とある猫の回想録3

 カット・ノルジャン・ハールファグルは猫の王である。

 その話をこの国の妃から聴かされたとき、オルムは我が耳を疑った。女神フレイヤの使いである猫たちは魔法が使える力を持っている。その猫たちの力を借りることで、カット自身も魔法を使うことができると彼女はオルムたちに告げたのだ。

 だからこの子の王位継承権を誰も脅かすことはできない。呪いによって半分猫になっているからこそ、この子は猫の王足りえるのだと彼女は厳かに言った。

「本当に、政治というものは恐ろしいものだな」

 ぽつりと呟きながら、オルムは冬枯れた木を見あげていた。夜闇の中に佇む木は漆黒に塗りつぶされ、オルムを見下ろしているようだ。

昼間、ここで会った少年のことを思い出す。

 ――ごめんなさい。

 悲しげな眼を自分に向けてきたレヴのことを、オルムは忘れることができない。

 そして、今でも信じられない。彼が人ではないという事実が。

 ――あの子は、カットが拾ってきた猫なんだ。

 王の間でティーゲルが告げた言葉を思い出し、オルムは苦笑を浮かべていた。魔法という日常とはかけ離れた存在を、オルムは身近に感じることができない。

 公にされていないとはいえ、自分も魔女の血を引くハールファグルの王族だというのに。

 それなのに腹違いの兄は、レヴが魔法によって人間になった猫だというのだ。

「だったら、なんでカットはレヴを猫のままにしておかないんだ……」

 自分が城に呼び出された理由に思いを馳せ、オルムは呟く。

 レヴは表向きカットの小姓ということになっているらしい。

 だが、王族に仕える人間にはそれなりの家柄が必要だ。

 身寄りのないレヴを名義だけでいい。養子にしてほしいというのが、ティーゲルからの頼みだった。

 これは何かの嫌がらせだろうか。

 オルムは数年前に妻を亡くしたばかりだ。

 謀反の疑いを実の父である先王にかけられ、自分を育ててくれた義理の両親ともども妻は処刑された。残されたのは今年で15になる息子だけだ。

 オルムは実の父を異母兄と共に殺し、王位を簒奪した。そうしなければ、自分の息子も殺されていたからだ。

 息子が争いに巻き込まれないよう、オルムは養い親が残してくれた所領を受け継ぎ、そこに引きこもった。

 側にいて欲しいという兄の頼みを断って。

 そんな異母兄がもっともな理由を見繕って、自分を呼び戻した。裏があることは、長年の付き合いからほぼ確定済みだ。

 何よりティーゲルは自分を何かと頼ってくる。兄弟の中で信頼できるのは自分だけだと、異母兄は言うのだ。

「悩み事が、あるんですか?」

 可憐な鈴の音がして、オルムは我に返る。見上げていた木に1人の少年が座っていた。

 長い赤髪をポニーテールにした彼は、自分を見おろしている。その眼が嬉しそうに金色に煌めいていた。

「レヴ……」

「ごめんなさい。びっくりさせたくて、こっそり登ってみました」

 驚くオルムに、レヴは笑ってみせる。

 木の枝に腰かける彼は起用に立ち上がり、地面に跳び下りた。

 ふわりと地面に降り積もった雪が舞い上がる。音もなく優美に地面に着地したレヴを、オルムは見つめることしかできない。

 気配を隠して木に登り、音もたてずにその木から跳び下りてみせる。

「君は、本当に猫みたいだな……」

「猫ですよ。ティーゲル様からお話を聞いてないですか? だから、首輪もしてます……」

 りんと鈴の音がする。レヴが首に巻かれたチョーカーの鈴を弄んでみせたのだ。

「俺が陛下のものだっていう目印だそうです……。今日の夕方に陛下から頂きました」

 指先で鈴を弄びながら、レヴはその鈴を見つめている。月光に煌めく彼の眼は、角度によって様々な色合いの光を放つ。

 美しい眼だ。とても美しくて、寂しげな輝きを宿した眼だ。

「レヴは、何をそんなに寂しがっているんだ?」

 レヴの眼をじっと見つめながら、オルムは口を開いていた。レヴは大きく眼を見開き、オルムを見つめてくる。

「あの……」

「この国の王様は、私を君の父親にしたいそうだ。レヴはこんな父親は嫌かな?」

 しゃがみ込み、オルムはレヴの顔を覗き込んでみせた。微笑みかけてやると、翠色の眼が嬉しそうに煌めく。

 だがレヴは寂しそうに眼を伏せ、オルムから顔を逸らした。

「陛下が、きっと許してくれません……」

「どうしてそこで、カットが出てくるんだっ?」

 りんと首についた鈴を鳴らし、レヴは俯いてしまう。そんなレヴにオルムは鋭い言葉を放っていた。

「えっ?」

「レヴ、これは君と私の問題だ。カットは関係ないだろう。問題なのは、君がどうしたいかだ」

「でも、陛下は俺の飼い主で――」

「今の君は人間だ。猫じゃない」

「俺は猫ですっ!」

 レヴが叫ぶ。

 彼の眼がうっすらと潤んでいることに気がつき、オルムは口を閉ざしていた。

「人間の姿から戻れなくなっちゃっただけで、俺は猫なんですっ! 人間なんかじゃないっ! 陛下の嫌いな、人間なんかじゃないっ! 陛下を殺そうとした、あいつらとは違うっ!」

 首を激しく振りながら、レヴは泣き声をあげる。

「レヴっ!」

 そんなレヴの肩を掴み、オルムは叫んでいた。びくりとレヴは体を震わせ、口を閉ざす。

「私のことも嫌いかい……?」

 レヴの眼をじっと覗き込み、オルムは優しく声をかけていた。背中をあやすように叩いてやると、レヴは驚いた様子で眼を見開いてくる。オルムはレヴの背中に両腕を回し、優しく彼を抱きしめていた。

「人間に抱きしめられるのは、嫌かな?」

 そっとレヴの耳元で囁く。レヴは何も答えず、ただ首を横に振った。

「私が恐いかい?」

「いいえ……」

 震えるレヴの声が、耳朶に響く。オルムはレヴの顔を覗き込み、優しく微笑んでみせた。

「でも、人間は嫌いなんだろう?」

「あなたは、嫌いじゃない……」

 じっとオルムを見すえレヴは答える。震えた声でレヴは言葉を続けた。

「ここに来たのだって……。謝りたくて、その……。陛下のこと、ごめんなさい。前はあんな人じゃなかったんです。俺が、俺のせいで陛下が……」

「カットを守ってくれたそうだね」

 震えるレヴの言葉を、オルムが遮る。レヴは大きく眼を見開き、オルムを見つめた。

 レヴがカットの命を救った。

 1度目は毒殺から。

 2度目は狼に襲われそうになったカットを庇い、レヴ自身が怪我をしたことも。

「私の可愛い甥を守ってくれてありがとう。君には感謝しているよ」

 そっと頭をなでてやる。レヴはくしゃりと顔を歪め、オルムを抱き返してきた。

 そっとオルムの胸に顔を埋め、レヴは静かに泣き始める。そんなレヴをオルムは優しく抱き寄せていた。


 

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