16. 出発準備

「シャルル君!」


 僕が教会の中に入っていくと、神像の前で固まっているエリカと孤児達の姿が目に入った。


「エリカお姉さん、大丈夫?」

「シャルル!」


 お、さっきの最年長少年がエリカの前に立って、僕を睨み付けた。


「どうなった?」

「終わったよ」

「そうか……ありがとう。あと、俺の名前、アルスだからな、覚えておけ」

「アルス……アルスね。大丈夫、覚えたよ……多分」


 ようやく、彼の名前を知ることが出来た。

 2週間近く、一緒に暮らしていたんだけどなぁ……スン以外とはあまりコミュニケーションをとらなかったせいか……


「シャルル君」


 そのアルスの肩に手をおいて立ち上がったエリカは、


「終わったって……どういう……」

「僕は冒険者のライセンス持ちだからね。冒険者は冒険者らしく……」

「そう……そういう事ね」


 聖職者とはいえ、さすがロランの婚約者。これで通じたのはありがたい。他の小さな子供達にはあまり聞かせたく無い話だからね。


「それで、君はこれからどうするの?」

「え? 僕?」


 エリカが心配そうに聞いてくるが、問題は僕だけの話じゃない。


「ああ、そうだ。エリカお姉さん、ロランさんからの伝言があるので伝えるね」

「え? ロランから?」


 その瞬間、エリカの目が恋する乙女に変わる。エリカはもう30を超えているはずなんだけどなぁ……いくつになっても、恋をした女性は乙女に変わるって事か。


「うん、ロランさんから、僕と一緒に国を出てクロイワ大公国へ避難して欲しいって」

「避難? ……国を捨てろという事?」

「ああ、うん。えーと、ちゃんと説明をするのが難しいんだけど、この国の公王一家は全滅しちゃったんだ。だから、この後、国が荒れるので、身よりの無い孤児院のみんなと、後ろ盾の無いエリカさんは、念のため避難して欲しいって事なんだと思う」


 僕がさりげなく、大きな爆弾を放り込む。


「そうなの……って、え? 公王一家が全滅? 行方不明だって、さっきの騎士達が騒いでいたけど、陛下がお亡くなりになったの?」

「うん」

「公子も公女もみんな?」

「うん」

「そんな……それじゃぁ、この国は……」


 エリカが呆然と立ち尽くす。

 まぁ、そりゃそうだろう。僕でも、自分の国の王たる一族が全滅したと聞いたら、そうなると思うぞ。前世を振り返ってみても……と、いかんいかん。不敬罪は無いけど、さすがにこれは想像すらすべきじゃない気もする。


「はい、ロランさんからの手紙」


 ショックを受けているエリカにロランから預かった手紙を渡す。多分、僕についていくよう書いてあるんだろう。エリカは手紙をひったくるように受け取り、慌てたように封を切って、手紙を取り出した。


 そして、食い入るように手紙を読み始め……すぐに顔を上げた。


「そういう事ね。解ったわ。準備させる」

「うん、お願いね」


 と、僕も動きだそうとした所で、エリカが余計な事を思い出した。


「それで、シャルル。カーラさんは?」


 そういって、教会の入り口の方を窺う。

 いや、そっちを見てもカーラは入ってこないよ。


「カーラさんも一緒に連れて行くんでしょ?」


 そこ、触れて欲しくなかったんだよなぁ。

 僕もまだ昨日の昼の事で、消化しきれていないんだ。どうせならロランが手紙で説明しておいてくれればいいのに……気の利かない奴だ。


 僕が黙っていると、背中に背負っていた刀がスンの姿に戻り、僕の事を一瞬だけ後ろから抱きしめた後、前に出て、エリカに対して、


「もういない」


 と、呟いた。

 スンが僕以外の人に直接話しかけるのは珍しいので、驚いたのだが、エリカはそんな事よりも、スンの言葉が引っかかったようで、


「どう言うこと? スンちゃん? カーラさんがもういないって……」


 と問い詰めた。

 スンはその言葉にただ首を振り、振り返って、再度、僕の事を抱きしめた。僕は何も言わずにエリカの表情を見ていた。


「スンちゃん……え? シャルル君?」


 あ、解ってくれたのかな?

 僕はエリカに向けて、何も言わないでっていう雰囲気を醸し出したつもりになって、一つ頷いた。

 その気配を感じたのか、スンが僕を抱きしめる力を少し強めた。


 いつもにも増してスキンシップを取ってくる事を不思議思っていると、目にいっぱい涙を浮かべたエリカが駆け寄ってきて、スンごと、僕を抱きしめた。


「ごめんね、ごめんね、ごめんね」


 あれ?

 なんでエリカが泣いているんだろう。

 スンごと僕を抱きしめたものだから、ちょっと前屈みになったエリカのオッパイが、僕の頭の上にのっているような状態になった。


 エリカじゃなくて、これじゃ、エロカだよ。

 あははは……


「泣いて良いんだよ。甘えて良いんだよ」


 エリカがそう囁く。

 スンも僕を抱きしめる力を、さらに強めた。


「え? あれ? あら?」


 ポタポタとエリカの涙が落ちてくるなぁ……なんて考えていたら、スンの肩にも大粒の涙が落ちていた。これは……そうか。僕はいつの間にか、泣いていたらしい。


 自分でも気がつかなかったけど、ボロボロと目から涙が溢れていた。


 ああ、そういえば、昨日、カーラを送ったときも、魂を昇華させた時も、ちゃんと泣いていなかったな……涙は出たけど、しっかり泣くという事をしていなかったような気がする。


 エリカとスンに抱きしめられ、何か、感情的なものが戻ったのだろうか。


 これじゃ駄目だ。

 泣くときに、しっかり泣いておかないと、後で歪みが出る。

 僕は自分の事ながら、そう考え、二人に告げる。


「二人ともありがとう。少しだけ、少しだけ一人にしてもらっていい?」

「ん」


 スンはそういって僕から離れ、エリカも何も言わずに、僕を抱きしめていた手を外した。


 僕は二人に視線を向けないまま、教会の奥の扉をくぐり、孤児院の建物の一番奥、カーラの部屋へゆっくりと歩いて移動した。


***


「カーラ、入るよ」


 主のいなくなった部屋に、それでも礼儀かと思い、軽くノックをして、中に入った。

 そういえば、いつもかすかに感じていた腐臭が、今はしない。なんで、気がつかなかったんだろう……あれは……あの臭いは……


 ふぅ。

 悔やむのは止めておこう。

 

 そう思って、周囲を見回す。


「本当に何にもないんだな」


 カーラが公宮から持ってきた荷物は、カーラの体調が思わしくなかったこともあって、教会の庭にある倉庫に、一度も荷解きされる事なく積んである。だから、この部屋には、カーラの私物は、何も置いていない。


「カーラ、馬鹿だな。これじゃ、まるで戻ってこないつもりだったみたいじゃないか」


 くず入れに、丁寧に畳まれた寝間着が捨てられていた。

 数日間でもこの部屋にカーラがいた痕跡は、たったこれだけだった。


「馬鹿だなぁ……カーラ……言ってくれれば……」


 僕はもうそれ以上、言葉にする事が出来なかった。


 カーラは、ある程度、自分の状況は理解していたんだろう。

 ここへ来た初日、僕から受けた癒やしの魔法で、ヘドロ人間でもなく、人間でも無い中途半端な存在になって……それでも人の心は守り続け……それで……


「ごめんね、カーラ。僕は子供だし、前世でも女性と付き合った事がなくてさ」


 僕はカーラが寝ていたベッドに腰を下ろし、主がいなくなった枕に話しかける。


「笑っちゃうだろ。前世でも30年も生きてきたのに、女性と付き合った事なんかなかったんだよ。風俗……風俗って、こっちにもあるのかな? 娼館みたいな所で経験はさせて貰ったけど……あ、これは出会う前だし、浮気にはならないよね? だいたいカーラもバツイチで子持ちだし、その辺はお互い様って事で……」


「その仕事っていうのが、そこそこやりがいがあってさ……」


「うちの両親は……」


「……」


「……」


***


「お待たせー」


 孤児院の食堂に行くと、そこには荷物をまとめた孤児とエリカが待っていた。


「シャルル君?」

「ん? どうしたの?」


 エリカが心配そうな顔をしてこちらを見るが、僕は努めて明るい顔を見せた。


「大丈夫なの?」

「うーん、大丈夫かどうかといえば、駄目なんだけど……暗い顔をしてもカーラは喜ばない気がするんだ。だから、明るく! ポジティブにね。空元気も元気のうちって言うじゃ無い」

「そう……偉いわね。まだ小さいのに……」

「ここで無理しないとね。踏ん張りどころは僕も理解しているつもりだよ。そのうち、落ち着いたら、ゆっくりと落ち込むよ」


 そういって、みんなの顔を見回す。


「エリカお姉さんから聞いたと思うけど、みんなはこれから、南に下って、港町ビッチェを目指す」


 そこが、ロランに指示されたクロイワ大公国の首都ジョウドを目指すための港となる。


「ああ、解った」


 孤児達を代表してアルスが答える。


「俺たちは親に捨てられたり、親が死んだ子供ばかりだ。カーラさんが亡くなって辛い気持ちは、少しは解る」

「うん」

「今まで、ロランが連れてきただけで、よく分からない奴だったが、今日からは俺たちの仲間だ」

「うん」

「よろしくな」

「よろしく、アルス」

「違う、アルス兄ちゃんだ。俺は10歳、お前よりも6つも年上なんだぞ」


 そうか、それは失礼した。

 ついつい、自分の年齢を棚に上げて子供達を見ちゃうんだよな。


「解った。よろしくアルス兄ちゃん」

「ああ、よろしくなシャルル」


 がっちりと握手を交わす4歳児と10歳児。

 男同士、何やら解り合えた瞬間だった。


「それじゃ、出発前に……」

「何かあるのか?」


 僕の言葉にアルスが口を挟んだ。兄ちゃん、最後まで喋らせてくれよ。


「ここにいる孤児……えーと……全部で11人ね。11人の仲間とエリカお姉さん、それにスンだけで移動するんじゃなくて、実はもう少し仲間が増えるんだ」


 そう、僕には責任を持たなければならない子供達が他にいる。


「あと、7人ほど、仲間が増えるんだ」


 そこでエリカが思い出したように手を打つ。


「あ、そうだったわね。シャルル君が保護者……というのも変だけど、引き取る事になった子達ね。たしか、タニア商会で待っているんだったのよね」

「そう、だから迎えにいかないと」


 仲間が増えるという言葉に、孤児達は新しい仲間を受け入れる事に慣れているのか、どちらかと言えば歓迎ムードだ。口々に、どんな子が来るのか……とか、誰が先輩として面倒を見るのかといった話を始めている。


 大丈夫かな……みんな、半獣人なんだけどなぁ。

 まぁ、いいや。


「それじゃ、今から僕が迎えに行ってくるから、ここで待機していてもらえるかな。スン、みんなを護ってあげて」

「……ん」

「ありがとう、それじゃ、すぐ戻ってくるから待っていて」


 僕はそういって、少し警戒をしながらも孤児院を後にした。

 周囲には人影もなかったので、とりあえず騎士団は散り散りに逃げてしまったのだろう。


***


「って、タニア商会ってどこだよ」


 僕は孤児院から駆け出して、何となく公宮の方へ向かっていた足を止める。

 よく考えたら、タニア商会の場所が解らない。


「仕方ない……あそこへ行くか」


 僕は方向を、先ほどジュリアンを投げ飛ばした冒険者組合の方へ転換する。時間がもったいないので全速力で屋根の上を駆け抜けたら、屋根の上に大きな穴の空いた冒険者組合が見えた来た。


「あれ、何でだろう? 屋根に大きな穴が空いている?」


 僕はそう呟きながら、人が入れそうな穴の空いている屋根は避けて、入り口から入ろうと、地面に飛び降りた。


「うわ!」 

「小僧! どこから来た!」

「キサマみたいな子供が……ふが」

「馬鹿、やめろ、あれは赤い悪魔だ……」



 冒険者組合の入り口では、屈強な冒険者が屋根を見上げるような感じで集まっていた。僕はちょうどその輪の中に飛び降りてしまったから、少し騒ぎになってしまったけど、


「ごめんなさい。誰か、タニア商会の場所を教えてください!」


 そう叫ぶと、その輪の中から、


「なんだい、アタシにようかいって坊やじゃないの」

「あ、タニアさん!」


 タニア婆さんが出てきた。おお、なんてご都合主義。


「ちょうどよかった。子供達を迎えにきたんだけど」

「ああそうかい、それはちょうどよかった。アタシも……」


 そういって、周囲を見回す。


「ここじゃなんだから、うちへ来な。子供達も待っているよ」

「わかった、そうするよ……ちなみに、なんの騒ぎ?」

「どこからか、鎧を付けた肉の塊が飛んできて、組合長室を壊してしまったんじゃよ。幸い、けが人はいなかったようだけどなぁ」

「ふうん」


 肉の塊が飛んでくるなんて珍しいことがあるものだ。

 なにかタニア婆さんが刺さるような視線でこちらをみているが、それは無視する。


「じゃぁ、タニアさんの家までいきましょう。道すがら、状況をお知らせします」

「状況? ああ、そうか。それは助かるよ。アタシらも、情報がなくて、少し困っていた所なのさ」

「買ってくれます?」


 商会の会長なので、一応聞いてみる。


「その価値があればな」

「そうですか」


 どうなんだろう。

 まぁ、いずれ知れる事だし、今回は無料ただでいいや。


 僕は歩きながら、公王一家が全滅した事、エズの村での出来事、近衛騎士団の暴走などをタニア婆さんに説明した。


「なるほど……それぞれの事件はアタシらも知っていたけど、その全てに坊やが関与していたとはね」

「関与って、別に僕が悪いわけじゃ」

「いや……時代が動くときは、坊やみたいに鍵となる人物が現れるものさ。そういう意味では、坊やと知り合ったアタシの運命は……吉と出るのか、凶と出るのか……」


 そう言って、タニア婆さんは少し考え込んだ。そして、


「まぁ、いいさ。時代が動くときに一番儲けるのは、アタシら商人さ。せいぜい、この縁を生かして稼がせてもらうよ」

「あはは……僕、子供だからよく分からないよ」


 そんな事を言い出したタニア婆さんの目がギラギラしていたので、適当に誤魔化しておく。


「よし着いたよ」


 タニア婆さんと、今後について相談しているうちに、タニア商会に着いた。


 とりあえず、ビッチェからクロイワ大公国への船は、商会の商船を出してもらえる事になった。ついでに、僕を伝手として交易路を開拓するそうだ。


「お前達!」


 タニア婆さんが商会のドアを開けるといきなり大声を出す。


「はい! 会頭」

「引っ越すよ! 最速で準備しな!」

「はい!」


 えっ? 引っ越し?

 それに、従業員はなぜ疑問も抱かず、準備を始めるんだ?


「タ、タニアさん? 引っ越すって……僕は子供達を引き取りに……」

「……情が移った」

「はい?」

「子供のいない、アタシに、あの子達を別れろって言うのかい?」


 話が見えなくなった。

 この婆さんから、孤児達の引き取り手が無いから責任を持って、保護しろって言われたよな。それに、婆さんの表情からは、そんな甘っちょろい雰囲気は漂ってこない。


「……えーと、本音は?」

「アマロ公国はしばらく荒れる。新興商人には稼ぎどきだか、アタシの店のような大手には、守らなければならないものが大きい。それと……」

「それと?」

「難攻不落だったクロイワ大公国への、突破口をみつけた。恩を売りつつ、商会の公館をジョウドに作る」


 商売ですね。

 話の流れで父親がクロイワ大公だと言わされてしまったのが、運の尽きか。


「ということで、坊や。アタシらは撤収準備に数日かかるから、子供達をつれて先に行っておくれ。何、気にすることは無い。船賃は格安にしてやるよ」


 無料ただじゃないんだね。

 しっかりしているよ。


「ほら、子供達を連れていきな。誰か、この坊やを子供達の所に案内しておくれ!」


 そう言って、僕を商会の中へ引き込む。

 そして、店の人に案内してもらう僕の背後から、


「さぁ、時は金なりだよ! 儲け話は待っちゃくれない。さぁ、準備を急げ! アラルコンから5日で引き上げるよ!」


 という元気な声が響いてきた。

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