4.貴人

  月が変わると同時に、学校側が設置した本格的な告知板にもポスターが貼り出され、いよいよ生徒会の選挙戦がスタートした。

 私たちもメンバー交代で毎朝校門前に立ち、「よろしくお願いしまーす」の声掛けとビラ配りに励んでいる。

 

 結局、今回会長に立候補したのは、貴人と柏木の二人だけだった。

 これで本当に、私たち『HEAVEN』と柏木たちのグループの、一騎打ちとなったわけだ。

 

 貴人が「これまでの星章学園を、自分たち『HEAVEN』が変えてみせる」というのを主張としているのに対し、柏木は「我が校の伝統に則った由緒ある生徒会」の継承を訴えている。

 

(伝統もなにも……まだ創立十年にも満たないじゃないのよ!)

 

 面と向かって叫んでやりたいところだが、みんなのたっての願いで、私は今のところおとなしく見ていることに甘んじていた。

 しかしいかにも、「学年トップクラスであるA組に在籍している自分たたちこそ、生徒会に相応しい」というような話を語っている柏木の姿を見ていると、バカバカしいと思いながらも胸がむかむかしてくる。

 

 その主張に賛同してしまっている生徒は、驚くほどに多いのだ。

 それもこれも、代々の生徒会長がみんなA組なのがいけない。

 

 そんなことを考えながらそのトップ集団の中では最下位の席に座っていた私は、ふと思い立った。

(そう言えば、貴人ってIQ200なんて噂もあったけど……成績はどれぐらいなんだろう?)

 

 悔し紛れに小さく折り畳んで机の奥にしまい込んでいたこの間の中間考査の順位表を、ひっ張り出してみる。

(貴人はB組なんだから、もし上のほうだったら五十位以内に入っているかもしれないよね……)

 

 ヨレヨレになった紙切れを伸ばしながら貴人の名前がないか捜していた私は、思わず驚きの叫びを上げた。

「ど、どうしてっ!」

 

 叫びと同時に、目の前に座っている諒の学生服の襟首を掴んだ。

 

 諒には私から頼んで、教室ではあまり話しかけないようにしてもらっている。

 熱烈な諒ファンの子たちの、陰湿な嫌がらせが煩わしいからだ。

 

 だから諒は私に突然つかまれるなんて思ってもいなかっただろうし、もちろん身構えてもいなかった。

 思いっきり咳きこんで、怒り狂いながらこっちをふり返る。

「お前なあ! 俺を殺す気か!」

 

 鬼のような形相にもまったく構わず、私は諒の顔に順位表を突きつけた。

「ここ! ここ見て! 貴人が八番って……!」

 

 あまりにも驚いた様子の私に、諒はどうやら自分の怒りをとりあえずひっこめることにしてくれたようだ。

 その代わり、しげしげと私の顔を見ながら頭を振り、ため息を吐いた。

 

「頼むから、今知ったなんて言わないでくれよ……? 一年の時からずっと、貴人は学年十番以内にいるだろ?」

 

 私は驚きのあまり、開いた口を閉じることも出来なかった。

 

「やっぱりかよ……!」

 諒はガックリと肩を落とした。

 

「それに気づいてないのなんて……お前とあいつくらいじゃないのか?」

 諒の視線の先には、仇敵・柏木の姿がある。

 そのとおりだ。

 A組に在籍している者以外は人間ではないと思っている柏木は、きっと貴人の成績なんて眼中にない。

 

 二十位以内に入っていない人間とは口を利く気もしないという柏木が、実は成績で貴人に負けているなんて知ったら、いったいどうするんだろう。

 

「ちょっと……! これは真実を教えてやるべきじゃないの?」

 心の中でほくそえみながら、ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった私は、今度は逆に諒に襟首をつかまれて、机へとひきずり戻された。

 

「ただでさえ目をつけられてるくせに、煽ってどうするんだ! 馬鹿か、お前は!」

「…………!」

 睨みつける私に、諒はほとほと呆れたような顔を向ける。

 

「そんな物わざわざ見せようもんなら……あいつなら悔し紛れに……カンニングでもしてんじゃないかって逆に貴人を叩くのがオチだ!」

 その言葉に、私はシュンとうなだれた。

 

(そうだよね。こんなことしたってなんにもならないよね……それに私……これ以上みんなに迷惑をかけないように、おとなしくしてるんだった……)

 

 静かになった私に向かって、諒は諭すように話し続ける。

「頼むから、もうちょっと自分の立場を考えてくれ……お前だってクラスみんなに無視されて……ずっとこのままでいいわけないだろ……?」

 

 意地悪じゃなく、心底私を心配してくれているらしいその言葉に、私はますますおとなしくなった。

「……はい」

 

 小さな返事を聞き届けた諒は、くるりと私に背を向ける。

「俺にとばっちりが来るのだけは、ゴメンだからな」

 

 言い残された言葉を耳にして、頭に血が上った。

(やっぱり私の心配じゃなくって、自分の心配じゃない! なによ! 感謝して損した!)

 

 あまり広くはない諒の背中に向かい、私は握りしめたこぶしをふり下ろす真似をする。

 真似だけにしておいたのは、彼が私の短慮を止めてくれて、やっぱり少しは感謝していたからだ。

 そして、さっきからこっちをチラチラ気にしている諒のファンの子たちの視線が、突き刺さるように怖かったから。

 

(やっぱり……おとなしくしていよう……)

 私は握りしめたこぶしを反対の手でそっと押さえながら、改めて自分に誓った。

 

 だけど心の中には、たった一つだけ疑問が残っている。

 なんとも腑に落ちない。

 

(入学してからずっと十番以内にいるんなら……どうして貴人はA組じゃないの?)

 

「ねえ、どうしてだと思う?」

 解けない問題は残しておきたくないという心理に耐え切れず、諒に尋ねてみたところ、怒鳴られた。

 

「俺が知るか!」

 さっき誓ったこともどこへやら、一発殴って、私はやっと溜飲を下げる。

 

(やっぱり人間、無理はいけないよね……どんな時だって自分らしくないと……!)

 そう結論づけた私は、心に沸いた疑問もやっぱり自分らしく、本人に直接ぶつけてみることにした。

 



 放課後、『HEAVEN準備室』に行く前に、こっそりと隣のB組の教室を覗いてみる。

 

(A組と同じで席まで成績順なら、きっと前のほうだよね……)

 でもそのあたりにはもう、誰の姿もない。

 

(ちょっと遅かったかな……)

 何気なく視線を彷徨わせる。

 すると窓際の一番前の席に、良く知る横顔を見つけた。

 

(あっ繭香!)

 呼びかけようとしたけれど、一瞬声が出なかった。

 

 いつも『HEAVEN準備室』の中央の席に座っている繭香と、そこにいた繭香とはまるで別人のようだった。

 無表情な顔に、光の無い瞳。

 繭香がこの前言っていた『能面のような』という言葉が、頭を過ぎる。

 それよりも何よりも、まるで今にも消えて無くなってしまいそうな儚さが、繭香の小さな体全体から漂っていた。

 

 不安に駆られて思わず、「繭香!」と叫ぶ。

 こっちをふり返った瞬間、繭香の瞳に、いつものような強い光が宿り始めた。

 私は何にだかわからないけれど、心の底からホッとした。

 

「一緒に準備室に行こっか?」

 私の呼びかけにこっくりと頷いてこっちにやって来た繭香は、もういつもどおりの彼女だった。

 

「貴人は、今日は科学部なんだそうだ……早めに終わるって言うから待ってたんだが退屈で……琴美が来てくれて良かった」

 淡々と語る口調に安心して問いかける。

 

「いつも貴人と一緒に準備室に行くの?」

 繭香に当たり前のように「そうだ」と頷かれ、なぜだか心がざわめいた。

 

(貴人と繭香って……いったいどんな関係なんだろう?)

 さすがの私も、それを直接聞く度胸はない。

 なんと聞いたらいいのかと頭を悩ませ、ひねり出した言葉は――。

 

「なんか恋人同士みたいだよね」

 これじゃ尚更直接的じゃないかと、自分で自分が嫌になったのに、繭香は顔色一つ変えず、半ば自嘲気味に言い切る。

 

「そんないいもんじゃない」

「じゃあ……女王様とお付きの者? ……なんて」

 それはまったくの冗談だったのに、今度は肯定されてしまった。

 

「まあそんなところだな……」

「ええっ? なにそれ!」

 叫ばずにいられない私の顔を見つめ、繭香は悠然と微笑む。

 

(あの貴人がお付きの者って……じゃあ、あなたは何様ですか? ……まあ、確かに繭香様って感じだけど……)

 並んで歩きながら、少しだけ背が高い私の顔を、繭香は面白そうに見上げる。

 

「おい琴美……自分で言っといて、何を驚いているんだ?」

 たとえ表情はあまり変わらなくても、愉快そうなのが声音だけでわかる。

 

「まさか……冗談なの?」

 思わず聞き返した私に、繭香は例のニタリというような笑い方をした。

 

「なんなら、琴美に譲ろうか?」

 さすがの私も、どうやらからかわれているらしいことに、やっと気がつく。

 

「いいえ、結構ですっ! いくら私だって、これ以上女子の反感を買いたくはありません!」

 きっぱりとお断りすると、繭香はブッと吹き出した。

「だろうな、ははっ」

 

 つられて思わず私も笑いだす。

 私たちはクスクスと声を忍ばせて笑いながら、特別棟までの道をゆっくりと歩いた。



 

「貴人がA組じゃない理由……?」

 

 準備室に着くとすぐに投げかけてみた私の疑問を、繭香はもう一度口に出していぶかしげにくり返した。

 

 今日の『HEAVEN準備室』には、他にはまだ誰も来ていない。

 私たちはそれぞれの席に着いて、宿題を広げながらなんとなくみんなを待っていた。

 

「うん。繭香ならわかるかなと思って……」

 私の言葉に繭香は軽く首を捻る。

 

「別にそんなこと、今まで考えたこともなかったからな……」

 やっぱり成績にがんじがらめにされているのは私たちA組だけなんだと、改めて苦笑する。

 

 その時、ガラッと扉を開けて部屋に入って来た元気な声が、明るく言い切った。

「俺はわかるよ。たぶんだけど……」

 

 順平君だった。

 放り投げるように乱暴に鞄を机の上に置いて、いつものように椅子の背もたれを抱き締めて反対向きに座った順平君は、私と繭香の顔を交互に見比べて、人懐っこくニッコリ笑う。

 

「貴人って進学する気がないでしょ……だからじゃないの?」

 

 繭香がハッとしたように、大きな瞳を瞬いた。

「そうか。それはそうだな……」

 

 いかにも納得したふうだったけど、私は全然納得がいかない。

「えっ? 進学しないで……どうするの?」

 

 私の言葉に、繭香は呆れたようにため息をつき、順平君は大笑いし始めた。

「もちろん就職するに決まってるじゃん! 俺だってそうだよ!」

 

(ああ、そうか……)

 あまりにも当たり前の答えに、私は気が抜けたように頷いた。

 

 結局私という人間は、自分の物差しでしか物事を計れない。

 私の中では、高校を出たなら大学に行くのが当たり前で、その他の選択肢なんてまるで頭になかった。

 

(本当にどこかズレてる……どうしようもないな……)

 けれどそれが他ならぬ貴人のことだったので、自分の愚かさに落ち込んでばかりはいられない。

 妙に気になるのだ。

 

「学年十番以内なのに……貴人は進学しないの?」

 

 順平君は相変わらず笑っているばかりだし、繭香はこともなげに呟く。

「別に順位なんて関係ないだろ……」

 

 私は心の中で少しムッとした。

(関係ないわけないじゃない! 十位以内と、それ以下じゃ先生の態度だって変わるのよ! 大事な金の卵と、ちょっとばかり特別な卵……その差は大きいんだから! 私たち一組は、みんななんとかしてその中に入ろうと、死に物狂いになって頑張って……)

 

 一瞬にして超高速で頭の中を駆け巡ったその考えに、私は自分でガッカリした。

 

 あんなに嫌って軽蔑しているはずの成績重視の考え方が、自分にだってすっかり染みついてしまっている。

 こんなんじゃとても柏木を非難できる資格はない。

 

 すっかり力が抜けて、机の上に突っ伏した私に、順平君は内面の葛藤を知ってか知らずか、「まあまあ落ち着いて」と笑顔で声をかけてくれる。

 

 繭香はと言うと、「琴美が今一瞬で何を考えたか……全部顔に書いてあった」とニタリと人の悪い笑みを浮かべた。

 

(ううっ! もう嫌だ、こんな自分……)

 私は尚更、へこまずにはいられなかった。



 

「貴人は、中学の時に父親を亡くしている。だから高校を出たらすぐに働くつもりなんだ。いくら成績優秀でも、進学する気のない生徒をA組には入れられないっていうのが、学校側の判断だろうな……」

 

 実は家が近くて、貴人とは幼馴染なんだという繭香は、大方の見解をまとめてくれた。

 

「そっか……いつも笑ってばっかりなのに、あいつも大変なんだな……偉いな……」

 普段はうるさいくらいに賑やかでも、こういう時はちょっぴり涙を浮かべて、貴人に敬意を表することのできる順平君は、とてもまともな人だ。

 

 人の揚げ足を取るか、陰口ばかり叩きあってる、私もまじえたA組の人間よりは、数倍も素晴らしい社会人に、今すぐだってなれるだろう。

 

 その順平君が、成績順で決められたクラス分けの中では学年最下位のF組にいるんだから、成績なんて本当に、人を評価する単位には成り得ないと思う。

 

 改めて自分の価値観を見直すいいきっかけを、私はもらった気分だった。

 それはとても嬉しいことだった。

 

 だけどそれとは別のところで、貴人が進学しないことをショックに思っている自分がいる。

 貴人の家の事情を知った後でも――それは、どうしてだろう。

 

(本当に貴人は進学しないのかな……)

 机に突っ伏したまま黙り込む私に、冗談まじりに順平君が問いかける。

 

「なんだ……? ひょっとして琴美は、貴人と同じ大学に行きたかったの?」

 私は慌てて跳ね起きた。

 

「ちっ、違うわよ! そんなんじゃないわよ!」

 でも本心はどうなんだろう。

 自分にだってわからない。

 貴人と私の道は必ずここで別れるんだと確認したことが、こんなに寂しいということはひょっとして――。

 

 どんな問題にだって、原因と結果を照らしあわせて明確な答えを導き出さないと気が済まない自分の頭に、私は大慌てで待ったをかけた。

 

(ストップ! ストーップ! 今は考えなくていいのよ! 今はとりあえず、選挙に勝つことなの! それが一番大事!)

 いつまでもみんなと一緒にいられるわけじゃないと知ったからこそ、今この時が大切だった。

 

 愉快そうに私を見ている順平君。

 彼とだって、この学校にいる間しかきっと一緒に活動はできない。

 

 繭香だって、美千瑠ちゃんだって、うららだって、剛毅だって。

 ――みんなみんなそうだ。

 

(出会って間もない仲間たちだけど……私は本当にここにいることが楽しい。みんなはきっと、私にとってかけがえのない人にたちになりそうな気がする! だから……!)

 

 絶対に勝ち抜こうと思った。

 みんなで一緒に、もっといい思い出を作るためにも、絶対に『HEAVEN』を発足させようと思う。

 

 私は固くこぶしを握り締め、高々と突き上げる。

「よし! 頑張るぞ!」

 

 傍から見ていると全く意味がわからないだろう、私の突然の決意表明に、順平君はまた笑い出す。

「なんだよ急に! ほんとに琴美って、見てて飽きない奴だな……!」

 

「何がどうなって、今の発言に結びついたのか……それでは、私がわかるように説明してやろう……」

 どうやらまた私の表情から思考を読んだらしい繭香が、真面目な顔で順平君に向き直る。

 

「ちょっと繭香!」

 私の制止の声にかぶさるようにして、みんなが部屋へ入ってきた。

 

「よお、お疲れ!」

「あら? みんな早かったのね……すぐにお茶淹れるわね……」

 次々と集まり始める。

 

「なに? あんたたち三人って、なんか変な組み合わせ……」

「まあまあ聞いてくれよ。また琴美がさあ……!」

「順平君!」

 私たちの『HEAVEN準備室』は一気にいつもの活気に包まれた。

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