8. 再び公宮へ

 結局、エリカの手を借りることになったが、なんとかパンを牛乳で柔らかくした離乳食のようなものが出来た。個人的には、ここにバナナを投入したい所だ。前世の幼少期、父親によく作って貰った記憶がある……あ、久しぶりに鼻の奥がツーンとしてきたので、昔を思い出すのはやめよう……


 さて、


「おまたせー」


 僕はカーラの部屋をノックし、再び部屋に入る。

 あ、またあの匂いだ……


 一瞬、僕は匂いの元を探して部屋を見回したが、本当に一瞬だけの香りのため、どうも捕まえる事が出来ない。


「あれ……スン、ここにいたんだ」

「ん」


 枕元でじっとスンがカーラを見つめていた。

 そういえば、僕が台所へ行く際、付いてこなかったな。


「寝ている」

「看病してくれてたの? ありがとう……ああ、食事を作ったんだけどな」

「寝ている」

「うん。わかった。とりあえず、ここに置いておこう」


 スンがそういい僕のローブの裾を引っ張るので、僕は仕方なしに暖めた離乳食もどきをベッドの脇の小さなテーブルに置く。


「おやすみ、カーラ」


 そう小声でささやくと、僕はスンと一緒に部屋を出て、そっとドアを閉めた。


「主様」

「何?」

「病気じゃ無い」

「うん。やっぱり海賊船での怪我が原因だよね」


 だが、スンは首を振り。


「怪我でも無い」


 少しイラついたようにそう言った。


「怪我でも無い? どういう事?」

「うう……説明面倒、主様が理解する」

「理解って……わかんないよ。スンの説明じゃ」


 すると、普段滅多に感情を表に出さないスンが、僕の前を左右に歩き、


「面倒、面倒、面倒」


 突然、癇癪を起こしたようにそう言うと、カランという音を残して刀に戻ってしまった。


「え、何? スン? スン!?」


 そして、転がった刀は地面から浮き上がり、僕の背中にピタリと張り付いた。


「え、今、鎧じゃ無いんだけど……まぁ、いいけど……スン、一体どうしたの?」


 そう呼びかけるが、全く反応をしてくれなくなった。


「もういいよ!」


 何度呼びかけても何も応えないスンに、僕もさすがにイラついたので、軽く怒鳴るとドスドスと子供部屋へ行き、ベッドに潜り込んでしまった……背中にスンがくっついたままなので、喧嘩した割には締まらない感じにはなったが……僕はそのままエリカが夕飯が出来たと声をかけるまで、ベッドから動かなかった。


 スンは刀のまま、姿を戻す事はなかった。


***


「カーラ、大丈夫?」


 3日が経ち、公宮に呼び出された日の朝、僕はいつもの日課となった朝ごはんを持ってカーラの部屋を訪ねた。


「すみません、シャルル様。毎日毎日……本当は私がお世話をしなければならないのに」

「いいって。身体の調子が悪い時はお互い様」


 僕の目の前では食べてはくれなかったが、毎朝顔を出すと前日分の皿が空いているので、何とか口にはしてくれているみたいだ。


「スン様はやっぱりまだ?」

「うん、何を拗ねているのか解らないけど……きっと、僕がカーラと婚約したから焼き餅でも焼いているんだよ」


 背中に張り付きっぱなしの刀に聞こえるように、僕はこう言った。


「魔具も焼き餅やくのでしょうか?」

「どうだろう……僕はスンしか知らないし……スンにも機嫌が良い時と悪い時があるから、焼き餅くらい焼くんじゃ無いかな」


 スンの感情が読み取れるのは、僕くらいのものだろうけど……そんな事を考えながらも、僕の言葉にピクリとも反応をしないスンに少し不安になる。


「それで、どうする? 今日が公宮から呼び出されている日なんだけど」

「シャルル様と私の祝宴ですし、行かないわけにはいかないですわ。それに今日は体調も良い感じです。長い時間は無理でも、ご挨拶くらいは出来そうです」

「そうか……無理はしないでね?」

「はい、ありがとうございます。それで……身体を拭いて着替えますので」

「ああ、そうだね。えーと、手伝えばいいかな?」


 手ぬぐいと……お湯がいるか……とりあえず、上半身は脱いでもらって……


 僕がテンパりながらも、カーラの上着に手をかけようとすると、カーラの手で押しとどめられてしまった。


「あ、え、あ、いえ。あのシャルル様。さすがにそういう事はいくら婚約中と言っても」

「え、ほら、大丈夫。僕、4歳だし」


 心は別にして、身体は反応しない……と思うよ。


「シャルル様ったら。大丈夫です。自分で出来ますので」

「え、でもー」

「シャルル様」

「はい、すみません」


 とうとう睨まれてしまったので、謝っておく。

 さすがにエリカ程の迫力は無いが、僕と同い年の子供がいる魔法士だし、一瞬の殺気はそれなりのものだった。


 エロ本も無い、この世界。ラッキースケベを期待するだけじゃ、足りないんだよぉ! ロリッ気も無いから、子供部屋のちびっ子達じゃ、満足出来ないんだ!


 お湯と手ぬぐいの準備だけして、僕は後ろ髪どころか後ろ頭皮、ついでに頭蓋骨まで引かれる思いでカーラの部屋を後にした。今なら血の涙も流せるよ。


***


「それでは行ってくるね」

「スンちゃん、そのままで大丈夫なの?」


 エリカに王宮へ向かうために挨拶に行くと、僕の赤いローブの背中に張り付いているスンを見て、エリカは心配そうにこう言った。


「そうなんだよね。人化しないと中に入れないかもしれないんだけど……スンの奴、全く離れないんだ」

「何かあったの?」


 一応、ここ数日は黙って様子を見てくれていたようだが、さすがのエリカもきになったのだろう。手を伸ばし、鞘越しにスンを触りながら、僕に聞いてくる。


「よく分からないんだよね。スンは言葉が少ないし、説明を面倒がるから」

「そう」

「カーラの事を気にしているようなんだけど……病気でも無い、怪我でも無いって……」

「どういう事なんだろね」

「焼き餅焼いているのかな……とは、カーラと話をしているんだけど、そういう感じでも無いんだよなぁ」

「何か気に障る事を言ったんじゃない? 小さくても女の子よ。自分が悪いと思わなくても、さっさと謝った方がいいわよ」


 それをスンに触りながらいいますか。

 もうその手は使えないじゃん。


「とりあえず、王宮に行ってきます。スンの事は帰ってからかな」

「わかった。私の方でも、何かスンちゃんが気に入るような美味しい物を作っておくわ」


 エリカの言葉に、少しだけスンが反応したような気もしたが……僕は時間に遅れないように孤児院がある教会まで来た迎えの馬車にカーラと一緒に乗り込み出発した。


***


 馬車の中でのカーラは元気そうだった。


「少し、元気が出てきた? やっぱり公宮の方が住みやすいんじゃ無い?」

「そんな事は無いですよ。身体を拭いた事で、気分がすっきりしたんだと思います」

「そう?」


 とりあえずカーラが回復したのは嬉しい。


「今日はどんな祝宴になるのかな?」

「そうですね。公王陛下と公妃陛下、それに王子殿下と王女殿下がお揃いになっているかもしれません」

「そんなに? だって、ソフィアを助けたとはいえ、孤児院にいる4歳児の僕が、ソフィアの護衛……あ、そうか」

「はい、私の元夫はアマロ公家の親族です。息子は末端の方になりますが、王位継承権を持っているので、私が嫁ぐためには、それなりの式典が必要なんだと思います」


 まじか。

 うわ、面倒だ。


「帰ってもいい?」

「はい」

「えっ、いいの?」

「私のようなものを、一時でも妻として迎えるというお話をしていただいただけでも、満足です」


 ニコニコとしながらも、カーラの目に涙が浮かんでいた。

 ちょ、ちょっと待って。何か誤解していない?


「違う違う! そういう意味じゃない」

「え、私だけ送り返すという事では?」

「僕は単に、儀礼的なものが面倒なだけなんだって」

「そうですか……でも、本当にいいんですよ。これが最後の機会かもしれません。私のようなものを娶るなど、シャルル様のためにはなりません」


 カーラが僕の事をまっすぐ見つめ、僕を説得しようとしている。


「カーラ、そんな事を言わないでよ。僕はカーラを妻にする事を喜んでいるんだよ」


 僕はきっぱりと、カーラの気遣いを打ち消した。

 きっと、前世の両親も喜んでいる。

 今世の両親はびっくりするだろうけど……怒るかな……まぁ、そこは後で考えよう。


「本当に私を娶っていただけると」

「うん、本当だよ。僕はカーラを妻に迎え、守るんだ」

「シャルル様、ありがとうございます」


 カーラが急に僕に抱きついてきた。うわ、積極的だ! 顔が柔らかい物に埋まってしまう。


「むむむむ……」


 こ、これは……夢にまでみたパフパフ状態だ!

 息がちょっと苦しいけど、嬉しい……けど……あれ? 苦しい。

 さすがに、これ以上だと息が……


「熱っ」


 カーラが突然、飛び退いた。


「ふぅ……助かった……え? カーラ、どうしたの?」


 カーラが、僕が顔を埋めていた胸のあたりを抑えて苦しそうにしている。


「い、いえ……大丈夫……です」

「大丈夫って、そんな風に見えないけど」

「本当に大丈夫です。本当に……」


 そういって僕から少し離れ、馬車のドアにもたれるように顔を伏せてしまった。


「カーラ?」

「す、少しだけ、休ませてください、シャルル様。公宮に付く頃には体調も戻っていると思います」

「う、うん。解った……カーラがそう言うなら」


 ええ、僕がパフパフを楽しんでいたから? 調子に乗って、セクハラがバレた? 極楽から地獄に一気に落とされたみたいに僕の気持ちは沈んでしまった。


 でも、あっちを向いてしまったカーラは話しかけるのすら拒絶するようなオーラを発しているし……とりあえず僕は出来るだけカーラから離れるようにして、身体を小さく縮こめて、気配を消すようにした。


 本当に許してください。

 セクハラで公宮に訴え出ないでください。


 どうなっちゃうんだよぉ。


***


 ……なんて心配は無用でした。


 公宮に着く頃にはカーラも回復して、顔を上げ、こちらに向かってニコリとしてくれました。天使のような微笑み、ありがとうございます。ありがとうございます。カーラ様、もう不埒な事はいたしません……はっ! でも、僕たちを運んでくれている馬車の御者が、僕の所業を見ていたはずだ。


 終わった……

 

 コンプライアンス違反は、他者からの通告でもアウトだ。

 僕はこのまま、セクハラ野郎として裁かれるだけなのだろう。


 そんな恐怖に戦きながらも、僕は精一杯虚勢をはって、紳士下僕のような心情で、カーラの腕を取り、馬車から降りるのをエスコートした。


 そこは、前回訪問した際に通った、政治の中枢である公宮の外宮と内宮殿を分ける中庭のような車寄せのような場所だった。


「お待ちしていました、シャルル様、カーラ様」


 そして、前回とは違い、執事のような格好をした白髪に白髭のおじいさんと、数人のメイド姿の女性が待ち構えていた。


 こんな、これ見よがしの扮装をしているなんて、明らかに怪しい。

 これはそうだ。うん、間違いない。


 僕はカーラから手を離し、僕の正面に立った執事のおじいさんに、


「本日はお招きいただきありがとうございます」


 と、土下座をした。


「え、シャルル様?」


 これで僕の誠意は伝わっただろう。御者の野郎、僕をセクハラで訴えるつもりなら、訴えてみろ! 被害者のカーラは許してくれたんだ。だいたい4歳児を罪に問うなんて、どういう了見だ。いえ、何でもありません。ごめんなさい!


 僕は必死に地面に頭をこすりつける。

 そんな僕の誠意が伝わったのか、優しい声で執事のおじいさんが声をかけてきた。


「お顔をお上げください、シャルル様。大事なお客様にそんな事をさせてしまうと、私が陛下に怒られてしまいます」

「本当? 大丈夫? 怒っていない?」

「そもそも、一体何をですか?」

「ば、馬車の中でカーラに僕がパフパフした事、怒っていない?」

「パフパフ?」

「うん」


 僕はそういって、カーラの胸元を見る。

 執事のおじいさんもつられるように、カーラの胸元をみて、それから僕に視線を戻し、軽く頷く。


「問題ありません」

「本当に?」

「はい、本当です。パフパフも、フガフガも、ご結婚されるなら、問題ありません」

「……で、ですよねぇ」


 僕はその声にようやく安心して、元気に立ち上がって歩き始める。


 そうだよな。僕も、おかしいとは思っていたよ。御者の奴が、僕とカーラが馬車の中で何をしていても、一度も振り返らないから、変な勘ぐりをしちゃったじゃないか。


 だいたい、婚約したんだから、パフパフも、フガフガも……フガフガ……フガフガぁ? 僕はそこで、振り返って執事のおじいさんを見た。


 ……お主、やるな。


「シャルル様、カーラ様。公王陛下がお待ちです。こちらへ……」


 僕のそんな熱い視線に気がついているのか、執事のおじいさんは、何事もなかったかのように、僕が進む方向と真逆を指し示し、前を歩き始めた。


 え、内宮殿じゃないの?


「本日は内宮殿ではなく、迎賓用の会食部屋をご用意しております」


 僕の表情を察してか、執事のおじいさんが応えてくれる。


「迎賓用?」

「はい、あちらでございます」


 そういって、指さした場所は……


 大きなホールだった。

 ああ、そうそう。前世で見たテレビで、上流社会がやる社交パーティなんかでダンスを披露するような場所で見たことがある! こんな感じだった。


 そして、そこには綺麗な召し物に着飾った人達が何人もいた。


「執事さん?」


 何ですかこれは?

 僕が言葉を続けようとした瞬間、執事さんからの一言で僕は固まった。


「あ、申し遅れました、私、急遽、今回の宴を取り仕切らせていただく事になったナバス・マサリッティと申します」

「マサリッティ?」


 ……どこかで聞いたことがある名前だ。


「はい、娘が今回は大変お世話になっております」

「娘?」

「二度目とはいえ、娘が嫁ぐ訳ですから張り切らないとなりません」

「お父様ったら、2度目なんてひどいわ」

「お父様?」


「カーラ・マサリッティは私の娘でございます。シャルル様」


 僕はその場で飛びあがり土下座の形で着地した。

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