4-4

 ブレインド城でエルフォンソ達は、歓待をもって迎えられた。そして、彼等の滞在は瞬く間に、周辺貴族をこの城に集めてしまった。原因は解っている。

 伊那だ。

 王都で噂の獣人の寵姫……もののふ姫。彼女見たさに、人が続々と集い始めて早三日。

 正直エルフォンソは面白くない。彼もそうなのだが、伊那もここ最近はご機嫌斜めだ。

 もっとも、今日の催しが開かれるまでの間だったが。

「殿下! このたびの行幸、よくぞおいでくださいました。天帝陛下におかれましては――」

「は、はあ。まあ、その、そう畏まらないでください。僕には何も」

 そう、エルフォンソに取り入っても、何も手には入らない。というのを解って欲しいのに、朝から彼は諸侯の挨拶攻めにあっていた。頼りになるプリミも、今は傍にいてはくれない。

 今日は城に集まった全員総出で、鹿狩りが盛大に催されている。皆が公爵より銃を借り、猟犬を引き連れ着飾り、晴れ渡る野へと繰り出していた。

 お陰でエルフォンソは、重いマスケット銃を手に馬上で質問攻めにあっていた。

「殿下、宮中の様子は最近、いかがですかな? 何か、珍しい話でもあれば是非」

「聞けば、陛下はあのもののふ姫を後宮に迎えたそうですな」

「処刑を免れたばかりか、後宮に……運の強い姫君ですなあ」

「おお、私も聞きましたぞ。あの連れてる虎は、その時妖しげな術で手懐けたとか」

 馬を並べてくる貴族達に周囲を囲まれ、エルフォンソは四方に愛想笑いを返すしかない。今すぐにでも銃を放り出し、馬を下りて背後の天幕に転がり込みたかった。

 しかし、それはそれで非礼になると、あとからプリミに叱られるだろう。

 何より、天幕で控えている公爵の相手をするのも面倒だ。

「そういえば、噂のもののふ姫はいずこに?」

「あれ、そういえば……来てませんか? 迅雷を、虎を連れてるので、目立つ筈なんですが。おかしいなあ、狩りと聞いて機嫌をなおしてたのに」

 エルフォンソはきょろきょろと周囲を見渡す。あちこちに貴族達は親しい者同士で固まり、グループ単位で談笑したり、狩りへと出発している。その中にあって、とりわけ若い年少組に捉まっているプリミと眼が合った。

 エルフォンソの無言の問いを拾って、彼女は首を横に振る。そして、しかたなしという内心を少しも態度に示さず、誘われるまま馬へと鞭を入れた。純白のエプロンドレスが風に棚引く。

 プリミを連れた一団を見送り、改めてエルフォンソは伊那を探した。その時、

「おお!」

「これはこれは」

「火ノ本の装束ですなあ……何と雅な」

 伊那が現れた。

 馬には乗らず、徒歩だ。猟犬の代わりにいつも通り迅雷を連れ、時たま語りかけている。その姿は、鮮やかな浅黄色の狩装束で包まれていた。全身真っ白の彼女には、どんな色も馴染む。火ノ本のそれは、大陸貴族の自己主張溢れる絢爛豪華なものとは違う。簡素な狩袴をはき、小袖をたすきがけで纏めている。

 そんな伊那の手には、大きな木の長弓があった。この大陸では、遥か昔に途絶えた道具だ。

 たちまち彼女は貴族達に囲まれた。エルフォンソも周囲に挨拶を配って伊那へ向かう。

「何じゃ、何じゃ? そんなにわしが珍しいかや? 大陸人もけったいよのう」

 しかし何やら、伊那は注目を浴びるのも悪い気がしないらしい。その証拠に、顔には子供のような笑顔を浮かべ、尾を左右に振っている。

 物珍しさに殺到する貴族達は、伊那の天然の愛嬌に頬を崩した。中には遠巻きに、恐ろしげに蛮族を見る眼で視線を投じるグループもあったが。

 エルフォンソも周囲に倣って、迅雷に怯える馬から降りて歩み寄る。

「おう、エル! 今日はよい狩り日和じゃな。大陸では狩りの獲物は何じゃ?」

「鹿ですよ。ほら、あっちに林があるでしょう。あの中から猟犬で追いたてて狩るんです」

「だそうじゃ、迅雷。解ったかや? ぬしはちっくと、狩りの練習をせねばのう」

 伊那はエルフォンソの言葉を聞くや、迅雷に身を寄せ楽しげに言葉を紡ぐ。

 その様に、周囲を取り巻く者達からどよめきが舞い上がった。火ノ本の獣人が猛獣と言葉を交わしている。応えるように迅雷が唸ると、そのざわめきは瞬く間に広がっていった。

「よいな? 鹿じゃ。何、ぬしなら容易に野生を取り戻せようぞ。さ、ゆくがよい」

 ぽんと伊那に叩かれ、のそりと迅雷が歩き出した。自然と人垣が割れて、現れた道を進む獣が次第に加速し、稜線の彼方へと走り去る。迅雷の姿はあっという間に見えなくなった。

「何と、猛獣をあのように……恐ろしや、恐ろしや」

「猫のようにあつかわれる。流石は噂に聞こえた火ノ本のさぶらい、もののふ姫であるな」

「小生、火ノ本攻めには参陣致しましたが……今思えば、前線に出なかったことを幸運に思いますぞ。しかし本当に火ノ本では、いまだに弓矢を使っておるのですなあ」

 奇異と好奇の、視線と声。その中にあって、泰然と伊那がエルフォンソを見詰めてくる。あれこれと話しかける者達は後を絶たないが、意外にも彼女の応対ははきはきと明瞭だった。それがどんどん、珍獣を見るような貴族達の目の色を変えてゆく。

「もののふ姫には何やら不思議な力があるようですなあ、殿下」

 気付けば天幕の中から、公爵が姿を現していた。手にした鞭を掌に遊ばせ、愉快そうに笑いながら彼はエルフォンソの横に並ぶ。その軽装に、着替え前の姿にエルフォンソは少しだけ驚いた。

 主催者の公爵自身は、今日は狩りには出ないのだろうか?

「聞けば、あの虎……コロッセオきっての猛獣を、化かしてしまったとか」

「はあ。私もそう近衛女中に聞きました」

 確かにプリミは、化かすと言っていた。獣人六氏族の長がそれぞれに持つ、超常の力……伊那の持つそれは、獰猛な人食い虎でさえ心を通わせてしまう。

 エルフォンソは、自分に代わって質問攻めに応じる伊那を、公爵と一緒に眺めた。

 大陸人の貴族達に囲まれて尚、彼女には物怖じする気配が全くない。

「すると、もののふ姫。姫が火ノ本の一軍を統べて率いた訳ですか」

「無論じゃ。狼麦氏ろむぎうじ猫唐氏びょうもろこしうじ、他の氏族にも良き将がおっての。負ける気はせなんだが」

「確か、公爵は火ノ本攻めの最前線に出ておられましたなあ。もしや、もののふ姫とも」

「さて、どうであったかのう」

 周囲の貴族達をかきわけ、伊那がこちらへと歩んでくる。手には弓を持ち、腰には矢筒を下げ、それが歩くたびに小さく鳴った。

 エルフォンソの隣から、伊那の視線に身を堅くする雰囲気が伝わってきた。

「ディッケンとやら。わしの顔に覚えがあろうかや?」

「勿論ですとも。今でも夢に見るくらいですぞ。さながら鬼神の如き武者振り……今でも身震いする思いです。わたくしなどは、天帝陛下やルベリア殿下に、及ぶべくもない小心の身にて」

「であろうな。わしはぬしの顔など、覚えておらぬ」

「これは手厳しい」

 エルフォンソも気付けば、緊張から手に汗を握っていた。

 謀叛の嫌疑が晴れたとはいえ、まだ伊那は何故か公爵に気を許してはいなかった。

「わしはの、あの男にぬしを斬れと言われてきたのじゃ」

 いつもの調子で、伊那は天帝をあの男と呼び捨てた。それを、

「お勤めご苦労様でございますな。しかし、その誤解も先日解けたかと」

 公爵は不敬とも咎めず、不快にも思わぬようだった。

「さて、どうであろうかのう」

 その時、伊那の深紅の瞳が見開かれた。

 あの時と――コロッセオの時と同じだ。猛虎をも鎮めてしまう、魔性の瞳だ。その紅く赫奕たる輝きに、公爵が息を飲む。

 が、次の瞬間、伊那はピクリと耳を立てた。その先で朱に染まる毛並みが揺れる。

「まあ、今はよいわ。折角の狩りに無粋は無用ぞ。のう、エル?」

「え? ええ」

「この件、また改めて。何、しばらく居座るつもりじゃしのう。今は狩り、これじゃあ。大陸人にも、火ノ本のさぶらいの手並みを教えてやらねばのう」

 朗らかに笑って伊那は視線を逸らすや、次いできびすを返した。

「わ、わたくしはもう、火ノ本攻めで身に染みてますが。もののふ姫、どうかそのご武勇を他の者にも知らしめていただきたく。……誰か! もののふ姫に馬を!」

 公爵の声を半ば無視するように、伊那は一人ずんずんと歩いてゆく。その先から、空気を震わす迅雷の咆哮が響いた。諸侯は揃って、連れる馬が怯え竦むのを慌てて制する。

 遥か彼方の林から、一頭の見事な牡鹿が現れた。恐らく迅雷に追われているのだろう。

「風は、ないのう。まっこといい日和じゃあ。しからば腕前、披露つかまつる」

 まだ銃でも遠い距離だ。それでも伊那は鼻をひくつかせた後、半身に己を広げて、弓を構えて矢をつがえる。左右に跳ねるように疾走する牡鹿へと、彼女は狙いを定めた。そのまま、まるで彫像のように呼吸を止める。たちまち、王都の芸術家が苦心して削りだしたかのような、白亜の芸術品が目の前に現れた。

 真剣な表情のその横顔に、その美しさに誰もが呼吸を忘れる。

 ――ヒィン!

 伊那の右手が弦を手放し、引き絞られていた矢が空気を裂く。

 銃のように火薬の臭いも、発砲の響きもない。

 ただ静かに一度だけ空気を揺らした、次の瞬間には、石の鏃が尖る矢は牡鹿の脳天に突き立っていた。断末魔をあげる間もなく、ぐらりとよろけてその体が地に崩れる。

「おお!」

「見事!」

 一瞬の沈黙の後、歓声があがった。伊那は長い白髪をかきあげると、深く息を吐き出した。そして、エルフォンソへと得意げな視線を送ってくる。賞賛する周囲を見渡すと、彼女の満足を浮かべる表情は、よりいきいきと輝きだした。

 林の中から出てきた迅雷が獲物をくわえて戻ってくるころには、伊那は周囲の貴族達に再び取り囲まれていた。

「……あの距離をもろともしない。殿下、あれが火ノ本のさぶらいですよ」

「の、ようですね。姉上からも聞きました。文明こそ遅れていますが、火ノ本の獣人達は、さぶらい達はつわものであると」

「殿下も負けてはいられませぬな。ささ、どうか狩りをお楽しみください」

「は、はあ。では」

 これも皇族のたしなみ、一種のお付き合いだ。付き添ってくれるらしい何人かの貴族と共に、エルフォンソは再び馬上の人になった。獲物を狩る自信はないが、銃を手に少しは野を駆けてこなければ、示しもつかないだろう。第一、あとでプリミに怒られる。

「私も久々に羽を伸ばそうかと。公爵閣下、先程の伊那姫のご無礼、どうかご容赦を」

「何、しかたがありませぬ。誤解こそ解けましたが、このわたくしは再び火ノ本を攻めるため、あれこれと準備をしていたのですからな。わだかまりもいずれ解けましょう。互いに武人なれば、たとえ生まれは違えど解り合える機会も持てるかと」

「お言葉、ありがたく思います」

 エルフォンソは公爵に一礼して、先導する者へと続く。

 日は高く、無風の夏は暑かったが、馬が走り出せば風が心地よい。エルフォンソは獲物を求めるでもなく、ただ時間を潰しに狩りへと出かけた。

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