第26話 雁2

雁刑事は、夜が深まっても、今回の事件の書類整理に苦戦していた。

「ただの銀行強盗事件が、色んな事が絡んで、厄介な事件になってしまったなぁ。」

そう呟いて、取り調べによって判明した今回の事件について、振り返ってみた。

はじめは、確かにただの強盗事件だった。小雀という男が、銃を撃って周りを脅し、お決まりの台詞を叫んでいた、現在ではもう御目にかかれない典型的なただの強盗事件だった。しかしその小雀が、心臓の発作で急死した事で、厄介事の呼び水になってしまった。

最初の厄介事は、鳳が強盗を引き継いだ事だ。彼の立場上、銀行強盗が入ってきた時点で、何らかの厳しい処分を受けるのは確実。その上、これまでの彼の経歴も被さってしまう為、絶望視して凶行に走ってしまった。

「まぁ、凶行は10分ももたなかったけど…どうしてここで、終わってくれなかったのかなぁ…?」

鳳の凶行が終わって、すかさず次の厄介事、鶏冠井の計画犯罪が、始動した。営業経験があるせいか、口八丁で忽ち他の人間を味方にしてしまい、計画は実行された。しかも隠れ蓑として、振り込め詐欺グループの一員である雛形の事を利用していたから、当初、誰も鶏冠井の計画に気づかなかった。

雛形の告発により判明した振り込め詐欺事件により、銀行強盗事件の取り調べは、事実上後回しにされた。しかも雛形の証言により、グループの幹部を1人逮捕出来たから、更に捜査に力が入り、強盗事件の捜査員まで駆り出されてしまう始末で、強盗事件の捜査のフットワークが重くなってしまった。

「犯人が逮捕されている事件より、未だに犯人が逮捕されていない事件を優先するのは解るけど…」

雁刑事は、鶏冠井達を逮捕する切っ掛けとなった留守番電話の記録テープを手に取った。

「しかし天見さんが、真実を公にしてくれた。もしこれが無かったらと思うと、ゾッとするなぁ…」

最初の強盗犯・小雀が射殺したガードマン・天見は、雁刑事が新人警察官の頃にお世話になった先輩警察官だった。雁刑事が、現在の部署に移動した後も、何かと相談に乗ってくれた。やがて天見が定年退職し、雁刑事も責任ある立場となってからは、年賀状と暑中見舞いのやり取りだけの関係となったが、雁刑事にとって天見は、終生の恩師だった。

「引退してまでお世話になるなんて、…まだまだだなぁ。」

そう自分で自分を反省しつつも、雁刑事は、亡くなった恩師に心より感謝した。そして再び、事件の振り返りに戻った。

テープの存在で、強盗事件の捜査が急展開を迎え、急ぎ容疑者達の逮捕状を取り、何とか全員逮捕出来た。容疑者達がほぼ勝利を確信して、逃げ隠れしていなかった事が、警察に幸いした。

「しかしあの鷹田という男、逃げようと思えば、逃げれたのに…」

雁刑事達が鷹田を逮捕しに行った時、鷹田の部屋には、鷹田本人以外、何もなかった。それを見た雁刑事は当初、逃げる直前だと勘違いをしてしまい、厳しく取り調べを行った。鳳や鶏冠井が、捕まらない為に些細な抵抗をしていたから、雁刑事の中にある種の固定観念が出来ていたからだ。しかし鷹田の態度や証言から、鷹田は出頭するつもりで身辺整理を行っていた事に気づき、鷹田に謝罪した。

「計画が失敗した事を真っ先に気づいていたのに、逃げずに身辺整理をしていたなんて…潔い奴だなぁ………しかし何故、あの可愛いだけで、何も取り柄のない女の子に惚れたのかなぁ?」

雁刑事の回想は、鵜兎沼に移った。逮捕の時、鵜兎沼も鷹田同様、堂々としていたが、それは父親への当て付けで、所謂遅い反抗期だった。

「反抗期の行動が、自分の職場荒らしなんて、堪ったもんじゃないなぁ…まっ、あの父親の子供の接し方による、自業自得だけどね。」

雁刑事は、鵜兎沼本人も気づかない鵜兎沼の本当の動機、親への反抗だと感じていた。そしてそれが拗れた結果が、今回の事件の加担だと、鵜兎沼の取り調べでハッキリした。そして、鵜兎沼を不憫に思った。

「彼女も焦ったなぁ。どのみちA銀行は、検察によって終わりを迎える事になっていたからな。」

雁刑事は、一枚の用紙を手に取った。そこには、検察特捜部からの協力要請が書かれていた。

「A銀行収賄罪捜査に関して、雁警部補殿が担当されてます強盗事件の資料をお貸し願いたい。」

丁寧な言葉使いだが裏を返せば、こちらの捜査が先だ、と言っている内容だった。雁刑事は、検察の居丈高な態度が見え隠れするこの要請を無視しようかと思った。いくら検察でも、送検前の事件を指示する権限は無かったからだ。しかし雁刑事は、交換条件を提示し、それを受け入れれば協力要請に応じる、と検察特捜部に返事した。そして検察特捜部の返事は、イエスだった。

「一介の所轄の警察官に、躓きたくないか。それとも、物のついでと考えたかな。」

鶏冠井達が奪ったお金は、全てA銀行内のデータとして、A銀行内に隠されていた。そしてそれを知っているのは、鶏冠井一人だけで、しかも鶏冠井は黙りに撤していた。警察だけでは、膨大なデータから探し出すのは不可能と思っていた矢先、検察特捜部からの協力要請は、雁刑事にとって正に渡りに舟だった。雁刑事は、協力の見返りとして、データの洗い出しを検察に押し付けた。

「どのみちアイツ等は、政治家への金の流れを調べるから。」

検察特捜部は、自分達をアゴで使う所轄の警部補にいささか腹も立てたが、こんな事で自分達の手柄を遠ざけるのも馬鹿らしいと思い、交換条件を飲んだ。

それからは、早かった。検察特捜部が抱え込んでいるサイバー対策班は、大手銀行のサーバやデータのプロテクトを、一週間も経たないうちに殆んど解錠した。そして一日も掛からずに、雁刑事が欲したデータを仕分けて、雁刑事達に渡した。そのデータを元に、雁刑事達は、二日掛けて、鶏冠井達が盗ったお金の金額を確認していった。

「鷹田や雛形の言う通り、確かに休眠会社の塩漬けされた口座に隠していたが…全部で三百社近くあるのは、聞いてなかったなぁ。」

そう言って雁刑事は、今度は一つのファイルを手に取った。それは、明らかに不正操作があった休眠会社の口座のリストだった。ただ一社につき2、3枚、合計約1000枚からなる厚いファイルだった。鶏冠井が、一社にあり得ないほど取引の記録を残し、カモフラージュをしていたからだ。

手に取った雁刑事は、ため息をついた。雁刑事は、このファイルを手に取る度にため息をつく癖が、いつの間にかついてしまった。雁刑事は、この悪癖を頭を振る事で引っ込め、手に取ったファイルを捲り、そのファイルの最後のページを開いた。捲ったページには、一行だけ赤ペンでマークしている所があり、数千万円の金額が、一気に引き落とされた事が記録されていた。引き落とされた日付は、検察の一斉捜査が入る前日。引き落とし先は、架空の会社だった。

「この会社の正体さえ判れば、事件解決何だが…」

雁刑事は初め、この会社が鶏冠井が選んだ休眠会社の一つと思っていたが、この会社の記録があるのはこの一行だけで、A銀行との取引の記録さえ無かった。それどころか、この会社に関する記録は何も無く、架空の会社と気づいたと同時に、完全に後手に回ってしまった事を悟った。そして雁刑事の頭の中に、一つの可能性が浮かんでいた。

「…あの人に、会う必要があるかな…。」

雁刑事は、電話機から受話器を取り、今会わなければならない人物へ電話をかけた。

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