月が綺麗ですね

きなこ軍曹/半透めい

月が綺麗ですね


 月が綺麗ですね。


 幾万の星が輝く夜空の下で、何度目か分からない台詞を呟く。


 そうね。


 そして、何度聞いたか分からない返事が返ってくる。




『月が綺麗ですね』

 英訳すると『I love you』

 その告白の言葉を慎み深い日本人に合わせて、かの夏目漱石氏が訳した。

 もちろん、言わずもがな。

 僕は目の前の彼女、先輩に恋をしていた。


 素直な気持ちを伝えられない典型的な日本人の僕は、まわりくどく告白していたのだ。

 しかしこの気持ちに気付いていないのか先輩はそっけない。

 いやもしかしたら気付いていて、それであの態度という可能性もある。

 だけど、それも仕方ない。

 先輩と言えば、バリバリのキャリアウーマンで、その容姿も整っている。

 もちろん僕がそんな彼女に恋をしたのは、そういう理由からだけではないが、何しろ先輩は社内の人気がすこぶる高い。

 方や僕と言えば、仕事がそんなに出来るわけでもなく、容姿は良くても中くらいだ。


 釣り合っていないのくらい、分かっていた。

 自分に自信がないから、こんな言葉でしか告白できないということも全部。


 だから、期待なんてしていないし、出来るわけもない。

 自分の価値くらい、わきまえていなくちゃいけない。


 なら、どうして口に出してしまっているんだろう。

 それは、本当に偶然だったんだ。

 先輩の落とし物をたまたま後ろにいた僕が拾ってしまった。

 その結果として、何故か先輩に話しかけられるようになって、たまに食事も一緒したりするようにもなった。

 そんなある日、僕はそれはもう見事に酔っぱらっていた。

 自分の気持ちを隠すのが嫌になったんだろう。

 だから、言ってしまった。


「月が綺麗ですね」って。

 それも月なんて少しも見えない、雲に覆われた夜空の日に。

 興奮はしていた。

 頭には血が昇っていた。

 それでも期待だけはやっぱりしてなかった。


「そうね」

 そんな言葉が間髪入れずに返ってきた。

 それだけだった。

 本当に、それだけ。


 次の日からも、その次の日からも、僕たちの何かが変わるわけでもなくて。

 そんな毎日が少しだけ、悔しかった。

 だったら、何も変わらないんだったら、この遠回りの告白を続けよう。

 そう決意した。


 あれから、返事は変わらない。

 初めから今まで、ずっと同じままだ。

 何度も、何度も、何度も。


 ただそんなある日社内で、先輩が海外へ行くという噂が、どこからともなく立ち上がった。

 相も変わらず、僕たちの不釣り合いで妙な関係は続いていて、その噂の真偽を確かめることくらい、何でもなかった。


「えぇ、本当よ」


 そんな答えは聞きたくなかった。

 嘘であってほしかった。


「いつ、ですか」


「明日の夜よ」


 それはあまりにも唐突で、一体なんといえばいいのか分からなくて。


「月が、綺麗ですね」


 胸の焦りとは裏腹に、今日も、何時もと変わらない告白をした。

 今日も、いつもの返事だった。




 次の日、僕は先輩を探していた。

 仕事の終わる時間を狙って、今日こそは遠回りをしない告白をしようと息巻きながら。


 でも先輩を見つけた時、先輩は一人じゃなかった。

 会社の男社員と二人で窓の近くに立っていた。

 特に関わりがあたわけではないが、確か先輩の同期だたと思う。

 男の僕から見ても容姿は整っていて、二人が並ぶ様子はまさに美男美女カップルだった。


 そんな二人を目の当たりにして、僕は息を潜めることしか出来ず、かと言ってその場を離れることも出来ず、結果として二人の会話に耳を澄ませていた。


「そういえば今日、海外に行くって聞いたけど?」


「そうですが何か」


「いや、別に。寂しくなるなぁと思って」


「そうですか」


 普段とは違って、どこか他人行儀な先輩。

 そんな先輩は男の方を見ず、ただ窓の外に広がるだろう夜空を見つめていた。


「今日は雲もないから、星も良く見えるね」


「そうですね」


「――――月が、綺麗だね」


 それはまるで、頭を殴られたかのような衝撃だった。

 誰が決めたわけじゃない。

 それでも、まるで僕の台詞を盗られたような気がして、拳を握りしめた。

 きっとその台詞は僕なんかよりも、あの男の方が似合っているのだろう。

 そして先輩にも、あの男の方がお似合いなんだろう。

 そう思った時、握りしめていた拳が、少しずつ緩くなっていくのが分かった。



 聞きなれた口調に戻った先輩は、唖然とするその男と僕をよそに、踵を返した。


、空港までお願い」


 先輩が誰に対して言った言葉なんてこと、わざわざ聞くまでもなく僕のことだ。

 ただ言われるがままに、僕たちは会社の駐車場へと向かった。




「後輩くん」


 先輩から声をかけられる。

 本当だったらこの時間にはもう飛行機の中にいるはずだったのに、少しだけ出発が遅れてくれているらしい。


「送ってくれて助かったわ、ありがと」


 搭乗ゲートを潜ろうとする先輩からの言葉。

 このゲートを潜ったら、もう飛行機に乗るだけだ。

 つまり、これが最後。


「先輩……っ!」


 そんなの嫌だった。

 許せなかった。

 あの言葉が、僕の気持ちが、ちゃんと伝わるまでは、諦めることなんて出来なかった。

 先輩、僕は、あなたのことが、ずっと、ずっと前から――


「月が、綺麗、ですね」


 ――――好きだったんです。


 言葉の意味、僕の想い、伝われ。

 今だけで良い。

 今回だけで良い。

 伝われ、伝われ、伝われ、伝われ――――。


「……………………そうね」


 先輩は、いつもより少しだけ寂しそうな顔と声で、いつもの言葉を呟いた。

 どうやら僕の想いは、伝わらなかったみたいだ。

 なんてことは、ない。

 こんなのいつもと同じ――――なわけない。




「先輩」




 ゲートを潜ろうとする先輩は、もう振り返ってくれない。

 それでもいい。

 想いを伝えられる一瞬があるなら、それ以上なんて望まない。




「大好きです」




 ずっと伝えたかった、でも素直になれなかった僕の想い。

 今だけはちゃんと伝えるから。

 今だけは、頑張って素直になるから。

 だから、教えてください。

 先輩の気持ち。




「死んでもいいわ」




「……そこはちゃんと言ってくださいよ、先輩」


 素直になった僕の想いに応えてくれたのは、途方もないほどに誤魔化された先輩の言葉だった。

 そんな先輩は、僕の苦笑など知った様子もなく、ゲートの上に表示された搭乗機の出発時刻を見ている。


「もう、遅いんだから」


 それが、少しだけ遅くなった出発時刻に対してなのか、それとも、なかなか素直になれなかった僕に対してなのかは、最後まで教えてくれなかった。

 

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