても、ダメージを受けるんだな。いやはや、言葉の持つ力って言うのは恐ろしいものだな』

「今更何言ってるのよ、当たり前でしょう」

『当たり前?』

「その力は、私達にとっては一番身近な力でしょうが」

『……そうだな、確かにその通りだ』


 夏野霧姫の……秋山忍の作品が持つ、力。

 それは、確かに強力で、何よりも尊い力だと、胸を張って言える。

 

 何故なら、その力によって、俺はこうして、ここにいるのだから。

 いくつもの奇跡を重ねて、こうしてここにいて、本を読んでいる。

 

 言葉の持つ力。

 文章の持つ力。

 本の力。


 小説というものは、何と言うか、盛大な嘘のようなものでもあると思う。

 色々と思うことはあるものの、それは確かに真実の側面だ。

 しかし、その嘘は、希望へと変わる。

 嘘でも何でも、積み重ねたその先に、見えるものがある。

 そのことを、確かな実感として、俺は知っているからこそ。

 俺にとっての希望……本を読むことを、どうしても否定出来ないのだった。

 

 まあ、要するに。

 嘘を吐くにしても、良く考えてからにしようと、そういうことだ。

 嘘で死にかけることもあるんだから。


「……ふうん」

『お?』


 と、夏野さんが、何とも言えないような顔でこちらを見ている。

 そこにあるのは、何か大切なものを、眩しいものを見つめるような、そんな色で。

 しかし、俺に見られていることに気が付くと、その色はさっと消えた。


「さて、と」

『……夏野?』

「よっこらしょ、っと」

『ちょっと待て。どうして突然ストレッチを始めるんだ? どうして太もものホルスターを何度も確かめるんだ!?』


 夏野の突然の行動に、全身がエマージェンシーコールを発令し始める。 


「まったく、心配しちゃったじゃない」

『心配してくれるのは大変ありがたいことなんですけど。どうして夏野さんは、ハサミを掲げているのですか?』

「嘘とはいえ、私を本気で心配させたその手腕、感服したわ」

『感服しましたか、そうですか、良かった』

「でも、嘘を吐くことは悪いことだから、お仕置きをしないとね」

『最初と言っていることが矛盾していないか!?』


 お前が!

 お前が嘘を吐けとか言ったんじゃないのか!?


「アレは嘘よ」

『嘘なのぉ!?』

「だってエイプリルフールじゃない。嘘を言っても許される日なのよ」

『もう何を信じたらよいのかさっぱりなんですけど!?』

「さあ、嘘には罰を、下さないといけないわよね。さあ、ハサ次郎・エイプリルフールバージョンが火を噴くわ」

『どの辺りがエイプリルフールなんだよ!?』

「何と、どんなに犬を斬っても、斬れないの」

『嘘だッ!!』

「嘘よ」

『助けてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!』


 さあ、逃走の時間となりましたよ。

 別に逃げ延びても報酬がもらえる訳ではない、ただ身の安全が確保されるだけという、制限時間なしの逃亡劇です。

 クソゲーだそれ。


「さあ逃げなさい! 今日1日逃げ延びたら、許してあげるから!!」

『それも嘘だよな!?』

「嘘よ」

『さようならぁ!!』

「ほらほら、早く逃げないと、犬の三枚下ろしになっちゃうわよ! 今の私は、アナタをどうにかしないと止まらないんだから! このまま地の果てまでも追い詰めて、しばき倒してあげる!!」

『そんなことが……いや、それも嘘だよな?』

「嘘じゃないわよ」

『嘘だと言ってよ!!!!!』


 俺は逃げる。

 普段と全く変わらないような、無意味で無駄な逃亡を、続ける。

 だって逃げればその分だけ執行は遠くなるもの。

 だけど、きっと最後には、酷いことになってしまうのだ。

 それは確かに、嘘じゃない、ホントのことさ。



おわり

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犬とハサミは使いよう Second Story 更伊俊介(個人用) @sarai_shunsuke

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