月は無慈悲な鋼の女皇

シムーンだぶるおー

第1話 『鋼の女皇』セレーネ

 月経済圏の現状は、比較的良好である。

 十数年前は、自治権は名目上は与えられていたものの、防衛戦力の保有制限や地球圏連合からの駐屯艦隊の派遣、という形での威圧戦力など、実質的には地球圏連合の支配下にあった。

 十数年前から、人類は謎の敵対勢力である金属異生体の巨人『ユミル』と生存を賭けた戦いを繰り広げることになった。そのユミルと効率的に戦える月経済圏の『人型機動兵器・ギガステス』の技術を、ユミルの生態とギガステスの有用性を理解した地球圏連合も、提供を求めざるを得なかったからである。

 地球圏連合は密かに、独自にギガステスの開発を進めてみたものの、その開発技術は到底月経済圏の代物に及ぶものでは無かった。

 さらに、その月経済圏へと実質的にギガステスの開発技術の情報提供を行ったとされる、月の民間軍事会社(PMSC)の『ハインライン』の情報無くしては、地球圏連合はその技術力に追随することなど不可能だったのである。

 また、高精度高純度の物質精製が可能な無重量空間である宇宙へと、多くの機械生産工場を移した地球圏連合ではあったが、月のそれには生産量と生産技術で大きく劣っていたことも否めない。

 月経済圏はこららの事情によって、地球圏連合からの理不尽なまでの抑圧から脱しようとしていた。

 それが人間と敵対する金属異生体のおかげでもあると考えると、いささか皮肉を感じざるを得ないだろうが。




 セレーネは、自身の『鋼の女皇』という二つ名があまり好きではなかった。昔の事を嫌でも思い出す呼称だし、明らかにそれを意図してのことだろう。

 何より、その二つ名を広めたであろう張本人が、明らかにイタズラ半分でつけたであろうことが、セレーネには気に食わないのだ。

「わたしは好きよ、セレーネの二つ名。だって、セレーネは本当に綺麗で素敵で……女皇って言葉がよく似合うもの」

「マリー。気持ちは嬉しいが、そこまで言われると、流石に照れてしまうよ」

「でも本当のことだもの」

 セレーネの髪は真紅のセミショート。瞳は紅蓮で、力強い意志を感じさせる。まるで専用にあつらえたような絶妙なラインの鼻梁と、細くしなやかでありながらグラマラスかつ長身な体躯。

 一方のマリー=スチュアートの方は栗毛色のセミロングヘアーと瞳の、人懐っこい雰囲気を醸し出す少女だ。女性であることを考慮してもなお小柄な体格もあってか、たしかに女皇という言葉は彼女には似合いそうにないが。

「私は、マリーの可愛い形容が似合う容姿が好みだよ。鋼の女皇などという厳つい名は、マリーには似合わないという意味でも好きではないかな」

「え……あっ、あ……セレーネの、バカァ!」

 セレーネは本音を言っただけなのだが……どうして怒られるのだろう。セレーネにはよく分からなかった。ユミルと比べると、人間はかように複雑な心を持っているらしい。

 それはとある日の、セレートとマリーの和やかな会話の風景の一つだった。

 だが、今は平和な時ばかりではない。ユミルの脅威はまだまだ終わりを見せていないのだから。




 月は無慈悲の象徴だ。民間軍事会社(PMSC)ハインラインのCEOであるマヌエル=マイクロフトは、かつて人間の政治的な側面には疎かった頃の自分に対しそう語った。

「地球は月とラグランジュポイント(重力均衡点)へコロニー群を造った。それは将来の宇宙進出へ向けた足がかりであると同時に、地球の環境を保全するために増えすぎた人類を移住させるための措置でもあった」

 それは知っている。そして、その結果がどうなったのかも。

「だが、人類はなかなか宇宙進出を成し遂げられずにいる……結果として残ったのは、移民政策という名目で行われる人減らしと抑圧、そして地球に残る者の選民意識」

 地球に残った民衆と施政者は時が移ろうにつれ、崇高な意志から始まったであろう宇宙進出への政策であることは忘れ去られ、代わりに宇宙の民を蔑視し抑圧することを始めてしまった。

「月は、本来人間の住める環境ではない。そこに居住出来るよう計らった先人たちには敬意を示すが、だがそこに住むものにとっては隔離された世界に過ぎない。所詮、人間は月や宇宙では機械で守られた環境でしか生きていけない。地球では、程度の差こそあれ人は機械なしでも生きていけるのにだ」

 月は無慈悲の象徴。それを変えられたらと、この男は心の何処かで祈っていた。その祈りは純粋だが、同時にセレーネと出会った当時の彼は絶望してもいた。その絶望からくる諦観が、彼にそう言わせたのだ。

「月や各コロニー群は自治権を持っているが、かといって自警団程度の武力しか持つことは許されていない……一方で、それを補佐する名目で地球から駐留艦隊が派遣されている。地球の連中は、治安維持のための防衛戦力なんぞと言っているが……月や各コロニー群への抑圧と、反地球活動の阻止のために送られていることも事実だ。さしずめ月の現状は……人間と宇宙の無慈悲さの象徴といったところか」


 とかなんとか、現実主義者を気取っていただけで根は理想主義者だった男が、かつて語っていたことを、セレーネは思い出していた。

 あれからそれなりに時が過ぎた。セレーネの助力によてマヌエルは力を手に入れ、そして人類そのものの天敵が襲来するという好機にも恵まれた。宇宙移民と地球民の力関係が改善されて来たのは、今目の前にいるマヌエル=マイクロフトの努力の成果でもある。

 ここは月表面のハインライン本社、そのCEO専用の仕事部屋である。この男は調度品には独特なこだわりがあるらしいが、華美ではなく質と品が良いものを好むせいかこの男の部屋の見目は、来訪者にはおおむね好評であるらしい。

「急に呼び出して悪かった……って、珍しくうわの空だな?」

「いや……ふと昔のことを思い出していた。お前はあの頃から、随分変わったと思ってな……」

「あんただけには言われたくないな、女皇様」

 そうかもしれない。あの頃の自分はお世辞にも付き合いやすい人種ではなかっただろう。その程度は、流石に人間としての生活に慣れて分かってきた。

「ともかく、要件はなんだ?」

「L1コロニー群駐留艦隊から、主に月のPMSCで使用されているギガステス、特にアストライアーの性能把握や、ハインラインのパイロットと模擬戦闘をさせて欲しいという申し出があったのは、聞いているだろう?」

「L3の駐留艦隊から、L1コロニーの副司令へ昇進という形で厄介払いされた、地球圏連合の軍人からの打診だったな。名前までは覚えていないが」

「ワイオミング=ノイマン元少佐な。今は中佐に昇進したよ。実質的には地球圏連合の近場であるL3から月表面に近いL1へ所属が変更された以上、体のいい島流しってとこだ。まあ、地球圏連合所属のエリート軍人だったのに、コロニー群での駐留艦隊の活動なんかを見て、宇宙移民への政策に否定的になったのを隠そうともしなかったのが原因なんだが」

「そういうものか」

 ずっとハインラインの勢力下、主に月経済圏内でのみ活動していたセレーネにとっては、地球圏連合の価値基準はいまいち理解し難い。だが、地球に近い場所に配属されるのが地球圏連合所属のエリートの証明なのだということは、話の流れで理解は出来た。

「ま、それでやつは地球圏連合からは睨まれているわけだが……反面、月経済圏に比較的協力的と言える軍人なわけだ」

「それで、駐留艦隊の軍人であるにも関わらず、お前が申し出を受け入れたわけか……だが、それは私には関係なかったはずだな?」

 そう聞いたのは、呼び出された以上自分が無関係なはずはない、であるならば事情が変わった理由を言えという催促である。もとよりマヌエルもそのつもりだっただろうが。

「ハインラインのフラグシップ機である、の性能も見てみたい……そう言ってきたのさ」

「私は別に構わないが。だからといって、珍しく遠慮しているのか? そういった政治的な要因も絡む事柄は、お前が決めればいい」

「……じゃあ、頼む。アルテミスとの模擬演習もさせて欲しいといっていたが、そちらも承諾してかまわないのか?」

「構わんが……どういう意図だ? あれがどういう機体なのかは、向こうだとて承知しているはずだろう。公表こそしていないが、そんなことすら調べられんほど無能とは思えんが」

 アルテミス。確かにそれはハインラインのギガステスのフラグシップ機ではある。だが、アルテミスの機体コンセプトそのものは、ギガステス全般の機体コンセプトと異なっている。完全に白兵戦に特化した機体なのだ。そのような機体は、現行の量産機種では皆無である。

 ユミルは近接格闘戦を主体としているのに対し、ギガステスは射撃戦によって可能な限りユミルに接近される前に迎撃を行うことが、主要な量産機の基本コンセプトとなっている。

 主要な量産機種は、近接戦に移行された場合の対策程度は当然行っているが、最初から射撃による迎撃や牽制を放棄し、しかも自ら近接戦を行うギガステスなど、完全にセオリーに反している。

 組織的に活動する軍隊なら、なおさら使い勝手も悪くてとても参考にはならないはずなのだが。なんらかの意図を感じざるを得ない。

「アルテミスの性能を知りたいとなると……ハインラインの技術力を計りたいという裏でもあるのか?」

「それはないな。多分、アルテミスの性質がユミルと似ているのもあるんだろうが。なにせ、『鋼の女皇』に模擬演習部隊の鼻っ柱をへし折ってくれ、と直々に頼まれたからな」

「別に頼まれなくても、負けてやるつもりまではなかったが。その分だと、最低限の自尊心を維持出来るように、手加減してやる必要もないということか。しかし、そういう頼みをされるとはな……」

 そうなると、今回の演習で来る予定のパイロットたちに慢心が見られるか、あるいは駐留艦隊のパイロット全体に対し、上には上がいるという事実を突きつけたいのか。その辺の事情はまだ詳しくは分からないが。

「まあ、政治的な意図を勘ぐらなくていいのなら、私は全力で戦うのみだ。構わんのだろう?」

 そう言ったのは、ある程度はアルテミスの性能を隠しておかなければ、ハインラインの技術力をさらけ出すことになると、セレーネは考えているからだ。

 ハインラインはおおやけには一介の民間軍事会社のはずが、地球圏連合を凌駕する技術力を持つ月経済圏内でさえ最高峰となる技術力を持つ、という事実は気軽に知られていい内容とは思えない。とっくに公然の秘密になっているとはいえ、だ。

「いいんじゃないか? その分恩を売れるからな」

「せいぜい、高値にしておけよ。割に合わなければ、話にならん」

 それで話は終わりだった。セレーネは、予定外のアルテミスの出番があるということで、ハインライン本社に今は収容されている自分の愛機の元へ向かうことにした。

 整備状況の確認をしなければならないからである。


「しかし、マヌエルめ……『鋼の女皇』なんぞとワイオミングとやらが言ってくるあたり、やはりあの二つ名を吹聴したのは奴で間違いないだろうな」

 そんなことを、胸中でつぶやきながら…… 

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