第19話「神もまた人にだけは涙を流すことを許されている」

「そして君は仲間に誘われた。一番重要なことは黙っていたくせにね」


 正宗由紀夫の話はここからが本番だった。


「さて、ここでもう一つ質問があるんだが、どう表現したらいいのか、どう言ったら君が傷つかないのか……」


「さっさと言えよ」


「いいかい。怒らないで、これはあくまで彼女たちから見てという前提で話を聞いてくれ。君という人間には『マヤに好かれている』という以外に一体どういう価値があるんだい? 」


 正宗はとても申し訳なさそうに言った。


「本当にただのパートナーが欲しいなら一介の高校生なんて誘うかな? この時代の日本では確かに実戦経験のある人材は乏しいけど、でも君よりも強い人間はいくらでもいるんじゃないのかな」


「インスピレーションと……後はタイミングが良かったと言ってたな」


「うん、確かにそういうもので選ぶこともないことはないよ。僕もタロ助を選んだのはまさにインスピレーションだった。こいつが可愛いやつでさ。僕はずっと犬だと思ってたんだけど、知り合いに見せたらそいつは猫だというんだよ。僕は頭にきちゃってそいつに言ってやったよ。『お前の目は節穴か? どこからどうみてもタロ助は犬だろ』ってね」


「正宗」

「あ、ごめん。結論から言うとタロ助はキツネだった」


「俺を誘った理由はマヤにあると言いたいのか? 」


「そういうこと。彼らはマヤの全てを知りたいと思っている。ジャムシードについてほとんど何も分かってない以上、マヤという存在にすがりつくしかないからね。実際これは難しい任務だ。ある日ジャムシードさんが名刺を持って訪ねてくるなら網も張りようがある。だが実際はジャムシードというのが何者で、そもそもマヤと接触する時点で本人が自分をジャムシードと自覚しているかすら不明なんだ。つまりどうしようもないから、なんでもやらなきゃいけない。そこで君の出番という訳さ」


 正宗はコーヒーを一口飲んだ。


「君とマヤはご両親が友人同士で、小さい頃から一緒に育った仲なんだろ。年頃の彼女にとっては親よりなんでも相談できて、その上好きな相手ときたら、口だって羽根のように軽くなるだろうね。もしかしたら君はマヤ以上にマヤのことを知ってるんじゃないのかな」


「正直、すぐには信じられん」

「思い当たる節はないのかい? 」


 ある。


 ロキシーは最初からマヤのことを妙に気にしていた。こいつと同じように大事にしていた。

 パッと突然現れて、臆面もなくお姉さん面をしていた。


 正宗はクスクス笑った。


「多分あのロクサーヌという女は——もちろん本人もマヤを観察しているのだろうけど——それ以上に現場監督官という性格が強いはずだ。当然部下は君で餌は『愛情』だ。金銭的関係は裏切りがつきものだが、その点愛情は強い。たまには気があるふりなんかしちゃって君のやる気を繋ぎ止め、でも一線を越えようもんならパタンと扉を閉めて帰ってしまう。そしてその日、君に聞いたことを報告書にまとめあげ、本当に好きな人の写真にチュウなんかして眠るのさ」


 あのアレックスとかいう奴のことか……。


「どうだい。そう考えると彼女はマヤに固執してなかったかい? 君にしつこく訊いてこなかったかい? 」

「俺は何も話してない! 」


「でもあの女と日常会話くらいはしてたんだろ。特殊な訓練を受けた者からすれば、それで十分なんだよ。自分の意志でマヤに質問していると思ったら、実はあの女の発言に操られていて、後でさりげなく答を回収される。彼女の笑顔が見たいから、彼女との楽しいひと時に水を差したくないから、ついつい喋ってしまう。そしてその情報は分析に回されて、どこの情報が足りないとかなんの情報がもっと知りたいとか判断されると、また彼女のおねだりが始まる」


「俺をスパイとして使うなら、何故ジャムシードやマヤのことを教えてくれなかったんだよ」


「その二つの情報を知らなくても、ストレンジャーのことさえ知ってればその種の情報は集められるからね。いわば君は下請けの町工場なんだ。どんな製品かは企業秘密でも、最低限自動車に使うということさえ分かれば部品は作れるからね。普通の高校生にはこの任務はできないけど、だからと言って君に仲間面まではされたくないのさ。信用されてないんだよ。あんまりと言えばあんまりだよね」


「そうなのかな……」


「そうだとも。実際君はよく頑張ってるよ。昼はマヤの情報をかき集め、夜はストレンジャー狩りに精を出す。そのうちトイレ掃除までやらされるんじゃないかな。あいつらまるで君を大切にしていない。使い潰すつもりで、愛情なんて欠片も持っていない。吐き捨てるガムに名前をつける奴はいないからね」


 ドクンと心臓が高鳴った。

 いや、今のはマリーだったのかもしれない。


 分かってる。こいつはロキシーの競争相手だ。俺を動揺させようとしているのは明白だ。


 しかしそれが分かっていたとしても、正宗の話には一定以上の説得力があり、出まかせだと否定するには俺はあまりに無知すぎた。


「……おいおい春樹くん。群状金属が漏れてるじゃないか。自重したまえ。今の君はちょっとした化け物なんだよ! 」


 見ると腕いっぱいに黒いもやみたいなものがまとわりついていた。


「白状するが、もちろん僕も君に興味を持った目的は同じだ。僕も働いているからね。だから僕も同じようにすることは可能だった。悲しいかな最低限の情報しか与えないというのは、諜報の世界では常識であり理にかなっているんだよ。でも僕はあえて常識に逆らい全てを話した。ジャムシードのこと神話のことマヤのこと、僕自身のことでさえ話した。何故なら君は友達だからね。嘘なんてつけなかったんだよ……」


「少し黙っていてくれないか」


「どっちについても目的は同じ。未来は救われるのさ。ならば気持ちのいい相手と付き合いたいものだね」


 まだ正宗を信用したわけではなかったし、もちろんロキシーを完全にクロだと決めつけたわけでもなかった。

 ただ時々彼女が見せる俺に対する好意が、次の日には泡のように消えて無くなるあの現象。

 恋愛なんてそういうもんだと高を括っていたが、もしもそれが仕事だったとしたら? 


 今まで必死になって積み上げたものが、もろくも崩れていく気がした。

 唐突にやってきたこの小鬼に、あっという間に崩されてしまった。


 俺がこの仕事を始めたのは別に人類の未来を憂いたからではない。そんな殊勝な気持ち、どこを探しても俺にはない。恐らくこれからだって湧いて出ることはないだろう。


「大丈夫かい? 」

 正宗の心配そうな顔が見え、俺は慌てて自分の目を隠した。


「何も恥じることはない」


 正宗の言葉が胸に沁みた。


「神もまた人にだけは涙を流すことを許されている」

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