第23話「窓際のロクサーヌ」

「なんで起こしてくれなかったんだよ! 」

「あら、私はちゃんと起こしましたよ。あなたが『もうちょっと』っていうから、寝かせてあげたんじゃない」


「もうちょっとが一時間って、どういう感覚してんだよ」

「私が悪いの? あなた世界で一番逆ギレが上手よね。ほら、朝食はどうするの? 」


 母が朝食を差し出したが、俺には取っている余裕などなかった。俺は素早く洗顔と歯磨きを済ませると、制服に着替えた。


「行ってきます」

「お弁当は? 」

「いらない」


 幸田の嫌味な顔が過ぎって憂鬱になった。これだけ遅刻してもそれだけは絶対に慣れなかった。


 教室に入ると案の定幸田が理由を尋ねてきた。

「寝坊しました」

「何度目だ? いや、答えなくていい。私も正解を知らないからな。で、今日はどうして寝坊したんだ? 」


 どうしてだろう? むしろ昔の俺はどうやって朝起きてたんだろう。


 俺が考え始めたので幸田も諦めて俺を席に着かせた。


「昨日私が教えた通り目覚ましとスマフォ二つ使った? 」

 マヤが右隣りの席から首を出して、ひそひそ俺に尋ねてきた。


「それどころか母ちゃん生きてる目覚まし使ったのにダメだった」

「ウチのバアさん貸そうか? 少々ポンコツだけどな」

 拓実が左隣りの席から口を挟んできた。


「拓実、それオバさん聞いたら怒るよ」

「知らなきゃ怒りようもないだろ。お前らが黙ってくれれば済む話だ」

「まあ、別に喋るつもりもないけどね」

「流石マヤちゃん。今日も可愛いね。ジュース一本おごってやろう」

「俺は喋るかもよ。人としてどうかと思うからな」

「人としてどうこう言う前に、お前はまず寝坊しないところから始めろよ」

「俺にも何かくれ」

「じゃあそのバアさんが作った卵焼きな」


「面白い話してるわね。私も黙ってたら何かくれる? 」


「そうだな。お前には……って、こんなことしてたら弁当なくなるわ」

「香澄も欲しーい」

 香澄は思い切り後ろを向きながら言った。


「俺の卵焼きやるよ。俺にはマヤが作ってくれた奴があるからな」

「流石紙谷くん。正宗くんより素敵よ」

「それ俺のだろ。断じて俺のだろ! 」

「山城、廊下に立ちたいのか? 」


 幸田がこちらを睨んでいた。


 三人は慌てて俺の席から首を引っ込めた。


 昼休み、約束通り俺は拓実から卵焼きをもらうと香澄に進呈した。


「美味しい。毎日食べたいわね」

「なんか拓実がオバさん貸してくれるって言うから、毎日でも食べられるかもよ」

「本当? すっごい楽しみ」

「貸さないからな。絶対貸さないからな! 」

「少しくらいいだろ。じゃないとまた香澄があっちに行っちまうぞ」


 俺が指した先では、今日も誘蛾灯のごとく女子生徒たちが正宗に集まっていた。正宗の転入以来これがクラスの日常風景だった。

 男どもは今や女日照りに襲われて餓死寸前であった。


「だから君ももう少し広い心を持ちたまえ」

「了解であります。隊長キャプテン! 」

「それって広い心なの? なんか最近二人ともやってることすっごく小ちゃくない? 」

 マヤが首をひねった。


「この焼き肉美味いな。どうやって作ったんだ? 」

「市販のタレで炒めただけよ」

「誤魔化さないの」

 香澄が俺を突いた。

「それでも美味しいよ」

「うん」

 マヤは嬉しそうに頷いた。

 素直なことはいいことだ。

「やれやれ」

 香澄と拓実が首を振っていた。


「で、次は誰を狙うんだ? 」

と拓実。

「そうだな。こっちの作戦としてはクラスの綺麗どころを抑えようと思う。数より質ってことだな」


「そうするとマヤと香澄は抑えたから、後は……ロクサーヌか? 」

「パス。あれはダメだ」

「でも上玉だぞ」

「上玉って、お前は時代劇の悪人か? 」

「やべ。爺ちゃんの口癖が移った」

 上玉が口癖の爺さんってどんな爺さんだよ。まあ拓実の爺さんらしいけど。


「なんでダメなんだよ。彼女いつも独りなんだし、やってみようぜ」

「一言で言うなら馬が合わない」

「馬が合わないって何だ? 」

「暖簾に腕押しって感じで」

「どういうことだ? 」

「相手にされないのよね。紙谷くんはさ」


「相手にされないのは俺だけじゃないだろ」

「中でも紙谷くんには一番気がないって感じよね。ほとんど会話が成立してないもの」

「挑戦したことあるのかよ」

「いつも独りだし、ちょっと可哀想だなって思って声をかけてみたんだが、あれじゃあ友達ができなくて当然だ」


「でもロキシーちゃん、私とはよく喋ってくれるよ」

とマヤ。

「そこが一番不思議なんだよ。不思議ちゃん同士、何かテレパシーみたいなもので交信でもしてるのだろうか? 」

「私も不思議ちゃん扱いなの? 」

「どこら辺から電波飛ばしてんだ。アンテナはここか? 」

「ちょっとー、そんなにつむじ見ないでよ」

 マヤは恥ずかしそうに頭の天辺を隠した。


「俺行ってこようか? 」

「行ってくれるか、山城大佐カーネル! 」

「ねえ、さっきから二人とも何へんてこりんな単語で呼び合ってんの? 」

「女漁り隊の隊員のつもりらしいわよ。つくづくバカよねえ」

「女性解放軍と呼んでくれ! 」

 俺の心の叫びも今の所彼女たちには届かなかった。だがそれも時間が解決する。


 拓実は緊張した面持ちで窓際のロクサーヌの席に近づいた。


「よう、どうした。元気ないな」

 そしてまるで十年来の友人のようにロクサーヌに声をかけた。


 顔を上げた彼女は少々気怠けだるそうに見えた。

「何? 」

「百物語って知ってるか? 日本の夏の風物詩でな。怪談を一つ話すたびに火のついたロウソクを消していく。これを繰り返して百個のロウソクを消し終えた時、恐ろしい怪異が現れるんだとさ」


「怪異って何? 」

「怪しいこととか不思議なこととか、後は化け物だな」

「化け物なら普段から会ってるわ」


「ああ俺も俺も。スッピンの母ちゃんが化け物でさ。買い物に出ると、近所のガキがビビって家に閉じこもっちまうくらいなんだ」


「へー、すごいわね」

「だろ? すごいんだよ。ウチの母ちゃんは」


「会話が成立している! 」

 俺は驚愕した。


「と言うことは、紙谷くんより拓実の方が彼女の中では上ってことか」

「春樹どうしたの。そんなにショックなの? 」

「いや、俺にはマヤ、お前がいるからな」

「私、もてない男なんて好きじゃないな」

「ひどい! 」

「さっきのお返しよ」


「その意気よマヤ。紙谷くんは甘やかしちゃダメ。見てみなさいこの緩んだ顔を。ウチの犬もまさにこんな感じてね。猟犬の血が入ってるはずなのに、いつも自分の尻尾ばかり追ってるわ」


「俺は自分の尻なんて追いかけないぞ」

「バカみたいに女の尻は追いかけてるけどね」

「捕まったお前が言うなよ」

「こんな男だとは思わなかったからよ。不思議よね。以前はもっと違った印象だったはずなのに」


「どんな? 」

「まあ、少なくとも今よりはもっと頼り甲斐があった気がするわね」

「ほうほう。他には? 」

「もっと口数が少なかったはずだし、ここまで軽薄でもなかったわね」

「すごいな俺。どこかの宇宙海賊みたいじゃん」

「言っとくけど今の印象は真逆だからね」

「よし、努力しよ。明日から頑張ろ! 」


「マヤ、そういう訳だから明日からお弁当作るのやめなさい」

「でもそれだと春樹が空腹で死んじゃうかも……」

「花壇でも掘り起こして百合の球根食ってればいいのよ」

「香澄ちゃんひどい」

「こいつにはハングリーさが足りないのよ」

「幸せなことはいいことだろ! 」


 そうこうするうちに我らの勇士ますらおが帰還を遂げた。


「ピンと来たんだよ。あれは怪談とか化け物を好きな感じだなってな。目を見りゃ分かるよ。その寝ぼけ眼の奥底に強く秘めた意志みたいなものが見て取れたんだ。後はそれを正しく処理してやれば造作もないことさ」


 彼の言葉は将来武勲詩いさおしとなって永遠に語り継がれることだろう。


「完敗だよ親友。俺なんてファースト・コンタクトは二言だけだったからな。『知らない』『あっち行ってて』これだけだ。後はいくら話しかけても無視の一点張り。もしかしてあれかな。前世で俺が間違って彼女の親をこの『哀しき右腕ジェントリー・ウィープス』で殺したこと、まだ恨んでんのかな」


「お前の右腕にマスかく以外にどんな能力があるって言うんだよ」

「紙谷くんが生理的に受け付けないだけでしょ。女の子にはそういうところあるからね」

「それじゃどうしょもないじゃん。もう努力すんのやめた! 」

「努力はしなさい」


「待てよ、もしかして単に照れているだけかもな。一目惚れして、でもどうしても話そうとすると顔が赤くなってしまう。女の子とムーミンにはそういうところあるからな」


「春樹、明日からオバさんにお弁当作ってもらってきてね」

「ひどい! うちの親が味覚障害だって知ってるくせに! もう香澄ちゃんでいいや」

「それより首尾はどうだったの? 」

 抱きつこうとする俺を香澄はさらりとかわすと、拓実に尋ねた。

「日曜にみんなで出かけること話してくれた? 」


「ああ。でもダメだった」

「なんで? 」

「いや、それはまあ彼女にも色々事情があるらしくてな」

「はっきり言いなさいよ。拓実までそれだと、私あっちに行くわよ」

「まあその……なんだな。春樹が来るなら来ないとさ」


 拓実はそう言うと申し訳なさそうに俺に手を合わせた。

 マヤや香澄も同情気味に俺を見ていた。


 みんなの沈黙が痛かった。


「ちょっと思ったんだけどさ」

 この時俺はとんでもないことに気づいてしまった。


「『窓際のロクサーヌ』って六十年代の洋画のタイトルでありそうじゃね? 」


 誰も答えてはくれなかった。


「なあ、マヤもそう思うよな? 」


「……うん」

 その時のマヤは大人がよくやる「気を使う」表情をしていた。いつの間にか彼女もこういうことが出来る年頃になったのだ。


「今度探してみよ! レンタルビデオ屋の棚探してみよ! 」

 ポジティブが信条の俺でも流石にこれは堪えた。

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