第2話

 街では激しい戦いが繰り広げられていた。

しかしすぐ外の草むらでは、読みかけの本をアイマスクに若者がうたた寝をしている。

彼の食べかけのサンドウィッチを、黄色や青のカラフルな小鳥たちがついばんでいた。

上空から見ていると何ともアンバランスで笑ってしまうが、こんな状況が繰り広げられているのは、イライザの祖父エドワードのせいである。

オリビア王国きっての魔法使いであるエドワードは、「空間の魔法使い」と呼ばれ、時空を越え、空間をまるごと切り取って呼び出せる能力を持っている。

そして、相棒で「建築の魔法使い」、こだわりもぐらのレクターを使って、呼び出した空間の周りを増殖させるのだ。

今回のような戦場の場合、祖父は場所を呼び出すとレクターに頼んで辺り一帯増殖させ、王国の住人を驚かさないよう目くらましをする。

レクターの圧倒的な建築力とスピードで、盛んに打ち放たれる大砲の轟音や兵士たちの怒号も、外でうたた寝する若者や小鳥たちには子守唄程度にしか感じない。

ドームでも出してすっぽり覆えばいいものを石造りの家々が出現する辺りが、こだわりもぐらと呼ばれる所以である。

彼は今、中世がマイブームらしい。

「シュール!もうちょい右かな。」

満足そうに唸ったレクターは、トレードマークの赤いゴーグルをかけ直すと身を翻し、三角屋根に煙突といった洒落た街並みを次々と増殖させてゆく。


 今イライザがいるこの一角は、エドワードが所有する小高い丘で、彼の遊び場だ。彼が言うには仕事場らしいが、家族は遊び場だと確信している。老いてなお好奇心旺盛な祖父は、「七色に光る伝説の蛙」から「1000年 に一度の葡萄がなる畑(もちろんワインを作らされる!)」まで、興味があれば何でもかんでも呼び出してしまうからだ。

しかも、やれ腰が痛いだの、視力が落ちただの、なんだかんだと理由をつけ、目当てのものを家族に探して来させるのだからひどい。

場所しか無理って言うけど、ほんとはモノだけでも呼び出せるんじゃないの?

イライザは内心そう思っている。少なくとも、視力が落ちたなんてことは絶対にない。だって、今朝も私の服の色を褒めたついでに、四つ穴ボタンの二つに糸が通ってないことを教えてくれたもの。私が部屋に入ったとき、おじいちゃんは向こうの端にいたんだから。窓際に立って外を眺めてた。

そんな訳でなんだかんだと言いくるめられ、祖父の趣味に付き合わされるイライザや父は、毎度毎度この丘の中を縦横無尽に探索する羽目になるのだが・・・。

今回はどういうことだろう?

イライザは、正直言ってまだ戸惑っていた。

遺跡からレンガを一つ、取ってきて欲しいだなんて。

もうもうと上がる土煙。飛び交う銃声と怒号。

戦場となった砂漠の遺跡で、次々と倒れ行く兵士達。

時代も場所もイライザには知る由も無いが、茶ねずみ色のマントをすっぽりかぶった小さな毛むくじゃらの栗熊たちが、剣や盾を突き合わせ、ある者は弓矢を放ち、またある者は二頭がかりで大砲を撃ち、激しく争いあっている。

双方ヘルメットをかぶっているが、急ごしらえでサイズが合っていないのか、まるで卵の殻を頭に乗せているようだ。

しかもすぐにずり落ちるらしく、毛むくじゃらの短い手でしょっちゅう上げている。顎紐を調整すれば良いのに・・・。

栗熊はイライザの膝くらいの背丈なので、戦争というよりぬいぐるみがわらわら走り回って喧嘩をしているようだし、部外者なので敵味方の区別すら付かない。

そんな中で土煙に顔をしかめながら身をかがめ、イライザは様子を伺っているのだった。

「・・・い。おい!」 

いきなり腕を引かれ、びっくりして振り返ると、ずり落ちたヘルメットに手をかけた栗熊の兵士がこちらを見上げていた。

ヤバい!敵に見つかった!!

「あ、あの、ごめんなさい!」

イライザは慌てて両手を上げ降参した。

ヤバい!ヤバい!!ヤバい!!!捕虜になっちゃった!あぁ、これでもう帰れないんだわ。ご飯も貰えなくて、交渉のネタにそのうち殺されるのよ・・・。

敵味方の区別も付かないのに、兵士を見たイライザの脳内は、この栗熊を勝手に敵だと認識している。

しかし、涙目のイライザに押し付けられたのは、銃ではなくヘルメットだった。

「避難しそこねたのか?全く図体だけはでかいのに、お前たち人間はトロいぜ!」

「・・・え?」

「早くこれをかぶるんだ!流れ弾に当たって死にたくなけりゃな!」

どうやら何か勘違いしているらしい。

しかしとりあえず言われた通りヘルメットをかぶっておこう。

味方かしら。あ、やっぱり調整できるじゃない、顎紐。

「サイズが合わねぇのは我慢しろよ!戦いの最中だからな!」

銃をぶっぱなしながら栗熊は怒鳴っているが、実際のところ合わないどころではない。

「え、えぇ。・・・ありがとう。」

イライザは仕方なく、ちょこんと頭にヘルメットを乗せた。

早くもずり落ちる。

「ずっとキョロキョロしていたな!お前はこんなところで何やってたんだ?」

かなり前から見られていたらしい。

マズイ、上手く切り抜けなきゃ!

焦って泳ぐイライザの瞳が、今にも崩れ落ちそうな赤茶けた壁を捕らえた。

城壁だろうか?

地面に近い部分に、一つ異なった文様がある。

長い年月に風化し、舞い上がる砂塵に埋もれてなお。それは気高さを持って、こちらを見返しているようだった。

「おい、お前!何見てんだ?!」

「え?あぁ、ほらあそこ。壁の下に変わったレンガがあるなぁと思って。」

蔦の絡まる大楠、中央に鍵を二つ組み合わせた丸い紋章。

あれは確か・・あたしはどこかであの紋章を見たことがある。

「何だよ!生きるか死ぬかって時に悠長なやつだな!あれか?あれが欲しい のか?」

「え?・・・えぇ。」

弾切れか、一瞬銃撃が止んだ。

栗熊の兵士はその隙を付いて、トトトッと壁まで走っていく。

そして持っていた銃で、ガンガンとかなり雑に壁を叩き割り、レンガを抜き取ると急いで戻ってきた。

「ほらよ!もう用事は済んだか?済んだら早くコロニーへ行け!」

「あ、ありがとう。」

あっけに取られるイライザのヘルメットをポンと叩くと栗熊は笑った。

「お前、変わってるな。そんなもんの為に逃げ遅れるなんて。学者かなんかか?」

パキュン!

すぐ先で兵士が倒れた。どうやら話している暇はないらしい。

「奴ら弾込め終えやがった!俺が援護してやるから行けっ!」 

ひゅんっ。

イライザの頬を弾丸がかすめる。

嫁入り前の女子に傷つけんじゃないわよ!行けなくなったらどうしてくれんのよ!

イライザはムッと顎を上げたが、

「今だ!行け!」

という栗熊の声に我に返ると、

「ありがとう!」

と叫んで、すぐさま地を蹴って宙に舞い上がった。

「ねぇ!顎のところにある紐!調整できるようになってるから、調整しなさい!ずり落ちないわよ!」

あっけに取られた栗熊が空を見上げて呟く。

「ワォ。あれが戦場に現れ、勝利をもたらし、世を安寧に導くという伝説の乙女か!?」

見上げたせいでヘルメットが落ちて首が絞まりそうになっているが、今はどうでもいいらしい。


「やぁ、砂漠にでも行ってきたのかい?」

中庭に降り立ったイライザが振り返ると、花壇の手入れをしていた父のフィリップが、スコップ片手に微笑んでいた。

我が身を返り見れば、暮れゆく群青を染め抜いたはずのワンピースが、灰をかぶったような、それはそれはダサいネズミ色へと変わっている。まるで夏の豪雨直前の真っ黒な曇天。

「どこかの遺跡だったのよ。しかも熊のぬいぐるみが戦争中。よく死ななかったもんだわ。」

ぱんぱん。

叩いた途端に砂煙が舞い上がってむせた。 色は変わらない。

「あぁぁぁぁ、これお気に入りだっ たのよ!」

「そりゃひどい。代わってやりたかったが、最近この通り。腹が重くて上手く飛べません!昨日のタルトも絶品だっただろ?オリビアベリーの。文句なら母さんに言うんだな。」

ふふんと笑って、ちっとも出ていない腹をつまむ。

丸太を組んで作られた羊小屋の扉は、半分ほど開いていた。

「今年の毛布を編んでいるのさ。」

中を覗くように見やって、フィリップは嬉しそうに自慢する。

「父さんのが一番最初なんだぞ。だって愛が」

「あなたが一番最初に風邪を引くからよ。」

メェェ。同意する羊の声がした。

吹き出したイライザが覗き込むと、亜麻色の干草に立つ白い羊と、椅子代わりの丸太を置いて腰を掛け、羊の身体から細く伸びた毛を編み針で手繰り寄せながら、母のマーガレットがせっせと編み物をしていた。

羊の毛は今回はお尻のほうから取られたらしく、今はわき腹あたりから縮れた毛糸が垂れていて、マーガレットの持つ編み針へと繋がっている。

ちょうど半分辺りまで毛を刈られた格好だ。

何事もない様子で足元の草を食んでいた羊が、イライザに気づいて顔を上げる。

と同時に羊は一歩下がり、つられ見た母も目を丸くした。

「おかえりなさいイライザ。随分と汚れてしまったのね。」 

「ただいま母さん。これ取れるかしら?」

今度はそっと広げて見せる。

ざっと汚れ具合を検分したマーガレットは羊に声を掛けた。

「そうねぇ、ポポンのところへ持って行ったほうがよさそうね。家ではちょっと難しいかも。ねぇカンナ。」

メェ。同感らしい。

 

 ポポンは、川近くに工房を持つ洗濯屋だ。

店はイライザの家から程近い森の中にあって、ごとんごとんとゆっくり回る大きな赤い水車が目印になっている。

服だけでなく車でも農具でも何でも洗ってくれるのが自慢の、ポポンという名の若いアライグマが店主を務めている。

ポポンは汚れていればいるほど燃えるたちで、そばの川に持って行ってはジャブジャブ洗って綺麗に汚れを落としてくれるので、王国の住人は頑固な汚れを作ると決まってポポンの店へ持ち込んでは洗ってもらっていた。

「ポポンのところへ行くなら、父さんも頼みたいものがあるんだ!農具に土が詰まっちまってね。がんばって洗ったんだが、細かいところまで上手く取れないんだ。ポポンならきっと大喜びでぴかぴかにしてくれるぞ!」

父が子供のように喜ぶ姿を見ていたら汚して良かったようで、落ち込んでいたのがだんだん可笑しくなってしまった。

「それなら一緒に、ジノのところへ届けものをしてちょうだい。」

げげ。ジノに会うなら無駄に時間がかかる。

イライザは、急いで祖父のもとへ向かったのだった。


 家に入って奥へ進み、いくつか廊下を曲がってゆく。

目の前に現れたオーク材の立派な扉を開けると、そこは祖父エドワードの書斎だ。

高い天窓には赤・青・黄・紫などの色鮮やかなステンドグラスが埋め込まれ、晴れた日にはたくさんの光が差し込んで、父が趣味で作ったお掃除ボックスによって磨かれた木目の床が、万華鏡のように煌く。お掃除ボックスはくるくる回りながら常にゴミを探してうろうろしているので、働き者なのは良いが働き詰めは気が散ると祖父からクレームが付き、汚れやゴミを検知すると動き回るよう改良された。今は部屋の隅で大人しくしているから、ゴミは落ちていないらしい。

四方の壁には、きちんとラベル分けされた蔵書が天井まで並んでいて、所々に踏み台やはしごが置かれている。

イライザは書物がたくさん置かれた部屋特有の雰囲気が好きだ。インクの匂いや紙をめくる音が落ち着くのだ。

広々とした、書斎というより図書館と呼ぶのがぴったりなその部屋の中央で、エドワードは大きな一枚板の机に広げた写真を代わる代わる手にとっては、角度を変えたり近づけたりしながら食い入るように見つめていた。

「おじいちゃん。」

イライザが部屋に足を踏み入れた途端、お掃除ボックスが赤いランプを点滅させ、走り寄ってきた。心なしか普段よりスピードが速い。

天窓から差し込んだ午後の光が、窓辺に置かれた大きな白いソファを照らしている。

「どうぞ座ってください。」と勧めるように当たる光のせいで、白い毛皮を掛けたソファは輝いて見えた。

あそこで本を開いたら間違いなく眠ってしまうだろう。今のこれじゃ座れないけど。

これ以上進んでくれるなと言わんばかりに足下でぐるぐる回るお掃除ボックスに目をやり、イライザはうなだれたのだった。


 イライザの祖父、エドワードは一族の長老である。

恰幅のよい体に、もじゃもじゃの白ひげ。

小さな丸眼鏡をかけた瞳の色はイライザと同じブルーだが、こちらはしんと静まり返った湖のように深く蒼く澄んでいる。

どこか寂しげな、けれど目に映る全てを浄化しそうなその瞳の色は、勿忘草色というそうだ。

サンタクロースのようなこの祖父がイライザは本当に大好きで、幼い頃は本物のサンタだと思い込んでいた。

トナカイのそりに乗って飛んでいくところを一目見ようと、クリスマスには毛布を持ち出し、祖父の部屋の前で見張ったものである。

そしてきまってそのまま眠ってしまい、目覚めるといつもたくさんのプレゼントと共に自室のベッドにいたのだった。


「おぉ、イライザ。おかえり。」

写真から目を上げたエドワードが向き直ると、ぷるるっと身を震わせ、窓辺のソファがあくびをした。

実は、白いソファは熊ほどもある犬で、ナナという名のエドワードの親友だ。

最も、ナナに言わせるとソファになっていたつもりはなく、ただ暖かい場所で気持ちよく眠っていただけなのだが。

ふかふかの毛並みの割にナナはとても寒がりで、エドワードを包み込むように座るのが好きだった。

二人はずっと一緒で、いたずら好きな彼が怒られて逃げてきたときも、荒れ狂う嵐がやって来たときも、ナナは小さなエドワードを包み込んで座り、ある時は隠し、またある時は護ってくれたのだという。

「親友が出来るのは、とても幸せなことなんだよ。」

祖父はいつもそう言っていた。

「ただいま。おじいちゃん。」

イライザは汚れが付かないように、思いっきり手を伸ばしてナナの頭を撫でてやった。

ナナは手のひらに鼻を近づけたが、とたんに派手なくしゃみをしたものだから、ばふんっと小さな土ぼこりが舞い上がり、「こいつは参った!」と言うように、きゅうぅぅんと鳴きながら窓辺に戻ってしまい、お掃除ボックスの動きがより忙しなくなった。

「ごめん、ナナ。着替えてくれば良かったね。」

苦笑いしながら散らばった写真を取る。

どこかの部屋を上から捕らえたものらしい。

全体的に薄暗くて判りづらいが、6人ほど座れそうなテーブルが見て取れる。

どうやら天井辺りからこっそり撮影したようだ。

「なぁに?この写真。」

「古代遺跡はどうだった?栗熊の兵士は可愛かったろう?」

エドワードは質問に答えず笑った。

「え?あぁ。どうって、どうもこうもないわ。卵の殻をかぶった小熊同士がわらわら喧嘩してる感じ?何だかヘルメットのサイズが合ってないみたいで、しょっちゅうずり落ちてたし。面白かったけど、とにかく砂煙が物凄くって、お気に入りのワンピースがどろどろになっちゃった。ポポンに頼まなきゃ落ちないくらいにね。はい、これ頼まれ物。」

遺跡から抜き取ってきたレンガを、ごとりと机の上に置く。

「親切な栗熊の兵士が取ってきてくれたわ。間違ってなきゃいいんだけど。」

もう一度あそこに戻ることは避けたい。

栗熊たちの調子では、まだ決着は付いていないだろうし。

・・・あの兵士とはまた会ってみたい気もするけど。

「それはご苦労だった。」

レンガを満足気にひっくり返していたエドワードは、テーブルの隅に置かれた刷毛に手を翳した。

ぶるるっと刷毛が身震いし、小さなリスに変身する。

栗色の毛並みが美しいシマリスは、くるくる回ったりチッチと鳴きながらエドワードの手にじゃれ付いていたが、促されると尻尾を振って、サッササッサとレンガを掃き始めた。

また砂煙が上がる。

イライザは、けほけほとむせながら身を引いた。

今日はほんと砂煙に縁がある一日ね。

エドワードは黙ってリスが掃く様子を見つめている。

平気なのかと思ったら彼の周りには砂煙が飛んでいない。

このぅ、不平等なリスめ!

むっと睨んだ目に、またも砂粒が飛び込んできた。

・・・ほんとついてない。

目をこすっている間に、レンガには小さな突起が現れていた。

「いいぞ。」

籠に盛られた中から胡桃を取り出して、エドワードはシマリスに渡してやる。

「ほうら、ご褒美だ。」

胡桃をしっかと抱えたシマリスは机の端まで駆けていくと、早速カリカリかじり始めた。

その様子があまりに可愛らしいのでイライザが眺めていると、

「これは僕のだぞ!」

シマリスは、ぷいっとそっぽをむいてしまう。

「誰も取りゃしないわよ。少なくとも殻が割れるまではね。」

チチッ。

「ははは。まだ取られると思ってるぞ。」

「用心深いリスね。取らないったら。」

改めて否定すると、チチッ。また鳴き返された。

よほど信用されてないらしい。

机上のゴミにハラハラした風のお掃除ボックスと、小生意気なリスは放っておくことにして、イライザは祖父が手にしたレンガを覗き込む。

「ふん。それよりどう?お探し物であってた?」

「あぁ間違いない。これはオリビアの祈りの鍵だ。」

「祈りの鍵?何それ。」

ぱかり。

エドワードが小さな突起をそっと押し込むと、左右に開いたレンガの中には、小さな金色の鍵が納められていた。

「これはね、魔法図書館の鍵さ。」

 

 魔法図書館。

絵本はもちろん、魔法の教本や図鑑、世界中の歴史や物語、あらゆる秘宝までも蓄えるとされる、王国で一二を争う巨大な楠の木だ。根の入り口から入ると幹の中は空洞で、その全てが図書館になっている。

一面をぐるりと書架が占め、子供から大人、科学者や研究者に至るまで、ありとあらゆる者が求める本がそこにはある。

上に行けば行くほど王国の機密に近い文献が納められているというが、その内部は複雑に入り組み、外観よりもずっと広さも高さもあるため、幾ら見上げても最上部は見えない。

職員たちはかぶとむしで、目当ての本があれば取ってきてくれたり、背中に乗せて興味がありそうな本を一緒に探して飛んでくれる。

「本たちはね、誰にも読んでもらえないと寂しくて騒ぎ出してしまうのさ。例えば水の書なんてどうだい?本棚が水ぴちゃになってしまうだろう?言霊の書なら夜通し喋りっぱなしだ。だから鍵がしてあるのさ。」

幼なかった頃、祖父はそう教えてくれたものだ。

ぽたぽた水の零れる本棚や、夜の図書館でぼそぼそ声がする様を想像し、それは迷惑だしちょっと怖い。と思ったことを覚えている。

だけど・・・。

本の鍵がなぜあんなところに?

なぜ、呼び出さなきゃならないほど遠い地に・・・。

ランプ草の柔らかな明かりに照らされて、小さな鍵が煌めく。

「図書館の上層部には何が納められているか。イライザは知っているかい?」

「何って、宝物でしょう?」

当たり前じゃないの。みんな知ってるわ。

「宝物か・・・そうだね。あと、オリビアの希望かな。」

「希望?王国の?」

「そう。この王国がもたらす全ての恵みに感謝し、この先も絶え間なく平和が続くようにと、先人達が未来へ繋いだ知恵や希望さ。宝物も確かにある。でも、各部屋に納められているのは、決していいものばかりではないんだよ。

強大な力を呼び起こす魔法や、猛々しい魔物もいる。

そして万が一、この国が進むべき道を誤ったと判断された時に、自分達の手で国を滅ぼしてしまう為の「滅びの呪文」もね。それらが王国の象徴とも言えるあの巨木の遥か上層に、鍵と魔法で幾重にも封印されて収められているんだ。

【良きものは永久にオリビアにあれ。悪しきものは永久にここに眠れ。】とね。」

自らの国を滅ぼすために、自らの手で綴られた、決して口にはできない魔法の呪文。

なんと哀しい作業だろう。なんと重い決意だろう。

風に頬を撫でられた気がして、イライザは辺りを見回した。

窓はきちんと閉められている。

ランプ草に照らされた空気が揺らめいていた。

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