第33話 台風襲来

 体育館の中。珍しくビッグベアーくんを含めたチーム全員で集まっていた。その中心にいるのは、例のあの子だった。


「えっと、この子が前に言ったマチさんです」

「.....はじめまして」

「は、はじめまして」


 マサヤくんは少し驚いた様子だった。先にこの間のバトル動画でマチのダンスを見ていたからだ。格上のロックを踊る女の子がここまで小さいことが衝撃だったのだろう。

そしてミナミさんは.....。


「カカカカカワイイカワイイカワイイ」


 壊れていた。


「マチちゃん、だよな。動画観たぜ。半端じゃなく上手くて感動したよ」

「.....ありがとう」

「俺はマサヤって言うんだよろしく。んで、こっちがミナミ.....」

「カカカカカカカカカカカッ」

「おい! そろそろ正気に戻れ変態!」

「あっ.....ヨダレが。よ、よろしくねマチちゃん。私はミナミ」

「今言ったよそれ」

「え!? そ、そう。とにかくよろしくね!」

「.....よろしく」

「だ、抱きしめていい!?」

「やめろって馬鹿!」


 未だかつて無いほど我を失っているミナミさん。それを見兼ねて、彼女を無理矢理どかす形で前に出た巨体がマチの前にしゃがみ込んだ。


「気持ち悪い思いさせて悪かったな。気を悪くしねぇでくれ。俺はビッグベアー。もちろんダンサーネームだ」

「.....よろしく、クマさん」

「おう! そう呼んでくれ!」


 こちらも未だかつて無いほど穏やかな表情のビッグベアーくん。まさかこの人.....。


「び、ビッグベアー優しすぎだろ。お前もしかしてロリコ.....」

「ンなわけねぇだろ! ウチはこんくらいの弟と妹が多いから同じような感じなんだよ」

「ビッグベアーくん。彼女は高校三年だよ」

「そ、それは悪ぃ。てっきり小学.....」


 この先はまずいと思ったのか、彼は咳き込んだ。うん、それは触れないであげよう。


「ところで、リクを家に泊めたって聞いたが、コイツ本当に何もしなかったんだよな?」

「ビッグベアーくん何を聞いてるのさ! 何もしてないって言ったでしょ!」

「.....リク、見た目と違って激しい動き」

「死ねこの変態チビ助がぁあああああああああ!!」

「待ってよ! ダンスの事だよね! 早く訂正してくれないと首が折れチャーゥッ」

「.....でも、フリーズは甘い」

「何だよ。びっくりしたぜ」

「ゲボっ、ゴホッ、それは、こっちのセリフ.....」


 まさか仲間にノータイムで締め上げられるとは思ってなかった。どれだけ人望がないんだ僕は。


「リクっち! なんて事を!! 許さないわよ!!!」

「その話はいま終わったから!! ミナミさんは頭を冷やしてきてよ!!」


 今日のミナミさんは駄目だ。帰った方がいい。

 入口付近で戯れていると、遠くから「あぁああああ!!」っという叫び声がした。駆け寄ってくる声の正体は、ウチのクラブの大エースが一人。ニシキ先輩だった。


「ま、まままマチさん! お久しぶりっす! どうしたんですかこんな所で!」

「あ、ニシキだ。髪切った?」

「何年前の話しっすか。相変わらずボケてますね」

「そうでもない」

「褒めてないっすからね?」


 畏まるニシキ先輩に、僕たちは混乱していた。マサヤくんなんて有り得ないものを見たと固まってしまっている。

 あまり聞きたくないけど、好奇心が勝ってつい訪ねてしまった。


「あの、ニシキ先輩はマチと知り合いなんですか?」

「こらリク! マチさんだマチさん! おっかないぞこの人は!」

「す、すみません!」

「リクはいい。ニシキはダメ」

「し、失礼しました!」

「ど、どんな関係なんですか!?」


 あまりにも強ばるニシキ先輩にマサヤくんは泡を吹きそうになっている。

 ニシキ先輩は言いづらそうに言葉尻を濁しながら説明してくれた。


「この人はな、なんてぇか.....し、師匠なんだよ。俺の.....」

「師匠!?」

「ニシキは、わたしが育てた」


 胸を張るマチの姿はそれはもう可愛らしくて、全然納得が出来ない。


「本当ですか?」

「嘘ついてどうすんだよ。マジで鬼教官だからなマチさんは! ここにいるってことはリクが知り合ったのか。この人のロック見たことあるか?」

「えぇ、この前バトルで一緒に組んでたから見ましたけど.....」

「俺のロックに似てなかったか?」


 そう言われてみれば。所々でニシキ先輩のオリジナル技を使っていた。なんで気付かなかったんだろう。でも、スタイルがかなり違ってたかも。


「ニシキは、わたしの真似っ子。それに、わたしも上手くなってるから似てない」

「そんなぁ、俺だってあれからかなり練習して.....」

「この前の合宿? の、バトル見た。ニシキ。暴れる癖直ってない」

「あ、いや〜.....」

「また特訓する。ニシキ下手くそだから」

「それは勘弁してください! もう吐きたくないっす!」

「ダメ。弟子が下手だとタックに笑われる」

「本当に許してください! そ、そうだ! タックに会いに来たんですよね!」

「ちぇっ、まぁ、そうだけど」

「来てるんで探してきます!」


 逃げるように走り去っていく尊敬する先輩に、僕らは呆気に取られた。本当、ダンスってどんな繋がり方してるかわからないよ。


「マチ」

「なに?」

「マチの練習って吐くの?」

「リクは、タックの練習で吐く?」

「ううん」

「なら、大丈夫」

「え?」

「わたしの練習は、タックを参考にしてる。ちょっとキツくしてるだけ」


 それって、同期の部員を全員辞めさせた練習メニューをさらにキツくしてあるって事なんだけど.....。タックさん、かなり優しくなったみたいだし、僕も吐くなこれは。


「今度、一緒にしようね」

「やめとくよ」

「リク、わたしのこと嫌いなの?」

「結構好きだよ。でもやめとくね」

「わたしもリク好き。優しいし、ガッツがありそう」

「ありがとう。でも、やめとくね?」

「んん、そう.....」


 とても残念そうに、マチは僕の袖を掴んだ。そんな姿を見せても惑わされないぞ。これはデカすぎる罠だ。部屋で見た大量のプロテインと筋トレグッズがそう囁いている。

 何も知らないミナミさんとビッグベアーくんは、なんだか可哀想だという顔でこちらを見ている。


「マチちゃんはリクっちが好きなのね〜」

「.....うん、好き。一目惚れ」

「こら、嘘つかないでよ」

「なんて事を言うのよリクっち! 本当酷いお兄さんだよね。ほら、私たちと練習しましょう?」

「.....ほんと?」


 これは危ない。この子は並の女の子じゃないんだってば。


「リクはつめてぇな。練習くらいやってやりゃいいじゃねぇか」

「.....クマさんも、やる?」

「お、俺か? あぁ、もちろんだ。いっぱい教えてくれよ?」

「.....やった」


 二人共もうダメだな。目の中にハートが見えるよ。


「.....マサヤは?」

「俺は、遠慮するよ」

「.....そっか」

「あ〜あ〜チビ男ふたりはだらしねぇな! なら外でコーヒーでも飲んでろよ腰抜け!」

「そうよそうよ!」


 魅了された二人は助からないだろう。ニシキ先輩のあの姿に衝撃を受け、さらにタックさん仕込みの練習メニューを思い出して頭がショートしたマサヤくんだけは正しい判断をしたと思うよ。


「コーヒー飲んでくる」


 マサヤくんはフラフラと外へ出ていってしまい、僕は今から始まるであろう地獄の特訓に参加したくない一心で、タックさんを探すという使命を胸に体育館から飛び出した。

 あの二人。無事だといいな。





 何となく体育館の裏側へ行くと、先にタックさんを探しに出ていたニシキ先輩を見つけた。小さな喫煙所で煙草を吸っている姿は、まるでリストラされたサラリーマンのようだった。


「ニシキ先輩。タックさんいました?」

「おうリク。どうやら夕方まで戻ってこれないってよ」


 ゼミの関係で戻れないらしいタックさんを待つしか出来ない僕とニシキ先輩は、二人並んでぼーっと空を見ていた。

 煙をため息で吐き出す先輩。よほどマチのことが苦手なのだろう。


「マチさんはな」

「はい」


 唐突に話し始めるニシキ先輩。きっと記憶に刻みつけられた傷が疼いたのだ。


「マチさんは、タックと同じチームのメンバーだったんだ」

「え.............えっ?」


 衝撃の事実だ。あんな小さな子が師匠と知り合いってだけでなく、よりにもよって同門だったのか。信じられなくもないけど、もしかして二人で色んなところへ行ったって、バトルのことだったのかな。

 いやそれより、タックさんのチームについて聞きたい!


「あの人のロック、細かくて正確で、しかも大きかっただろ? それに憧れて俺はロッカーになったんだ」

「そうでしたか」

「当時ブレイクをしてた俺がタックの練習に混ざらなかったのは、アイツと一緒に大会を荒らしてたマチさんのダンスに惚れてロッカーに転向したところだったからなんだ」


 何も無い場所を見つめながら、ニシキ先輩は続ける。これは話題を変えられそうにない。


「それが地獄の始まりだった。ダンサーとして間違いではなかったけど、ある意味間違えた。あんな小さな女の子がタックの横にいる。それを深く考えなかった俺が馬鹿だったんだよ」


 先輩、確実にトラウマが植え付けられてるよ。目が真っ黒だ。闇がすごい。


「まるで軍隊だ。起きてすぐ筋トレ、死ぬほどランニング。全身の筋肉をズタズタにしてからのハイペースな基礎練。そして、倒れるまで実践練習。終わり際の筋トレ。大量の飯に大量のプロテイン.....」

「うわぁ.....」

「はじめはマチって呼び捨てにしてたんだけどよ。弟子入りしてから敬語で話せと。口答えするとマッハパンチだ。知ってるか? あの人空手初段だぜ?」


 いま、二段になってますよ.....。


「なんて言うんだろう。ギリギリ出来るメニューじゃなくて、ギリギリ出来ないメニュー組んでくるんだ。鬼だぜあの人。そしてよく見てやがる。そのうち頭の中も筋肉になりかけてよ。気がついたら舎弟根性が備わってた」

「ニシキ先輩。しっかりしてください」

「リク、間違っても弟子入りするなよ。あの人はタックを変な形で参考にしてる節があるから、めちゃくちゃなんだよ」

「心に、刻んでおきます。」


 それからしばらく、どちらも口を開かずに空を見上げていた。日が赤くなり始めた頃、ニシキ先輩の携帯が震えた。


「お、タック来るってよ。そろそろ戻るか」

「はい」


 よいしょと立ち上がり、一緒に体育館に戻った。途中、マサヤくんを見つけたけど、現実を直視出来ない彼はベンチで一眠りしていたのでそっとしておいた。






 体育館に入ると、そこには死体が二つ転がっていた。


「ミナミさん! ビッグベアーくん!」


 汗で余すところなく変色させたシャツとズボン。息を荒くして声も出ない二人はただただ地面とキスをすることに余念が無い。


「リク、おかえり」

「マチ! これはどういうことなの!」


 マチは僕らの後ろから入ってきて、手には2リットルのペットボトルに入ったスポーツドリンクを持っていた。どうやら倒れた二人のために買ってきたみたいだけど、それどころではない。


「やり過ぎだよこんなの! 下手したら病院行きじゃないか!」

「リクは、心配性ね。優しい」

「そんな話じゃなくて!」

「大丈夫。慣れてるから」


 そう言って、寝ていた二人を起こしてスポーツドリンクを飲ませる。辛うじて起き上がることが出来た二人は、虚ろな顔でこちらを見ていた。


「二人共! だ、大丈夫なの?」

「リク、か.....。大丈夫。脱水症状とかは、心配ねぇよ.....。ただ、疲れた」

「水、死ぬほど飲まされたからね.....。死ぬほど動いた、けど」


「もう動けない.....」と口を揃えて二人はまた寝てしまった。こんな、三時間ほどでどうやってここまでしごけるんだよ。


「マチ〜.....」

「リク。本当に、大丈夫だよ? いつもわたしがしてるメニュー。一緒にしたの」

「え、いつも?」

「うん。汗かいた」


 ほんのり汗ばんでいるところを見ると、一緒にはしてたんだろう。だとすると、この子はいつもダンサーが倒れるほどの訓練をしているのか。この体力オバケめ。


「ニシキ。やりたそうね」

「いえ! 全く!」

「ニシキのメニュー。思いついちゃったの」

「それより! もうすぐタックが来ますよ!」


 死ぬほどやりたくないニシキ先輩は無理矢理タックさんに丸投げ。ニシキ先輩、威厳が煙のように溶けていってますよ。

 そうこうしてる間に自我を取り戻したマサヤくんも戻ってきて、ミナミたちもある程度回復して普通に話せるようになった。

軽くみんなで話していると、待ちに待ったあの人が扉を開けて入ってきた。


「タックさん!」


 僕が叫ぶと、タックさんはヘッドホンを外してこちらを見る。マチはスッと立ち上がると、ゆっくりタックさんに近づいていく。

何だろう、もっとはしゃいで飛びつくのかと思っていたけど、そんな空気じゃない。

マチが立ち止まってタックさんを見上げる。タックさんは微動だにせず見下ろす。


「タック.....」

「マチ.....」


 それは余りにも予想外の出来事だった。

 なんとマチは、ゆっくりと両手を広げるとタックさんの両頬目がけてダブルビンタを放った。なんの抵抗も見せないタックさんは、顔からバチンッ! とすごい音を立てたまま棒立ちしていた。


「「!?!?」」


 マチがタックさんを叩いた。

 僕たちがそれを理解したのは、痛々しいまでの打撃音が聞こえてからだ。

 躊躇のない本気だった。だから、僕たちは全員でマチを抑えようと動いたのだ。


「マチ! 何やってるんだよ!」

「マチさん! いくらタックが遅いからってそれはあんまりだって!」


 抑えたものの、マチはそれ以上動こうともせず、タックさんもマチを離すように言った。二人の間で何があったんだ。全然穏やかじゃない。

 やっと口を開いたマチは、タックさんに呆れるように言い放った。


「タック。見損なった」

「.........」

「師匠失格」

「俺は、そうは思わない」


 また少しの沈黙。タックさんは怒るそぶりもなく、いつも通りの口調で話し出した。


「マチ。外へ行くぞ。ここじゃあ練習の迷惑だ」

「わたしはいま話してる」

「いい加減にしろマチ。もう子供じゃないんだろう」

「.............わかった」


 そう言って二人は体育館から出ていった。残された僕たちは心配するばかりでどうにも出来なかった。

 奇妙なのは、暴力沙汰になったのにどちらもいつもの感じで話していた事だ。

 何も変わらない。それが何より変わっている。二人の関係がまた謎に包まれた気がした。

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