第13話

 ヒビキシステムが生まれたきっかけは、地球近くに生じた小惑星帯にある多数の天体に含有される基質きしつ、セレドライトの発見者、宇宙探索士ジル・ナイルズの分厚い論文だった。

 もっと子どもらしいものを欲しがればいいのにと母親から渋られつつも、散々ごねてねだって父の伝手つてで取り寄せてもらったナイルズの論文は、かつて世界はペーパーレスになると予言していた者たちの想像をことごとく裏切る、『紙』にプリントされた書籍だった。

 もっとも、改ざんや悪用がされぬよう、印刷にはナノ・プライバシーと呼ばれる複製を不可能とする素材が使われており、厳密に言えば紙と呼ぶのは違っていたのだが。


 今やシステム誕生のきっかけともてはやされ、入手も容易くなったものの、ネットパブリシャーで読むにはあまりに冗長にすぎ、読み手もほとんどいなかったその論文は当時、無限に広げられるはずの仮想領域の中でも、メモリの無駄遣いだと大半の部分が削除され、すべてを公開されてはいなかった。

 そんな風に頑なである思考こそが愚かであるとかえりみもせずに、可視化できるわかりやすい案件ばかりを表面に顕在化けんざいかさせるのは相変わらずだ。いつの時代も人というものが、個々人の価値観で無駄を切り捨てようとするのは変わらない。


「いつかあなたと一緒に研究がしたいって言っている覚に限って、勉強は問題もないし、個人端末セルフコンソールを使って学習もしているようだけれど…最近は一日中ペンを持って何かを書き散らしているの。あなたに取り寄せてもらったなんとか言う人の論文にあんなに落書きをしてしまうなら、初めから画用紙やノートをあげればよかったわ。ごめんなさい」

 そう洩らした妻・晴香はるかの言葉に、プロジェクトの合間に帰宅していた火狩博士は息子の部屋を覗きに行った。

「論文に落書きをしているようだと晴香が言っていたが、一体どうしたんだ?」

「落書きって…ひどいなあ。音声認識も端末セルコンのボードも、口頭で呼び出したり別の場所に格納された記号を選んで打ち込むよりも、単に手書きの方が作業が速かったってだけだよ。買ってもらった論文を汚しちゃったのは悪いと思ってるけど…頭の中に浮かんだ理論を、どうしても書き出して確認したかったんだ」

「理論の確認?」

 ナイルズの論文には無数の紙が差し込まれ、装丁も綴じ口も見る影なく、無残なほどに膨れ上がっていた。

「一体何を考えていたら、こんな有様になるんだ?」

 火狩博士はそこここに散らばる紙と、部屋の隅にある中身の見える箱に整然と収められた、何かを構成していたらしき部品――そして不思議と母親よりも兄になついている、覚とは八つ離れた幼い妹・めぐみが今は占領しているベッドとデスクがある以外、まったく子どもらしいもののない部屋の中から、ナイルズの論文集を拾い上げた。


 ページを開けば余白と、足りない場所には、旧世代のリポート・パッドを引っ張り出してきたらしき、紙を挟み込んで作り上げた理論がびっしりと書き込まれ、通し番号が振ってあった。

 最初の数枚に目を通し、衝撃に息を飲んだ。

 それはセレドライトを用いての、壮大なエネルギー採集計画だった。

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