第31話 長い夢

「上がっていいよ」

 ㅤワタシは、言われるがまま、星の人の家へお邪魔した。


 ㅤ広い玄関。奥へ進むと大きなグランドピアノ。飾られた高級そうなアコースティックギター。


「す、すごいですね」


 ㅤリビングの長いソファーで、L字型に向かい合う。


「ねぇ、キミってもしかして、お孫さん?」

「あぁ、ハイ、そうなると思います」

「コーヒーかココア、どっちがいい?」

 ㅤ星の人はそう言ってまた、大きな体をすっくと立ち上がらせて、キッチンへ向かおうとした。

「あの、どうぞ、お構いなく」

「構うからさ。どっちにする?」

「じゃあ、コーヒーで」

 ㅤ今、ワタシが話してる人が、正真正銘、星の人。細かい話はまだこれからだけど、ワタシのことはすんなり受け入れてくれるんだな。


「ね、おばあちゃんは元気?」

「ハイ、元気です!」

「お、そうなんだ。そりゃよかった」

 ㅤコーヒーの準備をする背中で、表情は見えないけど、本当に嬉しそうな声を弾ませる。

「ハイ、どうぞ」

「ありがとうございます」

 ㅤ二つの温かな湯気が、テーブルの上に立ち込める。

「まず、飲んでごらん。お口に合うかわからないけど。毒は今回抜いておいたからさ」

 ㅤいたずらっぽい笑顔。これもまた、予想外なことかも?

「甘くて、美味しいです」

「ごめんね、僕、甘いの好きだから」

「いえいえ、ワタシも好きです」

 ㅤもっとガチガチに緊張するかと思ったけど、落ち着ける。まぁ、偶然にも一度会った人というのも大きいかな。


「ね、質問しちゃうけど、ここへキミが来たっていうのはどういうこと。もしかして、キミが手紙読んじゃった?」

「まさか、そんなはずないじゃないですか! ㅤ……ごめんなさい、そのまさかです」

「はっはっは。でも、何でかな」

「バカみたいな話で大変申し訳ないんですけど……ワタシ、ましろって言います。マァちゃんなんです!」

「ふははっ。そっかそっか。マァちゃんの人は、マの字を受け継いでるんだってね。お母さんもそうなんじゃない」

「はい。でもお母さんはマリちゃんなんです。ていうか、この物語の発端はお母さんにあるんです!ㅤ お母さんが、ワタシに手紙を渡しちゃったから。ワタシ、勘違いしちゃって……。まぁ、ワタシもバカなんです」


 ㅤ何、人の家へ上がり込んで反省会開いてるんだろ。それに、星の人はどうしてワタシを怒ったりしないのかな。手紙を受け取る相手を間違えられたのに、笑ったりしちゃって。


「すみません、どうして……」

「ん、なにかな」

「何とお呼びしたらよろしいでしょうか」

「何でもいいよ。おじさんでも」

 ㅤおじさんか。実際はおじいさんじゃないかなぁとか思ったけど、さすがに失礼そうなのでやめておく。


「どうしておじさんは、そんな笑っていられるんです? ㅤ結構、愛を込めた手紙を送られてましたよね。何か申し訳ないですケド」

「愛、かぁ」


 ㅤ星の王子さまならぬ、星のおじさまはソファーに座りながら一つ腕を上げて伸びをした。


「愛って言ってもらったら、ありがたいけどね。でも、チビリだったから。本人には言えなかった。今も言えてない」


 ㅤそう言うとふふふっと、ふきだしたおじさん。でもワタシは、申し訳なさとか色んな気持ちで、笑えなかった。


「おババと分かれたのは、やっぱり仕方ないことでしたか」

「それはそうだよ。当時のことを考えれば。でも結局、簡単に行かせてしまった」


 ㅤ当時この星。もとい地球は、移星政策の真っ只中ただなか。自ら望んだり、望まない人たちがいる中、宇宙船に乗り込んだのが、マァちゃんこと、おババ。それが約五十年前。


「どうして、あのくらいの気持ちがあるのに……せめて気持ちくらい伝えておけば」

「伝えられないよ」

 ㅤ空気がちょっと、ピリついた。


「ごめんね。伝えることって、とても難しいことなんだ。だから余計、伝えなくちゃいけなかったのかもしれないけど」

 ㅤおじさん。この人、あえて言い方悪く言わせてもらうと、ヘタレなんだ。仮に、分かれることは止められないとしても。言えばいいのに。好きだから残ってくれって。無理だったとしても。言えばよかったのに。


 ㅤそう思ったら、ぽろぽろ涙がこぼれでて、コーヒーの渦に溶けていった。

 ㅤだって、目の前にいるのは白髪の生えたおじいさん。愛する人に何も伝えられなくて、ワタシにも邪魔をされたおじいさん。


「せめて、旅立つときにでも、ど、どうして、手紙を直接渡さなかったの。それなら、ワタシガ、カンチガイすることもなかったじゃん」


 ㅤぽろぽろ涙は止まらずに。怒っているのか丁寧語もがれた。


「そうだね。その通りだよ。僕は逃げたんだ。あのとき、そんなつもりじゃなかった。彼女を引き止めないと決めて、愛してると言わないと決めて。彼女が幸せになれるようにと、祈ったんだ。でもあんなの、嘘っぱちだ。見送ってから、手紙を送ったいやしさに、それが表れてる。当時宇宙へ手紙を送るのは大変な手間だってことわかってた。不便な過去から、不便な手法。それを知った上で、送ったんだ。名前を伏せてね。本当、情けないったらありゃしない」


 ㅤこれが星の人の、悲しい真実。ワタシはもう、責められない。責めたって、何にもならない。この人は、大きな愛を、時間をかけて、ある意味今、失ったんだ。


 ㅤ近くにいたら、見えない星も、遠くにいたら、見える星。か。ワタシもある意味、失恋したのかな。


「おじさん、その、今、奥さんは?」

「恥ずかしいけど、いないよ。僕も幸せになりたかったから、いつかはするものだろうと思っていたけど。引きずったのかな」

「そうですか、すみません。でも、ここは素敵なお家ですね」

「これでも音楽家の端くれだから」

 ㅤあっ、そうなんだ。趣味じゃなくて、本当に音楽を。

「暗い雰囲気になっちゃったから、一つ自慢していい? ㅤキミの星の歌、あれ僕が作ったんだ」

「エ、どんな歌ですか?」

「そつぅぎょぉう、しよぉおぅってヤツ」

 ㅤ一節ひとふし歌って、恥ずかしそうに笑う。何かどっかで聴いたことあるな。歌ったことがある気すらする。

「えぇっ、あの卒業式で歌ったヤツですか?」

「そうかな。あの歌はねぇ、本当に色んな気持ちを込めて作ったんだ。ほとんど、自分のことだけど」

「じゃあ、家に帰ったら、歌詞でも探してみます!」

「ありがとう」


 ㅤ何だか、また落ち着いた雰囲気になってきたな。ってコーヒーまずっ。甘じょっぱぬるいはさすがにキツイね。


「そういえば、住所は変わってなかったんだ?」

「ああ、そうですね。ずっとあの家住んでますよ。住所はどうやって知ったんですか?」

「普通に本人から聞いていたよ。引越し先のね」

「エッ、じゃあ、もしかして、おババも手紙が来るの待ってたんじゃ」

「それはどうかな、当時だって宇宙に送るメールがなかったわけじゃないもん。だけど教えてくれたってことは、脈はあったかもね」

 ㅤまた「ふふふ」って笑った。


「そんな笑う暇あるなら、会いに行ったり、そうだ。一緒に行っちゃえばよかったじゃないですか」

「それが許されるなら、行ってるよぉ。でもその代わり、贈り物はしたかな」

「それがさっきの歌ですか?」

「あれはただの仕事。熱は込めたけど」

「じゃあ、何ですか?」

「秘密」

「ええっ。でも意外と、積極的じゃないですか。どうしてそれで……」

「また振り出しに戻るのぉ?」


 ㅤ今度は二人で笑い合った。星の人の正体は、思った以上にヘッポコだったけど、お茶目なおじさん。やっぱり嫌いではないかなと思った。それに、まだ本当の恋を知らないワタシが、おじさんのこととやかく言えない。何か言ってしまってたけど。


 ㅤ切ないとか、悲しいとか。そんな言葉じゃ言い表せない気持ちがあるのかもしれないね。


「そういえばどうして手紙書くのやめてしまったんです?」

「どうしてか? ㅤうーん。あのとき僕まだハタチくらいだったのね。でも届くのに時間かかること想定したらもうやめようって。弟のこともあったし。僕も変わろうとしていたんだね」

「じゃあ、これから会いに行く……っていうのは無理としても、もう一度だけ手紙を書きませんか?ㅤワタシが速達で届けます」

「でも、何かおじいちゃんに悪いんじゃない」

「あ、ええと。そこは何とかなります」


 ㅤおジジには心の中で土下座した。何か自分の中で納得いかなくて、星の人とおババの関係に、それなりの幸せな結末を用意したくて。


「それなら、お言葉に甘えようかな。一応キミには邪魔された恩もあるし」


 ㅤグサァッ。でもいいもん。あんな時代遅れの手紙をもらうより、今の星の人からもらう手紙の方が、おババもきっと喜ぶもん。


 ㅤそして星の人はテーブルの上、持ってきた便せんにスラスラと言葉をしたためた。あの手紙を書いてから、かなりの時間が流れたはず。その間に言いたいこととか、溜まっていたんじゃないかな。手紙の内容は、もうワタシは見ずに、おババの元へ届けよう。


「じゃあそろそろ、帰ります」

「そうか。もうこの物語に、回収し忘れた伏線とか、ないかな?」

「あったとしても大丈夫です。元からめちゃくちゃな物語ですし、これからなるべく良い結末に向かいます」

 ㅤ勘違いから紡がれた物語も、あともう少し。


「星の人がこんな僕で、ごめんね。ありがとう」

 ㅤ最後に交わした握手は、インクのにじんだ匂いがした。

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