第21話

 けれど父との思い出を語る母はいつだって楽しげで、そして幸せそうだった。

「お父さんのことを、そんな有名人だなんて知らなかったから言えたのよね。…え?その時食べていたもの?おにぎりセットに肉と野菜の炒め物とポテトグラタン。所内で全部培養しているとはいえ、皆が食べられるように考えると、材料だって毎日カツカツなのに、めちゃくちゃな量と組み合わせ。なんて贅沢な人なのって思ったわよ。でもね、研究の合間にほぼ一日一度の食事だから、栄養士の計算からその日の必要摂取栄養量が足りるように頼んでるんだって言われちゃって。冥利みょうりに尽きるんだか、考えなしなのか複雑だったわ」

 サンドイッチではなく、おにぎりセットというのは随分な違いだが…火狩博士の謹厳実直なる噂話が、間違いなく母とのやりとりに由来するものだったと知り、その後しばらくは父の顔を見るたびに思い出し笑いをこらえるのが大変だった。


 そんな母は、父とその目指すものを愛し、支え、家族を愛する普通の女だったと思う。


 妹のめぐみは、母に覆いかぶさったまま短い生を終えていた。

 事故によってリコールとなった自動車会社は、賠償を軽くするために必死だった。

 渋滞で避けることなどできなかった状況は、考えるまでもなかったというのに、使用していた子ども用の三点ハーネスが母の不手際で外れ、恵がしがみついたことで逃げなかっただけだと、いわれなき責めを投げつけられたりもした。


 だが、母をかばうように立ち上がり、腕を広げる子どもの姿を見たとの証言が多数あったこと、ドライブレコードには確かに母の操作でロックした時間と、事故の直前に恵が外した記録が残されており、不手際という説は完全についえた。

 現場検証をした警官はめるのは易くも、外すには二点を同時に押した上で尚且つスライドでロックを解除するハーネスは、子どもが簡単に外せるような仕組みではないのに…と首を傾げていたけれど、俺と博士にはわかっていた。

 恵は、母を守ろうとしたのだと。


 サイドシート側から突っ込んでくる車を視認した瞬間、おそらくもう間に合わないことは理解していただろう。

 どんな思いであの小さな手を、ロックに向けたのかは彼女にしかわからない。

 けれど、いたずらに母を恐怖に陥れることないよう恵が視界を遮り、守る方法を選んだことを、俺たちは容易に想像できた。

「…わかりやすいものがあったら、迷子にならないのに」

 俺がヒビキの指向性をその一言で決めたように、幼さゆえの舌足らずな言葉の内に、時折はっとするほど本質を突くものがあった。

 女性は概して男よりも機微に長じ、聡い。

 恵が女であることも、もしかしたらそう感じる一因であったかもしれないことは否めないが…。

 いずれ博士や俺と肩を並べる、いや、それ以上の才を発揮していたかもしれないと、成長する彼女の姿を見て考えたことは一度や二度ではなかった。


 そして、俺は思う。

 もし恵が今も生きていたのなら…火狩恵の名の通り、原初の太陽にも似た〟恵み〟を、博士や俺へと、きっと惜しみなく降り注いでくれていたのだろうなと。

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