真実の口4

私がまだ小学生のころの話である。

当時私は地元のサッカークラブに所属していたのだが、正直なところチームメイトとはあまり馬が合っていないように感じていた。

友達のお母さんから見れば、そんな私は大人びたというよりも子供らしくないという表現がしっくりくるような子供だったのだと思う。

うってかわって、母は私がよくわからなかった子たちのお母さんとどうやら仲が良いようであった。

残念なことに母は悪い意味で永遠の17歳を体現しているような人で、とてもじゃないが利口な母親とはいえなかった。

私が他の子と馴染めていないことを露骨に心配してきて、執拗に「○○くんや△△くんとは遊ばないの?」と、なにか疑うように聞いてくる。それが私にはとても気分の悪くなることだった。

ゆえに私は私の居心地のために母を心配させてはならないと猫を被りその子たちと仲良く努めるようになった。

母は固定観念に縛れたプライドの高い人であった、知識は乏しい。

そんな母の存在が私の人格構築に与えた影響というものはやはり一番身近な人とあって決して小さくなく、「間違いを指摘することの無意味さ」「結果主義」「男尊女卑」などなどその他主に人間の愚かさについて多くの認識を私に強く根付かせることになったのだが、「真実の口」の話から脱線するのでここでは述べない。また、蛇足であるが、私は母が嫌いなわけではない。


私が自分の心と母親コミュニティを守るために付き合いだした彼らはやんちゃといえば聞こえがいいが要するにただの不良っ子であった。

部活のない日は学校から自転車で10分ほどの距離にある少し大きなスーパーマーケット内の中規模ゲームセンターに出向いてはそこは俺らのナワバリだというような顔をして一日中遊んでいた。

ゲームセンターのゲームはどれもお金を要するが、お小遣いなどせいぜい1000円そこらの金銭的弱者たる小学生がゲームセンターで一日中遊び通すのは困難を極める。

普通に遊んでいたらまず無理である。つまり何が言いたいのかといえば、私たちは普通に遊んでなどいなかったのだ。


私たちが時間の大半を費やしたのはメダルゲームだった。

UFOキャッチャーや格闘ゲームとは違い、メダルがなくならない限りつまりはゲームで負けなければずっと遊ぶことができる。

しかしながらメダルゲームというものはどれもギャンブル性の強いゲームばかりで必ず勝てる保証はない。

だからこそメダルゲームは商売として成り立つのだ。

遊びに対する子どもの力とは凄いもので、なんと私たちはメダルゲームには通常あってはならないはずの必勝法を見つけていった。Aゲームは20分以上放置してからプレイし16枚ゲットを狙うとほぼ間違いなく当たるだとかBゲームは電源をつけてから3ゲームは(2~22枚までなら)すべて当たるといったように攻略していき、はたまたCゲームに関しては30枚ゲットをあるパターンで狙い続けていれば高い確率で収支がプラスになるという考えを導きだし小学三年生にして期待収支の計算をするようになっていた。

学校でやる算数の授業はぐうすか鼾をかいて寝ているというのにこういう時にさらっと計算できてしまうことが不思議でならないね。


Bゲームが開始3ゲームは必中とわかれば皆一番初めにそのゲームをやるようになるのだが、当然の帰結として一台しかないその台を争って喧嘩が起きるようになった。

醜態。そこでメンバーの一人が喧嘩の収拾をつけるために「もう一回電源切って着け直せばいいじゃん」と悪魔の如くささやいてしまった。それが、よくなかった。

案の定、それから私たちは自らそのゲームの電源を落とし再起動させを繰り返し、メダルを荒稼ぎし始めるようになった。


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