日曜日の夕方になると、凜々子は予定通りに帰ってきた。

「ただいま! お腹すいたなあ。あれ? 一人なの? なんだ。お別れの挨拶くらいはしたかったのになあ」

「どうして、電話に出てくれないんだよ!」

「なになに、なんでそんなに怒ってるのさ」

 凜々子はお土産の入っている紙袋をテーブルに置き、そして言葉を続けた。

「旅行の時はよほどのことでないと電話に出ないって言ってるじゃんよ。旅行気分が台無しでしょうよ」

「それどうやって判断するんだよ。五回も電話したんだから、それはよほどのことって思ってよ」

「そんな重要なら、留守電に入れればいいじゃない」

「凜々子に電話したって、留守電にならないじゃないか」

「じゃあ、メール送ってくれればいいのに」

「……」

「あれ、メール来てたっけ?」

 そういいながら、凜々子は部屋にカバンと帽子を投げ捨ててベッドに飛び込んだ。

「やっぱり家のベッドが一番だよねえ。あれ、なんか七海ちゃんの匂いがするなあ。裕也の匂いもする。ひょっとして、ひょっとした感じかな。なんだよう! それをいち早く報告しようっていうのなら、電話取ればよかったんだけど!」

 僕は一人盛り上がる凜々子を無視して、大きなため息をついた。その様子をのぞくように見てくる凜々子はなんだか嬉しそうだ。

「怒るの珍しいねえ。わたしまともじゃないんだから。仕方がないでしょうよ」

「自分で言うなって!」

「そんなに怒らないでよ。え? まさか、その報復のため夕飯なしとか言わないよね。うそでしょ。そりゃ困るって。わたしが旅から帰ってくる日は、もうあれって決まってるじゃーん!」

 僕はしぶしぶ、台所に向かい火をつけた。凜々子が帰ってくる日はカレーを作ることに決まっているのだ。凜々子の歓声が響く。久しぶりに、この家に明るさが戻ってきたことを実感する。


 夕飯を食べながら、僕は一週間の出来事を伝えた。七海さんが、夜泣きながら部屋にやってきた一夜のことを除いて。

「で、電話の内容は結局何だったのかな?」

 凜々子の問いに、答えるのも億劫だった。

「わかるでしょ」

「わかんないし」

「七海さんと連絡が取りたかったんだって」

「何か忘れ物でもしていったの?」

「そうじゃなくて」

「そうじゃなくて?」

 僕はため息をついた。

「連絡先くらい教えてくれたっていいと思わない? 僕だったら、泊まらせてもらった家に、お礼とかしたいもんだけどなぁ」

「なにあんた、感謝してほしいわけ?」

「そういうわけじゃないけどさ。だってさ、すっと消えちゃったんだよ。……こんなことなら、会わなきゃよかった」

「なるほどねぇ」

 おかわりしよっかなーと大きな声で言い、凜々子はご飯とカレーをよそい行く。

「そういう、察しましたみたいなのやめてよ」

 僕の声は届いただろうか。

 凜々子はリビングに戻ってくると、僕に向かって手を伸ばしてきた。おかわりをしろということらしい。僕はお皿を手渡すと、うーんとうなりながら再びカレーをよそいにいく。

「まぁでも、裕也の気持ちもわからないではないよ」

 そういいながら、凜々子は二杯目のカレーを食べ始めた。凜々子は理解しているのだ。その言葉に僕の心はうずいた。「僕はさ、結局七海さんのこと何も知らないんだよ。ひょっとしたら、僕のせいで悩みが膨らんで、だから出ていってしまったかもしれないじゃないか。それが、不安でしょうがないんだよ」

「置き手紙は『ありがとう』だったんでしょう? 決心がついたってことじゃない? お家に戻って、母親を説得しにいったんだと思うけどなあ」

「ありがとうって言葉は、僕に気を使っているだけかもしれないじゃないか」

「んなわけあるか。安心しなさいな。姉さんが保証してあげるから」

 いつのまにか、涙があふれてきた。僕のカレーを食べる手は止まり、鼻水をすする音がリビングに響く。

 凜々子はゆっくりと僕の後ろに回り込んだ。そして力強く両肩に手を乗せて、そしてぐっと引き寄せながら僕に身体を預けてきた。

「あんたねえ。ずっと一緒にいれるのなんて、家族くらいなものだよ。家族ってのは特別だよね。それとは別にさ、道ばたでばったり出会ってさ、笑顔交わしてバイバイするのも悪くはないもんだよ。それに気付けたなら、一歩大人になったってことよ」

「悪くない、だなんて思えてないし」

 僕は下を向き、手で涙をぬぐった。

 しばらくして、凜々子の言葉に引っ掛かりがあることに気付いた。

「道ばたで?」

 凜々子はさっと一枚の名刺を僕の目の前に出してきた。

「あんまりオススメはしないけど。会える可能性はここくらいかなあ。私も七海ちゃんの連絡先は知らないんだな。というかそんな有名なピアニストだってことも知らなかった」

 僕はそのお店の名刺を裏返した。住所は赤坂だ。

「ちょっと遠いけどね。行ってみる?」

 僕は小さく頷いた。

「もう泣くな!」

 凜々子はそういいながら、僕の頭を優しく叩いた。

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