第24話 眩しさに憧れて

 テニスコートの側を通る。体操服を着た子たちが並んでラケットの素振りをしている。入ったばかりの同級生だろうか、たどたどしい手つきで一心不乱に素振りを繰り返していた。


 誰か知っている人はいないだろうかと、顔を眺めていく。その中に星井麗奈の姿があった。しばらく遠巻きから様子を見守る。


 麗奈は素振りをチェックしながら指導したり、上級生に用具を運んだり、ボールを拾ったりと一生懸命に働いていた。


 誰かが頑張っている姿というのは、見ていて気持ちが良い。自分の心の空虚な隙間を埋めるように、立ったまま眺めていた。


 と、麗奈がこちらの視線に気づいて近寄ってくる。


「何をじろじろと見ていますの?」麗奈は不思議そうに尋ねる。


「テニス、頑張ってるんだなぁ、って思って」思ったままの感想を口に出した。


「もちろん優先するのは囲碁ですけど、たまに顔を出して練習に参加させてもらっていますの。小さい頃から家族とよくテニスをしていましたので、同級生の指導を任されたりして大変ですわ」満更でもない様子で麗奈が答える。


「ねえ、麗奈ちゃんは何でテニスやってるの?」


「そんなのは、美容と健康のために決まっていますわ」麗奈が即答する。予想していたのとは全く違う角度から回答に、面食らう。


「麗奈ちゃん、オバサン臭い・・・・・・」夏実が思わずぼそっと口に出す。麗奈の顔がひきつる。


 自分でも自覚があるのだろうか、痛いところを突かれたという表情をしながら夏実に近づいてくる。


「同じ年の同級生にオバサン呼ばわりされる覚えはありませんわ、そんなことを言うのはこの口かしら?」麗奈が夏実の頬をつまんで引っ張る。


「ひたい、ひたいよれいなひゃん」夏実が抗議の声を上げる。麗奈は痛がる夏実の様子を見て満足し、手を離す。


「今この瞬間の私たちの行動が、五年先、十年先の私たちを作りますの。時間が過ぎてから後悔はしたくありませんの」


 麗奈の言葉の真っ直ぐさが、今の夏実にはまぶしかった。一人でも、未来の自分を信じて道を歩けるその強さが羨ましかった。


「麗奈ちゃんはすごいね」素直に賞賛の言葉が口から出た。


「何ですの、そんな当たり前のことを言っても、何も出ませんわよ」夏実に褒められるのに戸惑っているのか、麗奈が困惑しながら返答する。


「それより、夏実さんもテニスに興味がありますの? ずいぶん熱心に見ていたようですけど」


 見ていたのはテニスではなく麗奈だ、とは恥ずかしくて言えなかった。


「もし入部したいんでしたら、私の方からも声をかけますわ。転入性ですし、途中からの参加も問題ないでしょうし」


「どうしようかな、まだ考えている途中だから今はまだいいや」麗奈の誘いを夏実は断る。


「では、私は練習に戻りますからじっくりと考えてくださいな。囲碁に熱心なのも、もちろん悪くはありませんけどね。何せライバルなのですし」麗奈はそう言ってコートの方に戻っていく。その背を見届けた夏実は、どうすべきなのかを未だに決められずにいた。


 一つの可能性を選び取るということは、それ以外の可能性を全て殺すようなものだと聞いたことがある。自分が何者なのかを選ばなければ、夢はいくらでも広がっていく。可能性の中での自分はスポーツ万能、頭脳明晰、誰からも好かれて歌や踊りの才能もあって、どんな道を選んでも成功しそうな気分になれる。


 実際に動き始めてみれば、そんな幻想は霧散し、事実だけを残酷に見せつけられる。自分が選ばれた人間なんかじゃなく、未来は曖昧模糊とした闇の中だ。


 だから人はモラトリアムの中から出てこられないのかもしれない。幾度となく可能性の霧の中に自己を浸し、甘い夢を見ては現実に傷つき一歩を踏み出せない。いつまでもそうやっていることで、自分の可能性をどんどんと狭めていくことには気づかないふりをして、いつしか本当に一歩も踏み出せない状況へと追いやられる。


 傷つきながらも、迷わずに歩みと止めずに歩き続けられる、そんな生き方をしなくてはいけないと教えられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る