4-5

 走る猟犬を追って、共をしてくれる者達が先へと走ってゆく。特にこれといってやる気のないエルフォンソは、気付けば林の中に取り残されていた。

 木漏れ日がところどころに光の柱を屹立させ、その中をエルフォンソはゆっくり進む。小鳥のさえずりと茂る葉の匂いに包まれ、彼は手綱を緩めた。手にした銃が、嫌に重く感じる。

「いいかい、人には向き不向きというのがあってだね。君とのお付き合いは、僕にとっては後者になる訳だ」

 どちらかと言うとエルフォンソは、自分のことを武官向きではなく、文官向きだと思う。そのことをわざわざ声に出して、腕を遠ざけた銃へと指差し語りかける。そうして溜息と苦笑を零して、そろそろ戻ってもよかろうと、頃合を察した時。目の前の視界が突然開けた。

 どうやら林を突っ切り、その向こう側へ出たらしい。

「みんなとはぐれてしまったな。迷わず帰れるといいんだけど……ん?」

 振り向けば、林の中に騎影があった。エルフォンソはほっと胸を撫で下ろす。どうやら、無事に連れと合流できそうだ。後は狩りの成否なんかを話題に、来た道を戻れば無事終了だ。

 だが、何やら様子がおかしい。

 林から抜け出て駆けてくる、その異様な金属のこすれる音。手にするのは銃ではなく、馬上で振るう槍だ。

 現れたのは、全身を甲冑に覆い、兜で顔を隠した完全武装の騎士だった。

 突然のことに言葉を失うエルフォンソは、ただ突進してくる無言の相手から、殺気にも似た冷たさを感じた。背筋を震わせ、悪寒がざわざわと這い上がってゆく。夏の暑さが遠のいた。

「う、うわああああっ」

 突然のことに、エルフォンソの口から情けない悲鳴が迸った。その怯えが伝わり、彼を乗せた馬がいななき後ろ足で立ち上がる。繰り出される槍を避けようとしたエルフォンソは、無様にも落馬して地面を転がった。彼を放り出して、騎手を失った馬はあらぬ方向へと逃げ出してゆく。

 何とか銃を杖に身を起こせば、視界の隅で馬首を翻す騎士が踊った。

 ――殺される? 何で? 誰に? どうして?

 冷静さを自分に呼びかけ、迫る敵に銃を向ける。しかし、手元の震えが伝わり、銃口はふらふらと狙いが定まらない。ただゆっくりと、蹄を鳴らして死が近付いてくる。

 錯乱しながらもエルフォンソは、姉気取りの近衛女中を、その言葉を思い出す。天へと銃を向けると、すがるような思いで銃爪ひきがねを引き絞った。

 救いを求める銃声が一発。

 それでエルフォンソはもう、万策尽きた。後は祈るだけだが、

「なっ、なな、何者ですか? 僕をクーラシカ帝國第十七皇子と知っての狼藉……ですよね」

 ついつい相手へと、間抜けな言葉を投げかけてしまった。

 エルフォンソが命を狙われるとすれば、その生い立ちにしか心当たりがない。宮中での雑務をこなす日々では、多少は誰かに恨まれ疎まれもしようが、命を取りにまで来るとは考えられない。あの人の、アルビオレの血を引いていることだけが、今の自分を危機に至らしめてるとしか思えなかった。

 目の前で騎士が、手元を引き絞った。

「ま、待ちませんか? せめて理由なりとも……っ!」

 繰り出された槍を避けるために、全力で地を蹴り、身を投げ出す。銃は既にその時、手放していた。再度地に突っ伏し、慌てて仰向けに天を仰いで上体を起こす。その鼻先に、鈍く光る鋼鉄の穂先が突き付けられた。鋭い刃が、陽光を反射して輝いている。

 万事休す。エルフォンソは余りにも不可解な突然の死に、呆然と目の前の鋭さがゆっくり振り上げられるのを眺めていた。太陽を背に、表情のない鋼鉄の殺意が僅かに笑ったような気がした。

「エルッ!」

 凍りついた己の全身が、必死の叫びを浴びた。次いで発砲音。騎士の乗騎の、すぐ足元で弾着の土煙があがる。主の名を繰り返し呼ぶ聞き馴染んだ声が、高鳴る蹄の音と共に近付いてきた。

 その時エルフォンソは舌打ちを聞いた。慌てて彼の死神は手綱を取ると、勢いよく馬の腹を蹴った。そうして走り去る危機と入れ違いに、プリミが馬上で銃を構えたまま視界に飛び込んできた。

「プリミッ! ……助かった。いったい何が」

「あたしが聞きたいくらいっ! やっぱり、お伊那さんの勘が、陛下の直感が当たるのかも!」

 エルフォンソの前に急停止する馬の上で、プリミは懐から取り出した火薬袋の封を口で切る。足踏みに揺れる騎上にも関わらず、彼女の一連の動作は、よく訓練された銃士の鮮やかさをエルフォンソに見せつけた。

 まるで精密な時計細工のように、素早く火薬を詰める。

 その手元が、眼に追えぬ速さで弾丸を銃口へと滑り込ませる。

 そうして槊杖を挿抜したかと思った次の瞬間には、彼女は再び銃を構えていた。

 僅か一呼吸の刻さえ必要としない、見事な再装填。両手で銃を構えるプリミは、口にくわえた手綱で巧みに馬を操りながら、ぴたり狙いを定めて銃爪を銃身に押し込んだ。

 銃声と共に硝煙の臭いが、エルフォンソに生を実感させた。

「――っふう! ドウ、ドウ、ハ、ヤ! ……エル、無事? 怪我はなくて? 平気ね?」

 馬を落ち着かせるプリミの声が、その息が弾んだ。

 遥か遠くで、小さくなる影から甲高い音が響いた。金属が食い破られる音だ。謎の騎士はプリミの弾丸を肩口に受けたが、そのままよろけながらも林へと消えていった。

 エルフォンソを案じて口早に喋りながらも、命中を確認したプリミの視線が主へと降ろされる。

「あたしのミスだわ。おかしかったのよ……若い子が揃って、まるでエルからあたしを引き離すように。適当にあしらって、急いでエルの後を追ったの。銃声が聞こえて、それで」

 近衛女中は寵姫達と並んで、宮中の華だ。地方の貴族、特に若い連中には憧れもあるのだろう。それでも常に、彼女の警護の目が及ぶ場所へエルフォンソは自分からいるべきだった。誰がプリミを責められるものか。

「いや、僕の油断か……でも、まさか、そんな」

 エルフォンソは唖然として、馬から下りるプリミを眺めていた。彼女の助けがなくば、今頃は……そう思うと、今になって冷たい汗が全身から吹き出る。差し出される小さな手へと、伸べる自分の手はガクガクと震えていた。

 殺されそうになったのだ、エルフォンソは。

「まだ、決まった訳じゃない、けど……どうやら、あの人の、陛下の危惧は現実になりつつあるのか? だが、僕を消すことにどんなメリットが」

「玉座を狙う者なら、競争相手は少ない方がいいんじゃなくて?」

「この帝國を簒奪するには、父の首を取るしかない。その後のことを考えてる、のか」

「どちらにせよ、公爵に問いただす必要があるわ。これの件も、改めてね」

 プリミはエルフォンソを力強く引っ張り立たせると、その手に自分が今しがた撃った銃を握らせてきた。エルフォンソも先程使っていた、先だって通った町で作られていた、軍用のマスケット銃だ。

「なるほど、ここに銃剣をつける訳か。言われてみれば、確かに。しかし、火ノ本再侵攻の準備という説明で、言い逃れられる可能性もあると思うけど」

「エル、銃口を覗いてみて」

 プリミに言われるまま、まだ熱い銃口を握って、その中を恐る恐る覗いてみる。

「いきなりズドン! とかはないよね。何も見えないけど」

「よく見て、エル。銃身の内側を」

 プリミが何を言いたいのかが、エルフォンソにはよく解らない。

 それでも眼を凝らせば、弾丸の通り道には、螺旋を描く溝が奥底まで彫られていた。

「この銃、施条銃……ライフルよ」

「ライフル?」

 聞き覚えのない単語に、エルフォンソは首を捻った。

「この内側の腔綫は、ライフリングって呼ばれてるわ。こうすることで発射された弾丸が安定して、威力や射程距離が増すの」

「なるほど、それでライフルか。それが?」

 一度言葉を切ると、プリミはエルフォンソを真っ直ぐ見上げてきた。僅かに唇が震えている。

「ライフルは、帝國の最新技術なの。王都でしか作られていないし、先の火ノ本侵攻の際は間に合わなくて配備されなかったわ。作るのに特別な技術が必要で、それは今は王都にしかないの」

「ええと、つまり」

「近衛女中の間でさえ、滑腔銃……つまりライフリングのない、今までの銃を使ってるのが現状なの。それが今、ブレインド公爵領では大量に生産されている」

 エルフォンソの戦慄は、別種のものへと変化していった。それを察したかのように、プリミが俯き僅かに顔を背ける。その手は不安げに、胸の前で重ねられていた。

「……ライフルのことはまだ、帝國内でも限られた人間しか知らないわ。勿論、その製法も」

 しかし現に、最新鋭の銃が今、エルフォンソの手の中にある。

 その意味するところが、伊那の断定に近い嫌疑にエルフォンソの中で結びついていった。そしてその疑惑の糸は、ずっと先でさらに恐ろしいものに繋がっている……そんな気がして、エルフォンソは夏に凍えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る