ダタッツ剣風 〜災禍の勇者と罪の鉄仮面〜

オリーブドラブ

第1話 海賊、グランニールの一味

 降りしきる豪雨が絶えず葉先を揺らす。水たまりに浮かぶ二人の男の影が、波紋に揺れ動く。


 森林に降り注ぐ無尽蔵の雨粒は、睨み合う彼らの眼差しを塞ごうとしているかのようだった。しかし、刃に勝る鋭さを滲ませる彼らの眼は、霧の果てに潜む仇敵を一瞬たりとも見逃さない。


 細身の片刃の剣。二振りの両刃剣。大きさも形状もまるで違う剣を手に、彼らは息を殺して視線を交わす。

 漆塗りの甲冑を纏う黒髪の少年。白銀の鎧を纏う金髪の青年。彼らは己の命運を賭けた得物に雫を伝わせ、微動だにせず睨み合っていた。


 風が吹けば大きくたなびく少年の赤いマフラーは、今は糸が切れたようにうなだれている。泥や土に濡れたその様は、少年の瞳のように暗く淀んでいた。

 そんな少年とは対照的に、毅然とした輝きを放つ青年の碧い瞳は、眼前の脅威に屈することなく凛とした威光を放ち続けている。

 さながら、光と闇。天と地。その明暗に分けられた二人が、剣を交えたのは――互いが同時に殺気を放つ、その一瞬だった。


「イヤァアァアッ!」

「……!」


 襲い来る二つの剣閃。太陽の裁きとも云うべき、その天から振り下ろされた二本の剣が、少年の眼前に迫る。その威力を、雨粒を弾く気迫で感じ取った少年は僅かに避けるだけでは余波で吹き飛ばされると看破し、咄嗟に後ろへと飛び退いた。

 そこを狙い、青年は一気に攻勢に入る。相手が後退したことで生じる隙。そこを狙う以外に、勝ち目はないと。


王国式闘剣術おうこくしきとうけんじゅつ――叢雲之断むらくものたちッ!」

「……!」


 同時に。あるいは、僅かにタイミングを外して。二本の剣はまるで唸る鞭のように、不規則な挙動で少年の首を狙う。

 目にも留まらぬ剣捌きでそれをいなす少年は、急激に後退の足を止め、強烈な踏み込みで水飛沫を上げる。


 泥水に視界を阻まれた青年は、その一瞬にも満たない隙を突かれ、腹に強烈な回し蹴りを受けた。だが、フルプレートの甲冑に対したダメージはなく、僅かに生まれた勢いを取り戻そうと足を踏み込む。

 そこを狙いすましたかのように、少年の剣が振るわれた。青年は条件反射で十字に構えた剣で受け止め、力任せに押し返したが、その頬には焦りの雫が伝っている。


 その僅かな、ほんの僅かな焦りが。二人の運命を、生死を分けた。


帝国式ていこくしき――投剣術とうけんじゅつ

「ッ……!」


 押し返しの反動を、その身に似合わない怪力で踏みとどまり。少年の体勢が、飛びかからんとする猛獣の如く、低く沈んでいく。


「……飛剣風ひけんぷう


 そこから跳ね上がる体が。腕が。手が。握られた剣を矢の如く放ち、鎧の隙間を貫いた。


「が……ぁ!」


 肩と胴の境目に覗く、僅かな隙間。そこへ突き立てられた剣が、捉えた獲物の血を吸って行く。雨粒に混じる赤い濁流がその一点から噴き上がり、青年は声を絞る。

 騎士として情けない悲鳴はあげまい。そのささやかな抵抗を、少年は無情に踏みにじった。


 青年の背には、断崖絶壁。剣を交え、森や林を抜けた二人は、いつしかその先に待ち受ける奈落へ近づいていた。


 終わることのない、永遠へ続く闇。そこへ、突き落とすように。

 少年は接近と同時に、突き立てられた自分の剣を引き抜くため、足の裏を青年の胸に押し当て……強引に抜き去った。


 そこから鮮血が噴き散らされ、青年の胸は紅に染まる。血の気を失った足がふらつき、崖を踏み外したのはその直後だった。


「帝、国……勇者ぁあぁああ!」


 悔恨、怨念、憎悪、悲嘆。怒りとも、悲しみともつかない絶叫を最後に。血に濡れた青年は、奈落の果てへと消えていく。


「……」


 その最期を、少年は感情が欠落した虚ろな瞳で見下ろしていた。闇だけを映した彼の視界は、彼自身の胸中を揶揄しているかのように、暗い。

 踵を返し、豪雨に打たれながら森の闇に消えていく少年。血糊を流す雨粒が、赤色を帯びて地面に落ちる度、その色が彼に訴える。


 ――お前は今日も人を殺したのだ、と。


「……俺は」


 そこから目を逸らすように、暗雲が立ち込める空を見上げる。天は少年を見放すように、絶えず彼の顔に雫を叩きつけていた。


「……結局、こんなことでしか……」


 が細く呟く少年の眼は、この暗雲さえ飲み込まんとするかのごとく暗闇に濁り、薄暗い森の中を映す。そこへ踏み込んでいく彼の足は、迷子のように、覚束ない。


 彼はひたすら、歩く。


 手にした剣に染み付く血糊を、雨が洗い流す時まで。


 ◇


 ――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。


 その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。


 人智を超越する膂力。生命力。剣技。


 神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。


 如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。


 しかし、戦が終わる時。


 男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。


 一騎当千。


 その伝説だけを、彼らの世界に残して。


 ――それから、五年。男の旅路は、今も続いている。


 ◇


 窓から差し込んでくる日差しが、青年の意識を現実に呼び覚ます。黒髪を掻き上げ、彼は揺れるベッドから身を起こした。艶やかな長髪が、その弾みで静かに揺れ動く。

 気怠い面持ちで覗いた窓の向こうには、高く波打つ海原が広がっている。上体を支える両手の揺れは、微睡みから覚めたばかりの彼にここが船上であるということを思い出させていた。


「……くそ、また昔の夢を見るように……」


 日差しの眩しさか、悪夢への辟易か。青年は顔をしかめ、ベッドから立ち上がると黒ずんだ服に袖を通す。腰に届くほどの長さを持つ黒髪が、その弾みでゆらりと蠢いた。

 鍛え抜かれた屈強な肉体を古びた黒布で覆い隠したのち、緑の上着を羽織った彼は赤いマフラーを首に巻いて、ベッドに立て掛けていた銅の剣と木の盾に手を伸ばす。

 ボロボロに錆び付いた剣と、擦り切れた盾を身につけ、青年は眠気を振り切るように扉から外へ出る。刹那、快晴の空から照り付ける日差しが、彼の視界を封鎖した。


「よぉ兄ちゃん。夕べはよく眠れたかい?」

「おかげさまで。……もうすぐ陸ですか?」

「あぁ。そろそろ見えてくる頃だぜ――ホラ」


 そんな彼に声を掛ける、逞しい肉体と日焼けした肌が特徴の壮年の男性。黒い長髪を潮風に靡かせ、海原を見つめる青年に朗らかな挨拶を送った彼――この船の船長は、水平線の向こうを指差した。

 その先には、微かだが小さな港町が伺える。数日に渡る船旅の、終わりが近づいていた。


「見えてきたろ? あそこが王国領の港町さ。あと三十分もすりゃあ着くから、準備しときなよ」

「はい、ありがとうございます。……すみません、ここまで乗せて頂いて」

「いいってことよ。……しかし兄ちゃんよ。剣の武者修行だか何だかで、大陸の外まで旅してたって話だが……そんな装備で大丈夫かい? 向こうに着いたら、ちゃんと装備も買い換えた方がいい」

「ははは、そうですね……考えてみます」


 船長は、長髪に見合う美男子の横顔を眺めながら、彼が纏う貧相な装備に眉を顰める。今時、山賊でももう少しマシな装備で身を固めているだろう。そう、言いたげな眼差しだ。

 言われるまでもなく、視線からその意図を感じていた青年は、苦笑いを浮かべて腰に差した鞘を撫でる。ギシリ、と軋む音を立てる銅の剣は、すでに耐用年数を過ぎているように見えた。


「やれやれ、わかってんのかね……。何にせよ、あそこに降りるんなら『連中』が来ないうちに済ませねぇとなぁ」

「連中……?」


 そんな彼を、暫し心配げに見つめていた船長は――ふと、長年の人生経験から培った直感に基づく「危険要素」を「連中」と形容する。

 その形容詞に要領を得ない青年は、何のことかと首を傾げた。


 ……答えが出たのは、それから僅か数分のことだった。


「……ん、あれは!?」


 最初に反応したのは、長髪の青年。彼の目に映されたのは、素早く海上を渡る一隻の船。――だが、問題はそこではない。

 黒一色の帆に描かれた、禍々しい髑髏の紋章。それを一目見れば、水平線の向こうで蠢く帆船の実態は容易にわかる。


「海賊船……!?」

「ちっ、この近辺を頻繁にうろついてるって噂は聞いてたが……間が悪いったらないぜ! 面舵いっぱい!」


 青年が呟いた瞬間、船長は船全体に轟く怒号で、旋回を支持する。波を切る彼らの帆船が、大きくうねりを上げて航路を曲げた。


「……あの海賊船は?」

「わりぃな、そういや話してなかったか。あれはここ数年、あの港町を襲いに何度もやって来てる海賊船さ。毎回追い返されてはいるんだが、あいつらが来りゃ港はいつも大立ち回りよ。兄ちゃんには悪いが、上陸はあいつらが帰るまで待っててくれや」

「数年も……」


 小さな港町に迫る、侵略者の船。その猛威を止める術も義務もないこの船は、荒事が終わるまで港町から離れるしかない。船員の命を預かる船長としては、当然の判断だろう。

 ゆえに客人の青年は、何一つ物申すことなく。……金貨を詰めた小袋を、彼の前に差し出した。


「船長、これを」

「え? ろ、路銀かい? そんなもん降りる時でいいって言っただろ」

「はい。だから、ジブンはここで降ります。ここまで乗せて頂き、ありがとうございました」

「な、なにぃ!?」


 そこから飛び出した言葉に、船長が目を剥く――より早く。青年は黒の長髪と赤マフラーを靡かせ、甲板を駆け出した。

 言われるがままに小袋を受け取ってしまった船長は、慌てて制止しようと手を伸ばすが――その時にはすでに、彼は海へと身を投じていた。


「ダ、ダタッツさんっ! いくらなんでも無茶苦茶だぜそりゃあ!」


 海中に消え、もはや届くはずのない彼へ、船長は狼狽した声色で訴える。だが返事はなく、ただ激しく波打つ海原だけが、船から見下ろす彼の視界を埋めていた。


 海に消えた、ダタッツと呼ばれた長髪の青年は、ただ一人。


「……」


 港町へと向かう。王国の、領地へ。


 ◇


「海賊だァァッ! 総員出合えェェエッ!」


 山林と海原を繋ぐ地点に築かれた、小さな港町。そんなのどかな海の都に訪れようとしている来訪者を迎え撃つべく、屈強な騎士が剣を掲げて戦の始まりを町に告げた。

 周辺の住民達は逃げ惑うように自分の家に飛び込んで行き、王国製の鎧を纏う騎士達が続々と港に結集していく。


 一角獣ユニコンをあしらった鉄兜。青い服の上に纏われた白銀の甲冑。青く塗られた柄から伸びる、真っ直ぐな刃。

 勇ましさと凛々しさを備えた王国騎士の鎧が、彼らの威光を物語っているようだった。だが、海賊船はその防人達を前にしても怯むことなく、徐々に港へ近づいて行く。


 そして――その船の上に、二つの人影が現れた瞬間。


「来たぞォォォ!」


 隊長の叫びと共に、無数の矢が放たれた。雨の如く振り注ぐ矢の群れが、二つの人影に容赦なく襲いかかる。

 だが、そこから天高く跳び上がる彼らは、矢の隙間を縫うように空を裂いて宙を舞う。


「ぬうっ……ひるむな、掛かれェェエ!」


 屈強な男と、小さな子供。その凹凸の敵影は、ふわりと港の桟橋に着地する。目前まで接近された騎士達は、その超人的な身体能力を持つ彼らに、己の剣で挑みかかった。


「――阿修羅連哮脚あしゅられんこうきゃくッ! ホワチャアァアァッ!」

「ぐぎゃああぁッ!」

「あぁあぁあッ!」


 その剣の濁流を――屈強な男の影が迎え撃った。両手を桟橋の上に着き、両脚を竜巻のように振るう彼の蹴りが、何人もの騎士を跳ね飛ばして行く。

 為す術なく、桟橋から海へと突き落とされていく騎士達。あっけなく吹き飛ばされた仲間達の惨状を見せ付けられ、騎士達の前進が勢いを失う。


 彼らが見せたその僅かな怯みが、さらなる追撃の狼煙となった。男の蹴り技を掻い潜るように、身を低く構えて前に進み出た子供の影が、ショートボウを引く。

 ――その指の隙間に、四本の矢を挟んで。


獅子波濤ししはとうッ!」

「あ、ぎゃっ……!?」

「ひぎっ……!」


 水面から広がる波紋のように、波状に飛ぶ四矢しし。弓としては不安定極まりない構え方でありながら、小さな侵略者は寸分違わぬ制度で、最前線にいた四人の騎士の顔面を射抜く。

 常軌を逸する彼らの武芸を前に、騎士達は後退を余儀無くされ――やがて戦場は桟橋から港へと移されてしまった。


「おのれ、グランニールにシュバリエル……! 増援を呼べ、シン様がお目覚めになるまで持ち堪えるのだ!」


 町の近くまで侵入を許してしまったことに歯噛みしつつ、隊長は次の指示を下す。すでに彼の直属部隊は、二人の海賊を包囲していた。


 老境に入ったような白髪。炎天下の猛暑に焼かれた、浅黒い肌。真紅の眼光で周囲を射抜く、壮年の武人――グランニール。

 溌剌とした印象を与える茶色の短髪と、翡翠色の瞳を持つ、少女と見紛う美貌の弓使い――シュバリエル。


 毒々しい紫色の戦闘服を纏う二人の海賊は、包囲されていながら全く怯む気配がなく、むしろ闘志をより滾らせているようにも伺えるほどであった。

 だが、人数差は圧倒的である。二人しかいない彼らに対し、騎士達の数は八十人以上。多勢に無勢、という言葉をこの上なく体現した状況である。


「隊長! 増援部隊が合流しました!」

「よし、何としてもここでケリを付けるぞ。シン様の手を煩わせることなく奴らを撃退せしめれば、バルキーテ様の褒賞が待っているのだからな!」

「ハハッ!」


 隊長の言葉を受け、騎士は歪に口元を緩める。それを口にした隊長自身もまた、どこか禍々しい笑みを浮かべていた。

 そんな彼らの様子を、背中合わせで騎士達と対峙していたグランニールとシュバリエルが視線で射抜く。だが、その眼光に気づいていながら、隊長はその嗤いを止めなかった。


「……はははは。そろそろ諦めたらどうだ海賊共。いや……元町長殿とその御子息、と言った方がよろしいか?」

「黙れ。貴様らバルキーテの一味に、これ以上この町を喰い物にはさせぬぞ」

「面白い。この人数を相手に、たった二人で戦うつもりか。……やれ!」


 そして彼の命令のもと、剣を振り上げた騎士達が一気になだれかかる。武器を携えた濁流が、津波となって覆いかぶさるように。


「阿修羅連哮脚ッ!」

「獅子波濤ッ!」


 だが、その波は町を飲み込む力はあっても――たった二人の人間だけは、飲み込めずにいた。旋風を巻き起こすグランニールの蹴りと、絶え間無く乱れ飛ぶシュバリエルの四矢が、波という波を蹴散らしている。

 刃の間を擦り抜けるように閃き、敵を撃ち抜く足の甲。鎧の隙間を縫い、肉という肉を貫く非情の矢。数の暴力さえものともしない圧倒的な「質」が、この戦況を作り出していた。


「ば、かな……! おのれ、おのれェェエ! シン様さえ、シン様さえお目覚めになれば貴様らなどッ……!」

「……ふん。結局はシン頼みか。今日こそは、シン共々貴様らを討ち取る。観念せよ」

「オレ達だって、この数年で腕を上げたんだ。もうシンにだって負けやしないぞ!」

「ぬうぅうぅッ……!」


 何十人と騎士達を投入しても、グランニールとシュバリエルは僅かな揺らぎもなく跳ね返していく。その状況を受け、隊長は憎々しげに顔を歪めた。

 グランニールは勇壮たる眼光で、その歪な形相の騎士を睨み――シュバリエルも強気な口調で隊長を挑発する。


「おのれ……調子に乗りやがってぇえ!」


 そんな二人に、怒りと憎しみを募らせた一人の騎士が踊りかかる。だが、グランニールは余所見しながらその剣の一閃を、指二本で止めてしまった。


「それは貴様らの方だろう。戦後の五年間、この町を蹂躙してきた貴様らの悪行も――ここまでだ!」

「ひっ……ひぃいいぃ!」


 そしてあっさりと、指の力だけで白銀の刃をへし折ってしまった。枝のように己の剣を折られ、騎士は恐怖に顔を引きつらせる。

 そんな彼を吹き飛ばそうと、グランニールが足を振り上げ――とどめの蹴りを放つ。


「ホワチャアッ……!?」


 その、時だった。


 容赦無く振り抜かれ、騎士を打ちのめすはずだった老戦士の脚は。振り下ろす瞬間で、止まっていた。

 蹴りを止めたのは、グランニールの意思ではない。彼の脚力さえ穿つ第三者が、この一撃を阻んだのだ。


「そこまでだ……海賊」


 ――古びた木の盾で、彼の蹴りを受け止めている謎の剣士という、第三者が。


「な、なんだ……あいつは!?」


 腰まで届く黒い長髪と赤いマフラーを靡かせる、若い男。貧相な装備でありながら、グランニールの蹴りを止めているその人物は、騎士達も身に覚えがなく、隊長は得体の知れない第三者の出現に困惑する。

 そんな周囲の反応から、老戦士は目の前で自分の蹴りを止め、並々ならぬ気迫でこちらを見据える若き剣士が、騎士達に与する者ではないと看破した。


「う、うそだ……父さんの蹴りを、あんなオンボロの盾で止めるなんて!」

「……いや、違うな。盾ではなくこの者自身の膂力で、私の蹴りを凌いでいる。……何者だ? 騎士ではないようだが」

「何者だろうとあなた方には関係ない。引かないなら、叩きのめすだけだ」

「……」


 ずぶ濡れの格好。ボロボロに擦り切れた銅の剣と木の盾。どれをとっても騎士達の仲間とは言い難い風貌である。

 長髪の美男子ではあるが、そんな容姿の素材も帳消しにしてしまうようなみずぼらしさだ。


 だが――注目すべきはそこではない。問題は、そんな彼が騎士達を何人も跳ね飛ばしてきたグランニールの蹴りを防いで見せたことにある。

 間違いなく、他の騎士達とは一線を画する強さ。騎士達の最強戦力であり、自分達の「侵略」が成功しない最大の要因である「シン」にも迫る戦闘力であることは明白だった。


 無論、その点は騎士達も注目しているようであり――隊長を含む誰もが、謎の実力者に目を奪われているようだった。


(この青年……並外れた実力を備えている上に、義に溢れた良い眼をしている。だが……この様子を見るに、事情は何も知らぬようだ)


 そのさなか。いち早く彼の人柄を眼差しから察したグランニールは、彼の盾から脚を離すと距離を取り、構え直した。

 そんな彼の気迫に触れた青年――ダタッツもまた、腰から銅の剣を抜く。


「くっ……!」


 すると、シュバリエルは素早く身を翻すとダタッツの背後に周り、その背中に四本の矢を向ける。引き絞られた弓から、ギリギリと音が鳴った。

 実態も目的もわからない、突如現れた謎の人物。だが少なくとも、今この瞬間はグランニールと敵同士として相対している。彼に弓引く理由としては、それで十分だった。


「やめておけ。怪我をするぞ」

「……!? う、うるさいッ!」


 だが、ダタッツはグランニールから目を離さないまま、背後に立つシュバリエルに警告する。こちらを見ずに手の内を看破されたことに困惑しつつも、幼い海賊は構わず矢を放った。


 獅子波濤の四矢が、黒髪の剣士の背に降りかかる。

 だが。


「なっ……!」


 ダタッツは矢を見ることもなく、僅かに身を捻るだけで三本の矢をかわし。最後の一本を、指に挟んで止めてしまった。

 さらにその矢をこともなげに、後方へ投げ返すのだが――その速度は、シュバリエルが矢を射る速さすら凌いでいた。

 投げ返された矢は彼の足元に突き刺さり、その衝撃で石畳が一瞬浮き上がる。その瞬間を眼前で見せ付けられたシュバリエルは、目の前で父と対峙している男の実力を知り、戦慄を覚えるのだった。


「……それが警告だ。怪我をしたくなくば、大人しくしていろ」

「お、お前は……一体……!?」


 獅子波濤を見切ったばかりか、シュバリエルの方を一度も見ることなく矢を投げ返して見せた。しかも、彼に矢が当たらないギリギリのポイントに。

 そんな芸当を、自分と構えている最中に見せ付けられたグランニールは、険しい面持ちを浮かべる頬に、汗を伝わせた。


(……これほどの力を持ちながら、あくまで投降を求めるか。やはりこの青年、悪ではない。だが……シュバリエルが弓を引いた今の状況で、説得は難しかろう。……やむを得ん)


 そして、未知の強者という不確定要素と直面した老戦士は、一つの決断と共に走り出す。


「シュバリエル、ここは引くぞ!」

「と、父さん! オレはまだ……!」

「彼は強い。今の我々ではまず勝てん!」

「くッ……アルフ兄さんさえ生きていてくれたらッ……!」


 その指示に応じ、彼の血を引くシュバリエルも後に続いた。騎士達の頭上を飛び越し、二人が向かう先は、桟橋の向こうに浮かぶ海賊船。


「や、奴ら逃げるぞ! 追えェーッ!」


 これから激戦が始まると思わせてからの、グランニール達の突飛な行動に、騎士達は暫し呆気にとられていたが。いち早く我に返った隊長の指示のもと、一気に追撃を開始した。

 だがすでに二人は海賊船に飛び乗り、沖の彼方へと逃げ去っていた。小舟はあるものの、海上まで追いかけても船の砲台で迎撃されるのが落ちというもの。


「くそーッ! あんのクソッタレ共がーッ!」


 それを見ているしかなかった隊長は、地団駄を踏んで激しく憤る。そんな騎士にあるまじき姿を、遠巻きに眺めながら……海の向こうに消えていく二人の海賊を見つめるダタッツは、独り思案する。


(あのグランニールって人……。海賊という割には、悪辣な気配はまるで感じなかった。シュバリエルって子も。……この町で、一体何が起きている……?)


 そんな彼を、遠くから見つめる悍ましい眼光には――気づくことなく。


『テイ、コク。ユウシャ……!』

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