第22話「ありがとうマリー」

「着替え、ここに置いとくわね」

 シャワールームの外で彼女は言った。

 俺は返事をしなかった。


 もう行ってしまったかなと思った時、再び彼女の声が聞こえてきた。


「本当にごめんなさい。色々と話すべきだったし話したかったけど、それは許されていなかったの。マヤに関する情報はキャラバンでも極秘で、私だってこの任務を任されて初めて知ったくらいだから」


「俺を騙す任務のことか? 」

 彼女は無言。

「そうなんだろ! 」


「……あの日あなたが紙谷春樹だと判明した夜、いい機会だからこのままあなたを使ってマヤの情報を集めるよう命令が下ったわ」


「そしてそれに従ったのか? 」


「あなたはマヤの動向を探るには絶好の位置に座ってるの。マヤの内面を知る為にあなた以上に適任な人物はいないわ」


「お前のやっていることは、ある意味でマヤまで裏切っていることになるんだぞ」


「分かってる。正直言葉を交わすまで、あの子があんなにいい子だとは思わなかった。ストレンジャーから聖女だなんて呼ばれてるから漠然と敵意を持ってたけど、それもすぐに消えたわ」


「そこまで分かっていたなら何故なんだ」


「私が今この時代にいるということは、それだけの覚悟を持って来ているということよ。話したよね。因果律の壁を突破するのがどれだけ困難だかを。私はタイムマシンカタパルトで飛ばされてあの壁を突破できた時、涙を流して生きていることを感謝するとともに、この先どんなことでもすると誓ったわ。どんな汚いことでもね。だから今はただその誓いに従ってるだけ」


「つまりあの笑顔や心配してくれたことも演技だったというわけか」

「それは本当よ」


「騙しはしたけど心配はしたって? 嘘つけ。お前が心配したのは俺のことじゃない。お前は俺が命がけで戦っている時も、冷静に観察して便利な道具が壊れてはしまわないか、へそを曲げて動かなくならないか、ただそれだけを心配してたんだろ? 」


「違うわ……」


「確かに俺が死んだら代わりを用意するのは面倒臭いからな。でもそれは面倒臭いだけで、いない訳じゃないんだ。拓実でもいいし香澄でもいい。お前自身がやってもいいだろう。既にかなりマヤの懐に入り込んでるからな。俺は所詮お前の中でその程度の存在だったんだろ? 」


「違うわ……」


「面白いもんな。俺も見たかったよ。バカが手のひらで踊ってる様をさ。気に入られようと必死こいて友達の情報集めて、ヘラヘラ笑いながらペラペラ喋る泥人形をさ」


「違うわ……」


 ロキシーはうわ言のように同じ答えを繰り返した。


「でもそういう命令は下りてたんだろ! 」


 彼女は無言だった。


「言えよ。今更誰の気を使ってんだ? 」


「……確かにそれがなかったと言えば嘘になる。でも私自身は紙谷くんのことをとても大切に思ってた」


「大切か。今となってはそういう言葉が信じられないんだよ。なんというか、上手く言えないけどお前自身の言葉に聞こえないんだ。どこか他所から聞こえてくる言葉みたいに感じられるんだ。もしかしたらそういうマニュアルでもあるんじゃないのか? 」


 彼女は無言だった。


「今俺が知りたいのはもっと深い部分にある言葉なんだよ。誰の手垢もついていない無垢な言葉なんだ。つまり、俺が言いたいことは……」


 口の中で舌が絡まって言葉が出なかった。


 俺は一呼吸置いた。


「あのアレックスとかいう奴に抱いた感情と同じものが、俺に対してもあったのかってことなんだ。多くは望まない。ちっぽけでいい。俺はそれで全てが許せるんだ。キャラバンのことなんてどうでもいい。未来のことなんてまるで構わない。だたそれだけが知りたいんだ」


 ロキシーからの答えはなかった。


「教えてくれよ。俺が知りたいのはいつだってお前のことだけなんだ! 」


 シャワーの音がやけに煩かった。


 答えを聞き漏らさないように俺はシャワーを止めた。


 彼女の答えはなかった。

 全然なかった。


 どうやら……全てが終わったようだ。


「クソみたいな仕事だった。疲れと恐怖と寝不足で、どんどん自分が壊れていくのが分かった。気づいたら膝まで底なし沼に浸かっていて、もがくたびに落ちていく気がした。でもお前と一緒ならそれでも良かった……。満足だった」


 全ては淡い夢だったんだ……。


「それも……もう終わりだ」


 夢なら覚めなきゃならない。帰らなきゃならない、あの日常に……。


「頼みがある。記憶を、この件に関する俺の全ての記憶を消してくれ。お前が学校に残ってマヤと付き合うのはいい。拓実や他のクラスメートと親しくするのもいい。だが俺にだけは構わないでくれ。放っておいてくれ。俺とお前が親しかったことを、俺と全てのクラスメートの頭の中から消してくれ。退職祝いだと思ってやってくれ」


 答えを得るまでには長い沈黙が必要だった。


「分かったわ……」

「マリーは返すよ。短い間だったけど、ありがとうマリー」


 俺は胸を優しく撫でた。

 マリーがトクンと動いたのが分かった。


「さあ、今日はもう寝よう。明日の朝起きて朝食をとって別れて、それで終わりだ」

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