王様と前夜祭


「フレイア祭にフィナを誘うっ?」

「そっ、お忍びで猫橇デート鑑賞なんてどうですか? フィナちゃんきっと喜びますよ」

 きょとんと猫耳を立ちあげるカットに、レヴが得意げに笑ってみせる。

 彼はカットの座る背もたれに両肘を置き、頬杖をついてみせた。カットが顔を向けると、レヴはカットの猫耳をなでながら言葉を続ける。

「王たるもの庶民の暮らしを身近なところで感じたいとか、フィナちゃんに適当なこと言って王都に連れ出しちゃえばいいですよ。あの子いっつも軍服着てて女の子らしい格好なんてしないじゃないですか……。チャンスかもしれませんよ?」

「チャンス?」

「ちょっと調べてみたんですが、フィナちゃん巷じゃちょっとした有名人らしいんですよ。猫関係で……」

「フィナが有名人?」

「そ、泣く子も黙る猫退治人らしいです」

「猫退治人……」

 レヴが放った言葉に、カットは顔を顰めていた。

 猫退治人の活動を共に行おうという父からの誘いを、カットは度々受けていたからだ。

 ティーゲル曰く、ヴィッツが遺言で発足することを嘆願した猫退治屋なる組織の構成員をそう呼ぶらしい。

 どんな組織なのかカットは誘われるたびに父に尋ねた。だが、こちらへ来ればわかるとティーゲルは意味深な笑みを浮かべるだけで何も教えてくれないのだ。

 ただ『退治人』などという物騒な言葉に、カットはあまり好印象を抱いていない。あのティーゲルのことだ。ロクな組織でないことぐらいは予想がつく。

 フィナがその猫退治屋の組織の一員とは、どういうことだろうか。

「まぁ、フィナちゃんに聞いてみれば分かるんじゃないですか?」

 笑みを深め、レヴは返事をする。彼は翠色の眼を楽しげに煌めかせ、カットの猫耳を弾いてみせた。








「猫とは、創成期から存在する人類の友ですっ!」

 凛とした声がカットの猫耳に響く。帽子に隠れたその猫耳を意識しながら、カットは前方にいるフィナをみつめていた。

 カットたちは、港にある倉庫街にやってきていた。奥行きのある切妻屋根の倉庫は様々な色合いの赤色で塗装され、灰色の海が広がる港を鮮やかに彩っている。

 サーモンの輸出も盛んである王都の港には、様々な都市国家からなる連合組合の支社も数多く置かれている。観光地としても有名な倉庫街には大勢の人間が集まっていた。

 倉庫街を行き交う人々が不思議そうに2人を眺めている。そんな人目を気にすることなく、フィナは大声で言葉を告げた。

「そして、そんな猫たちに救いの手を差し伸べるのが我ら猫退治人の仕事っ! その総数は王都だけで数百人を超え、今や国境を越えて我々の勢力は拡大を続けているのですっ!!」

「にゃああぁあああ!!」

 そんなフィナの言葉に応えるように、雄々しく鳴く猫がいた。アップルだ。フィナの胸にはなぜか教会にいるはずのアップルが抱かれている。

「あぁあ! アップルさん、分かってくれるんですねぇ!!」

「にゃあ!」

 フィナはアップルに頬ずりをする。そんなフィナにアップルは嬉しげに鳴いてみせる。

「アップルさん、最高です!」

 そんなアップルを、フィナは優しくなでてみせた。

「その……だから……猫退治人って何なんだ。それに、なんでアップルがここに……?」

 カットの言葉に、びくりとフィナが肩を震わせる。

 アップルは教会で飼われている大切な猫だ。

 女神フレイヤは、ノルウェージャンフォレストキャットを従えていたという。

 その伝説にちなんで、教会では聖なる猫であるノルウェージャンフォレストキャットを飼う習慣があるのだ。彼らは教会の信徒たちにより大切に育てられる。 教会のシンボルである彼らは、その地域を代表する看板猫でもあるのだ。

 だから、その猫がいなくなれば教会は大変なことになるだろう。みんな、アップルがいなくなってパニックになっているに違いない。

「その……帰りの馬車に……乗ってたみたいで……。気がついたら、王城の私の部屋にいたんです……」

 気まずそうにカットから眼を逸らし、フィナは小さな声で告げる。

「フィナ……それって」

「その……あの……えっと……」 

「いや、言わなくていいからっ! あとでちゃんと話は聞くからっ」

 じわりとフィナの眼が潤む。カットは思わず彼女に叫んでいた。

「にゃあっ……」

「アップルさん」

 悲しげな鳴き声をアップルがあげる。アップルもフィナと同様、今にも泣きそうな眼をしていた。

「アップルさんっ!」

「にゃあ!!」

 1人と1匹は見つめ合い、しっかりとお互いを抱きしめ合う。そんなフィナたちをカットは見つめることしかできない。

「ちゃんと教会の方には話を通します。……だから……その」

「分かった……。俺が何とかするよ……。教会には手紙を送っておくから、アップルの面倒はフィナがみればいい」

 縋るようにフィナがこちらを見つめてくる。カットは思わず苦笑を浮かべ、彼女に甘い返答をしていた。

「本当ですかっ!?」

 赤い眼を細め、フィナは花のような笑みを浮かべる。その笑みに、カットは思わず見惚れていた。

 フィナの服装がいつもと違うせいかもしれない。

 紺色の軍服ではなく、フィナはこの国の民族衣装である女性物のブーナッドを纏っていた。

 ブーナットは鮮やかな刺繍が施されたスカートとチョッキからなる民族衣装だ。地域によって特色があり、布地の色が違っていたり、刺繍されているローズマリングの柄にも個性がある。

 フィナは白いブーナットを纏っていた。

 真っ白なベストとスカートには色鮮やかなローズマリングが施され、フィナの胸元は赤い鉱石が印象的なビーズのネックレスで彩られていた。

 普段は素っ気なく後方に束ねられた黒髪にも編み込みが施され、色鮮やかなビーズがフィナの三つ編みにされた髪を彩っている。ブルーベリーのドライフラワーが髪のサイドを控えめに飾り、華やかさを彩っていた。

「陛下っ?」

 声がしてカットは我に返る。フィナが小首を傾げ、カットを見つめていた。きらりと彼女の髪を飾るビーズが陽光に煌めく。その煌めくビーズのように、フィナの赤い眼は輝きを放っていた。

「フィナ、名前で呼ばなきゃ……」

 口元に手を添え、カットは小声でフィナに告げる。フィナは大きく眼を見開き、カットに向かって頭をさげていた。

「申し訳ありませんっ! その……」

「フィナ、誰も分からないよ」

 慌てるフィナにカットは苦笑していた。

 フィナと同じく、カットも市井に混じるために男物のブーナットを着ていた。

 お気に入りの白い帽子はレヴに取りあげられてしまった。仕方なくカットは濡羽色の帽子を被っている。髪だって酷いありさまだ。カットの白銀はレヴによって焦げ茶色に染められてしまった。

 ――その白帽子とお妃さま譲りの白銀はあなたのトレードマークなんですから、我慢して隠してくださいよっ!

 嫌がる自分にレヴが放った言葉を思いだす。たしかに、帽子王なんてあだ名がつく自分がトレードマークの帽子を被って市井に紛れても、国民にすぐばれてしまう。

「ところでカット……。この服は、本当に着る必要があったのですか? 女性物の服は動きにくいので、あまり好きではないのですが……」

 ブーナッドのスカートをたくし上げ、フィナが不満げにカットに声をあげる。カットはフィナに笑みを送り、言葉を返していた。

「似合ってるよ、フィナ」

 カットの言葉に、彼女の頬が赤くなる。

 具合でも悪いのだろうか。心配になって、カットは彼女に近づいていた。

「カ、カット……」

「フィナ、顔が赤いけれど大丈夫?」

 フィナの顔を覗き込み、彼女の額に自分の額を当ててみる。

 フィナの額は、冷たくて心地がいい。幸い、熱はないようだ。

「カット……」

 フィナの声が震えている。カットは額を離し、彼女の顔を見つめていた。フィナが顔を真っ赤にしてカットを見あげている。

「フィナっ! 本当にどうしたのっ!?」

「なっ、何でもありません。それより、猫退治人についてお聞きになりたかったのではありませんかっ?」

「にゃあっ」

 自分を非難するように、フィナが声を荒げる。フィナに抱かれたアップルも、不満げに鳴き声をあげてみせた。

「ご、ごめん……」

「行きますよ……。お目当ての子が逃げちゃいます」 

 踵を返し、カットから逃げるようにフィナは足早に前方へと歩を進める。

 どうしてフィナが怒っているのか分からない。カットは帽子の中の猫耳をしゅんとたらしながら、フィナの後に続いた。






 猫たちは女神フレイヤの使いだ。

 大切にされなければならない猫たちを、人間が無下に扱うことはできない。だがときとして猫は、人に害をもたらす存在にもなりうる。

 そこで立ち上がったのが、世の愛猫家たちだった。

 彼らは自らを猫退治人と名乗り、人に害をなす猫たちの駆除を買って出たのだ。 だが、愛猫家である彼らが猫に害をなすことはない。

 彼らは猫を保護し、新たな飼い主を見つけたり、猫に仕事を与える行動を率先しておこなっている。

「つまり、フィナはボランティアのようなことをやっているわけだね……」

「いいえ、ボランティアではなく使命ですっ!」

 カットの言葉に、フィナは凛とした声を発する。2人は、倉庫街の裏路地をひたすら突き進んでいた。上方を見あげると、建物に遮られた細長い青空が広がっている。

「カット……いました……」

 フィナが小さな声をかけてくる。カットは前方にいる彼女へと向き直っていた。フィナはしゃがみ込み、何かを見つめている。

 フィナの視界の先には、細い袋小路があった。その袋小路の真ん中で寝ている生き物がいる。

 猫だ。

 鯖虎柄のノルウェージャンフォレストが、柔らかそうなお腹を上下させながら気持ちよさげに寝息をたてている。

「いました……。ターゲットの子です……」

「なぁ……」

 小さな声をフィナが発する。フィナに抱かれたアップルも用心深げに鳴いた。

「あの猫が……どうかしたのか?」

「市場のサーモンを盗む常習犯なんです……。ここで私が保護してあげないと、どんな目に合うか……」

 赤い眼を曇らせ、フィナが俯く。その様子を見て、カットは胸を痛めていた。

 女神の使いともてはやされる猫たちも、人に危害を加えられない訳ではない。

 とくに悪さをする野良猫は、近隣住民により駆除されてしまう場合もあるのだ。

 愛猫家である先王ティーゲルもこの実態に胸を痛め、猫を保護する法律を制定してきた。王城の敷地内には、そのような身寄りのない猫たちを世話する施設もある。王城の中庭には、猫たちが生活する猫舎も設けられているのだ。

 それでも、猫を捨てるもの。害になるからと、猫を駆除する者は後を絶たない。

 そんな現状を打開しようと立ちあがったのが、フィナたち猫退治屋なる一派だ。 身分を問わず猫に対する愛情で結ばれた彼らは、弱い立場にいる猫たちを保護することを主な任務としている。猫退治屋に所属する者は猫退治人と呼ばれ、悪さをする猫の保護活動を率先して行っているのだ。

 特にフィナは熱心で、休日のほとんどをこの活動に充てているという。

 フィナから猫退治屋の話を聞いたカットはつくづく思った。

 普通のボランティア団体じゃないか。どうしてティーゲルは意味深な笑みばかり浮かべて、猫退治屋の詳細を教えてくれなかったのかと。

「アップルさん……お願いしますっ」

「にゃっ」

 フィナの声に、アップルが得意げな返事をする。フィナは抱いていたアップルを地面に下ろし、しゃがみ込んだ。

 フィナが見守るなか、アップルは寝ている鯖虎へと近づいていく。ぴくりと鯖虎は見事な耳飾りを動かし、うっすらと眼をあけた。

 緊張しているのか、ごくりとフィナが唾を飲み込む。そんなフィナを見て、カットも額に汗を浮かべていた。

「にぃにぃ……」

 アップルが鯖虎に向かって鳴いてみせる。鯖虎は顔をあげ、めんどくさそうにアップルを見つめてきた。そんな鯖虎のもとへと、アップルは近づいていく。

「にぃ……」 

 ごろんと横になり、アップルはお腹を見せる服従のポーズをとってみせる。敵意がないことを相手に伝えるには、とっておきの手段だ。

 びくりと鯖虎の眼が見開かれる。そんな鯖虎を安心させるように、アップルはきゅるきゅるとした翠色の眼を鯖虎に向けていた。

「シャアアアァアア!」

 鯖虎は毛を逆立て、アップルを威嚇する。アップルは困った様子でフィナへと顔を向けてきた。

「アップルさん……」

「なぁ……」

「シャア!」

 アップルを追い立てるように、鯖虎は低く唸ってみせる。アップルは悲しげに眼を歪め、フィナのもとへと駆け戻ってきた。

「なぁ!」

「あぁ、アップルさん……」

 跳びついてきたアップルを、フィナは優しく抱きしめる。

「にゃぁ! にゃあ!」

 首を激しく振りアップルは悲しげに鳴く。そんなアップルをなでながら、フィナは鯖虎へと眼を向けていた。

「おのれ! アップルさんを傷つけるとは、猫さんと言えども許しませんっ! カット、アップルさんをお願いしますっ!」

「えっ!?」

 投げ渡すようにアップルをカットに託し、フィナは袋小路へと駆けていく。シィーとこちらを威嚇する鯖虎の前に立ちふさがり、フィナはきっと眼を怒らせてみせた。

「にゃあ!」

 そう叫び、フィナはころんと地面に横になる。

「にゃあ! にゃあ!」

 仰向けに倒れたフィナは、猫の鳴き声を真似しながら体を左右にゆらしてみせた。鯖虎は猫耳をびくりと震わせ、後ずさりする。

「服従のポーズ……?」

「にゃぁ……」 

 カットの唖然とした呟きに、アップルの鳴き声が重なる。2人が見守るなか、なおも服従のポーズを続けるフィナは体をゆらし続けていた。

「うぁああああぁああん!!」

 猫は、悲鳴のような鳴き声をあげフィナの横を全速力で駆ける。鯖虎はカットの後ろに隠れ、怯えた様子でちらりとフィナの方へ顔を覗かせていた。

「あれ……?」

 足元の鯖虎をカットは見下ろす。

「なぁ……」

 頼りない声を発し、縋るように鯖虎はカットを見あげてきた。

「振られたっ!?」

 フィナが叫ぶ。

 仰向けの体制のまま、彼女は動揺に見開いた眼をカットに向けていた。

「ちょっと、びっくりさせちゃったんじゃないかな?」

 カットはしゃがみ込み、自分の後ろに隠れる鯖虎に体を向けた。アップルを地面におろし、そっと鯖虎に掌を差しだす。

「ほら、恐くないよ……」

 優しく鯖虎に声をかけてみる。

 鯖虎はゆっくりとカットに近づき、掌に鼻を押しつけてきた。ふんふんと鼻で掌を嗅いでから、鯖虎は顔を掌にこすりつけてくる。

「にゃあ……」

 甘えた声を発しながら、鯖虎はきゅるきゅるとした眼をカットに向けてきた。その愛らしい仕草にカットは顔を綻ばせる。

 優しく頭をなでてやると、鯖虎は気持ちよさげに喉を鳴らし始めた。

「フィナっ! なついてくれた……よ……」

 目の前にいるフィナの惨状に、カットは声を失っていた。彼女は手を地面につき、力なく首をたれている。

「フィナ……」

「負けた……。カットに負けた……」

 がばりと頭をあげ、フィナは潤んだ眼をカットに向けてくる。 

「やっぱり、猫耳だからですか!?」

「いや、関係ないと思う……」

 喉を鳴らす鯖虎を抱きあげ、カットはフィナに言葉を返していた。フィナは眼を拭い、すくっと立ち上がる。

「それはともかくとして……きちんと保護できて良かったです。ありがとうございました。カット、それに――」

「役に立たない猫だのぉ……」

 聞きなれた声がフィナの言葉を遮る。

 カットは咄嗟に、声のした方向へと体を向けていた。

 凛とした佇まいをした老人が、得意げにカットたちを見つめている。彼の視線は、カットの足元にいるアップルへと向けられていた。

「父上?」

「おいでー、猫ちゃーん」

「にゃぁーっ」

 老人の呼びかけに、鯖虎は甘い声を発してカットの腕から逃れていた。

 地面に着地した鯖虎は、一目散に老人のもとへと駆けていく。老人は、足元にすり寄ってくる猫を優しく抱きあげ、言葉を続けた。

「フィナ、やはりお前はその程度か……。それにしても、アップルがここまで使えない猫だったとは思わなかったのぉ」

「ティーゲル様」

 アップルにからかうような視線を向けながら、老人ティーゲルは嫌らしい笑みを深めてみせる。そんなティーゲルにフィナは厳しい眼差しを送っていた。

「この猫は丈夫そうだし、フレイア祭の猫橇レースに使えそうじゃ。それにしても、教会の看板猫ともあろう存在が、同族すら懐柔できないとは……。女神フレイヤの使いなんて、口先だけじゃのう」

 ケラケラとティーゲルが笑う。その笑い声がとてつもなく煩わしく感じられ、カットは口を開いていた。

「父上は、なにをなさりにこちらに来たのですか?」

「いや、お前たちのデートの様子を見にきた……。ではなくて、儂が結成した猫退治屋がきちんと活動しているのか見にきただけじゃよ。だが、とんだ期待外れだった見たいだのぉ」

「期待外れって……」

「それにしてもお前にはがっかりしたぞ、カット。猫たちの保護のために、市井の者に身分を問わず協力を仰ぐ活動。猫退治屋は、その運動の一環だ。その活動に王たるお前が積極的に参加しないとは……。王城で保護している猫たちは、ほとんど猫退治人たちが集めてくれた猫ばかりだというのに……」

 眼を細め、ニヤリとティーゲルはカットに笑みを向けてきた。そんな父からカットは思わず顔を逸らしてしまう。

「まったく、お前たちでは話にならん……。命の危険が迫っている猫1匹救えない王と教会猫に、どれほどの価値があるというのか?」

 自身を嘲笑う父の声が猫耳に木霊する。苛立ちを覚えながらも、カットは父に言い返す言葉をみつけることができない。

「先王様ともあろうお方が、ご子息を嘲笑うとは何事ですか」

 そんなカットの猫耳に、凛とした声が響き渡る。フィナの声だ。

 カットは思わずフィナに顔を向けていた。彼女は鋭く細めた眼をティーゲルに向け、なおも言葉を続けた。

「陛下は、わたくしのワガママに付き合ってくださったのです。即位してまだ日の浅い陛下に足りない部分があるのは、むしろ1人の人間として当たり前ではないでしょうか? その未熟さが、陛下を良き君主へと育てる土壌になるとは思いませんか?」

 フィナの真摯な言葉に、カットは眼を見開いて聞き入っていた。ティーゲルも驚いているのだろう。じっとフィナに眼をやったまま父は微動だにしない。

「護衛の身でありながら、出過ぎた発言をお許しください」

 フィナはティーゲルに向かい優美に頭を下げてみせる。その動作を見つめるティーゲルの眼が、嬉しそうに細められる。

「カットの眼はたしかみたいだの……」

 ふっと眦に好々爺然とした笑みを宿し、彼は呟いた。

「えっ?」

 フィナが急いで顔をあげ、ティーゲルを見つめる。

「猫の扱いは、まだまだだがのぉ……」

 嫌らしい笑みを顔全体に広げ、ティーゲルは顎髭をなでてみせる。そんな彼の言葉に、フィナはしゅんと首をたれてみせた。

「どうしたら猫さんたちは、心を開いてくれるのでしょうか……」

 眉を困ったように伏せ、フィナはカットを見つめてくる。縋るようなフィナの眼差しを見て、カットは口を開いていた。

「父上、猫で俺に勝てると思ってるんですか?」

「うん、なんじゃ? カット」

 息子に突然話しかけられ、ティーゲルは怪訝そうな表情を浮かべてみせる。そんなティーゲルを冷めた眼で見つめながら、カットは帽子を脱いだ。

 ぴこんっと帽子に押しつけられていた猫耳が勢いよく立ち上がる。

「にゃあ!!」

 その猫耳を見つめながら、ティーゲルの抱く鯖虎が興奮した様子で鳴き声をあげた。

「ちょ、カットっ! お前っ!!」

 ティーゲルが叫ぶ。

 

 にゃああああああ!

 にゃああああああああああぁ!!

 

 その叫び声と前後して、倉庫街のいたるところから猫の鳴き声が一斉に轟き始めた。ティーゲルの腕に抱かれた鯖虎も暴れ出し、彼の腕から逃れてしまう。

「にゃああああ!!!」 

 地面に降り立った鯖虎は、嬉しそうにカットのもとへと駆け寄ってくる。それと同時に、軽い地響きと無数の猫の鳴き声がこちらへと迫って来ていた。

「なっ、何なんですかっ!?」

「んなぁーー!!」

 狼狽えるフィナの横で、興奮したアップルが叫ぶ。


 にゃああああああああああ!!!


 その鳴き声に応え、地響きともに近づいてくる猫の鳴き声が返事をする。地響きはしだいに大きくなっていく。

「「「にゃああああぁあああああ!!」」」

 猫の鳴き声が袋小路に轟く。

「やっと来たっ!」

 得意げな笑みを浮かべ、カットは上空を仰いでいた。

 たくさんの猫たちが倉庫の屋根から我先にと、こちらへと降りてくるではないか。袋小路へと続く通路にも、たくさんの猫が殺到している。

「にゃあ!」「にぃあああ!!」「みぃぃぃぃい!!」

 猫たちは、一目散にカットのもとへと向かっていく。カットは屈みこみ、集まって来た猫たちを優しくなでてやった。

「あ……あの、カットっ」

「あぁ……これのせい。フィナにかけられた呪いのせいなんだ……。たぶん」

 たくさんの猫に囲まれ固まるフィナに、カットは苦笑を向ける。カットは自分の猫耳を指さし、フィナに語りかけた。

「猫耳が、原因?」

「どういう訳かこの猫耳を出しておくと猫が集まっちゃって……。人に見られないようにっていうのもあるけれど、猫たちを集めないためにも帽子は被っていなきゃいけないんだ……。さすがに室内にまでは殺到しないから、城では帽子は脱いでるけど……」

「私の、せい?」

「そうみたい、だね……」

 へなへなとフィナが力なく地面にへたり込む。そんなフィナを見て、カットはぎこちない表情を浮かべることしかできない。

「カット……」

 ティーゲルが震える声をカットに投げかけてくる。猫に埋め尽くされた地面を唖然と見つめながら、ティーゲルは体を震わせていた。

「それはしないって約束だろう?」

 涙に濡れたティーゲルの眼がカットに向けられる。むっとカットは彼を睨みつけ、言葉を返していた。

「父上がフィナを虐めようとするからですっ!」

「カットっ!」

 カットの毅然とした言葉に、ティーゲルが悲壮な声をあげる。きっとティーゲルはフィナを睨みつけ、カットたちに背を向けた。

「酷い! 儂だけ仲間外れにしてイチャイチャしおって、カットなんで嫌いだっ!!」

 声をあげながら、ティーゲルは脱兎のごとくその場を走り去っていく。嵐のように去っていくティーゲルを、カットは唖然と見送ることしかできなかった。





「父上は、いったい何がしたかったんだ……」

 にゃあにゃあと歩を進めるたびに猫たちが鳴く。そんな猫たちを引き連れ、カットとフィナは裏路地を散策していた。

「さぁ、何となく心当たりはありますが……」

 カットの後ろを歩くフィナは、曖昧な返事をする。そんな彼女が気になって、カットは後方へと顔を向けていた。

「昔からこうなんだ。俺がレヴを拾って来たときも、いつも俺と一緒にいるレヴにちょっかいだしてきて……」

「拾った……。レヴ殿を、カットが?」

「あ、その……レヴには色々とあって……」

 うっかり口を滑らせてしまったことを後悔し、カットはフィナから顔を逸らす。眼のすみにフィナの寂しげな顔をが映り、カットは猫耳をたらしていた。

「今度、話すよ……」

「あの、カット……帽子は被らなくていいのですか?」

 フィナが、突然違う話題を振ってくる。驚いて、カットは彼女に視線を戻していた。優しげに眼に微笑を浮かべ、彼女はカットの猫耳にふれる。

「びっくりしました。私のかけた呪いに、こんな力があっただなんて……」

 苦笑する彼女はどこか寂しげだ。そんな彼女を慰めるように、猫たちがにぃにぃと鳴いてみせる。

「生えて数日後に分かったんだ。王城の中庭を散歩してたら、猫舎で飼ってる猫たちが俺に殺到してきて大変だった……」

 猫耳に触れるフィナの手にそっとふれ、カットは苦笑してみせる。フィナの手をなでながら、カットは言葉を続けた。

「レヴに言われた。この呪いが解けないのは俺のせいだって。俺が……」

 ――フィナちゃんが忘れられなくて、彼女との思い出を消したくなかったとか……。

 レヴの言葉を思い出し、すっと頬が熱くなる。カットは猫耳にふれるフィナの手をつかみ、歩きだしていた。

「カットっ?」

「しばらく、このままでいいかな?」

 しゅんと猫耳をたらして、フィナを振り返る。フィナは困った様子で美しい眼を歪めるばかりだ。

 フィナの手は滑らかであたたかい。レヴを倒したほどの剣戟が本当にこの手から繰り出されていたのか、カットは疑問に思ってしまう。

 ぎゅっとフィナが手を握り返してくれる。白い頬を赤く染め、フィナは俯いたままカットの手を両手で握りしめていた。

「フィナ……」

「私が、カットに猫になる呪いをかけたのには、理由があるみたいなんです……。自分でも、最近まで気がつかなかったけれど……」

 俯いたまま、フィナは自分のことを語り始めた。

「母がいなくて孤独だった私の側には、いつも猫たちがいてくれました。でも、あの日……。カットに呪いをかけたあの日……。カットが私と違って独りじゃないって分かって、私は凄く悲しかった。思ったんです。もし、カットが猫だったら――」

 フィナの言葉が途切れる。

 彼女は悲しげに眼を細め、地面を見つめるばかりだ。

「馬鹿ですね、私。カットには大切な家族がいるのに……。でも、たまにカットとティーゲル様を見ていると、羨ましくなることがあるんです……。私も、父とあんな風に話せたらいいのに……」

 フィナの声はかぼそく、今にも泣きそうなものだった。

「俺が猫だったら、フィナは悲しくなかった?」

 思わずカットはそう言葉を発していた。俯くフィナが、大きく眼を見開く。そっと彼女は顔をあげ、驚いた様子でカットを見つめてきた。

 赤いフィナの眼から、カットは眼を逸らすことができない。吸い寄せられるようにカットはフィナの背に手を回し、彼女を抱き寄せていた。

「カット……」

「命令だよ、フィナ。このまま、話を聴いて……」

 彼女の耳元でカットは囁く。自分の吐息にフィナが体を震わせるのが分かった。

「俺は、恋がどういったものなのか分からない……。この猫耳のせいで、ずっと女性を避けてきたんだ。でも、レヴに呪いが解けないのが自分のせいだと言われて、気がついたことがる。ずっと、君のことが忘れられなかった……」

「カット……」

「これが何を意味しているのか、俺には分からない。ただ、君といると……君の笑顔を見ていると、凄く、凄く……」

 心臓が早鐘を打って、言葉が上手く出てこない。もどかしくなって、カットはフィナの顔を覗き込んでいた。

「これが恋なのか? フィナ……」

 カットの眼の前で、フィナの眼が困惑にゆれる。そんなフィナをカットは力強く抱きしめていた。

「友達からやり直そうって俺は言った。でも、もし叶うなら……君が望んでくれるなら――」


 にゃあああああああああ!!


 カットの声は、猫たちの歓声に遮られる。とつぜんの出来事にカットは思わず周囲を見つめていた。

 猫たちが、カットから離れ前方へと駆けていく。通路の先には魚市場が広がっていた。その市場の中央にシートがひかれ、大きなサーモンの切り身が皿に山盛りになって盛られている。その皿めがけ、猫たちはいっせいに駆けていた。

「な……なんだ?」


 ――さぁ、主役たちのお出ましだー!! フレイヤ前夜祭のスタートを飾るのは、やっぱり女神の使いである猫たち!! この倉庫街に住む猫たちをみなさんにご紹介しましょう!!


 カットの疑問に応えるように、高らかな男性の声が市場に広がる。それと同時に、大きな炸裂音があたりに響き渡った。

 フレイヤ祭の開催を祝う、前夜祭が始まったのだ。

 唖然とカットは皿に群がる猫たちを見つめていた。

 色鮮とりどりのブーナットを纏った乙女たちが、くるくると踊りながらそんな猫たちに近づいていく。彼女たちは鮭が大盛りに載せられた皿を持っていた。その皿を猫たちの前に差し出し、彼女たちは輪をつくって舞い始める。

 ブーナットを着た男性たちが踊りの輪に加わり、彼女たちとペアを組み始めた。

「にゃあ!」

 弾んだ猫の鳴き声がして、カットは足元を見つめる。猫たちの群れに紛れていたアップルが、喉を鳴らしながらカットの足に頭をすりつけていた。

「アップル……」

「にゃあ!」

 楽しげに踊る人々に顔を向けながら、アップルは鳴く。瞬間、ふわりと頭に何かを被せられ、カットは頭をあげていた。

「帽子を被らないと、猫耳がバレちゃいますよ」

 フィナが微笑みながら、自分に帽子を被せてくれる。そっと視線を逸らし、彼女は言葉を続けた。

「ごめんなさい。私も……恋がどんなものなのか分かりません……だから――」

 潤んだ赤い眼がカットに向けられる。フィナがつま先立ちになる。そっとフィナはカットの顔を両手で包み込み、額に唇を落とした。

「今は、これで許してくれますか……?」

 唇を額から離し、フィナは問いかけてくる。フィナの頬が赤いのは気のせいだろうか。

「フィナ……」

 そっと額を手でなぞり、カットはフィナを見つめることしかできない。そんなカットの手をとり、フィナは微笑んでみせた。

「行きましょう、カットっ!」

「フィナっ!」

 弾んだ声をあげ、フィナは駆けだす。嬉しそうな彼女の笑い声を聞いて、カットも自然と笑みを浮かべていた。

 楽しげに踊る人々の輪に加わり、2人は手を取ってくるくると回る。

 陽気な音楽が、祭りを祝う人々のダンスを彩っていく。

 嬉しそうなフィナを見つめながら、カットは笑みを深めていた。

「今度、ウルも誘って一緒に猫退治人の活動でもしようか?」

 そっとフィナの耳元でカットは囁く。フィナは大きく眼を見開き、花のような笑みを浮かべてみせた。


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