5. 結界

「スン、あそこだ」

「ん」


 僕とスンは王立魔法学院付属ビッチェ校を取り囲む塀の外から校舎を見上げた。まるで刑務所のような高い塀が威圧的に僕たちを見下ろしている。


「何から守っているんだら……」


 統一した色と低い建物で南国リゾートのような雰囲気を出しているビッチェにおいて異彩を放つ高い壁。そして、その向こうには黒を基調とし所々に金をあしらった不気味な高い建物が数棟並んでいる。


 まるで敷地の中と外は違う世界だという事をアピールするような風情だ。


「ゲートは1箇所」


 正面には大きな門が構えられており、入り口はピタリと閉められている。門の横にある通用口はさすがに開いているが、そこにはいかつい守衛が立っている。その背後には詰め所のような小さな建物が見えたので、門の所で立っているのは一人でも、何かあれば数人はすぐ出てくるんだろうな。


「学生の生活は全てこの門の中。世間とは隔絶した世界で魔法を研究する……のか」

主様ぬしさま

「ああ」


 僕がじろじろと門や壁を見ていたことに守衛が気が付いたのか、こちらへ向かって歩いてきた。


「行くよ」

「ん」


 僕は守衛に気が付いてないような感じで、


「大きい建物だねぇ、立派だなぁ」


 と、まるで子供が大きい建物を見に来ただけだという雰囲気を出しつつ、スンと焦らず急がずの小走りで、その場を立ち去った。まぁ、見た目はそのまま幼児だから、これで怪しまれる事は無いだろう。すぐ近くの角を曲がり、しばらく様子を窺っていたが守衛は結局、僕たちが入り込んだ路地を覗く事すらしなかった。


***


 昨日、学院で腐臭が少しすると話し出したジョゼフィーヌの言葉に僕は反応した。そして再びソファに腰を下ろす。


「本当に私では無いの。それだけは信じて欲しいわ」


 ジョゼフィーヌはそんな僕に、あらためてこう言った。

 だが、こうなってくると肝心なのは腐臭の方だ。


「腐臭というのは、どういうものでした……」

「そうね。ほんと、そんな感じがしただけ……もしかしたら私の勘違いかもしれないけど、どこか甘いような……そしてその向こうに何か枯れたような薫りとでも言うのでしょうか……」


「解りました。信じます」

「え?」


「2ヶ月前、そのアネイという男爵令嬢が来てからおかしな事件が続き、その全てでジョゼフィーヌさんは濡れ衣を着せられた。そして学院には腐臭が漂っている気がする……そいう事ですね」

「え、ええ」


 突然捲し立てる僕の言葉にジョゼフィーヌが頷く。


「なら、やることは一つです。アネイを排除しましょう」

「はい?」


 腐臭は僕にとってはNGワードだ。

 排除するしかない。それも徹底的に。


「排除って、駄目よ! 相手はゴヤ公国の男爵令嬢ですわよ。戦争になるわ」

「それならゴヤ公国ごと滅ぼしても……」


 腐臭がする男爵令嬢がいる国なんて、存在価値があるのか?

 否だ。

 滅ぼすしかない。


「あ、あなた! 何か目がおかしいわよ……」


 炎の殲滅魔法を何回打てばゴヤ公国を更地に出来るかな。何か一発で終わるような方法を……


「ちょ、ちょっと止めて。ブツブツと聞こえてはいけない言葉が聞こえてくる気がするわ」


 うるさいなぁ。


「なんですか、ジョゼフィーヌさん。僕は今、忙しいんですが!」

「違うでしょ! 依頼人! 私は依頼人!」

「だから、ご依頼の通り、ゴヤ公国を……」

「違う、違う。ねぇ、あなたからも何とか言って」


 ジョゼフィーヌが僕の後ろに立っているスンに助けを求める。


「主様」

「何!」


 僕はジョゼフィーヌとスンの会話を聞きながらも、ゴヤ公国を滅ぼす100のやり方を考え始めていたため、スンの方に顔を向けずに答えたのだが、その僕の後頭部に衝撃が走った。


 痛くは無いが星が散った。

 どうやら、持っていた扇を畳んで全力で振り回したらしい。


「スン、どうしたの?」

 

 僕は突然攻撃してきたスンに意外そうな表情を浮かべてこう言った。 

 相手がスンじゃなければ、即時に反撃、制圧していた所だろうが、スンが敵に回って僕を攻撃するような事は考えられないので、ちょっと激しい突っ込みなのだろうと理解した。


「正気に戻した」


 そう。やっぱり、攻撃じゃないんだ。


「ありがとう」


 という事で、礼を言う。


 いかんな。

 腐臭という単語から、カーラの最後を連想してしまって、全身の血が沸騰するような感覚に襲われた。ついつい、我を忘れてしまいそうになる。


「何の話でしたっけ?」

「あなたと話していると疲れるわ」


 ビジネス、ビジネス。

 僕は愛想笑いを浮かべ、


「失礼しました」


 と謝り、ついでに先ほどから気になっていたことをお願いする。


「それと、あなたではなくシャルルと呼んでください」

「そう? そういえば急に色々な事がありすぎて、ちゃんと自己紹介していかったわね」


 あれ? そうだったっけ?

 そういや、この人がジョゼフィーヌだという事は確認したけど、僕たちは、ちゃんと名乗っていなかったかもしれないな。


「改めて、シャルルと言います。これが冒険者組合のライセンス。アラルコンで登録した正規の冒険者です」

「そちらの可愛い女の子も名前を教えてくださる」

「ん」

「ん?」


 スンは名前を教える事は肯定したものの、名乗らない。

 仕方が無いので僕が紹介する。


「人見知りするので、すみません。この子は僕の相方のスンです」

「相方? よく分からないけど、相棒みたいなものかな? とりあえずスンちゃんね、よろしく」

「ん」


 ジョゼフィーヌの挨拶に、スンが頷く。


「私はジョゼフィーヌ。依頼を受けて頂いたなら身元は知られてしまっているわよね。私の事はジョゼでいいわ。学院の友人はみんなそう言うの」


 カモフラージュも兼ねてという事だろう。変に敬わない方がいいのかもしれない。


「解った。それじゃジョゼ、ゴヤ公国を一緒に滅ぼそう」

「シャルル君!?」

「冗談です。それは一旦、後回しにする」


 背後でスンが扇を振りかぶった気配もしたしね。


「後回し……まぁいいわ。急に口調が変わったのも気にしないでおくわ。とにかく私を一刻も早く国許に送り届けて欲しいの」

「依頼の内容はそんな感じだったね」


 だが、ゲイツの依頼は引き留めて婚約解消を取り消させる事なのだ。難易度が高いな。


「ゴヤ公国がアマロ公国に……このビッチェの街へ攻め込む前になんとか準備をしないと……」

「でも、追い出されるって、ジョゼの身分だとお付きの人とか護衛がいるんじゃない? あ、もうすでに速文はやぶみは送ったのか」


 僕の言葉にジョゼが気まずそうに押し黙る。


「ジョゼ?」

「学院を追い出されたと言ったわよね。その中には私の護衛官や女官もいたの」

「はい?」


「幼なじみのように育った女官も、命に代えても私を守ると誓った護衛官も、揃って私を悪女と罵り、学院から追い出したわ」


 まさか、職務として守らなければならない人達まで、ジョゼに反目するとは。


「そしてその先頭に立っていたのがクニヒロ殿下……私の女官が着る物だけをリュックに入れ、まるで追い立てるかのような振る舞いで、私は学院の外にだされちゃったから……速文を手配するお金も無いわ」


 再びジョゼの目に涙が浮かぶが、今度はそれがこぼれ落ちる前に振り払う。

 でも、ここは泣いても良いところ。


「え、でも、それじゃこの依頼はどうやって?」

「着手金はタニア商会がどういう訳か立て替えてくれたの。その代わりタニア商会指定の腕利きを出すって言ってたわ。さすがにシャルル君を見た時は騙されたと思ったけど……」


 そう言って、さらに言葉を続けた。


「今の状況は私が嫌われたとか、そんなものじゃないという事は理解している。学校を放りだされたといっても、正規の手続きが踏まれて放校処分になった訳ではなく、朝、校舎へ移動しようと寮の玄関を出ようとした所で、突然囲まれ、謂われの無い罪を並び立てられ、そのまま追い出されたの」


 味方だったはずの人が全員的になる。

 それはかなり酷い状況だ。


「だからこそ、一国も早く国に帰らないと……」


 それでも自分の事ではなく、国を心配するというのは立派だ。


「今の状況だと国に帰っても、結局戦争になるだけじゃないの?」

「もう回避は難しいと思うわ。全面戦争にはならないまでも、このビッチェは戦場になる」


 困ったな。

 まだロラン達も合流していないし、タニア婆さんも来ない。その前に戦争にでもなったりしたら……海を渡れない。


 それに、せっかくだからジョゼの国が被害を受けるような事にはしたくない。


「時間はどのくらい残ってると思う?」

「私が放り出されてから1週間。速文でゴヤ公国へ連絡がいったとして、準備と移動で最短で10日くらいじゃないかしら。私も軍事関係が疎いから、もっと掛かるかもしれないけど……距離を考えたら、それより早くなる事は無いと思うわ」


 という事は、あと3日は余裕があるか。


「今かあらジョゼの国に行って、兵を引き連れて戻るにはどのくらいかかる?」

「こちらの方が距離が近いから……それでも往復するだけで10日は掛かるわ……」

「間に合わないね」

「ええ」


 それでもジョゼは諦めていないようだ。


「このままでは戦争は回避出来ない、ジョゼの国の軍は間に合わないという状況なら、僕に賭けてみない?」

「え? どういう事?」

「とりあえず僕たちが学院に忍び込んで情報を収集するよ。その怪しい男爵令嬢の正体を暴いて、みんなを正気に戻し、クニヒロ殿下との婚約破棄を取り消させる」


 あるいは、全てを消し去る。

 僕は最後の言葉を飲み込み、ジョゼに笑顔を向けた。


「僕なら何とか出来るかもしれないし、僕が無理なら、それはそれでジョゼのせいじゃない。とりあえず、間に合わない援軍を呼ぶくらいなら、僕に任せてよ」

「そんな、まだ子供なの……いいえ、そうね。ここにいる冒険者より強いシャルル君なら出来るかもしれないね」


 ジョゼは不安そうな顔をしつつも、一縷の望みとしてすがる事にしたようだ。


「ところで、ジョゼはなんで洗脳されなかったの? よく考えたらジョゼを追い出すよりはジョゼの正気を奪った方が早いと思うんだけど……」

「それは、このペンダントのおかげかも」


 そう言って、ジョゼは胸元から3センチくらいの青い宝石が付いているペンダントを取り出した。


「これは父が聖女様にいただいた護符なの」

「ぶっ」


 聖女って母上? まさか……


「聖女様の加護のおかげで、私だけ助かったのかもしれないわ」

「そう……さ、さすが聖女様」


 とりあえず、今は聞き流しておこう。


「それと、お金がなかったって事はジョゼは1週間、どこに泊まっていたの?」

「ここよ」

「ここ?」

「そう、ここ。タニア商会から、宿を取らないなら、ここで待っているようにって言われたから、1週間、ここにいたわ」


 そうなんだ。

 もしかしてさっき吹き飛ばしたノッポやドレンも顔馴染みだったり?


「でも、冒険者達が怖かったので、ずっと外で座って待っていたの」


 ……は、しなかったのか。よかった。


「でも夜は?」

「受付の方が好意で中にある休憩室に泊めてくれたわ」


 大変な一週間だったわけだね。ゲイツも助けてあげればいいのにと思ったら、


「タニア商会が宿泊を手配してくれると言っていたけど、さすがにそこまでは甘えられなかったの。でも、冒険者組合の建物の中で眠るというのは、手を回してくれたみたい。はっきりとは言わなかったけど、受付の子達の反応がね」


 という事だったらしい。無償手配というのは裏がありそうで怖かったのかもしれないが、甘えておけば楽だったのに……


「とりあえず、ここにずっといるのも危険だし、一旦、僕の宿に来てくれるかな。仲間もいるから、保護も出来る。それに今日の所は僕たちも休むから」


 アラルコンから到着して、そのままここへ来たので、体力は大丈夫でも精神的な疲労を感じる。今日くらいベッドで眠りたい。ジョゼも休めるならベッドの方がいいだろう。


 ジョゼを保護するのは、エリカを除いて子供達だけの赤い悪魔団だというのは黙っておこう。


***


 宿はビッチェで一番高級な宿だったようだ。

 そして、そこにいた子供達にジョゼは最初戸惑っていたが元々子供が好きなようで、すぐに馴染んでしまった。


 それを見て安心した僕とスンは早々にベッドに潜り込み、翌朝、完全回復した身体と精神で、魔法学院にやってきたという訳だが……


「隙が無い」


 魔法学院を守っているのは守衛と高い塀だけではなかった。


 僕とスンは守衛の目を盗んで中に入ろうと、少し助走を付けて背面跳びの要領で塀を跳び越えようとしたのだが、塀の真上に差し掛かった所で、何か柔らかい物に阻まれ、塀の外へ跳ね返されてしまった。


「結界?」


 僕は思い浮かんだ単語を口にする。


「ん」


 スンが肯定するので、やはり結界のようなものなのだろう。まったくファンタジーな世界だよ、ここは。だが、その結界は単に侵入者を阻むというだけでなく、警報器的な役割もしているようで、すぐに守衛達が駆け付けてくる姿が見えた。


 僕は慌てて、誤魔化すために周囲を見回す。


 その時、ちょうど僕らの遙か上空を旋回していた野鳥が目に付いたので、手近にあった小石で打ち落とした。一発必中、野鳥は呻き声一つあげずに落ちてきた。


 音を立てて地面に落ちる前に、柔らかく受け止めた野鳥は、羽根を広げると2メートルくらいはありそうな、鷹によく似た大型の野鳥だった。首が折れたのか、すでに死んでいる。とりあえず、その死骸を塀の側に投げ込み、僕は身を隠した。


 これで、結界に引っかかったのが野鳥だと勘違いしてくれれば……さすがに、こんな穴だらけの作戦は無理か……と思ったら、


「また鳥か……」


 という声が聞こえ、守衛達が死骸を持ち上げた。

 なんて欺しがいの無い人達だろう。


 守衛達が戻る姿に安堵しつつも、打つ手がなくなってしまった。


「もういっそ、正面から力押しで行くか」


 考えても思いつかないため、強引な手段止む無しという方向へ舵を切ろうとしたが、スンが袖を引っ張り、


「主様、あれ」


 と、敷地内の奥に見える一番高い建物を指した。


「何? ええと、あれは……鳥? さっきと同じ種類のやつかな?」

「ん」


 スンはそう言って頷き、今度は空へ指を向けた。

 僕はその指の向きに視線を合わせ、上空を見る。


 そこにも、つい先ほど僕が撃ち落とした野鳥と同じ種類と思われる大型の鳥の姿が……


「あ、そうか。上からは入れるんだ……」


 建物の上に野鳥が止まっているという事は、上空から侵入した場合は入れるという事だ。という事は、この結界にもある程度の高さ制限がある。少なくとも鳥と同じ高度から降りれば解決だな。


「よし、スン。とりあえずビッチェの街を出るか」

「ん」


 僕たちは作戦を実行すべく、街の外へ向かって走り出した。

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