とある猫の回想録2
王城にある王の間は、文字通りこの国の王が寝起きをする場所でもある。床には世界を支える大樹ユグドラシルの図形が描かれ、壁は灰色をした石組みによって造られている。
どこか冷たい印象を抱かせる王の間の壁を眺め、オルムはカットの眼差しを思い出していた。
猫耳の呪い。
その呪いを受けてから、冷たい氷のような眼差しを甥はよく他者に向けるようになった。
「まったく、この国を統べる王の自室がどうしてこうも寒いのか、私はたまに疑問に思うよ」
炎がはじける音がする。それと同時にかすかな笑い声がオルムの耳に聞こえてきた。
顔を向けると、部屋の前方に設けられた暖炉の前に男性が立っている。
銀灰の髪を後方に流した彼は、竜胆色の眼に微笑を浮かべている。オルムもまた、同じ色彩の眼に笑みを浮かべてみせる。
またやつれたと、オルムは思った。
前に会ったときよりも、男性の顔が痩せ細って見えるのは気のせいだろうか。
オルムに笑みを送っている男性は、この国の王でありオルムの異母兄でもあるティーゲル・ホンニヤ・ハールファグルその人だ。
先王を殺し、その臣下たちを粛正した独裁者だと彼を噂する者もいる。
だが彼の治世になってから、ハールファグルはこのうえない安定と平和を手に入れた。
彼の最愛の女性と引き換えに――
「久しぶりだな、オルム。ヴィッツの葬儀以来か……」
そう言いながらティーゲルは、暖炉の上に飾られた肖像画を仰ぐ。巨大な肖像画には、白銀の髪で体を覆った女性が描かれていた。ノルウェージャンフォレストキャットを従えた彼女は、アイスブルーの眼に優しげな笑みを浮かべている。
女性の面差しは、カットに似ていた。彼女こそ、国の母と国民に慕われていたティーゲルの妃ヴィッツだ。
肖像画を見つめるティーゲルは、どこか寂しそうだ。話を逸らそうと、オルムは口を開いていた。
「カットも大きくなりましたね。ますます義姉さんに似て来た」
「あぁ、もう会ったのか」
ティーゲルが弾んだ声を発しながら、こちらへと振り向いてくれる。最愛の息子のことを思っているのか、ティーゲルの顔には明るい。
「見た目はヴィッツのように可憐だが、中身は私譲りだ。頑固でなかなか言うことを聞いてくれない。それに、私に似て剣の才もあるみたいでな。最近は腕をメキメキあげているよ」
「それに、信頼できる小さな臣下も出来たみたいで安心しました」
レヴの寂しげな眼を思い出す。だが、オルムは笑みを取り繕い、ティーゲルに話題を振っていた。
「アレに会ったのか?」
ティーゲルの顔から笑みが引く。
「アレ?」
「会ったのだろう? カットの新しい小姓に」
「レヴのことですか?」
レヴの名を出したとたん、ティーゲルの顔つきは厳しいものに変わっていた。
彼は歩き出し、部屋の右側にある大机へと移動する。猫足のついた机の椅子に深く腰掛け、ティーゲルは深くため息をついてみせた。
「こちらへ、オルム」
ティーゲルの視線が机の前にある椅子へと向けられている。オルムは促されるまま、その椅子に腰かけていた。
「どうだった。レヴに会った感想は?」
机に肘をつきながら、ティーゲルは両手を組んでみせる。険しい彼の眼差しを不審に思いながらも、オルムは口を開いていた。
「いえ、どうと言われても……。普通に礼儀の正しい子でしたよ。カットもよく懐いていたみたいだし――」
「それだけか?」
ティーゲルの言葉にオルムは息を呑む。
オルムは、レヴの眼を思い出していた。
美しい翠色の眼だった。角度が変わると金色に煌めくそれは、猫の眼を思わせる。
ふとカットの猫耳が脳裏を過って、オルムは眼を見開いていた。
「まさか、レヴは……」
ありえない想像をしてしまう。だが、カットだったらあり得る話だ。
魔女であった母ヴィッツの手によって、猫の王になった彼になら――
「あぁ、レヴは人間じゃない」
オルムの考えを、ティーゲルが口にする。鋭く眼を細め、ティーゲルは言葉を続けた。
「あの子は、カットが拾ってきた猫なんだ」
ローズマリングが施された柔らかな絨毯の上には、王城を模した豪奢なドールハウスが置かれている。そのドールハウスを中心に、古びた木馬や、くるみ割り人形、あたたかな猫のぬいぐるみが無造作に置かれていた。
そんなおもちゃの群れの中で、レヴは寝そべっている。
起きあがると、首から可憐な鈴の音が聞こえた。首にしているチョーカーについた鈴が鳴ったのだ。チョーカーには紐がついていて、紐の先はドールハウスの尖塔に結わえつけられていた。
「レヴ、ご飯だよっ」
金色に輝く眼をしばたたかせ、レヴは声のしたほうへと顔を向ける。カットが、笑顔を浮かべながらこちらに駆けよってくる。
彼は両手に銀の盆を持っていた。その盆の上にはスープの入った皿が2つ載せられている。
「また、ティーゲル様とお食事をされないのですか?」
レヴの言葉に、カットの顔から一瞬にして笑みが消えた。アイスブルーの眼を鋭く細め、カットはレヴを睨みつける。
「どうせまた父上は俺からレヴを取り上げようとする。だから、オルム叔父様を王城に呼びつけたんだ」
「でも、ティーゲル様は――」
「レヴっ!」
カットの怒鳴り声にレヴは言葉を遮られる。怯えた眼をカットに向けると、彼は潤んだ眼をレヴに向けてくるではないか。
「レヴは、僕と一緒にいたくないの……?」
そっと持っていた盆を絨毯の上に置き、カットは膝をつく。レヴを優しく抱きしめ、カットは言葉を継いでいた。
「レヴを僕から取り上げようとする父上なんて嫌いだ……。僕はレヴがいればそれでいい。レヴがいなきゃ、とっくに僕は死んでいたんだから……」
「陛下……」
「レヴは違うの?」
今にも泣きそうなアイスブルーの眼が、自分の顔を覗き込んでくる。レヴはカットの背中に腕を回し、彼を抱きしめ返していた。
「お側にいます、ずっと……。だから泣かないでください、陛下……」
「レヴ」
レヴの言葉に安堵したのか、カットは胸元に顔を埋めてきた。そのまま気持ちよさそうに眼を瞑り、カットは言葉を続ける。
「僕は、レヴがいればいい。レヴと、猫たちがいればそれでいいんだ。人間なんて嫌いだ。大嫌い……」
カットの言葉がレヴの耳に突き刺さる。自分に寄りかかる小さな主を、レヴは抱きしめることしかできなかった。
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