キンモクセイ

牧 鏡八

キンモクセイ

「なぜ金木犀は“キンモクセイ”と言うんだろう?」

 九月の末。秋雨の去った頃、金木犀の芳醇な香りが広がる街路を歩きながら、メガネをかけたもやし男が言った。

「そういや、なんでだろうね……」

 隣を歩いていた同い年くらいの青年がスマホを取り出す。

「ちょっと調べてみるか、名前の由来」

 しかし、横を歩くメガネがかぶりを振る。

「それじゃあ、面白くないよ」

「何が?」

「普通に調べるんじゃ、面白くない」

「でも、知りたいんでしょ?」

「いや……どちらかと言うと、考えたいのかな」

「考えたい?」

 スマホを弄びながら繰り返す。

「そう。考えたい。最近は何でもすぐ調べられるからな。面白くないよ。正しい知識もいいが、思い込みじみた独創や想像も、たまには悪くないじゃないか」

「まあ確かにな。しかも、ネットの情報なんざ、どれが正しいのかも分かんないし」

 少し興味を抱いてスマホをポケットに押し込む。

「まあ、俺らがひねるよりは、確実な情報があるけど」

「ておい!」

「いやいや。今は確実性の問題じゃない。面白さだ」

 そう言って笑うと、本題に戻る。

「で、どう思う? なんで“キンモクセイ”と言うんだと思う?」

 メガネの問いに頬をかく。

「これは実際、小さい頃思ってたことなんだけどね、ほら金木犀ってさ、花咲くと見かけは星を散らしたと言うか、金粉まぶしたみたいじゃん? でもその割に、臭いが鼻を突くからさあ、金色がきらきらしてても臭い、金でも臭い、金も臭い、で“金(キン)も(モ)臭え(クセエ)”だと思ってた」

 メガネが笑う。

「なるほどな! それは面白い! けど……やっぱり金木犀の香りは嫌いなのか?」

「嫌いと言うほどじゃないけど――どうしてもトイレを連想しちゃうんだよね」

「ああ、芳香剤かあ」

 メガネの男が天を仰ぐ。

「なんでメーカーは金木犀の香りを使ったんだか……」

「自然物で、強烈だからじゃない?」

 もやし男が確かに、とうなずく。それから横を歩きながら、加えて呟く。

「あと同じような理由で、僕ミントも苦手なんだよねえ。ほら、あれって歯磨き粉の味じゃん?」

 突然メガネがきりっとした表情になる。

「うん、それは残念でも何でもない。俺ミント嫌いだから」

 毒されてるなあと笑うと、今度はメガネに問うてみる。

「どう思うの?」

「ミントなんて滅びればいい。特にチョコにかけるやつとか、カカオの神様に怒られろ」

「いや、そうじゃなくて……どうして金木犀はキンモクセイと言うのかって話! お前はどう思うの?」

 ああ、そっちかと言って、豪快に笑う。

「俺、実は金木犀の香り、そんな嫌いじゃないんだよね。むしろあそこまで強いと、何か神秘的な感じがして、惹きつけられるんだよ」

「お香みたいな?」

「まあイメージだとそんな感じか? もうちょっと非日常的な印象ではあるが。強烈な割に、嗅いでいてあまり不快にはならない。そんなところも、ちょっと不思議で魅力的な気がするんだよ」

「確かに、言われてみればそうかも」

 軒先から漂ってくる神々しい香りを鼻からいっぱい吸い込んでみる。独特の香りではあるが、忘れられないものであり、心の奥を揺さぶられるような感覚がする。甘い、濃厚な黄金(こがね)の空気に思わず酔ってしまいそうだ。

「そしてもちろん、ほら。花があると星がまたたいているようで、すごく綺麗で神秘的だ」

「うん、宇宙的だね」

 メガネは、だろう? と反応する。

「まるで秋雨の季節を終わらせて、これからは秋晴れのお天気が続くぞおって、否一番に知らせてくれてるみたいだ」

 事実、足元を見れば、昨日まで降り続いた長雨を溜めた水溜りは、今日は秋の綺麗な青空をうつしている。赤とんぼがふらりと立ち寄り、波紋を立てる。そこに、庭先から金木犀の小さな花が一つ落ちた。揺れる水面を、星灯りが滑っていく。

「明るい季節の到来か。さながら秋晴れの神様の使者だね」

 並んで歩いていた男が立ち止まってそう呟く。メガネの男は目を細め、軒に立って香る小宇宙を見つめる。

「小柄ながら、その全身で待ち望んだ輝かしい日々が始まることを告げてくれているわけだ。星空のような見た目で、黄金色の香りで、その神秘的な全てで」




「……あれ? 名前の由来の話だったよね?」

「ああ、それはその――雨よ、沈黙せい! 長雨は終わった。黄金の時の始まりだ! みたいな?」

「うっそだろお前……」






沈黙せい!

嗚咽をやめよ、しずく拭け

空に巻雲

夜空に満月

目鼻の先には

キンモクセイ

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キンモクセイ 牧 鏡八 @Makiron_II

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