第4-2話 懺悔の日々、少年が犯した罪と罰。

 亀頭組の若頭を昔、面倒見たことがあった。高橋は早速、亀頭組の事務所に出向き、開口一番、若頭を呼びつけた。

 「かしらをだせ」


 「どちらさんで」 

 玄関先には威勢のいい若い衆が2人。

 前と後ろから取り囲み、高橋刑事をドスの効いた声で威圧した。


 しかし高橋も刑事の端くれだ。そんなものに負けてはいない。警察手帳を出し、相手をにらみつけた。


 「おまえらなんかに用はない。かしらを出せ言うとんじゃ」

 「ごくろうさんです。しばし、お待ちになっておくれやす」

 門番の若い衆が急に下手したてになり、愛想笑いを浮かべて奥に引っ込んだ。


 数分後、兄貴分の若衆が、高橋の前に現れた。

 若頭は留守らしく、こちらから改めて連絡させますという返事だった。

 高橋は署に戻り、若頭からの連絡を待った。


 コーヒーをすすり、どうするのが最善か、案を練った。

 連絡が来たのは、夕方5時を回った頃だった。近くのファミレスでお茶をすることになり、高橋はまたしても車を走らせた。


 若頭は既に到着していて、護衛用に子分を2人、引き連れていた。

 「よう。元気か」


 高橋が挨拶すると若頭は急にペコペコし始めた。

 「だんな、あっしは何も悪いことはしていませんぜ。お天道様に顔向けできないことは、何ひとつ。本当でさ」


 「チャカ、持ち歩いておらへんやろな」

 「へい。ほんま、ごくろうさんです。だんなには駆け出しの頃、よく世話になりやした。そのせつは、本当に助かりやした」

 若頭は深く頭を下げた。


 「で、あっしに、帯刀五郎に用事とは、なんですかい?」

 ウェイトレスがオーダーを取りに、やってきた。


 高橋は紅茶をオーダーした。

 帯刀に何か食べるかと聞いたが、帯刀は食べてきたばかりなのでいらないと、やんわり断った。


 飲み物もいらない、と言った。

 高橋刑事は本題に入った。


 「五郎。頼みがあって今日は来た。忙しいところ、悪かったな。早速で悪いが」

 高橋は帯刀を見た。帯刀も小さくうなずいた。


 「原田真司という若者を知らないか? 巾着切りの原田という男だ」 

 帯刀は、顎に手を当てしばらく考えた。


 「知らねえです。そいつが何か?」

 「どうも原田が、おまえさんとこの若い衆の財布に手を出したみたいなんだ」


 「ヤクザもんのポケットに手を入れるとは、大した度胸だ。そいつは死にてえんですかい?」

 帯刀は豪快に笑った。


 なあ五郎。困ったもんだろ。そこから先は話さなくてもわかるだろ。

 高橋は目で同意を求めた。


 「ははーん。うちの若い衆につかまって、ヤキを入れられたってことですかい?」


 「どうも金を請求されているみたいだ。あと小指もよこせと言われているらしい」


 「金額は?」

 指を3つ、目の前に差し出した。


 「3本ですかい。そりゃあ困りやしたね」

 帯刀が大きく息をはき出した。


 「だんなの頼み事とはいえ、これは若い衆のシノギがかかってる。若い衆のシノギを取り上げちまったら、かしらの面目が立たねえ。組が成り立たなくなっちまう。おまんまの食い上げでさあ。これっばっかりは、どうにもならねえ」

 帯刀は言った。


 「五郎。おまえ16で、この世界に入ったよな。関東幻夜連合に目をつけられ半殺しにあったとき、助けてやったのを忘れたわけではあるまいな」

 むむむ。帯刀が歯ぎしりをする。


 あのときはバットで袋だたきにあい、警察に間に入ってもらって危うく命拾いした。


 頭を48針縫い、右手を2カ所も複雑骨折した。

 命の恩人が、今まさに目の前にいた。


 「鉄砲玉だったおまえが、命を落とさず今日まで生きてこれたのは、誰のおかげかわかってるやろな?」

 「それとこれとは話がべつでさあ」

 急に帯刀の威勢が悪くなった。


 高橋は畳みかけた。

 「おまえんとこの若い衆が拉致られたとき、関東幻夜連合に助け船だしてやったの、忘れたわけではあるまいな?」

 敵対する組織は半年で壊滅した。

 これもそれも、警察の大手柄があったからだ。


 「うちら海老名署の血が、ようけ流れとるんやぞ。どれだけ根回ししたか」

 「わかりましたよ、だんな。今回の分、きっちりつけておいてくださいよ。それにしても、だんな。その男とはどういう関係で?」

 高橋は行きがかり上、ほうっておけないんだ。とだけ説明した。


 帯刀は、ファミレスをあとにした。事務所に戻り、すぐに子分を集めた。

 「これ以上、原田を追い込むな。これで毒落としせい」

 10万円を子分に渡し、それで原田との一件は、水に流すことになった。 


 後日、原田から高橋に電話があった。

 「300万払えなかったら、腎臓を1つ売る話が出ていました。来月の初めにも、フィリピンに渡る話がでていて、噂ですが、闇ブローカーが、オレが麻酔薬で眠っているのをいいことに、移植が効く内蔵をすべて抜き取ってしまうつもりだったとあとから聞きました。オレは殺される一歩手前でした」

 それは原田の感謝の言葉だった。


 しかし残念なことに原田の手癖はこれでも完全にはなおらなかった。

 あるときは婦人警官の財布に手を伸ばし、ご用となった。


 またあるときは置き引きでデパートで捕まり、そのたびに身元引受人として高橋刑事が駆り出された。


 警察官の同僚は、縁を切ってしまえ。そう高橋に助言したが、高橋は乗りかかった船で、原田を見放すことができなかった。


 やっこさんには、やっこさんなりの、苦悩があるのかもしれない。

 高橋刑事は原田を実の子のように思いやった。


 高橋刑事は子供を一人、亡くしていた。

 高橋刑事には女の子のほかに、男の子が一人いた。が、誘拐事件に遭い、男の子は惨殺された。今から12年前の話だ。


 高橋刑事に3度捕まったことのある強盗犯の仲間が、高橋の子供を見せしめに殺した。生きていれば、原田と同い年だった。


 「あいつは健の生まれ変わりのような気がするんだ。どこか不器用で、要領が悪くて」。

 いつか家内にそう話したことがあった。

 妻の真由美も、そうね、とたしかそんなことを言った。


 原田は23歳になった。

 従業員が6名の小さな町工場。そこの看板娘の事務員を嫁にもらい、世帯主になっていた。


 結婚した翌年、子供ができ、原田も無職ではいられなくなり、派遣の仕事に就いた。給料は手取り15万円だった。


 毎日、野菜中心の、質素な生活が続いたが、それはそれで幸せだった。

 1つのものを3人で分けて食べ合う。そんな生活だったが、原田はうれしくて仕方なかった。


 自分を頼ってくる子供がいて、そして愛する妻がいる。

 やがて原田は両親が自分を置いて夜逃げした年齢になり、親の気持ちが少しわかるようになった。


 原田は子供をかわいがった。

 自分が不自由した分、子供には幸せを望んだ。


 しかし2歳になったばかりのある日、愛する我が子はこの世を去った。

 脳性麻痺だった。

 言葉をおぼえたばかりだった。


 生命保険で800万円の保険金を手にした原田は、300万を施設に寄付し、残り500万を頭金にして小さな団地型のマンションを買った。


 親が貧乏を嘆いていたために、子供が身代わりになって親を助けたのではないか。そう思えてならなかった。


 原田は高橋刑事に手紙を書いた。

 今まで歩んできた自分は間違いだったこと。

 これからは人の役に立てるよう、生き方を変えてみせると。

 そう短かく記した。


 若いうちは、多少の勇み足があるくらいでちょうどいい。

 出過ぎて、邪魔だといわれて。

 生意気だって言われて。

 でもそれくらいで、ほんとちょうどいいのかもしれない。


 どこにいるのかもわからないくらい息をひそめて、自分を殺して。

 そんな必要がどこにあるのかと思う。


 団地の庭に一輪のヒマワリが咲いた。

 ヒマワリは、誰に指図されるわけでもなく、時期がくればひとりでに花を咲かせた。


 きれいだなんて言われることを望まず、まわりの草木に干渉することもせず、ただ揚々と誇らしげに根を張った。


 翌年、原田は第2子を授かった。

 子供を原田は直人と名付けた。


 まっすぐな子供に育ってほしい。

 願いはただ一つだった。


 今の自分には、あの頃と違って大切に思える家族がいる。

 原田は遠く空を見上げた。

 大切なものが心に芽生えたおかげで、まわりを優しい目で見つめることができた。


 人には転機がある。

 その時わからなくとも、振り返って、あのときがターニングポイントだったといえる、そんな時機、チャンスがある。


 かけがえのない人との出会いも、まさにこれに当たる。

 原田は高橋刑事に感謝した。

 感謝の気持ちを持つことなど、昔の自分では考えられないことだった。


 原田は生まれて初めて先祖の墓参りをした。

 今までは自分を大きく見せようとしていた。

 タンポポで、ヒマワリの花を咲かせようとしていたんじゃないか。

 ふとそんなことを思い浮かべた。


 原田は巾着切りとは縁を切った。

 誰かを悲しませる自分を恥ずかしいことだと思うようになり、行動を戒めた。


 風が原田の頬をやわらかくなでた。

 遠くで小鳥のさえずりが聞こえた。

 隣人が庭で草をむしっている。


 自分のためでなく、産まれてきた子供のためにも。

 これ以上、誰かを悲しませるのはやめよう。

 心に誓った。


 亡くなった脳性麻痺の子供のためにも。

 新しい家族のためにも。

 家族が前を向けなくなることは慎むべきだと思った。


 原田は空を仰いだ。

 そこには雲一つない青空が広がっていた。

 自分は生かされているのかもしれない。

 そのことに原田は気付くのでした。

 《第5章、完》

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