第9話 暗夜の死闘

 イチゴウは受付に座り続けた。

 仕事を覚えてしまえば、苦痛ではなかった。

 目の前を行きかう冒険者を眺めているのも楽しかったし、成功報酬の清算や、新規の依頼を格付けするための調査をベテラン冒険者に任せることも、実に参考になった。


 冒険者組合というシステムを、イチゴウは内側から覗く機会を与えられたのである。

 先輩によって無理やり休憩を与えられる他は、何も問題なく過ごした。

 夜になり、冒険者組合の窓口が閉まる時間になっても、相変わらずイチゴウは受付に座っていた。


「帰らないの?」

「はい」


 受付嬢の先輩であり、現在では経営を主な仕事場としている女性が、イチゴウの返事に怪訝な顔をした。


「何かあったの?」


 質問の意図を理解できなかったイチゴウは、一番の懸念を口にした。


「ヴァンパイアが暴れています」

「確かに、問題ね。でも、私たちが受付を頑張ったからといって、どうにかできる問題ではないでしょう。早く正確に仕事をこなすためには、休息も必要よ」

「必要ありません」


 アンデッドに休息は必要ない。受付の先輩は、なぜか悲しそうな顔をした。


「イビレア、あなたがそんなに思い詰めるなんて……まさか、火の神殿の事件に、家族が巻き込まれたの?」

「巻き込まれたのは、私自身です」

「ええ。そう……そうでしょうね。可哀想に」


 先輩は受付に歩み寄ると、イチゴウの頭をぎゅっと抱きしめた。


「イチゴウさん、この女、何なんですか?」

「私にもわからない」


 頭の中でわしゃわしゃと騒ぐシャリアを小声でなだめてから、イチゴウは自分に抱きついている女を引きはがす。


「私は大丈夫です。先に、お帰りになって下さい」

「ええ。あなたも、早く帰るのよ。行くところがないなんてことはないわ。私のところに泊まりに来てもいいのよ」

「ありがとうございます」


 イチゴウは頭を下げたが、もちろん女のところに泊まりに行くつもりは無い。イチゴウがそれ以上話を続けなかったからか、先輩は少し後ろ髪を引かれるようにしながら、背中を向けた。






 イチゴウはさらに受付に座っていた。冒険者組合の重鎮たちが帰宅したが、まだ受付に座っている者がいるとは考えなかったのだろう。イチゴウに気が付くこともなく、組合の建物を出て行った。イチゴウも、わざわざ声をかけるようなことはしなかった。

 夜が更ける。


「ニョコヘモットの件、どうします?」


 頭の中でシャリアが尋ねた。他には誰もいない。『本日の受付は終了しました』という看板が外に出ているのだ。


「……誰だい? その、おかしな名前は」

「シャリティア様が送ってきたヴァンパイアですよ。ご自分で名づけたんじゃありませんか」


「ああ……そうだったね。もちろん、討伐するさ。この場合、討伐で正しいのかな? 従えられれば一番いいのだけれど、私に従う前に死にそうだし、討伐でいいか」


 うっかり忘れるところだった。何より、冒険者組合の受付嬢というのは、忙しい仕事なのだ。

 これからは、冒険者組合を訪れても、受付嬢に我が儘を言って困らせるのは辞めようと思った。だが、外見が受付嬢になったイチゴウに、果たして冒険者組合の受付に来ることが今後あるのだろうか。


 考えてもわからない。せっかく目の前に机があるので、イチゴウは最近の出来事を手紙にしたためた。アインズへの報告書である。

 つい最近出したばかりのような気もしたが、短い間に実に色々なことがあった。冒険者になろうとしていた頃が懐かしい。現在では、受付嬢である。


 イチゴウが手紙を書き上げた時、組合の扉がごそごそと音を立てた。

 誰も来ないはずだし、誰もいないはずだ。

 表には、『本日の受付は終了しました』という看板を出してある。夜になれば冒険者組合も閉まることは、誰でも知っている。つい最近、知らずに肩を落とした事実には、目をつぶることにする。


「来たようだな」

「誰か、約束をしていましたの?」


 シャリアが尋ねる。当然の問いだ。そう勘違いするように言ったのだ。


「いや。誰だろうな」

「思わせぶりな言い方をなさらないで」

「たまにはいいだろう」


 イチゴウは受付のカウンターから出て扉を開けてみた。

 突然扉の外から聞こえてきた物音に、警戒も恐怖も無い。死者の大魔法使いとなってから、感じたことのない感性である。


 扉を開けると、見知らぬ男がいた。装備から盗賊だろうと当たりをつけた。野盗の類ではない。冒険者の中で、戦闘より情報収集や援護を得意とする者たちの総称だ。


「こ、ここに、イチゴウっていう人がいるはずだ」

「それは……」

「今の名前はイビレアでしょう」


 自分だと言おうとした瞬間に、頭の中のシャリアから釘を刺された。

 確かに、男はイチゴウのことを知っているようだが、イチゴウは男のことを知らない。盗賊の男が探しているのが、羊の顔を被った姿か麻布を被った者かわからないが、現在の姿は美女である。

 事実を告げれば、実に面倒くさいことになりそうだ。


「そうでしたね。もう、夜も更けています。組合には、私しかいませんよ」

「そ、そんなはずはない。俺は、ずっと組合を見張っていたんだ。イチゴウはどこにも行っていないはずだ」

「見張っていた?」

「そうだ」


 イチゴウは周囲に視線を飛ばした。暗闇に包まれているが、イチゴウの目には関係ない。誰にも見られていないことを確認すると、男の襟首を捕まえて建物内に引き込んだ。扉を閉め、男を壁に押し付ける。


「何を見た?」

「ど、どうしたんだ? 俺は……イチゴウがヴァンパイアを退治しに出かけるはずだから、その後をつける係だった。自分たちで探すより早いかもしれないからな」


「命じたのは……グリンガムか?」

「そうだ。それより、あんた、そんな声と話し方だったのか。俺は冒険者だったことがないから、知らなかった」

「組合の建物内に侵入してはいないんだな?」


「……ああ。そこまでする必要はない。イチゴウが外に出なければ、ただ待っているだけだ」

「他の仲間は?」

「自分たちでヴァンパイアを探す部隊と、戦闘に備えて休息している部隊がいる」


「イチゴウを監視する部隊は、あんた一人じゃないんだろ?」

「……ああ。だが、今は俺だけだ。ヴァンパイアが暴れ出した。グリンガムが向かったが、勝てるかどうかはわからない。下手をすれば全滅する。だから、助けを借りたくて、イチゴウを探していたんだ」


 イチゴウは盗賊から手を離した。思いのほか、元陽光聖典のヴァンパイアの動きが早い。

 ナザリッサクでデミウルゴスの実験に使用され、人間に強い恨みを抱くようになっていたらしい。一日も我慢できず人間を根絶やしにしたいほど、恨みが強かったということだろうか。


「案内しろ」

「あ、あんたが行っても……仕方がないだろう。俺が探しているのはイチゴウだ。ここにはいないのか?」

「〈ライトニング〉」


 イチゴウの手から稲妻の光が飛び出し、壁に黒い焼け跡を残した。


「あ、あんた……」

「お前の探しているイチゴウはどこにもいない。私を案内しろ」

「……わかった」


 盗賊は、喉を大きく動かしてから、首肯した。






 イチゴウが外に出ると、遠くに空が燃え上がる一画があった。

 夜である。空が赤く見えるのは、ほぼ例外なく火事である。


「火を放ったのか?」

「たぶんな。俺は、こっちに来たから詳しい状況は知らない。アンデッドは例外なく火が弱点なんだろ。だから、火で焼き殺すことにしたんじゃないか?」


「町中を焼き払うつもりなら、それもいいが」

「そうなる前に、なんとかする自信があるのだと思いたいがな」


 イチゴウは空を見上げた。距離としては、10分ぐらいで移動できるほどだろう。空を飛びことはできないが、呼吸の必要なく走り続けられるイチゴウは、生物に換算するときわめて能動能力が高いことになる。


「行くぞ」

「ああ。頼む」


 盗賊も、美女の皮の中身がイチゴウであることを知ったうえで、何も言わなかった。いま必要なのは、ヴァンパイアを倒せる者だ。それが何者であろうと、盗賊の責任ではない。


 イチゴウが走りだそうとした時、前方から四人の人影が現れた。見知った顔だ。金級冒険者、スクリーミング・ウィップの面々である。


「イチゴウさんを探しに来たんです。まだ、部屋に?」


 リーダーのウータンが大きな声を出した。まだ、四人とイチゴウの間には距離があるのだ。


「知り合いか?」


 盗賊が尋ねる。


「ああ。先に行け。すぐに追いつく」

「頼むぞ」


 盗賊は闇に溶けた。冒険者であればミスリル級に匹敵すると言われるワーカーの盗賊である。金級の冒険者の視界から逃れることはたやすいのだろう。

 一人になったイチゴウは、美女の姿をしたまま、どうしたものかと思案しているうちに、目の前にウータンが立った。


「イチゴウさんは?」


 イチゴウはウータンを見た。正体はばれていない。現在、冒険者と知り合いのイチゴウはどこにもいないのだ。殺してしまう方が簡単だが、せっかく手に入れた情報源だ。今後も活用できるのに越したことはない。

 まだ、死なせる時ではない。


「部屋から出ていないはずです。鍵でしたら、ここに」

「ありがとう。まだ、イチゴウさんも怪我は治っていないでしょうけど、緊急事態なんです。恩に着ます」


 イチゴウは、ウータンの手に鍵束を渡した。中には金庫室の鍵も入っているが、イチゴウにはどれがそうなのかわからない。

 冒険者組合が破産したとしても、イチゴウが気にすることではない。鉄級のプレートを活用するのは、別の街にいかなければ無理なのはわかっている。


「私が鍵を渡したことは、内密に」

「ええ。俺たちが無理やり奪ったことにします」


 冒険者たちは礼儀正しく、冒険者組合の受付嬢の皮を被ったエルダーリッチに頭を下げた。






 空が赤く染まった街区にイチゴウが向かうと、途中でテーブルや馬車がひっくり返り、通行の邪魔をしている連中がいた。

 揃いの鎧を着ているので、職業兵士のように見える。


 だが、人間の戦力を、イチゴウは冒険者とワーカー以外知らなかった。

 倒れた家具や馬車がバリケードの役を果たしているのだと理解できないイチゴウは、邪魔な障壁を乗り越えようとした。


「おい、ちょっと待て。どこに行く気だ。この先は、民間人は立ち入り禁止だ」


 イチゴウの肩を掴んだのは、全身を覆うお揃いの鎧を着た人間の一人だった。


「私は……冒険者組合、の受付だ」

「民間人じゃないか」

「違う……と言いたいが、確かに私は民間人だな。どうして立ち入り禁止なんだ?」


 兵士は舌打ちをしたそうに顔をゆがめたが、直前でこらえた。何といっても、イチゴウは現在美女なのだ。

 当惑した顔を披露してから答えた。


「強力なモンスターが現れた。ヴァンパイアだ。人間が、何人も配下のレッサーヴァンパイアに変えられている。そのうち、殲滅作戦が開始されると思うが、いま民間人が入るのは、自殺行為だ。実家がこの先にあるのか? 家族が取り残されているのか?」


「……さあ」

「関係ないなら、下がっていてくれ。本当に危ないんだ」

「来たぞ」


 別の兵士が、切羽詰まった声を出す。イチゴウと話していた兵士が、バリケードの向こうに顔を向ける。

 その先から、人間と思われる影が現れた。背後で炎が立ち上っており、広範囲で建物が焼かれていることがわかる。

 炎を背負い、複数の影が浮かびあがっていた。


「民間人もいるじゃないですか。避難してきた人たちですか?」

「どこに目をつけている! あれがレッサーヴァンパイアだ」

「なんだ。そうですか。〈ファイヤーボール〉」


 イチゴウは兵士を見たまま、何気なく魔法を放った。

 炎の塊が飛来し、地面に着弾して爆発する。こちらに向かっていたレッサーヴァンパイアの群れが吹き飛んだ。


「はっ……あんた……何者だ?」

「言ったはずです。冒険者組合の、受付です」

「……冒険者って、割とやるもんだな」


「それほどでもありません。では、私は皆さんの邪魔にならないように下がっています」

「いや……悪かった。行っていい」


 兵士がバリケードの向こう側を手で示した。


「いいんですか?」

「ああ……頼んだぞ」

「頼まれたから、やるわけじゃありませんよ」

「どうでもいい。ヴァンパイアを、倒してくれ」

「できれば、倒さず従えたいですけどね」


 イチゴウはバリケードを飛び越えた。その時の兵士の顔には、興味がなかった。






 あちこちで炎が立ち上がる街角で、イチゴウは立ち止まった。


「遅かったじゃないか」


 冒険者組合に呼びに来た盗賊が、炎を避けながら姿を見せた。


「途中で止められた」

「帝国の騎士団だ。そこそこ腕は立つが、レッサーヴァンパイアの相手が精いっぱいの連中だよ。あんたなら、強引に振り切れると思ったんだが」

「……ほう。まだまだ、私の知らないことが多いようだな」


「その姿でそういう話し方をされると、違和感が半端じゃないな」

「んっ? そうか? 意識していなかった。そういうものか」


 イチゴウは、ただ自分の顎を撫でながら、まじめに感心していただけなのだ。演出を意識していたわけではない。


「それより、ヴァンパイアはどこだ?」

「ああ……こっちだ」


 盗賊が背を向ける。

 しばらく走り、途中で何体ものレッサーヴァンパイアを仕留めた。


「そんなに連発して大丈夫か? いくらあんたでも、無限に連発できるわけじゃないんだろ?」

「ああ。〈ファイヤーボール〉なら150発だといわれているな」

「……聞くんじゃなかったよ」


 イチゴウの言った数字が常識離れしているとは、自覚できないことである。通常のエルダーリッチには、そこまでの連発はできない。アインズ製だからこその魔力量だ。






 盗賊が幾つめかの角を曲がったところで、既に建物が焼け崩れ、野原となった一画が現れた。

 ぼや程度の火があちこちに上がっているが、小さな火事が生じたのではなく、燃えるものが無くなって火が縮んだ結果だと思われた。

 あちこちで火が残っているので、辺りはぼんやりと明るい。


「いるな」

「解っている。〈サモン・アンデッド4th〉」


 イチゴウは、唯一使用できる第四位階の魔法を使用する。イチゴウの周囲に、4体のスケルトンウォリアーが出現する。


「うぉっ」


 盗賊が驚いて飛び上がるが、正体を隠す余裕はないだろうと思っていたイチゴウは気にしない。

 前方から、いくつもの人影が立ち上がる。


「……嘘だろ」

「知り合いか?」


 盗賊の声が震えていた。イチゴウは、その声に濃密な感情が含まれていることを感じ取った。


「仲間だ」

「そうか。もう、助からないな」

「解っている。くそっ! おい、イチゴウだか受付嬢だかしらないが、頼むぞ」


 言ってから、盗賊はイチゴウから離れていく。来た道を戻ろうとしていた。


「帰るのか?」

「俺が案内できるのはここまでだ。頼む。仲間の、敵を」

「知ったかことか。だが、ヴァンパイアはねじ伏せる」


 イチゴウの言葉に、どういう訳か盗賊は最敬礼を見せた。だが、イチゴウは見ていなかった。


「シャリア、奴はいるかい?」

「ええ。こっちを見ていると思うわ。でも、私のことはばれているし、昼間と同じ手は使えないわよ」


 一人になったイチゴウの頭の中で、ゴキブリのシャリアが囁く。


「隠しても無駄なら、隠さなければいい。シャリア、全力で眷属を集めてくれ」

「わかったわ。かなりの数よ」

「ああ。わかっている」


 街が動いた。そう感じた。それほどの集団が移動を始めた。シャリアの眷属たちが、危険を覚えても腹が減らない限り動かない黒い連中が、足音もなく動きだした。

 正面で、影が動いた。


 アンデッドであれば、イチゴウは見ればわかった。

 ヴァンパイアだ。

 手にメイスを持っていた。殴殺武器だ。


「待っていた。今後こそ、殺してやる」

「私は死んでいるよ。お前も同じだろう。ヴァンパイア、ニョコヘモット」

「……俺の名はグレンだ」


「いいや。お前の名は、ニョコヘモットだ。人間たちはそう記憶する。お前は、街を脅かしたヴァンパイア、ニョコヘモットとして記録される」


 目の前の空気が揺らいだ。そのように見えた。気のせいかもしれない。ただ、周囲の建物が焼けている熱による現象かもしれない。

 イチゴウは、ヴァンパイアの怒りのためだと感じた。


「なら、お前の口を塞ごう。外見を変えようが、お前の汚い中身は変わらない。エルダーリッチ、最悪の魔物」

「美女の生き血に興味はないのか?」


「お前の中に、生き血が流れているとは思わない。死ね」

「〈ファイヤーボール〉」


 イチゴウが放った火球が、途中で爆発した。ヴァンパイアが同時に〈ファイヤーボール〉を放ったのだ。

 魔法を使ってすぐ、イチゴウも移動した。魔法についての実力はそれほど差はないはずだ。だが、イチゴウの武器がほぼ魔法だけなのに対し、ニョコヘモットにとって魔法は補助にすぎない。


 爆炎が収まるのを待たず、イチゴウは横に飛び出していた。

 目の前に、銀色に輝く甲冑のような体が迫る。炎の上位天使だ。

 上位天使により振り下ろされた剣の形をした炎を、骨だけの戦士が盾で止めた。


 あらかじめ召喚していた、スケルトンウォリァーだ。

 姿は見えない。だが、アンデッドの気配は隠せない。イチゴウと違って、アンデッドの存在を隠すアイテムをニョコヘモットは所持していない。


「〈ショック・ウェーブ〉」

「〈ファイヤーボール〉」


 またもや火の弾が空中で爆散する。

 スケルトンウォリァーが炎の上位天使に破壊された。イチゴウは、残る三体のスケルトンウォリアーに、同時にかかるよう命じる。一度に四体を呼び出すため、個々の強さは炎の上位天使に劣る。


 イチゴウの敵は天使ではない。ヴァンパイアだ。動きさえ、止めておいてくれればいい。

 再び魔法の応酬が始まる。

 数えきれないほどの〈ファイヤーボール〉を放ち、イチゴウはヴァンパイアの動きが変だと感じた。


 ヴァンパイアの本来の武器は、生前より引き上げられた筋力と、アンデッドとしては唯一、生前の記憶を残していることにある。

 魔法も生前の記憶に基づくものだろうが、魔法を得意とするエルダーリッチに対して、魔法だけで勝負する理由がわからない。


「止まれ。そこまでだ」


 ニョコヘモットの声が冷たく響く。屋根の上にいた。炎で巻かれそうになりながらも、部屋の上にいる。

 高いところが好きなのだろう。ニョコヘモットは、片腕で大柄な戦士をつりさげていた。






 炎上する民家の屋根の上で、ヴァンパイア、ニョコヘモットがカブト虫のような甲冑を身に着けた、大柄な戦士をぶら下げていた。


「こいつの命がどうなってもいいのか?」

「どうして、私がそいつの命を気にすると思うんだ?」

「お、おい。イチゴウ、冷たいじゃないか!」


 ならず者のワーカー、ヘビーマッシャーのグリンガムともあろう男が、情けない声を出していた。


「どうして、私がイチゴウだと思う?」


 イチゴウは、あえて炎で照らされた一画に出た。自分の姿を変えた自覚があるのだ。イチゴウだとわかるはずがないと思いつつ、グリンガムには以前の姿を見せていないことを思い出す。


「そんな、美人だとは思わなかった」

「ニョコヘモットに追われている以上、美女だと言ったはずだ」

「わ、悪かったよ」

「その名を呼ぶな」


 グレンと自称しているヴァンパイも、ニョコヘモットが自分の名前だと認めたのだ。


「〈ライトニング〉」


 ニョコヘモットが動揺したわずかの間に、イチゴウはアンデッドの弱点ではなく、効果が薄い魔法を放った。効果は薄いが、何より早い。標的に一瞬で到達する。

 体の中心を貫かれ、ニョコヘモットがぐらついた。


 イチゴウの魔法は、モンスターのスキルとしての魔法だ。ニョコヘモットのそれは、人間として習得した魔法である。イチゴウの魔法は、応用が利かない分、迷いが無く、早い。

 イチゴウはさらに〈ライトニング〉を連射した。


 ぐらついたヴァンパイアがグリンガムを放す。その瞬間に、イチゴウは〈ファイヤーボール〉を放った。

 屋根の上で、花火のように炎が爆発する。

 ヴァンパイアの体が吹き飛んだのを、イチゴウは見逃さなかった。

 屋根から転がり、地面に落下した。


 すぐに建物を回りこみ、〈ファイヤーボール〉を打ち込む。

 その魔法が、直前ではじかれた。

 魔法の防御を展開しながら、ニョコヘモットが立ちあがる。


「貴様……ただのアンデッドの分際で」

「ただのアンデッドではない。アインズ様にお作り頂いたアンデッドだ」

「糞っ!」


 イチゴウが〈ライトニング〉を唱え、ニョコヘモットが地面を蹴る。

 二人の距離が一気に詰まった。

 ヴァンパイアの体を青い稲妻が貫き、空中に抜ける。びくりと震えたまま、ニョコヘモットがイチゴウの正面にたどり着く。


 握っていたメイスが、イチゴウに振り下ろされる。

 イチゴウはねじくれた杖で受け止めたが、ヴァンパイアとして強化されたニョコヘモットは、本来マジックキャスターであるイチゴウの筋力を上回った。


 メイスとねじくれた杖で打ち合い、隙を見て魔法を放ち、距離が空けば天使とスケルトンを召喚する。

 二人の戦いは、いつ勝負がつくとも知れなかった。

 だが、二人を分けたものがある。

 互いに魔法を放った直後、ヴァンパイアがぐらついた。横から、投石に寄る攻撃を受けたのだ。


 ニョコヘモットにしてみれば、目の前の敵に集中していた時に、余計な邪魔をされたというに過ぎないだろう。だが、わずかでも意識が途切れた。

 その短い時間は、イチゴウの魔法が一つ余分に完成するのに、十分な時間だった。


 それだけではニョコヘモットは倒れない。だが、反対側から飛来した〈ファイヤーボール〉がさらにぐらつかせた。

 グリンガム率いるヘビーマッシャーの攻撃だと、イチゴウにはわかる。屋根の上から落下したグリンガムも、メンバーに受け止められて軽傷で済んでいることは目の端で捕えていた。


「下等生物どもが」

「あらっ? 私のこと」

「もちろん違うが、あいつはそう思っていないかもな」


 イチゴウの頭の中で、イチゴウにしか聞こえない声を出しているシャリアをなだめる。


「許さないわ」

「許す必要なんてないさ。〈ファイヤーボール〉」


 イチゴウの魔法を同じ魔法で迎え撃ったニョコヘモットの体が、わずかに霞んで見えた。

 黒く霞がかかったようだ。

 これこそ、時間をかけてシャリアが呼び集めていた眷属だ。街中から集められた、大量のゴキブリである。


「なっ、これは……なんだ!」

「何をいまさら。解っているはずだろう。〈ファイヤーボール〉」


 ゴキブリに覆われて動揺するニョコヘモットの体が、炎の爆発に包まれる。


「同族を殺してしまうが」

「構いません」

「そうか」


 シャリアの眷属は、同族食いすら日常だという。侮蔑に対して憤っても、同族に対する感慨はあまりないようだ。

 ゴキブリと共に炎上するニョコヘモットに、さらに〈ファイヤーボール〉を叩きつける。


 〈ファイヤーボール〉の連射はエルダーリッチの十八番である。次々と叩きつけ、追いつめられたニョコヘモットが、屋根の上に飛び上がる。

 屋根の上に来るのを待っていたように、大柄な鎧が飛びかかった。


「元気な男だ」


 カブト虫を思わせるシルエットは、グリンガムのものに違いない。

 巨大なカブト虫に襲い掛かられ、屋根の上から二人が落下する。

 地面に叩きつけられた。

 もみ合うニョコヘモットとグリンガムに、構わずイチゴウは〈ファイヤーボール〉を叩きこむ。


「ま、待てっ! リーダーが死んじまう」


 イチゴウ前に、見知った盗賊が這いつくばった。


「奴が逃げる」

「大丈夫だ」


 グリンガムが、〈ファイヤーボール〉の直撃にも関わらずニョコヘモットを押さえつけている。いつの間にか、複数の影が取り囲んでいた。

 中には神官もいるようだ。

 神官が、まとめて傷を癒す。


 グリンガムの傷が癒え、ニョコヘモットにダメージを与える回復魔法だ。

 イチゴウは、回復魔法を警戒して散歩後退した。


「……ここまで、かな」

「はい。十分かと」


 頭の中でシャリアが同意する。

 姿が変わったことを追及されても面倒だ。

 イチゴウは最後に盗賊の肩を叩いた。


 盗賊が振り返るが、イチゴウは何も言わず、背を向けた。

 誰も追っては来ない。

 イチゴウが一人、闇に溶けた。

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