第23話(最終話)

「いずれかののち、俺が自分自身を忘れることがあっても…お前なら今日のこのやりとりさえ覚えていてくれる。そうだろう?」

 人は愚かだ。

 己に出来ぬものを誰かに、何かに転嫁し願うことを、何千年という文明を経ても手放せずに、今もこうして足掻いている。


 ヒビキが瞬きをした。

 ヒビキにとって世界の、自らの内にあるメモリとの交感が、ゼロコンマにすら満たない速度であることなど知っている。

 けれど俺にとってそれは、時間が永遠に止まってしまったのではないかと思えるほどに長い時だった。

「…そう。それなら安心して。僕は君たちのすべてを、決して忘れはしないから」

 人の愚かしさを知りながらも、そう言ってヒビキは笑う。


 ああ、明るい日差しが差しかけるうちで良かった。

 この間のように星の見える夜ならば、俺はきっと泣いていた。

 

「あー」

 火狩博士の上げた声に、我に返る。

「…もう施設に帰さないとな」

「うー」

 博士はそうだと言わんばかりに再び声を上げた。

 すべてを忘れてしまっても、時間への峻厳しゅんげんさは失われていないようだな、なんてことを思うのは、身内の欲目よくめだろうか。

「プレゼント、気に入ってもらえたみたいだね」

 ベッドを覗きこんだヒビキが目を細める。

「うー」

 両の手に未来と思い出という名の二つの玩具を握りしめ、童心へと還った火狩博士は、まるで生まれたての赤子のようにきらきらと瞳を輝かせて笑う。

 百万ドルの微笑はもう、どこにもない。

 けれど。

 博士は本当の『火狩』になったのだと、そう思う。


 すべてを忘れた火狩博士は切なくもあどけなく、生まれてきてはやがて土に返る人間の、多分原初の姿そのものだった。


                                     了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

百万ドルと羅針盤 マサキチ @masakey

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ